第13話 栃木県日光市 5
第13話 栃木県日光市 5
住吉太一らの拠点が急襲され、山崎裕香と藤野由比の二人は心に深い傷を負ったままその場を離れた。
たった一日で人はこうも変わってしまうものなのだろうか。
級友を暴行し殺すなど、裕香は未だに住吉らのとった行動が信じられない。
あれが彼らの本性だったのだろうか。
今日まで見てきた彼らは、現実社会の規律と秩序によって偽りの仮面をつけさせられていただけにすぎなかったのか。仮面をはずせばそこには人間ではなく、獣、いや悪魔がいるのか。だとすると人類の文明が発展し続けていくにも関わらず、平和な日本であっても毎日のように殺人事件が繰り返されてきたこともうなづける。
この世には人間の仮面をかぶった悪魔が混じっているのだから……。
住吉らの拠点の騒ぎがやつらを惹きつけてくれたので、当初の移動はスムーズだった。
問題は安全地帯の確保である。
屋内がいい。やつらの侵入を受けていない屋内を迅速に探す必要があった。
脇道を進む。
進むほどにやつらの姿が増えていく。物陰に隠れながらの移動になってきた。 よほど音をたてない限りは気づかれないということを、最初の拠点から住吉の拠点までの移動のときに裕香は学習している。集中していけば大丈夫と自らに言い聞かせてきたが、今回は何か違う。やつらの様子がおかしい。自分たちの存在が察知されている気配があった。
やつらはある程度前進するとターンして戻ってくる傾向がある。
しかし、この辺りのやつらはこちらの方向を見て動かなかったり、あるいはいきなりこちらに向かってくるのもいた。
姿を見られていないはずなのになぜだろうか。
慌ててその場を去るものの包囲網が少しずつ狭まりつつあり、裕香は焦燥感に駆られた。
遠くに建物が見えるがこの調子だとそこに着く前に発見されそうだ。
と、仮工事中の建物を発見した。
壁もまだ塗られていない平屋だ。ドアもついているし窓もしっかりはめ込まれている。ここに逃げ込む以外に助かる道は無いと裕香は判断した。
やつらのひとりが唸り声をあげた。
気づかれた。
走るしかない!
ドアへ急ぐ。
「ダメ!鍵がかかってる!どうしよう裕香」
由比の声を聞き、やつらは完全に裕香たちの存在に気が付いた。
ニヤリと笑い、歓喜の声をあげた。
周囲のやつらに連鎖していく。物凄い速さで一斉にこちらに迫ってきた。
もう逃げられないと目を瞑って観念したとき、ドアが開き、そこから伸びた手が二人を室内に引きずり込んだ。
室内は八畳ぐらいほどの広さでイスやテーブルなどの調度品はなにひとつ置かれていない。かろうじで照明だけが低い天井に備え付けられている。隅にバケツが三つほど置かれていた。
二人を引き入れてくれたのは坊主頭が印象的なB組の田中萌だった。
「ありがとう。助けてくれて」
裕香と由比は素直に感謝の言葉を告げた。
田中は険しい表情を崩さず何も答えようとはしない。ただ、ドアだけを見つめている。
やつらは、ドアが壊れるのではないかと不安になるほどの体当たりを繰り返していたが、五分もしないうちに静かになった。
「やつらは人間の声を聞き続けないか、見続けない限りは襲撃の意欲を保っていられないのさ。逆にずっと声を聞き続ければ意欲とともに攻撃力が高まってこんなドア簡単に押し破られる」
まるで独り言のような田中の話し方だった。
この両日の中で着替えたのだろう、服装は最初に会った時の制服姿から緑のパーカーとカーキのパンツ姿に変わっていた。
「そ、そうなんだ……」
「ラッキーだったねあんたら。あの場所から逃げ延びられて。住吉たちはどうなった?」
「どうして知ってるの?もしかして、あれを助けてくれたのもあなた?」
田中が少し微笑んだ。
優しさの伝わってこない自分の内だけで納得したような微笑みだった。
由比がそれを聞いて二、三歩前に出た。お陰で間一髪のところで野獣たちの牙から免れたのだから手をとって感謝したいぐらいだったのだろう。
しかし田中は突き放すように、
「残念だったね、もう少しで男たちに輪してもらえたのに」
それを聞いて由比が棒立ちになり、激しい怒りの表情に変わる。
裕香が間に入った。
「あなたのお陰で助かったわ。本当に感謝してる。由比もそうでしょ」
「別にあんたらを助けたくてやったわけじゃない。偶然だよ。あれは私の復讐なんだ」
「復讐?あなたもあいつらに何かされたの?」
田中がその問いには答えず、部屋の片隅で座り込んだ。
