第七篇 心情のあれこれ
「…………あの、ちょっと頼みごとしていい?」
翔也は規華の頼まんとすることを、漠然とではあるが察してしまった。しかし、自分で首を突っ込んでしまったからには、まさか首を横に振るわけにはいかない。
「な、何ですか?」
「……それはもう見れば嫌というほど分かると思うんだけど、私ってこの通り、れ、恋愛オンチじゃない?」
「……不本意ですが、否定できません」
「だ、だから、紺屋先輩に、私のことどう思ってくれるか、代わりに訊いてくれないかな……? あまりにも弱虫すぎる私の代わりに……、お願い!」
規華の頼みごとは果たして、翔也が予想した内容とそっくり同じだった。なんともわかり易い。規華ほど自分の情熱に実直な人に翔也は初めて出会った気がする。自然、彼女のことを応援したいという思いも湧いてきた。
「確かに、本人を目の前にしてると本心を言い難いかもしれませんから……、分かりました、機会があったら訊いておきます」
「あ、ありがとう。──このことは口外しないで、特に郡山には特に」
「努力します」
翔也は努めて真剣な口調で言った。
それから程なくして、彰介が何だか気難しい表情をして帰ってきた。規華がそんな彼の様子を訝しんで訊ねる。
「どしたの?」
「……いや、お前の真似して景気の良い挨拶と一緒に突入してみようと思ったが、想像以上に羞恥心との葛藤が激しくて、結局やらないことにしたんだ。お前、あんな恥ずかしい真似が平然とできるなんてすごいな……」
「……ねぇ、何が言いたいの?」
規華が首をかしげると、彰介は皮肉っぽく言った。
「大した度肝をお持ちだな、って思ってね。そんな立派な肝っ玉があるなら、自分で紺屋先輩に訊きにいけるんじゃねえのか──って、椅子は無しだろ! ちょ、ちょっと待て、プロレスじゃねえんだから、おいバカやめろ!」
「最悪だああああ!」
──彰介もどうやら盗み聞きをしてしまったらしい。黙っておけば良かったものを、と翔也に思うような余裕はなく、逆上してパイプ椅子を投げようとする規華の腕を抑えるのに必死だった。
「……とりあえず、この件については水橋先生にお願いすることにして、今日は終わりにしようか」
生徒会室に射しこむ夕日は、感傷的になるほど綺麗だった。別段、一年に一度しか見れない夕暮れでは無いはずなのに、どうしてか翔也には今日初めて見た気がする。よっぽどこれまでの人生を暗いと思い込んでいたらしかった。
翔也は今日もベッドに腰掛けて、生徒会の活動を眺めていた。あっという間に終わったような気分で、そのままベッドに居ると姫翠が申し訳なさそうな顔をして近づいてくる。
「ごめんね、今日も椅子持ってくるの忘れちゃって……退屈じゃない?」
「いえ、意外と時間が経つのがあっという間で……、全然大丈夫ですよ」
「何かあったら、遠慮なく割り込んできてもいいからね」
冗談めかせた姫翠の言葉に、翔也は軽く笑った。
「しばらくは見てるだけで十分だと思います。──えっと、すいません、ちょっとトイレ行ってきます」
「あら、場所は大丈夫?」
「あ、はい、分かると思います」
翔也は立ち上がり、生徒会室を出る前に政光の元へ寄って一言告げる。
「あの、ちょっと話したいことがあるので、待っててもらえませんか?」
無論、規華に頼まれたことを実行するためだ。
「ン、俺? ──あぁ、良いよ」
政光は何の詮索も無く了承してくれた。「妥協党首」の名は伊達じゃないと思いつつ翔也は部屋を出る。目的の場所は分かり易い位置にあったので、迷うことはなかった。そして少なくとも、前に篭ったトイレよりは清潔だった。
──数分後、生徒会室に戻ると、中はがらんとしていて、何故か月葉だけが残っていた。
「あ、あれ……」
「遅い」
翔也が呆然としていると、月葉が不機嫌そうな表情をして言った。投げられたナイフのような言葉に、翔也は慌ててかしこまる。
「す、すいません……。えっと、こ、紺屋先輩は……」
「とっくに帰った。『柄井が俺に用があるらしいから、代わりに草壁が聞いてやれ』って、意味不明なことを言って」
「……た、確かに意味分かんないですね……」
