第12話 栃木県日光市 4
第12話 栃木県日光市 4
宿泊研修でこの地を訪れていた中学二年生の山崎裕香と藤野由比は、避難場所を園内のさらに奥に移し、住吉太一を筆頭とする野球部の面々と合流していた。
四十席ほどの小さな店内はカーテンが下ろされ完全に外部と遮断されている。 ひとつのテーブルにはペットボトルの飲料水やハンバーガーなどのファーストフードが無造作に積み上げられていた。
「ここにいれば安心だ。この中で俺たちと一緒にいればやつらに襲われることはない。もし、やつらがここに入って来ても俺たちにはこれがある」
身長が百七十五cmほどある坊主頭の住吉が右手に持った包丁を裕香の目前に翳した。他のメンバーも刃物や鉄の棒を持って武装している。みんないつもに無い血走った目をしていた。
「ここにいろよ、裕香」
住吉が遠慮なく裕香に近づき肩に手を触れる。
住吉が裕香に好意を持っていたのは周知の事実であったが、休み時間や放課後の部活動のときに目が合うと照れくさそうにしてその場を去るのでまともに会話などしたことが無い。やんちゃなグループのリーダー的存在だったが、裕香はそのシャイな雰囲気に好感を持っていた。
そう、少なくともこうなる前までは……。
だが、目前にいる住吉はいつもと違った。鼻息荒く裕香に迫ってきた。
「住吉、慣れ慣れしく裕香に触るな。気色悪い!」
由比がそう言うと住吉の手を乱暴に払った。
日頃の住吉だったら由比の言葉にすごすご引き下がるのだが今日は違う。怒りに満ちた表情で由比を睨み返す。
裕香は床に落ちていた制服を拾い上げ、住吉に突き付けた。
「これ、理恵のだよね。どうしてここに落ちているの?」
住吉は一瞬まずいという表情をして、後ろの仲間たちを振り返った。
他の者たちは一応にニヤニヤし続けている。
それを見て安心したのか、
「裕香、大丈夫だよ。お前には俺がついているからな。絶対に誰にも手は出させない。約束する」
「どういう意味?あなたたち理恵に何をしたの?」
「何って、ナニだよな」
男たちの誰かがそう言うと、一斉に爆笑が起こった。
由比が事態を飲み込んで住吉の胸倉を掴んだ。
「あんたら理恵をレイプしたんじゃないだろうな!」
住吉は冷たい目で由比を見返す。
また誰かが言った。
「同意のもとだよ。同意のもと。匿ってほしいからあいつが自分から服脱いだんだよな」
「だったらなんで理恵は首を切られてあんなところに投げ捨てられているのよ!」
住吉が力任せに由比の腕を振り切り、代わりに右手の包丁を由比の首に突き付けた。
「調子に乗ってんなよ藤野。今の状況がわかってんのか?先公たちはみんな死んだ。外はやつらでひしめき合ってる。一歩間違えりゃ俺たちも速攻であの世行きだ。だからここのルールは俺が決めてるんだ。逆らうんだったらここには置いておけねえ、お前は外だ。あ?どうする藤野?」
由比はそれでも住吉から目をそらさない。
「まあまあ住吉、熱くなるなよ。由比ちゃんはあっちで俺たちと仲良くやろうぜ。お二人の邪魔するのは野暮だからなー」
そう言って一人由比に近寄ってきた。工藤だ。陰口を叩くのが好きな男で女子たちからは距離を置かれている。以前、由比に告白して振られた過去があった。その後、嫌がらせのようなことが二ヶ月ほど続いた。
「キモイんだよ!気安く人の名前を呼ぶな!!」
由比が工藤の右頬を平手打ちした。
場がシーンと静まり返る。
「このアマ!!!!」
工藤が由比の手を引っ張って引き寄せると、胸元から制服を力任せに破った。髪を掴み、床に押し倒す。
「何してんのよ!!」
裕香が止めに入るのを住吉が制した。
包丁の刃が冷たく裕香の首筋に当たる。
「やるならあっちでやれ。口にタオル詰めるのを忘れるな!騒がれたら理恵のときみたいにやつらが押し寄せてくるぞ」
興奮した工藤は住吉の指示に荒々しく頷き、悲鳴を上げる由比を二、三発殴りつけながら奥に引っ張っていった。
「住吉くん止めてよ!私たちクラスメイトでしょ!仲間でしょ!」
「大丈夫だ。裕香は俺が守ってやる。あいつのことは構うな。口うるさいだけの馬鹿女だ」
「何言っているのよ!こんなこと許されるはずないでしょ……」
叫び出した裕香の口を住吉の口が塞いだ。
何が起きたのか裕香は一瞬わからなかった。
住吉の舌が入ってくる。
裕香は慌てて口を閉じ、住吉を突き放した。
初めてのキスの味は血の味がした……。
ガシャン!!
