第3話
お待たせいたしました。
この掲示板を読んでくれている方がいることを知り、大変嬉しく思っております。
なかなかやつらの核心に触れられずやきもきされている方も多いかもしれませんが、もうしばらくお待ちください。順を追って説明しなければ伝わらぬこともございます。
外では雪が降っております。
北海道はどこも雪が多いわけではございません。
本州とほとんど変わらぬ積雪の地域もございます。
ここ旭川市はなかでも雪が多いのでございます。
今年は初雪が例年に比べ遅いように思えますが、おそらくこれから豪雪となり辺りの景色は一変することでございましょう。
さて、話をあの九月二十六日未明に戻します。
私と妻は内線で知り合った高橋守という青年と情報を交換しておりました。
話を聞くと、彼は二十一歳の横浜国立大学の学生でございました。
二つ年上の恋人と北海道旅行に来ていた最中の出来事だったようです。
晴天の霹靂とも言える今回の騒ぎに対し、この若者が随分と落ち着いて分析していることに私は驚きました。
私は四十歳ですからイニシチアチブは当然こちらにありそうなものですが、ハプニングの中では歳など関係ないのでございます。
特に彼にはそのような遠慮は無く、まるで友人に話をするように私に語り掛けてきました。
私たちは幾分プライドを傷つけられながらも彼の話を頼るべくして頼る結果になりました。
「まったく携帯電話が通じない状態だけど、異常者が暴れまくっているのはここだけじゃないようだね。LINEで情報交換した感じじゃ本州もやばいらしい」
LINEというのはスマートフォンのアプリのひとつつで、メールより手軽に交信できるので若者たちの中で大流行しておりました。インターネットの回線を使用し電話同様にやりとりすることも可能でござました。
「全国でこれが起こっているということですか?どこかの宗教信者が一斉蜂起でもしたのでしょうか」
「確かに今年を人類の終末だと騒いでいた連中もいたな。あんた、山岡さんと言ったっけ。テレビつけてみたほうがいいよ」
私たちは急いでホテルに備え付けられているハイビジョンテレビのスイッチを入れました。
いろいろな局にチャンネルを合わせていく中で、私たちは唖然とする映像を目にしたのです。
深夜三時過ぎ、普段であればテレビショッピングか風景映像にニュースの文章が流れるぐらいなのですが、どこの局もアナウンサーが満身創痍の表情で叫び続けていたのでございます。
その深刻さに直面し、私たちはより一層動揺いたしました。
とんでもない事件が発生している。
私たちはその渦中にいるのでございます。知らぬうちに両腕に鳥肌がたっておりました。
アナウンサーたちはどこも同じような内容を訴え続けております。
時々「テロ」という言葉も聞えてきましたが、詳細はどうやら不明なようです。
「人を襲う集団が全国で出没しております」
「たいへん危険な状況です。施錠をし、外出を控えてください」
「避難所に向かうのは危険です。自宅で待機していてください」
「警察のほか国防軍も出動し、暴動を鎮圧しております」
どの内容も私たちを今まで以上に怯えさせるものでございました。
妻は何度も実家がある山梨県の韮崎市へ電話をしていましたがつながりませんでした。大変な混雑ぶりだったようでございます。
妻は私に比べ家族思いの一面があり、日頃からよく電話やメールをして交流しておりました。心配が募るのも当然でございました。
「山岡さん、気が付いたかい?やつらは武器を持っていないようだ」
高橋守はそう私たちに話しかけてきました。
テレビでも惨状はまだ撮影されておらぬようでアナウンサーの話だけでございましたから、私たちが異常者の姿を見ることはここまでありませんでした。
「高橋さんはどこの局で彼らを見たんですか?」
「ニュースじゃまだそこまで撮れてないよ。直に見たんだ。窓の外を見ればすぐ駐車場なんだけど、徘徊するあいつらの姿を街灯の下で見たよ。手には何も持っていないんだ」
「それは被害者ではありませんか?必死に逃げているところでは?」
「ははは……。実際見ればすぐにわかるよ。あれが被害者の面と動き方のものか。唸り声を上げながら走り回っていやがった」
「唸り声ですか……」
「獣だね。あれは」
私が先ほど聞いた声と同じなのでしょうか。
やはりドアの外にいたのは他人に危害を加えようと目論んでいた犯罪者だったのです。
「三人ほど下を通ったけどみんな似たようなもんだった」
「どうやって襲ってくるのでしょう。武器を持っていないのであれば、素手ということでしょうか」
「さあね。それより山岡さん、困った状況なんですよ。おれの彼女がこんなことが起きる前に温泉に入りに部屋を出たんです」
その話を聞いたとき、私は背後で必死に携帯電話をかけている妻の方を振り替えました。そして安堵したんです。妻が酔っぱらって寝ていてくれて良かったと、この時初めて思えたのでございます。
「戻ってこないんですよ。もう一時間半になります。温泉に入ってもいつもは三十分と持たないんですが」
彼が突然敬語のような口調になっても、私は違和感を感じませんでした。
私が彼の立場であれば誰であれ協力を求めたと思います。
「浴場でこのアナウンスを聞いて避難しているんですよ。あの放送を聞いては部屋に戻ることもできないでしょう」
「そうかも、しれないんですが……」
「そう考えましょう」
「ええ、ありがとうございます。そう言ってもらえて少し落ち着きました」
「待つしかありませんよ」
しばらくの沈黙の後、彼はこうつぶやきました。
「ただ、心配なことがあるんです」
心配なことだらけでしたが、問わずにはいられません。
「何ですか?」
「増えてるんです」
「増えてる?何がですか?」
「やつらの数です。廊下から聞こえてくる声も、窓の外のやつらの影も、増えてるんです」
なんという恐ろしいニュースなのでございましょう。
想像したくもない話でございます。犯罪者が増殖するなど……。
「もうすぐ警察も来ます。待っていれば元に戻りますよ」
私は自信なく希望だけをそう伝えました。
ただ彼は私たちよりはるかに冷静に状況を見つめていたのでございます。
「脱出するには今しかないんです。そう感じます。そのうちにここから動けなくるような気がするんです。おれは彼女を探し出し、ここを出るつもりですよ。山岡さんも早く動いた方がいい。今なら外の駐車場にもやつらは少ない。車にさえ乗ってしまえば安全ですよ」
私たちは彼の部屋とは反対側に位置しておりまして、窓の外は山の景色と川のせせらぎだけでございます。状況が直に掴められないのです。
「私たちには無理です。そんな勇気はありませんし、動かない方が安全に思えます」
「このホテルはつぶれますよ。ここに居れば一緒にぺちゃんこだね」
「地震がきたわけじゃあるまいし……」
「もっと深刻なんだよ。これが続けばこの部屋で野垂れ死にだ。」
投げ捨てるような彼の台詞。
何を言いたいのか、私はこのときよく理解ができませんでした。
彼は実情をその目で見て何かを感じていたのです。いや、人生で感じたことのない絶望に襲われていたのです。彼の言葉が真実だということを私たちが知るのはもっと先の事になります。
しかし、私たちはこの二十分後、彼の助言通りにこの部屋を出るのです。
ほとんど何もわからぬまま、この混乱の世界に飛び込むのでございます。
冒険というより無謀。
ただそうした行動をとった理由がございます。そしてこの行動が私たちに多くの生きるヒントをもたらしてくれたのでございます。
思い出しても冷やせが出ます。
このお話は後日、改めてゆっくりとさせていただきたいと思います。
それでは一度失礼させていただきます。