裕香と由比も倣倣って崩れ落ちるようにその場に座り込む。
それを見て田中は言葉を続けた。
「あいつらはクズだよ。殺されて当然のやつらだ。あんたらみたいに日の当たる場所でちやほやされてきた連中にはわかんないだろうね。学校に行ってもひたすらシカトされ、気分転換にイジメられる人間の気持ちなんて」
「あなたが、住吉くんたちからイジメを受けていたの?」
「あいつらだけじゃない。中一の頃のクラスメイト、クラス替えしてかはB組の連中。全員さ。こんなことでもなけりゃ復讐なんてできなかった。私にとってここは天国さ。私にさんざん嫌がらせをしてきたやつらを苦しませてやることができるからね」
暗い、地の底から響くような田中の声だった。
裕香と由比は聞いていて眉をひそめた。
この子はこの状況を楽しんでいるんだ。住吉たちと同じ。この状況を利用している。自己満足のためだけに。
「まあ、あんたらとは同じクラスになったことないしね。好きなだけここにいればいい」
そう言うと田中はまた立ち上がった。そしてドアに近づいていく。
「次のターゲットはもう決まってる。しばらくは戻ってこないから鍵をかっておきな」
「外に出るの?」
「心配はいらない。私は死人の血を被っているから」
田中が隅のバケツを指さした。
よく見ると赤い液体が並々注がれている。
血、なのか……。
「こんな状況に絶望した私は、最後にどうしても赤木ってクソブスに復讐したくてさ。表で見つけて刺し殺してやったんだ。死んでも何度も何度も刺し続けてやった。そのうちやつらが寄って来てね。私も観念したんだけど、やつらは素通りしていったんだ。その後いろいろ試してみてわかった。やつらは死んだ人間にはまったく興味を示さないってことに。人間の肉を食っているのも相手が生きている間だけ。死んだらポイさ」
由比が露骨に嫌な顔をしてそっぽを向いた。
そう言えば、首を切られ投げ捨てられていた理恵の死体には他に損傷が無かった。あの時に感じた違和感は、噛み千切られたりした跡がまるでないことだった。
「私は死人の返り血を全身に浴びてたから助かったのさ。それ以来、自由にここを行き来できるようになった」
完全に順応している。
裕香は驚いた。
田中はドアの方だけを見つめながら
「人間は集団になると必ず敵を作る。敵を作って協力し合って団結力を高めていくのさ。そうしなければ人間は互いに協力しあえない存在なんだ。敵なんてなんだっていい。獣でも、他国でも、仲間でも。敵として適したやつを狭い世界の中から見つけるんだ。肌に合わないやつ、人と違ったやつがだいたい的にされる。標的にされた方はいい迷惑だよ。毎日毎日しつこくやられる。排除されるまで続くんだ……。想像できるか?そんな地獄の日々を。けど、やつらは違う。やつらは人間しか襲わない。仲間同士で裏切ることも争うことも無い。言ったろ。ここは私にとって天国だって」
裕香も由比も言葉を失った。
田中は機械的にその首だけを裕香たちに向け、
「あんた、口から血を流してたよね。その匂いが風下のやつらを引き寄せてたんだ。血はもう止まったようだけど洗い流しておいたほうがいい」
そう言い残すと田中は静かにドアを開き姿を消した。
その後、三日間で田中が戻ってきたのは二度だけ。
その都度、食料を持ってきてくれたり、スマートフォンの充電器を探し出してきてくれた。
やつらの低い唸り声が一日中聞こえてきたがここは安全だった。
裕香と由比は持て余した時間に、これまでの学校生活の楽しい思い出話をした。
部活は厳しかった。
それでも仲間たちと汗をかいた日々は宝物だった。
勉強も時には苦しかった。それでも何かを学ぶのは楽しかった。
相性の悪い人もいた。それでも笑いあえる友がいた。喜ぶ日もあれば、悲しむ日もあった。
狭い世界だったかもしれないが、精一杯生きてきた。
敵なんていなかった。
敵なんていなくとも分かり合えた。
でもそれは仲間内だけの話だったのかもしれない……知らないうちに人を傷つけていたのかもしれない……心の内では仲間から外れることを恐れていたのかもしれない。
だからって立ち止まることなどできやしない。
それでも、どんな恐怖も振り払って、未来の光だけを見て生きていかねばならない。
ここにずっと隠れていれば安全だった。
でも、裕香と由比にはそれが出来なかった。
田中が衝撃の事実を二人に告げたから……。
最後の局面でもやはり戦う相手は、人間だった。




