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第13話

 お待たせいたしました。

 自衛隊が「国防軍」というような名称に改名され、大幅な編成変更が行われて三ヶ月ほど経ちます.

 私たちの住む北海道旭川市には、国防軍北方部隊の一大基地があるのでございます。

 私の自宅から車で約十分ほど、近隣には公立の高校や教育大学の附属小学校や中学校が軒を連ねております。

 自衛隊駐屯時代からございまして、柵で覆われている基地の周囲をぐるりと一周すれば五㎞はあるでしょうか。

 編成されてからは、対ミサイルの撃墜兵器や最新鋭の戦車などが内地から多数運び込まれ、安全性の面や教育上の面など地元住民から激しい反対運動にさらされておりました。


 二千十六年ついに現実のものとなった憲法改正の余波が、随分隅々まで及んだものでございます。

 地元住民の意向など法と圧力で簡単に消し飛びました。

 世論は徹頭徹尾「守国」の風が吹きすさんでおりましたから仕方の無かった話でございます。


 アジア列強の国々に対する防備強化の動きではございましたが、ただ、あちらはそう捉えてはいなかったようです。

 同盟国のアメリカ合衆国も交え、様々な思惑が交差するなかで、「あの日」戦争の火ぶたは静かに切られたのだと今だからわかります。

 この地獄のような世界への一変様は、列強の日本に対するバイオ攻撃だったのではないでしょうか。

 いや日本だけでなくアメリカ合衆国などの先進国全てが標的とされていたのです。

 その効果は著しいものがございました。

 無言となった旭川市の国防軍基地がそれを物語っております。


 さて、九月二十六日の午前中の話に戻りましょう。


 私たちは七階フロアで沖田春香おきた はるかという少年に出会いました。彼は混乱するホテル内にあって、冷静に先を見つめた行動を起こしておりました。

 環境に適応する力以上に、事の成り行きのようなものに詳しい点に私は大きな驚きを覚えました。


 「春香、何をしている。やつらがあの部屋の扉をぶち破るぞ。急げ」


 大柄な男が音もたてずに入って来て、そう言い放ちました。

 色黒で割腹がよく、プロレスラーのようです。

 眉が濃く、頬が張っていて東南アジア系の顔をしておりました。


 その男は室内で私たちを見て眉をひそめましたが、特に挨拶をするわけでもなく、また沖田の方を向いて外に出るように促します。


 「仲間の桂さんです。体格通りに強いんです」


 私たちに向けてそう言うと沖田はニコリと笑いました。

 こんな環境で笑顔の多い男でございました。その笑顔がまた自然なのでござます。


 「桂さん、山岡さんとその奥さんです。このお二人、さっきやつらを襲撃しようとしていたんですよ。赤ん坊を助けるために」


 おかしそうにそう言うと、床に投げ捨ててあった掃除用のモップを手にしました。


 「これでですよ」


 桂は一瞥すると興味無さげに

「正気の沙汰じゃないな」


 随分と冷たい一言でございます。


 沖田は困ったなという顔をして、また私たちに振り向きました。


 「さて、それじゃ行きますか。山岡さんも御一緒にどうですか?」


 「ご、御一緒にって……食堂に行くのかい?」


 私の問いに対し沖田はもちろんという顔でうなずきます。まるで森のなかにカブトムシでも獲りにいくような気軽さでございました。


 「山岡さんたちもここでしばらく立て籠もるつもりなら必要ですよ。警察や消防の応援なんて待っても無駄ですし、物流もいずれはストップするでしょうし」


 先ほど警察や消防の人たちがやつらに襲われる光景が思い出されました。

 あっと言う間の出来事でした。

 確かにあんなことが日本中で起こっているのであれば大変なことです。そう容易くは収拾できないかもしれません。


 「沖田くんはどうしてそんなことを……」


 私がそう問うと、沖田は不思議そうに私を見つめ返しました。


 しばらく考えた後、ああそうかという表情でニコリと笑い、

「僕たちには予備知識があるから」


 「春香、いい加減にしろ。チャンスは一度きりだぞ」


 桂が低い威圧的な声を発しました。

 沖田が右手を上げて応えました。


 「じゃあ山岡さん行きましょうか」


 私は一度妻を見た後、頷きました。

 高橋守たかはし まもるという男に騙されたばかりでしたが、私はこの少年たちと一時、行動を共にする決心をしました。

 その無邪気な笑顔に誘われたわけではありません。

 私たちの部屋には食べるものがスナック菓子ひとつ程度しかありませんでした。

 飲み物は妻の大好物の酎ハイばかり。

 逃げ延びたとてこの命を繋ぐ手立てがございません。

 彼らとともに今行動をしておけばじっくり部屋に籠城できます。


 それに、私たちが知らない情報を沖田はまだまだ持っているはすです。

 

