序章 第1話 西暦二千十六年九月二十六日
はじめに
みなさまもこの混乱のなか大変な思いをされていることだと思います。
私の名前は、山岡朝洋。
四十歳の中高年でございます。
後々のことを憂慮し、仮名にさせていただきます。姓は尊敬する山岡荘八先生から拝借いたしました。下の名は漢字のみ変換させていただきます。
なぜ名前を伏せているのかといいますと、私がこれから先何をし、どのような最後を遂げるのかを考えたときに、胸を張って人様に公表できるものになるのか自信が無いからでございます。
私は日々やつらの生態を観察し、その特徴に気が付きました。もしかするとここから対処の方法が導けるかもしれません。
この取るに足らない体験談を通して、将来、後人に何かしら伝えられるものがあればと一筋の希望を願い記していく所存でございます。どなたかがこの掲示板をご覧になり、何かしらの役に立てれば幸いです。
さて、何から話していいものか。
実は私自身も正直、現状を正確には把握しておりません。ただ、あの混乱が生じた日から二ヶ月が経ち、少しずつ視界が開けて参りました。従来の冷静さも幾分取り戻しました。
そうですね、まずは時を遡り、あの日のことから記して参ります。
序章 外出先にて、層雲峡
第1話 西暦二千十六年九月二十六日
九月も下旬、もうすぐ神無月ともなれば本州の残暑とは異なり、北海道はもう晩秋でございます。
私は趣味でゴルフを嗜んでおりますが、早朝のプレーは身体に堪える寒さになっておりました。
私の住んでいるところは、北海道の中央に位置する旭川市の郊外でございます。旭川は京都や甲府と同じ盆地でして、家は車で少し行けばすぐに市外というような高台にありました。
中学校で数学の教鞭を執るようになって十四年。職に就いてからすぐに結婚し十三年経っておりましたが子どもはおりません。
二人で働き、なんとか蓄えもでき、自宅は四年前に新築を購入しております。 二階に部屋が三部屋ありますが、二人暮らしのため寝室以外はほとんど活用しておりません。
その二階の窓から見える向かいの鷹栖神社の景色は毎年見事でして、春には桜が豪華に咲き誇り、秋には楓が紅に、イチョウが黄色に一帯を染め抜きます。それを楽しみながらの一杯は実に贅沢でございました。
この年の紅葉は例年に比べ早かったように思えます。
教職は激務でしたが、休日は仲間たちと早朝にゴルフをし、昼からは妻と買い物、夜は一階のリビングで六十型のハイビジョンテレビで借りてきた映画を妻と観るという実にのどかで平和な日々を過ごして参りました。
この日は週の始まりの月曜日でしたが、無理を言って時間をいただき有給を取り、土、日、月と二泊三日で層雲峡の温泉に行って帰ってくる日でございました。
層雲峡は旭川市から車で約一時間あまり。
手軽に往復し過ごせる温泉街としてはもってこいの場所で、よく妻と羽を伸ばしに行ったものです。一泊二日であればちょうど上手い時間の費やし方なのですが、今回は思い切って初めての連泊にしてみたのです。
案の定温泉に入る以外は特にやることがありませんでした。
紅葉で目と心を癒すことは日頃から自宅でできるので、ホテルを出て山に入り風景を楽しむこともしませんでした。
妻は極端にインドアでしたからなおのことです。特に虫が駄目なのです。森や山に入ることなどまずありません。まあ、今となっては誰も入ろうとはしないでしょうが……。
では何をして過ごしていたのかといいますと、宿にはテレビゲーム機を持参し、旭川市からの行きの道の途中でDVDを数本レンタルし、着いてからは温泉に入っては映画を観、また温泉に入り映画を観るということを繰り返していたのです。無精者と笑われるでしょうが、それが私たちの無上の楽しみ方でございました。
この日、借りてきた最後の映画を観終えたのが深夜の二時頃だったと思います。
妻は散々アルコールを飲み干してすでに眠りについておりました。
私は結局独りで観る羽目になったのですが、よくあることなので特に気にせずおりました。
妻は朝食前に一風呂浴びるのが常で、宿に泊まれば夜は日頃よりも早く寝ることが多かったのです。日頃は掃除や洗濯、食事の準備や後片づけなどがありますが、ここに来れば全てのことから解放されます。
三十分ほどマッサージをしてもらい、好きなお酒をたらふく飲んで幸せそうに眠っている姿は微笑ましいものでございました。
朝食のバイキングは午前八時の予定でしたので、私自身もこれから寝ても充分に睡眠時間が取れます。
思えば、妻がゆっくりと眠れたのはこの瞬間が最後だったのかもしれません。
安らかな寝顔が見れたのも……申し訳ありません、合い間合い間でつい今の私の心情が入ってしまいます。
あの時の私はトイレを済ませて眠ろうとテレビを消し、寝室の襖を開けました。と、部屋から廊下に出るドアの向こうで何かが聞こえてきたのです。
音、ではなく、それは声でした。
うめき声、いや、うなり声に近かったと思います。
今となればはっきりそれがうなり声だとわかるのですが、当時の私には区別はつきません。
そんなに大きな声ではありませんでしたが、
「うー・・・うー・・・」
という低い声でした。
私はとてもびっくりしてドアの前で立ち往生してしまいました。最初は幻聴かと自分の耳も疑いました。
しかし確かに聞こえてきます。
いくら北海道といってもホテルの八階のフロアに獣がいるはずはありません。 おそらく酔っぱらった御年寄のうめき声だと思いました。そうだとすれば血の気が引くような驚き方をした自分は随分な臆病者だと恥ずかしくなりました。
