第2話
第2話
お待たせいたしました。
人類が未曽有の大変貌を遂げることになった二千十六年九月二十六日、月曜日。私、山岡朝洋にとってもこれほど長く危険に満ちた一日は四十年間の人生で初めてございました。
恐怖と混乱の中を無我夢中で切り抜けた私は、最後には明確なビジョンを伴った決断とともにこの一日を終えました。
私が大学生の時代に放浪の旅に出たインドでは、かつて「アーシュラマ」という習慣があったそうでございます。
バラモン教では人生の過程を大きく四つに分類しております。
学生として勉強に励む「ブラフラチャルマ」を経て、家庭を築く「ガールハスティア」その後は森林部で暮らし世俗との関係を断つ「ヴァーナプラスタ」そして最後には全てを捨て乞食遊行の旅に出る「サンニャーサ」となる。
これらが人間として完成されるために必要な経験だと古から認知されていたのでございます。
私は意図せず、さる九月二十六日をもって第三区分たる「ヴァーナプラスタ」に突入したということでございましょうか。
いいえ、人類自体がそのような時期を迎えたのです。
人類が進化の頂点に進むには必要なプロセスだったのかもしれません。
さて、層雲峡脱出編のお話を進めていきましょう。
明けて九月二十七日。
昨日の雨が嘘のように晴れあがった空が広がっております。層雲峡独特の柱状節理の山肌が青く澄みきった空の中にくっきり浮かび上がって荘厳でございました。
妻は大胆にも窓を開け放ちタバコをふかせております。
異臭さえ気にしなければ新鮮な空気が冷たい風となって顔をなでます。
時計を確認すると午前五時十五分でございました。
私は一度テレビを布団で囲い込み恐る恐るスイッチを入れます。そしてすぐさまボリュームを0にし、そこから徐々に上げていきました。ギリギリ聞き取れるかどうかの音量です。廊下にはやつらが徘徊しており、うかつに声も音も出せない状況なのでございます。
「……です。えー、昨日から日本各地で発生しています正体不明の暴動ですが、拡大の一途の模様です。官邸に設置された国難緊急対策会議の発表によりますと、現在警察関連、消防関連の他に国防軍も全部隊が出軍にあたり鎮圧に尽力しているという話です。えー、それでは、ここで……すみません、それでは、これまでの被害者の数字が入ってきました。全国各地で千八百万人の負傷者が出ているとのことです。千八百万……ほんとうですか?え……死傷者ですか?死者?……あくまで予想ですか?どこのだれの予想なんですか!?すみません情報が錯そうしております。えー、昨日から日本各地で発生しています正体不明の暴動は拡大の一途の模様です。都内全域は緊急車両以外は全面通行禁止、路線も全線運行停止、飛行機の離発着も停まっております。なお日本政府からは外出禁止令が出されております。外は非常に危険なので絶対に屋外に出ないでください。繰り返します。屋外は大変危険な状態になっております。指定されている避難場所への移動も危険なので控えてください。電話回線も非常に混雑しており通話できない状態です。家族のもとへの無理な移動も避けてください。襲われた場合は最寄りの警察、消防、国防軍へ救援を求めてください。電話回線が不通になっている状態が続いています。インターネットも緊急機関に集中し繋がりにくい状態です。現在関係各所が鎮圧に尽力している最中です。みなさんのお住いの市、町、村への救助にも動いております。どうか屋内のどこかに隠れて救援を待ってください。絶対に屋外に出ないでください……」
アナウンサーはかろうじで冷静さを保っておりましたが、放送局全体がパニックに揺れ動いていることは画面を通して嫌というほど伝わってきました。
話している内容も矛盾している点がいくつかありましたが、私が一点気になったのは国防軍がすでに動いているということです。
沖田春香の話では軍がここに来るのは五日後ということでした。
旭川市には北方の国防軍基地がありましたから、市内から順次鎮圧していってここに辿り着くのがそれぐらいになるだろうという沖田の予想なのでしょうか。 始めからそう想定されていたとは考えにくい話でございます。
千八百万人の人間が死傷したという話は眉唾ものでございましたが、私は実際にその猛威に直面した直後でしたので全面的に否定する気持ちにもなりませんでした。同じことが日本中で発生しているのだとしたら被害はそれ以上かもしれないとすら思えます。
妻がタバコを吸い終わり、私とテレビを覆っている布団の中に潜り込んできました。タバコの匂いが狭い空間に広がります。妻とこのように密着したのは随分と久しぶりのような気がいたしました。
「……正確な情報はこちらにも届いておりません。現場に向かったリポーターたちもそのほとんどと連絡が取れない状況です。東京都足立区に向かった坂本祥子からはこのような映像が届けられております。正確な情報は不明です。あくまでも現場の様子を撮影した内容と坂本の実況です。ご覧ください。」
すると突然民家の庭先が映し出されました。
目前の芝生の上に肥えた女性がうつ伏せで倒れております。顔はよく見えませんが年のころは四十五から五十歳ぐらいでしょうか。
