第9話 栃木県日光市 1
第9話 栃木県日光市 1
山崎裕香は東京都の中学校二年生である。
部活は女子バレーボール部に所属し、一年生からレギュラー。今年の中体連では全国大会まで進んで、初のベスト八に入る原動力となった。
家庭の方針で小さな頃から文武両道に励み、勉強でも学年一位を争うほどである。
特別な存在として周りから奇異の目を向けられることもしばしばであったが、嫉妬をかうことはあまり無い。他人に対する時はいつも笑顔だった。性格は温厚で積極的に人と競い合うことは好まない。自分の力を高めることに懸命で、仲間と一緒になって目標に向かって切磋琢磨することに喜びを感じているような子だったからであろう。
「あの日」九月二十六日は、学年全員参加による宿泊研修初日であった。
東京をバスで早朝に出発し、午前九時には栃木県日光市に到着する予定である。
「もう!大樹くんからきっとLINE届いている頃だよ。あー、なんでスマホ没収されなきゃなんないんだろー」
裕香の隣に座っている藤野由比が、そうぼやきながらため息をついた。明るい性格の子で社交的、部活や勉強ではあまり目立つことは無かったが、女の子たちの中ではムードメーカー的な存在で男女問わずに人気がある。 互いに気が合って、裕香とは一年生の頃からの親友であった。
「大樹くんも宿研に来てるんだからLINEは無理じゃない?」
裕香が優しく微笑みながらそう答える。
裕香も由比もA組。大樹はD組である。大樹の乗るバスはかなり後ろを走っている。
「大樹くんが素直にスマホ没収されるわけないじゃん裕香」
「え?だって全員の携帯電話を担任の先生が集めてカバンに入れてるはずでしょ」
「フェイクよ、フェイク。二台持ってて、一台を預けてるのよ。結構いるみたいよーそういうことしている人」
お嬢様は何にも知らないのね、と言わんばかりの表情で由比は裕香を見た。
裕香はあきれ顔で首を振った。そうまでして携帯電話を持っていたい気持ちがわからない。今日は東京を出て、みんなでゆっくり楽しめる日なのだ。せっかくの旅行で何が楽しくて携帯電話を相手にしていなければならないのか。
「習慣よ。習慣」
当然だと由比は言い返してくる。
確かに裕香も携帯電話は必需品だと思っている。毎日LINEはしている。
その一方でこんな事も考えている。一日二十四時間のうちトータル二時間ほどLINEやソーシャルゲームなどに時間を費やしていたら、二十四年間の人生のなかで二年間はフルに携帯電話をいじっていたという割合になる。
とても有意義な過ごし方とは思えない。
やるべきこと、やりたいことは他に山ほどあった。だから裕香は携帯電話を使用することを必要最低限と決めていた。
彼氏が出来たばかりの由比はそうはいかないようではあったが。
「次の休憩場所に着いたら、こっそりバスの荷物入れのところ探しにいこうかな」
「この下のこと?運転手しか開けられないでしょ。そんなことより直接会いに行けば早い話じゃないの?」
今度は由比があきれ顔で首を振る。
「あのね、そんな大胆なことできるわけないでしょうが。だいたい大樹くんも照れちゃってみんなの前で会ってくれないよ」
「あれー??だってこの前、大樹くんから愛してるって言われたんじゃなかったっけ?」
「LINEでね。面と向かって言うわけないでしょ、そんな恥ずかしいこと」
そうこうしている間に午前八時を回った。
バスは軽快に東北自動車道を走り、日光市に近づきつつある。
「えー、次のサービスエリアで停まる予定でしたが、予定を変更して先に進みます」
A組の担任である佐々木先生が先頭に立ち、全員にそう告げた。
えー!!という悲鳴がバスの中に響き渡る。時間は予定通りのはず。みんな一応に納得がいかない表情だ。
「すまんな。とりあえず座ってろ」
佐々木先生はいつも生徒の話に耳を傾けて、その意見を否定するようなことは言ったことがない。
信頼できる数少ない先生のひとりだ。
日頃から頭ごなしに命令するような先生ではないから、説明をせず一方的な今回の態度に対し、裕香と由比は顔を見合わせて首をかしげた。