ですが、そう納得してもドアを開けて外の様子を確認する勇気はありませんでした。酔っ払いに絡まれることを恐れたということより、それが別の何かから発せられたものだとしたらという一抹の不安があったからです。
確かめたところで何も得することはありませんしね。
私は早く用を済ませ部屋に戻ることにしました。
用を足しているときもせわしなかったですよ。こうしている間にあの声の主がこの部屋に入っているのではないかと不安になりました。
私は酔ってはいませんでしたよ。仮に酔っても私は理性を失ったことはありません。むしろあの時は日頃よりも神経が過敏になっていました。もちろん日頃そんな幻聴を聞いたこともありません。
トイレを出て、素早く部屋に戻る際も、そのつもりがなくてもつい気になって耳を澄ませてしまいます。
声はまだ低く聞こえてきました。
昨夜聞いた隣の部屋のイビキとはまるで種類が違います。
どう記憶を手繰ってもこれは獣の声でした。
この日は風が強く、ビュービューと引っ切り無しに鳴ってもいましたが、その中をはっきりと聞こえてくるのです。
土曜の夜は家族連れの宿泊客は多いのですが、日曜の夜となるとこの時期はほとんど宿泊客はおりません。
この日も数度温泉に入りに五階に下りましたが、その際は誰とも顔を合わせませんでした。妻とはこの八階に客は自分たち以外いないのではないかと嘯いていたものです。
聞こえるはずの無いところからの声というのはとにかく不気味でした。
ドア越しでしたから声の主までの距離はわかりませんが、廊下の随分先のように感じました。私たちの部屋はエレベーターのすぐ前でしたから、その声の主がエレベーターを乗りにこの部屋の前まで来るのではないかと恐ろしくなりました。まあ正体が獣であればエレベーターなど活用できませんがね。
人なのか獣なのか、この状況で部屋から出て正体を確かめられる人がはたしてどのくらいいるでしょうか。とてつもなく胆の据わった人でしたら可能なのでしょうが、私には無理でした。
私は静かに襖を閉め、布団に入ったのです。
トイレ前の電気は消さないよう妻から再三再四言われていたのですが消しました。
この部屋に人が居ることを外に気づかれたくなかったのです。
布団に潜り込んでも胸の動悸は鎮まりません。
夜半から雨が激しく降っており、窓から聞こえる強い風の音でうなり声はかき消され、聞こえるはずもなかったのですが、耳の奥では幻聴なのかあの声が絶えず続いておりました。
そのうちに妻がもよおして布団を立ったのです。
何かを伝える暇もありませんでした。
妻は突然バンと布団を出るなり、襖を開き、電気が消えていることに気づき怒り出しました。
酔いもあったのか随分と大きな声を発したものです。
私はというと布団を跳ね除け大慌てです。
そんな私の姿などまったく気にせず妻は文句を言いながらトイレに籠ってしまいました。
私は、外に部屋の声が漏れたことが気が気ではありませんでした。
玄関口で耳を澄ませてみたのですが、トイレの中からの妻の声が邪魔して先ほどのうなり声は聞き取れません。
もしかしたら声の主は立ち去ったのかもしれません。
しかしドアを開きそれを確かめる勇気はやはりありませんでした。
トイレから出てくる妻を宥め、電気もそのままに布団に戻りました。
こちらのパニックぶりなど露知らず、妻はすぐに寝息をたてて眠ってしまいました。
もちろん私は寝つけません。
玄関口の電気がついていることが気になって仕方がないのです。
また来るかもしれない。
その時はここから漏れる光に気が付くかもしれない。
しかし襖を開きたくはない。
恐怖は想像力を掻き立て、いつの間にか襖の向こうまで来ているような錯覚に陥っていました。
三十分ほど葛藤したあと、意を決してもう一度襖を開け、ドアに近づきました。
一歩一歩音をたてないよう慎重に踏みしめながら……。
元来私は身体の代謝が良いほうではありませんので、温泉に入ってもなかなか汗をかかないのですが、この時は随分かいていたと思います。浴衣の背中を何か冷たいものが流れたことを覚えております。
ドアに恐る恐る耳を欹ててみました。
ビュービューという風と雨の音。嫁の歯ぎしりが背後で聞こえるなか、それ以外の音に耳を澄ませました。
三十秒ほどでしょうか、それ以外は何も聞こえない状態が続きました。
私は安堵しました。
これでゆっくりと眠りにつけると安心したのです。
その瞬間です。
あのうなり声がはっきりとドアのすぐ向こうから聞こえたのです。
いや、あの時は私のすぐ耳元で息遣いすら感じました。私は鼓動が止まるほどに驚きました。おそらく瞳孔も白目が無くなるまで開き切っていたと思います。
そして微動だにできませんでした。
息をすることも忘れ硬直し続けました。ドアを挟んだ向こうに確かに何かがいるのです。
こういう場合、とっさに何かできるようになるには経験が必要ですね。
この二ヶ月で痛感しました。
信じられない驚きや恐怖に直面すると人の思考は止まるのです。
どのくらい時間が経ったのか。もしかするとほとんど同時のことだったかもしれません。
私がドアの向こうの存在に気付いた直後、ホテル全体に非常ベルが鳴り響きました。けたたましい音とともに非常に慌てた男の声でアナウンスがありました。
「……非常事態です。みなさま、絶対に部屋を出ないように」と。
今思い返してみれば、あのベルの音は平和な日々が終焉を迎えたことを知らせる呼び鈴だったのかもしれません。
事実、私と妻はこの後四日間、混乱と恐怖に震えながらホテルに監禁されることになるのですから。
ああ、思い出してまた呼吸が苦しくなってきました。
この続きはまた次回とさせていただきます。
それでは一度、失礼いたします。