店の奥で窓の割れる音。
厨房の方だった。
由比を羽交い絞めにして乱暴しようとしていた男たちの手が止まる。みんなが一斉にそちらの方向に注目した。
また窓の割れる音。
「やべえぞ、住吉どうする!」
「五人で行くぞ!二人残れ。こいつらを監視してろ」
それぞれが武器を持ち、奥へと向かう。
また窓の割れる音。
裕香は倒れた由比の方に走り寄り声をかける。由比は上半身裸にされた状態で、口にタオルを詰め込まれていた。急いでそれをはずす。口からは血が流れていた。小さな白い胸にも血が滲んでいる。
由比は涙を流し裕香に抱き付いてきた。裕香もその頭を大事そうに抱え込んだ。
「最低だよあいつら。最低だよ……」
一方、厨房奥に進んだ住吉らは裏手のドア横の窓が割られているのを発見した。床にはガラスの破片とともに石が数個転がっていた。誰かが投げ入れたのに違いない。
「なんだよこりゃ!誰の仕業だよ!!」
石を手に取り、工藤が怒鳴り声を上げる。
鍵が開けられ、ドアがわずかに開いていることに誰も気が付かなかった。
「うー……うー……」
工藤の声につられてやつらが室内に侵入してくる。
低いうなり声。
ガラスの割れる音に周辺から五人が引き寄せられていた。その全員が制服姿。
血まみれの顔がニヤリと笑う。
「ギャー!!」
最初の被害者は工藤だった。
耳に噛みつかれ悲鳴を上げながら転げまわる。もう一人が工藤の喉元に食らいつく。ひゅーっという空気の漏れる音が工藤の口から漏れた。
その場から逃げようとした者が背後から圧し掛かられ倒される。女々しい悲鳴が響き渡った。
住吉の持っていた包丁が向かってくる相手の顔面を切った。
割れた右目が床に落ちる。
それでも相手は動じず住吉に襲い掛かった。右腕に噛みつき肉をごっそり剥ぎ取る。住吉の前蹴りが相手の胸に直撃し、肉を頬張りながら後ろに吹っ飛ぶ。
「逃げるぞ!ここはもう駄目だ!!」
そんな住吉の指示など誰も聞いてはいない。それぞれがパニックになりながら格闘していた。
悲鳴を聞いてさらに周辺からやつらが詰めかけてくる。
いつの間にかやつらの数は二十人を超えていた。住吉以外の者たちは全員床に押し倒され、生きたまま食らわれている。
「どうするよ、おい、中に入って来てるんじゃないのか」
裕香たちを見張っている一人が怯えながらもう一人に問いかける。
住吉という柱が無ければまとまりなどない。どうしていいのかもわからないのだ。
「お前らなんてやつらに食われて地獄に落ちればいいんだ!」
破り捨てられた制服の替わりに理恵の服を着た由比が高らかに叫ぶ。
憎しみに満ちた瞳。
「に、逃げるか……」
「馬鹿、どこに逃げるんだよ」
見張りの二人には由比の声など届いてはいない。
厨房からは男たちの悲鳴と争う物音。
そこからダッと踏み込んできたのは住吉だった。腕や肩から大量の血を流している。
由比を抱きながら座り込む裕香と目があった。
住吉の目から獣のような色は消えている。
何かを裕香に投げた。
反射的にそれを受け止める。
スマートフォンだった。顎で逃げろと合図してくる。
見張りの二人は住吉のその姿を見て喚きながらドアを開いて外に飛び出した。
「由比、立てる?行こう」
由比も事態が窮まっていることを敏感に感じ、ヨロヨロと立ち上がった。
表からも悲鳴が聞こえた。
飛び出した二人はあっさりと捕まったのだろう。
住吉の背後からやつらの姿が見えた。
住吉は持っていた包丁を床に捨てた。
視線はずっと裕香に注がれている。
何かをつぶやくように言ったが、裕香には届かない。
裕香はそんな視線を振り切り、開かれたドアから外に出る。
五mほど向こうでは倒された二人にむさぼりつくやつらの姿があった。
裕香は由比を支えながら、人気の無い方向へと歩みを進めた。
住吉の断末魔が店内から聞こえてきた。




