第3話
第3話
お待たせいたしました。
元来私は電話、メール、LINEというものがどうにも苦手でございます。
特に休日に鳴る電話は私を一瞬で憂鬱にさせるのでございます。自分の時間を他人に妨害されることに対し極端な拒絶感が湧き上がるのです。宅配屋が自宅のインターホンを鳴らしてくるだけでもムッとする有様でございます。
日々、せわしなく他人と交流している職業柄なのでございましょうか、反動で休みの日は誰にも侵されない自分の世界というものが何よりも大切になるのでございます。
そこにずかずかと立ち入ってくる電話というものは私にとって邪魔な存在でございました。
私は大勢の中にいることよりも独りでいることを好む男なのでございます。
軽蔑される方もいらっしゃると思いますが、考えてもみてください。もし世界中の人々が独りでいることを好むようになれば、きっとこの世界に「戦い」も「争い」も「憎しみ」も「悲しみ」も生まれてくることがないのではないでしょうか。
自己満足に浸っていれば人はそれで「平和」に生きていけるのです。
他者との交流は軋轢とストレスの温床なのでございます。
しかし、この時、二千十六年九月二十七日の私はまるで己の価値観と逆行するような行動をとらざるを得なくなりました。
生存競争の社会の中では、人は生きるために自分を押し殺し、我慢を強いられるものです。世の常でございます。
さて、層雲峡脱出編のお話を進めていきましょう。
簡単な朝食を口にした私は早速予定の行動に移りました。
備え付の電話の受話器を取り、片っ端から内線を鳴らしていくのでございます。
目的は二つ。
ひとつは生存者を探し出し、情報を聞き出すこと。
これはホテルの反対側の部屋にいる人たちから、眼下の駐車場の様子を知ることがポイントです。
もうひとつは協力者を見つけることでございます。
後者は一晩かけて決心したことでした。
やつらを陽動するにしても誰かと連携をとる必要があります。そうすることで成功の可能性はぐっと高まるはずでございます。
私たちだけで脱出できるのであればそれに越したことはないのですが、不慮の事態に対処する自信がございません。
相手を選んでいるような余裕は無いだろうという予想がありましたから、この決断は大きな葛藤を引き起こす可能性がございました。相手次第では協力し合うというよりも互いに利用するだけになりかねません。
考えれば考えるほどに不安な要素がございましたが、まあ、案ずるより産むが易しということわざもございます。
まずは電話をかけ続けることです。
その間、妻にはカーテンやフトンを裂いてロープのようなものを作ってもらうことにしました。カッターがあればよかったのですが、あいにく手持ちには小さな眉切バサミしかございません。気の遠くなるような長い時間を費やす仕事になりそうです。
ただビクビクと震えながら部屋に籠っているよりかはましでございます。
期待せずにまずはフロントを鳴らしてみました。
ツーツーという受話器のあがっている音が聞こえてきます。私は気落ちすることなく次は部屋番号を押していきました。
十階建てのこのホテルには百六十一の客室がございます。
八階の私たちの部屋を除く百六十部屋に内線をかけていくわけでございます。
電話と自分を布団で覆いなが十階の部屋から順次かけていきました。
電話に出た相手にどこまで話すべきなのか、まずは何を話すべきなのか、色々な対処法を頭の中で繰り広げながら私は相手が電話口に出るのを待ちました。
十階、九階、八階、七階……誰も応えてはくれません。
三十回鳴らしても誰も出ないか、初めから受話器の外れている音のどちらかでございました。
六階、五階、四階、まだ誰も出ません。
残りは三階と二階となった時には私は誰でもいいから出てくれと祈るような気持ちで受話器を握っていたのです。
もちろん高橋守の部屋は別でございます。どんな事態に陥っても彼を頼ることだけはしないと心に決めておりました。
しかし私の願いも空しく三階に至っても誰も電話口に出てくれないのでございます。
沖田春香には繋がるだろうと思っておりましたが、それすら無いのです。
いつの間にか電話をかけ始めてから三時間が経とうとしておりました。
成果は何ひとつございません。
妻は作業をしながら時々私のほうを見て小さな溜息を洩らします。
二階も全てかけきった後(二三二号室以外)私は静かに首を垂れて受話器を置きました。
まさかとは思いましたが、誰ひとり繋がりませんでした。
