第6話 群馬県高崎市 前編
第6話 群馬県高崎市 前編
上田和也、二十歳。
高崎経済大学の二年生である。
大学からは少し離れた高崎駅西口のビジネスホテルでフロントのバイトをしている。
遠く故郷の鳥取県の両親からの仕送りは、月に八万円。家賃や光熱費を差し引くとほとんど残らない。食費や交遊費、携帯電話の料金などはこのバイトでやりくりをしていた。
フロントのバイトは時給で八百五十円。
午後七時から午後十一時までの四時間勤務だ。
他にもバイトをしている学生がいるから毎日シフトに入るわけにもいかない。 上田の思ったようには稼げてはいなかった。
半年前から社会人の女性と付き合っており、どこに行くにも何かとお金が必要。
彼女の誕生日も近づいてきていたときで、上田はブランドもののバックをサプライズプレゼントするつもりでいたから、もう少し稼ぎたかった。
そんな矢先に、ホテルの社長から深夜のシフトに入ることを提案された。
渡りに船。
深夜十一時から朝の七時までのフロント業務をいつものシフトと合わせると十二時間ビッシリの労働になる。
一日で一万円近くは稼ぐことができるのだ。
学生の本分である大学授業のことも鑑みて、週に一回、上田は日曜の夜だけは深夜管理も任されることとなった。
一緒にフロントで働く正社員は午後十一時になると仮眠をとる。
本当はフロント隣の仮眠室でとるのだが、それをしている社員は誰もいない。 皆、空いている客室を社長に無断で活用していた。
お陰で上田は監視の目を気にすることも無く、自由気ままに時間を過ごすことができた。
十二時間労働といえば大変に聞こえるかもしれないが、これほど楽な仕事は無いと上田は思っている。
日曜の夜はビジネス客などほとんどいないのだ。
八割以上の部屋が空席。
フロントの呼び鈴が鳴ることも少ない。
その間何をしているのかというと裏の控室でタバコをふかし、テレビを見ているだけ。時には大学のレポートをひたすら取り組んだりもした。
朝の六時頃になると新聞が来る。五社の新聞を読んで持て余した時間を費やしていた。
だんだんと深夜の業務に慣れてくるにつれ、暇がどうしようもなく耐えられなくなってきた。
その対策としてゲーム機を持っていくようになった。
堂々と控室のテレビに繋いで朝までやる。
時々呼び鈴が鳴ればフロントに出向く。
これで給料をもらっていいのか、というほど楽で気ままな仕事だった。
時には友人も誘った。
控室のソファーに座り、どうでもいい話を朝までする。
友人が来ないときは控室に備えついている電話で長電話をする。
故郷の鳥取の知り合いや家族ともよく電話をしていた。
この仕事は要するに寝なければいいのだ。
これが上田の行き着いた結論。
仕事が終わればその足で大学に向かった。
バスで二十分。
バスの中と講義中が睡眠時間となった。
若い身体でもやはり徹夜明けは疲れた。
そして「あの日」、九月二十五日(日)から九月二十六日(月)までの十二時間バイトの日、上田は調子に乗って思い切ったことを計画し、実行に移した。
合コンで知り合った女を連れ込んだのである。
歳はひとつ下の宝石学校の生徒で、福岡から来た村上京子という女性だった。
ややパーマのかかった黒髪、くっきりとした瞳は芯の強さを物語っている。
骨太の感はあるし、肉感もあるが、決して太っているわけではない。
男女二対二のドライブで静岡まで行き、意気投合した。
二人だけで会うのはこれが初めてである。
上田には社会人の恋人がいる。
無邪気なお嬢様タイプだが気は強く、それでいて憎めない女性だった。
彼女に特に不満があるわけではない。むしろ満足していた。
別の女性と仲良くなるのはまた別問題である。
上田が初めて付き合った女性には彼氏がいた。
カラオケボックスの出入り口でナンパして知り合い、その後、意気投合し二人で東京まで旅行に行ったりした。
ワンボックスカーでみんなで花火を観に行ったとき、一番後ろの後部座席で初めてキスをした。
嫌がる素振があったら止めようと思っていたが、意外にも彼女も乗り気だった。
初めて身体を合わせたのも彼女だ。
実は三年付き合っている彼氏がいることを知り愕然としたが、彼女は上田と会うことを止めようはしなかった。
何度も会ううちに上田が焦れた。
彼氏と別れて正式に自分と付き合ってほしいと頼んだ。
彼女の返答はノー。
三年付き合うともう空気みたいな存在で別れられないと、意味の分からない断られ方をした。
以来、上田の恋愛観はズレている。
最初の恋愛が基準となっているのだ。