 命を繋ぐために必要な食料と情報。

 どちらも手に入れるチャンスなのです。


 「春香、それを持っていくのか」


 桂の声に反応し、私は沖田を見ました。

 彼が隅に置いてあったケースを手に取るところでございました。楽器のケースのように見えました。

 沖田はそれを大切そうに抱えると


 「もしもの時にね。お守り代わりさ」


 そう言ってまた私にウインクするのです。長い睫毛がバサリと音をたてるようでございました。


 「おい、やつら入ったぞ」


 ドアの隙間から廊下の向こうを観察していた桂がそう言いました。

 言い終わらぬうちに沖田がダッシュし、勢いよくドアを開きました。

 私も慌てて駆けます。

 桂の舌打ちが背後で聞こえました。

 妻はこの安全地帯でしばしの休憩です。


 廊下に出ると赤ちゃんの泣き声がはっきりと聞こえてきます。

 その声の主が居る部屋に先ほどまで体当たりを繰り返していた連中の姿はありません。

 オレンジの照明の下、砕けちったドアの残骸がその辺りに散らばっておりました。


 私たちは全力疾走でそこを通過します。


 一瞬だけ左をみると空洞となったドアの向こうに三人の姿がありました。


 髪を振り乱し、狂ったように室内のトイレのドアにぶつかっております。


 おそらく赤ちゃんの泣き声の発信源はあのトイレの中なのでしょう。


 前を走っていた沖田が急に立ち止まり、右を指さしました。

 ガラス張りのドア、その前にはメニュー表が可愛らしい看板に掛けられています。

 桂がすぐに追いつき、用心深く辺りをうかがいながら室内に侵入します。

 後には沖田と私が続きました。


 バーのようなお店です。

 皮のソファーが幾つもあり、その前にはガラスのテーブル。ボックス席が三つにカウンターに席が五つ。思っていたよりも狭く、密集した空間でございました。


 「後の事を考えて鍵はかけません。桂さんは水。僕は非常食になりそうなものを探します。山岡さんも僕を手伝ってください」


 そう言うと沖田は楽器のケースをカウンターに置き、さっとそこを乗り越えて調理場へ進みます。おもむろに近くにあったダンボールに食料を詰め込み始めました。

 私もそれにならって手あたり次第ダンボールに詰め込みます。

 こうなったら偏食など言っている場合ではありません。

 妻も納得してくれるはずでございます。


 「それはやめておいたほうがいいよ山岡さん」


 ある食品に手を伸ばしたとき、沖田が語気を荒げてそう言いました。


 先ほどとはうって変わったその深刻そうな表情に私は驚いて手を止めました。


 今考えるとその食品こそ、ウイルス発祥の元とされている物でございました。


 彼は事件が起こった直後にすでにその正体を知っていたことになります。


 「さっき話していた予備知識って……なんなんですか?」


 私は思い切ってそう問いました。


 沖田はしばらく困った顔をして食料の判別をしていましたが、やがて観念したように、


 「別に隠しても仕方の無いことですね。僕の父は旭川の国防軍の将校なんですよ。取りあえずこれだけで納得してください」


 その時の私はそれだけで納得するはずもございません。

 むしろ謎は深まるばかりでございました。


 「国防軍?それが一体どういった関係……」


 私が沖田に詰め寄ろうとした時、カウンターの方から桂の声がしました。


 「まずいぞ春香。赤ん坊の泣き声が消えた。壊されたぞ」


 泣き声が消えたということは、イコールでやつらがあのトイレに侵入し騙されたことを知ったということであります。


 「思ったより早かった。さあ山岡さん、もたもたしてる暇はないですよ。早くここを出ましょう。やつらが戻ってくる」


 そうなのです。

 目標を見失ったやつらは縄張りに戻るのです。

 もちろんこの時の私はそんなことは知りません。


 「一匹こっちに来るぞ。どうする春香。戦うか?」


 「冗談キツイなあ桂さん。気づかれたら他の連中も集まってきます。ここは逃げましょう」


 そう言うと沖田は詰め込んだダンボールを抱えてカウンターを乗り越えました。

 私は一端ダンボールをカウンターに置き、慎重に乗り越えます。足の長さが違うのです。


 「窓の外から渡っていくか?」


 「いや。桂さんには出来ても、ダンボールを抱えている僕たちには無理です。とりあえず桂さんだけは窓から出てください。こっちは僕が何とかします」


 桂は頷き、水を詰め込んだリュックを肩に掛けました。


 一番壁側の窓を開き身体を乗り出します。


 ここは七階です。

 落ちたら一貫の終わりです。

 

 それでも桂は躊躇することなく足を窓枠に掛け、外に出て隣の部屋へと進んできました。


 私が沖田春香を「天使」だと思ったのはこの後のことでございます。


 さて、本日はここまでとさせていただきます。


 私の自宅にもまだ水道は通っております。

 ですが口をつけることも、肌に触れることもありません。

 沖田の言葉が今も耳にはっきり残っているからでございます。


 「この水を飲んで感染した……」


 何が感染源かはっきりしていない今、とにかくすべてが怪しいのでございます。


 今日も私は何も口にせず眠りにつこうと思います。


 それでは一度失礼させていただきます。


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