第14話 栃木県日光市 6
第14話 栃木県日光市 6
山崎裕香と藤野由比が、田中萌の隠れ家に移り住んで五日が過ぎた。
住吉太一から譲り受けたスマートフォンからインターネットに接続し、情報を収集する毎日だった。
救助の手が伸びてくることを願う日々でもあったが、一向にその気配は無い。 家族の安否も気になったが連絡は取れなかった。
「今日は大物を狙ってくる日でね」
そう話を切り出してくる田中はいつになく機嫌が良い様子だ。待ちに待った日がついに来たといった感じである。
「私の復讐劇もいよいよフィナーレだよ」
「出かけて行っていつも何をしているの?食事だったり、服だったり、持って帰って来てくれるのは有難いけど……やっぱり気になる」
裕香も少しずつ田中との距離の取り方を掴んできた。
根本は他人に優しい子なのだ。
「別にたいした事はしていない。大事なクラスメイトが隠れ住んでいる所を探し出し、一日かけてじっくり偵察して隙を見つけてから料理するだけだよ」
「料理?」
「ドアを開いておいたり、窓を割っておいたり、やつらが入っていきやすくするのが私の役目」
「やつらに襲わせているの!?なんてことを……。みんなを死に追いやっているってことじゃない!」
「直接私が殺しているわけじゃない。私はドアを開けるだけ」
「間接的に協力してるじゃない。共犯よ!」
「そうさ。いつだってそう。イジメを傍観している連中、黙殺している連中、みんな間接的に協力して私を追い込んできたんだ。だから私も間接的に鉄槌をくらわすのさ。私の仲間の協力のもとにね」
性格が根本からねじ曲がっている。
いや、元来がこうだから標的にされてきたのかもしれない。
「大物って何?」
堪らず由比が問いかけた。
田中はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、
「駐車場にあるD組のバスだよ」
「え!?」
裕香と由比は同時に声を上げて驚いた。
D組のバスも到着していたのか。てっきり、阿鼻叫喚の惨状を見てどこかへ逃げて行ってしまったと思っていた。
D組のバスには由比の彼氏の大樹が乗っている。
「なかなかしぶとい連中でね。食い物も飲み物ももう尽きているはずなんだけどバスに立て籠もったまま出てこようとしない」
「どうしてずっと停まっているの。こんな所に長居せずにさっさと移動してしまえばよかったのに……」
「駐車場に着いてから先生と運転手が降りて様子を見に行ったんだろう。生徒たちだけが残って、それで動きがとなれなくなっているって感じさ。見に行ったらバスの周辺を担任と運転手が唸り声を出しながら彷徨っていたよ」
薄笑いを浮かべる田中に由比が詰め寄る。
「どうする気!?大樹のバスをどうする気なの!」
「バスの中にひとりを潜り込ますだけ。それで終わりさ」
「なんで?D組でしょ。あなたとは関係ない人たちばかりのはずよ」
「一年生の頃のクラスメイトが何人か乗ってるんだよ。お世話になったお返しをしないとね。このままじゃ連中は餓死して終わってしまう。それじゃ私の気が収まらないんだ。きっちり係わってあげないと復讐にはならないだろ。」
「その何人かのために全員を襲うっていうの。なんて酷い……」
「あんたらは好きにしな。この場所はくれてやるよ。私はもう戻ってこないから
そう言うと由比の手を払いのけ、田中はドアへ進んだ。
行かせるわけにはいかない。
裕香と由比が後を追う。
田中はドアを開いた。
「外に出る勇気があるなら止めにくればいい」
言い残して、さっと田中は姿を消した。
由比がよろめきながらも外に出る。ギリギリの食事で食いつないできて体力は限界だった。
「待って!!バスを襲うのは待って!!」
由比がありったけの力を込めて叫んだ。
周囲で唸り声が一斉に高まる。
由比はドアを閉めずに室内に戻るとバケツの所へ向かい、それを手に取る。一瞬のためらいも無くそれを頭から被った。
「由比……」
「ごめん裕香。私、大樹のところに行くね」
由比が飛び出していったのと入れ替わるようにやつらが室内に突入してくる。
立ち止まっている暇などない。
裕香もバケツの血を全身に浴びた。