周囲にはそれほど大量ではないものの流血の跡がありました。
リポーターの女性が画面に向かって何かを叫んでいますが、音をまったく拾えていません。非常に興奮した表情で喚きながら倒れた女性に近づいていきます。それを制止しようとするカメラマンの右手も映し出されております。
すると突如音声が入りました。
「……は、……っです!!感染者に噛まれて死んだ人間が生き返るというのです!!ご覧ください!!先ほど感染者に襲われ息を引き取った方です。私が直接脈をとりました。脈は停まっていました……それはカメラマンにも確認してもらいました。一度確実に亡くなった女性が、ご覧下さい……動いております……」
うつ伏せで倒れている女性の肩がビクビクと震えております。
カメラマンが撮影しながらも必死になってリポーターの女性を引き戻そうとしておりましたが、リポーターは構わず近寄っていきます。
そしてその髪に触れるかというほどまで顔を寄せました。
「なんでしょうか、この異臭は……。強烈に腐ったような匂いがします!……うめき声です。うめき声が聞こえてきます。奥さん、大丈夫ですか?奥さん!」
その声に反応して顔がぐるりとカメラの方を向きました。
口元からは白い涎、目は大きく見開かれ、声の相手を必死に探しております。
隣でテレビを観ている妻もビクリと反応し目を背けます。
この後の結末が想像できるからでございましょう。
パニックになったカメラマンの怒鳴り声とリポーターの悲鳴、そして歓喜の雄叫びが響き映像が乱れて終わりました。
「衝撃の映像です。これは合成の映像ではありません。今、日本で起きている現状の一部です。お、恐ろしいことが起きています……。坂本ともカメラマンともこの映像撮影後もネット回線で連絡は取り合っていたのですが、現在は消息不明になっております。今回は配信されてきた命がけで撮影した映像を修正せず放送させていただきました。彼らが安全な場所で隠れていることを祈ります」
死んだ人間が生き返る?
そんなことがあり得るはずがございません。そう笑い飛ばそうとするのですが、何かが引っかかります。昨日の記憶がフラシュバックしてくるのです。たしか同じような出来事があったような気がしました。
悩んでる私を見て妻が、
「五階の露天風呂の脱衣室で同じようなことがあったら」
「脱衣室……」
「あのおじさんズラ」
~ら、も、~ズラも甲州弁でございます。
妻は北海道に嫁いできて十年以上経ち標準語も使いこなせるのですが、興奮すると生まれ故郷の訛りが自然と出て参ります。
私も数年間、山梨県に住んでいたものですから特に違和感なく会話することができました。もちろん北海道には北海道の訛りがあるのですが。
「石和麻由希さんを助けにきたあの人か……」
思い出しました。
あの時、やつらに襲われて血まみれになりながら脱衣室に飛び込んできた夫婦のことでございます。
旦那さんの方は首から大量に血を流していて室内に倒れ、やがて息を引き取りました。
それが数分後に再度室内に入ったときには立ち上がって暴れていたのです。
生きていたのかと思っておりましたがやはりそうではなかったようでございます。
一端は死んだことに間違いなかったのです。
玄関口からやつらの唸り声が聞こえてきました。
巡回しているときの低い唸り声です。
私たちの存在が気づかれたわけではありません。すぐに唸り声は遠のいていきます。
私は頭を抱えました。
やつらは病気になった人間ではないのでございます。まったく別の生物。いや、こうなると生物と呼ぶことすら該当しないかもしれません。
仮にこの話が真実だとすると話は大きく変わってきます。
千八百万人の死傷者がそのままやつらに変化しているとしたら、被害の拡大はより一層大きくなっていくだけでございます。
加害者がどんどん増えていく換算です。
被害は「べき乗の法則」で増加していくことでしょう。
グラフで表すと一定の割合で増加していく一次関数の直線ではなく、変化の割合がどんどん大きくなっていく二次関数の放物線に近い形です。
計算上では……いいえ、そんな計算をする必要などありませんでした。
そんな簡単に今回の犠牲者を関数の式で表すことなどできないはずです。
それに計算した結果の解は絶望しか導かないはずでございます。
私には今、やらなければならないことがあるのです。
布団の中で妻に私の考えを話しました。
九月三十日までにはこのホテルを脱出しなければならないこと。
そのために準備をしていかなければならいこと。
思い描いたことはすべて伝えました。
妻は相槌を打つわけでも反論するわけでもなく黙って話を聞いていました。
そして私が話終えると涙を浮かべ、
「旭川の家に帰りたい」
と、たった一言だけ答えました。
私たちの城。安住の地。思い出の場所。私たちはそれを取り戻すために活動を開始しました。
いかなる時も、「目的」は必ず力を与えてくれるものでございます。
この数日で私たちは強く実感することになるのです。
ただ、時代の流れは、人生のベクトルはやはり「アーシュラマ」ではございました。
この続きはまた次回とさせていただきます。
それでは一度失礼させていただきます。