それにしても、月葉はあからさまに不愉快そうだ。いつもあまり抑揚のない口調であるが、そこに冷たさが増したような感じがする。普通の人だってそうやって代役を押し付けられるのはいい気分がしないはずなのに、まして「批評党首」の月葉なのだから、恐ろしいことこの上ない。翔也は手に汗握る思いで、彼女と向き合っていた。
「あたしは暇だから構わないんだけど。それで、用って何?」
ひどく高圧的な物言いだった。翔也は無意識のうちに身がすくんでいたのに気づく。
「ええっと、その……、俺は紺屋先輩に用があるので……」
「その用をあたしが受けろ、って言われたの。だから、あたしにそのまま言ってくれる?」
機嫌を損ねているが、それでも素直に政光の要請に応じるつもりらしい。翔也は月葉という人物が、どういう性格であるのかいまいちわからなくなった。
「えぇぇぇ……、でも、これは流石に本人でないと……」
「じゃあ、あたしを政光だと思って言いなさい」
「そんな無茶な……」
とんでもない無理難題を置いていった政光を、翔也は恨めしく思った。確かに、知り合ったばかりの後輩から、そんなデリケートな相談を受けると思わないのは当然といえば当然ことではあるが。
「そんなに言いたくないのね」
ふいに、月葉の視線が柔らかくなった。その変化へ飛びすがるように翔也は即答する。
「はい、あまり知られたくない類のことです……」
「ならいいわ。そう政光に伝えておくから、明日にでも適当に捕まえて要件を伝えて」
「す、すいません……」
月葉は翔也の返事を聞かないうちから荷物の整理を始めた。小さめな合皮のスクールバッグが妙に似合う。なるほど、口を開かない彼女を見ていると、彰介が好きだと仮初にも思ったことも頷けるほど可愛らしい──と思えた。ただ、その強烈な批判を彰介は目当てにしているのかも知れないが。
帰り支度を済ませた月葉が翔也のことを凝視していたので、彼はどきりとしながら言った。
「えっと、何か……?」
「何って、帰るんでしょ」
「そんなに緊張しなくても良いのに。そんなにあたしって怖いかしら」
月葉は校舎の扉を押しながら言った。外のひんやりとした空気が流れこんでくる。翔也が彼女の開けた隙間に身体をねじ込むようにして外へ出ると、赤く暗い空が目に飛び込んできた。
「怖いってことはないですけど……、やっぱり『批評党首』って呼ばれてたくらいですからやっぱり緊張するというか……」
「『批評党』なんて、随分派手なレッテルね。実際、あたしだって好きでそんな風に呼ばれてるわけじゃない。別に嫌いでもないけど」
「そうなんですか」
「他の女子なら大層嫌悪したでしょうね。あたしは別段、そんな風評を気にしないから。──ただ、あたしは見た目こそむっつりしてるように思えるかも知れないけど、内面は普通の人と変わらないって自負してる。……でも、態度はそう簡単に変えられないの。怖がらせていたなら、ごめんなさい」
唐突な謝罪の言葉に、翔也はひどく驚いた。
「え、そんな謝らなくても……、俺がビビリなだけですから……」
「そうね、顔を見れば考えてることが手に取るように分かる。あたしと目が合うと、あなたは決まって空腹のグリズリーでも見るような目をする」
「……」
翔也はこの上なく恥ずかしくなると同時に、月葉への罪悪感を抱いた。すると、やはり内面を見透かされてしまったのか、月葉はくすりと小さく笑った。
「気にしないで。よくある誤解だから。あたしがこうしてあなたと歩いているのは、その誤解を解くためでもあるの」
「そ、そうなんですか……でも、紺屋先輩の代理って話だったんじゃ……」
「たまたま今日だっただけ。あなたとじっくり話せる機会が欲しかった。なるべく早くね。あいつには利用されたようで癪だけど、あなたの誤解を解くためなら安いものよ」
二人は、校門を通りすぎた。このまま真っ直ぐ行くと交差点にぶつかり、更にそこを直進すれば駅に到着する。
翔也がふと月葉の横顔を窺ってみると、彼女もその涼しい瞳を向けてきた。
「あたしはあなたを嫌っていないってことを分かって欲しいの。むしろ、見所のある人だと思うようになってきてる。でもそんなこと頭で分かったって、しょうもないでしょう、見た目が怖いんだから」
「こ、怖いだなんてそんな……」