やつらは室内をうろうろしていたが、やがて声が聞こえていたことなど忘れてしまったかのように、低い唸り声をたてながら外に消えていった。
D組のバス内はひっそりと静まり返っている。
全員が心身ともに疲れ果て、死んだように席にうずくまっていた。口を開く者など誰もいない。
馬場大樹は学級委員長として、いなくなった担任の席に座り、これまで仲間たちを鼓舞し続けてきた。それももう限界に達している。食料は尽き、各自が持っていた飲み物もなくなり、スマートフォンの充電はとっくに切れている。
まどろむ中で外の景色を見ていると、誰かがこちらに走ってくる。
彷徨う亡者たちをかき分けて近づいてくる人影に見覚えがあった。
「由比?」
息をはずませながら由比が乗車口まで辿り着いた。
全身はびしょ濡れだ。
黒い液体を滴らせている。
大樹はドアを開いて由比を招き入れると、すぐにドアを閉じた。
由比が飛びついてくる。
この泣き声、この感触は確かに由比だった。
車内がどよめいた。
生存者がいることなど誰も考えていなかったからだ。
しかもこの溢れかえる亡者たちの中をどうやってここまで来たのか。
大樹は由比の全身をタオルで拭いてあげた。
タオルに染み付いた跡は黒ではなく赤だった。
みんなの注目が由比と大樹に注がれる中、田中はバスの後方に忍び寄っていた。誰にも気づかれてはいない。
さらにドアに近づく。
「田中さん。待ちなさい」
その背後から呼び止める声。裕香だった。
「死人の血を浴びて来たのか……。思ったより勇気があるね、あんた」
「私の名前は裕香よ」
「で、どうするんだい?お友達はあんたを置いてさっさとバスの中にしけこんだようだけど」
「あなたはどうするの」
「さっき言ったろ。こいつらに復讐するんだよ。こいつらはここまで生き伸びてきたことを後悔しながら死んでいくんだ。そして初めて私と仲間になれる」
「仲間?ここにあなたの仲間なんていない」
「目的地も見えず、絶望の中を彷徨い歩くあいつらが私の仲間だ!!」
田中がその言葉を発するのと同時に、裕香は右手に持っていた包丁で切り付けた。
顔をかばった田中の左腕が大きく裂ける。
血しぶきがバスの車体に飛び散った。
「田中さん、あなたの思うようにはさせない。私は全力であなたを阻止する」
田中は苦しそうにうめきながらバスを離れた。
足をよろめかせ地べたに尻餅をついた。
「裕香、だっけ。まあいいさ、友だちじゃないけど、この五日間ずいぶん話したからね……あんなに他人と話をするのは久しぶりだった……。まあいいさ……」
新鮮な、生きている人間の血を嗅ぎつけてやつらが田中に群がる。
数十人が辺り構わず噛みついた。
田中は悲鳴を上げなかった。
「これで、ほんとに仲間入りができるから……」
歓喜の声をあげるやつらの中で田中の姿は見えなくなった。
ふと見上げると、バスの中でも暴れているのがいる。
鮮血が窓にべったりとついていた。
由比だ。
鬼の形相。
バケツの中の血は感染者のものだったのだろう。それを頭からから被り、口元の傷口から由比は感染したに違いない。
由比は、正常なうちに大樹に会えたのだろうか。
言葉を交わすことができたのだろうか。
ふと思い出した。
大樹が昔、田中という同級生に告白されて断ったという話を。
大樹は女の子たちに絶大な人気をもっていたから、田中の行為は、身の程知らずとその後随分叩かれていたと聞く。
勇気を振り絞って踏み出した行為が、全面的に否定されるってどういう気持ちがするのだろうか。
怒り、だろうか。絶望、だろうか。
私も大樹が好きだった。
でも、親友も大樹が好きだと聞いて、諦めた。
壊したくなかったから。
交友関係は中学生にとって住む世界の中心なのだ。
この世界のために私は諦めた。
偽りの仮面を被っていたのは私なんだ。
裕香は包丁を握りしめ、バスを後にした。
外に逃げようとバスを飛び出したD組の生徒たちは、ことごとく集まったやつらに捕獲され、生きながらに食われていった。
だからって立ち止まることなどできやしない。
罪も罰も罪悪感も振り払って、未来の光だけを見て生きていかねばならない。
これからは真実の世界を構築しよう。
私は今日からひとりなのだから。