石和麻由希さんと同伴しているはずの幼馴染の女性すらも……。
所詮自己満足の世界に浸っているだけの男の作戦なんてこんなものでございます。自傷気味に笑うより他にありませんでした。私の計画は出だしから大きく躓いたのでございますから。
それにしてもわずか一日でこのホテルの住人たちは、私たちを除いて全滅したとでもいうのでしょうか。
「宴会場やレストランとかまだあるら。かけてみろし」
妻の一言で目が覚めました。
すぐさま私はホテルの設備が書かれているパンフレットを開き、内線番号を調べます。
まだありました。
食事処やカラオケボックス、お土産店などかける場所はまだあるのでございます。
私は息を吹き返し、また受話器を取ります。もう布団で覆うことも忘れておりました。
そしてついに生存者を見つけたのです。
この時の興奮は凄まじいものでした。
思わず立ち上がって叫んでしまったくらいです。
やつらの唸り声が廊下から一斉に聞こえてきて肝を冷やしましたが、黙っているとやがて唸り声は低くなっていきました。
それを確認してから慌ててもう一度内線を鳴らします。
一回鳴ってすぐに相手が出ました。
「もしもし……誰、ですか?」
女性の声でございました。
それも若い女性の声です。やや日本語が片言のようにも感じました。
「私は八一0号室に宿泊している山岡と申します。そちらは二階のお店ですか?」
私はなるだけ優しい響きで話すよう心がけました。
彼女には逃げられるわけにはいきません。口説き落とすぐらいのつもりで話をしようと考えておりました。もちろん妻の視線を感じながらですが。
「私は李と言います。こんにちは……。ここはレストランの厨房です。受付の電話を持ってここに隠れています」
どうやら日本人ではないようです。
そういえば二日前フロントから客室まで荷物を運んでくれた女性もアジア系の女性でした。アジア各地から働きに来ている女性も多いようです。
宿泊客も最近では日本人よりもアジア諸国から来る人が多くなってきていることもあるのでしょう。
「李さんはひとりですか?」
なぜか私も片言になってしまいます。妻が眉をひそめて私を見ていました。
「そうです。料理長は外の様子を見てくると言ったきり戻ってきません。ドアの向こうから、動物の声みたいなものが聞こえてきます」
「外は危険ですからドアは開けないでください。窓はありますか?」
「あります。」
「外は見えますか?何が見えますか?」
「はい。裏庭が見えます。フラフラした人たちが歩いています」
裏庭……。
ということはこの部屋と同じ向きにあることになります。ホテルの地図で確認してもやはりそうでした。
「その人たちには絶対に近づかないでください。危険です」
「わかりました。」
素直な返答です。非常に好感が持てます。彼女となら協力し合えそうです。
私は続けて質問をしました。
「他に誰か避難している人の情報はありませんか?」
「避難……えーと、隣の隣が大浴場です。そこに逃げた人もいるようです。何度か声が聞こえました。」
地図で探します。
ありました。
一階と二階ぶち抜きの大浴場です。よく見てみるとこの部屋のほぼ真下にあたります。丁度この真下の一階は大浴場の更衣室のようでございました。
「では、一時間後の午後四時にまた内線を鳴らします。それまでは危険だから受話器ははずしておいてください。音でやつらが寄ってきます」
「わかりました。山岡さん、私は、助かりますか?私は助かりたいです」
やや艶美な匂いのある言い様でございました。私は少しクラっときましたが、一呼吸を置いて、はっきりとこう告げました。
「私が助けます」
繰り返しますが彼女とは繋がっていなければならないのです。救出を餌にしてでも構いません。こちらに期待してくれている限りは彼女から無視することはないでしょう。
この調子でさらに生存者を探し出そうと意気込みましたが、結局他には誰にも繋がりませんでした。それでも一と0は大きく違います。
これで計画は一歩前進できるのです。
先ほどの李さんの言葉を思い出しました。はたして彼女はどのような女性なのでしょうか。私はここで働く従業員の方が綺麗な人が多かったことを思い出しました。声の質からすると相当な美人のはずです。
妻が作業の手を休めて言いました。
「タバコ、無くなってきたから買ってきて」
まるで私の心を見透かしたような冷ややかな表情でございました。
一番恐ろしいのは女なのかもしれません。
この続きはまた次回とさせていただきます。
それでは一度失礼させていただきます。