二人はバスの中間の位置で座っていたから、先生の表情までしっかりとは見れなかったが、雰囲気がいつもと違う。
五十歳近くのベテランで、失敗したり、慌てたりする姿を生徒にほとんど見せたことがなかったが、今日はなにか慌ただしい。ひっきりなしに誰かと電話をしているようだった。
運転手とも盛んに話をしていた。
「おい、なんかやばいことが起こっているみたいだぞ」
後ろの席から男子の声。
野球部の住吉太一だ。周囲の男子も集まっている。隠し持っていたスマートフォンを覗いている様子だった。
由比は遠慮なく話しかける。
「住吉、何?やばいことって」
坊主頭の住吉が頬に沢山あるニキビを赤らめながら、
「何か暴動が起こってるらしい」
「暴動?どこの国の話?」
ここで住吉が一呼吸おき、じっと由比の顔を見つめた。
いつもにない真剣な表情。
「日本だよ」
その言葉を聞いて裕香も身を乗り出して後ろを振り返った。
住吉が途端にもじもじし始める。
「住吉くん、日本のどこで暴動が起きているの?」
「住吉、照れてないでさっさと教えろ!」
由比がイライラを募らせながらそう言った。
住吉は慌てて、
「日本中の日本人らしいよ。ネットでこの話が炎上してる。まあ、すぐに収まるって書いてあるけど」
「はあ?そんな話信じてるの?なんだよそれ。もういいよ裕香、前向こう。車酔いしちゃうから」
「う、うん……」
暴動?テロだろうか。日本人がテロ?
日本で暴動など生まれてこのかた聞いたことがない。
この話が本当だとすると、誰が何のために起こした暴動なのだろうか。
「あれじゃない、消費税値上げでみんなキレまくってるんだろ。きっと」
「いや、生活保護費の削減でしょ、やっぱ」
「15歳で喫煙飲酒OKにしてくれないかなー」
後ろでは男子の談合がああでもないとこうでもないと盛り上がっていた。
暴動のニュースはこのバスのスケジュール変更と何か繋がりがあるのだろうか。
「とりあえず、一気に東武ワールドスクエアまで行くぞ。トイレはバスの後ろのを使用するように」
また佐々木先生の声、口調に余裕が無い。
明らかに何かあったのだ。
由比が不安げに窓から後方のバスを見る。
丁度緩やかなカーブに差し掛かったところで、三台後ろのバスが見えた。大樹が乗っているバス。この子は本当に大樹くんが好きなんだなと裕香はしばらく由比を見守っていた。
間もなく目的地に到着するといった頃に、前方から何人かの悲鳴があがった。 みんな何が起きたのかと席を立って前方に注目する。
別に誰かに何かがあったようには見えない。
原因不明。
錯綜した情報が飛び交う。
「反対側の車線の方で人が轢かれたらしいぞ」
「マジで!?見てえ!!」
興奮気味の男子の声が聞こえてくる。
裕香は窓の外を見た。
浅間山、だったろうか。のどかな風景。反対車線から来る車も順調に流れている。と思っていたら、突如、炎上している車が目に留まった。
事故か……。
「おい、あそこでも誰か倒れてるぞ……」
さらに前方にもガードレールに衝突した車。
血だらけになりながらも助けを呼んでいる姿も見えた。
高速道路の真ん中で取っ組み合いのケンカをしている人たちもいた。
玉突き事故が原因なのだろうか。
少なからず車内に動揺した空気が流れる。
「救急車に電話しておいたほうがいいんじゃねえの」
誰かが口にした。
携帯電話を隠し持っている生徒は一人、二人ではなさそうだ。一斉に電話をかけ始めた。
「かかんねえぞ」
「こっちも駄目だ。混み合ってるってよ」
同じような声がいろいろな方向から聞こえてきた。
おそらく佐々木先生の耳にも届いているだろうが、まったくの不問。
「みんなよく聞けよ。もうすぐ目的地に着く。着いたらすぐに降りて、屋内に入れ。そこで点呼をとるからな。勝手に動き回るな」
佐々木先生の厳しい言葉にみんなが小さな声で返事をした。
車外の様子が気になってそれどころではないのだ。
車道を歩く人の姿が見えた。全速力で走っている人もいる。
目の前でそんな一人がトラックに轢かれた……。
あまりの驚きにみんな唾を飲み込んで沈黙する。
こうして裕香たちの命をかけたサバイバルが幕を開いた。
 