付き合っていている人がいても、他の異性と恋仲になることに対し違和感がまるでない。と、いうよりもそれが彼にとっての恋愛そのものであった。
大学のゼミの同僚ともそういった関係になったことがある。
後輩にも何人かいる。
遊びではない。一つ一つが彼にとっては本気の恋愛だった。そのすべての相手に、上田には年上の彼女がいることが知れていたし、女性のほうにも彼氏がいることが多い。
もちろんそれを大っぴらにするような野暮なことはしなかった。社会人の彼女にも絶対に知られないような注意はしている。最低限のエチケットは守ってきた。
「あの日」深夜0時を回った頃、約束通りに村上は来た。
乗ってきた銀色の原付バイクをホテルの駐車場に止め、上田の案内のもと裏口から入る。
控室のひとつしかないソファーに座った。
上田は用意しておいた紅茶のペットボトルを差し出す。
「ありがとう」
静岡にドライブに行ったとき彼女が好きだと言っていた紅茶だった。
村上はうれしそうにフタを開け、柔らかそうな唇で少しだけ口にした。
「ほんとにフロントで働いてんだね」
村上は眩しそうに上田を見上げた。
ドライブしたときと違い、上田は背広姿だ。ネクタイもしっかり締めている。 そのギャップに村上はドキリとした。
二時間ほど話をした。
何を言っても上田は優しく頷き、話を受け止めてくれた。
身体が細い点は村上の好みではなかったが、童顔でそれでいて時折見せる真剣な表情はカッコいい。
実際、ドライブで隣になったときから惹かれるものがあった。
誘われて喜んで来たのもまんざらではなかったからだ。
彼女自身セックスフレンドはいたが、特定の彼氏はいなかった。
上田がゆっくりと口づけを迫ってきた。
焦らして、焦らしての甘いキス。
悪くなかった。
ゆっくりと上田の手が村上の身体に触れてくる。
強引な感じは一切ない。
むしろこちらからもっと積極的に攻めたい気持ちになった。
ようやく肌に上田の指が触れる。
身体が熱くなる。
村上のほうから上田の身体をまさぐるようになった。
お互いの荒い呼吸が大きくなっていく。
まさか、ここで最後までいくことはないだろう。村上はそう思っていたが、反面その予想を裏切ってくれることも願っていた。
天井のライトが村上の首筋に浮かんだ汗を照らす。
上田は思ったより大胆だった。
いつ宿泊客がフロントに来るかわからない。
奥の控室だから何をやっているのかは気づかれないだろうが、一体どんな表情で客に対するのだろう。
発情した二人の声がフロントまで届いている可能性だってあるのだ。
そんな危険を危惧している雰囲気はまるでない。
どんどん村上の衣服を脱がし、熱い吐息を肌に押し当ててくる。
村上も完全にその気になっていた。
自分の芯が濡れているのがわかった。
意識してやっているのか、一番感じる部分に直接触れてこず、遠回し遠回しに誘ってくるのも燃えた。
上田の唇が全身に触れる。
やがて二人はひとつになった。
朝刊がフロントに届くまでに、都合三度、上田は果てた。
村上も余韻に浸り、ソファーにぐたりとなっている。
こんな恋愛もたまにはいいかもしれない、村上はそんな気持ちのまま眠りについていた。
異変が起きたのはその直後だった。
掃除のおばさんが、フロント正面にあるレストランからいつものように拭き掃除を始めたときのことだった。
レストランの奥でガタリと音がする。
おばさんは動じない。
冬になると駅前のホームレスが暖をとりに勝手にホテルに潜り込み、レストランの奥で寝ていることがよくあったからだ。不審者を起こして外に出すことは慣れっこではある。
薄暗い中をゆっくりと近づいていく。
人の気配があった。
何度か見たホームレスの老人だ。
危害を加えてくることは絶対に無い。
しかし、昨晩は残暑が残っていて寒くなどなかった。むしろ外の方が寝やすいのではと感じたほど暑かった。
うめき声がした。具合が悪いのかもしれない。
「どしたん?どこか悪いんか?」
おばさんが手を老人の背中に差し伸べる。
老人はすっと振り向き、暗闇の中で目が合う。
大きく口を開いて、ダッと、おばさんの口に食らいついた。
凍り付いたようにおばさんの目は一点を見つめたまま、自分に何が起きたのかよく把握できないようである。
悲鳴のようなものが口づけをし合うように重なった二人の口元から漏れる。
おばさんの腕が反射的に上がり、近くにあったテーブルの上の花瓶を倒した。
ガッシャーン!
フロント奥の控室でまどろんでいた上田と村上が驚いて目を覚ました。
これは罪悪感を感じない上田に対する「罰」だったのかもしれない。