月葉は自嘲的に「自分は怖い」と繰り返す。確かに、──そう思っている節はあるにはあるが、そう何度も言われると、その怖さはひっくり返って気の毒さに変わってくる。翔也は何としても自分が思うところを伝えたかったが、うまく言葉として紡ぐことができなくて、翔也は口ごもってしまった。
月葉は続ける。
「だからこうして、一緒に帰ろうと誘った。少しでもあたしという人間に慣れてもらいたいから。ただ、あたしは政光に頼み込んでこの場を取り繕ってもらったわけじゃない、そこは勘違いしないで」
「はい、分かってますよ」
ただ政光には純粋に立腹しているようだった。自虐的な姿勢の合間からそんな自然な感情が表れたところに、翔也は『批評党首』としての彼女の魅力を見た気がした。
批評の矛先は外部に向いているのではなく常に内部に向けられていて、その鋭さが時折外にはみ出し、人に畏怖を与えている。でも、矛先である月葉の感情は自然のままあり、それと批判との融和が彼女の深い部分にある愛敬を感じさせる。そう思い至ると月葉の冷淡な表情が、夏の気怠い熱気の中に触れる冷たさのような、心地の良いものに変わっていった。
話はそこで一段落ついて、月葉は黙り込んだ。だがそこまで苦痛な沈黙ではない。今までの会話無しにこの静寂に遭遇していたら、きっと尋常でなく気まずい思いをしただろう。
そこで翔也は、ずっと引っかかっていたことを訊ねてみた。
「あの……、草壁先輩って、江城先輩とどういう関係なんですか?」
「江城って、規華のことよね」
「そうです」
不本意ながらも生徒会室のベッドで二年二人の話を立聞きしてしまった時、規華が自然に「月葉」と言っていたのが気になっていた。なので、恐らく彼女は月葉と親しくて彰介の告白談も月葉から聞いたのだろう、と推し量ったのだが決定打に欠けていたのだが。
すると、月葉はこともなげに言った。
「規華はあたしの従妹よ。あの子が高校入った時、実家からだと遠いからうちに越してきたの」
「え……、一緒に住んでるんですか……!」
こくりと、月葉は頷く。
「じゃ、じゃあ、江城先輩が紺屋先輩に告白したことも知ってますか?」
「あっちから教えてくれたから。……むしろ、どうしてあなたが知ってるのか知りたい」
「……手違いで立ち聞いてしまいまして」
それは教卓の中で、とも、白いベッドの上で、とも言えることだった。
「そうなの。確かに、規華は声が大きいから」
「はは、そうですね……、恋の話になると小さくなりますけど」
翔也は言い終えてからぎょっとして隣を横目で見やる。月葉が顔をこちらに向けるのはそれと同時だった。その眼光を見ただけで、彼女が自分の心底を見透かしていることが明らかに分かった。
「ってことは、あなた、恋の話を規華としたのね。……そしたらもしかして、政光と話がしたいっていうのは、規華についてのことなの?」
翔也は観念した。
「ええ、分かっちゃいますかね……」
「あなたが規華と顔を合わせてから、それほど経ってないってことを考えれば察しはつく。──あなたは口が堅そうだけど、秘密を隠すのには向いてないみたいね……、規華も規華で後輩にそんな重要なことを託すとは……」
月葉が呆れているような口ぶりで言い、翔也は恥ずかしくなった。
「ま、まぁ、俺はともかく、江城先輩は不器用な人なんで……分かってあげて下さい」
「何か保護者みたいな言い方……、それで、何て頼まれたの?」
「ええと、紺屋先輩が自分のことをどう思ってるか、訊いてくれって」
「……どストレート……」
月葉は誰に聞かせるつもりでも無いように呟いた。だが、翔也はもしかしたら月葉なら多少なりとも知っているのではないか、と期待を抱く。
「実際、どうなんですか、紺屋先輩」
「さあね……、あたしも政光の考えてることはほとんど分からない。せいぜい、腹減ったか眠い、くらいしか自分から言い出さないから、直接訊かないとだめね」
「そ、そうですか……」
「何なら、政光の携帯の番号教えてあげるけど」
「え……、電話ですか……」
「大丈夫よ、政光は電話になってもテンションは変わらないから」
確かに電話口になると声が低くなる人はいることにはいるが、問題はそこではない気がする。翔也はなんとも言いがたい心境で、政光の携帯についての情報を教えてもらった。ついでに、月葉のそれも貰う。
「ありがとうございます」
『草壁月葉』と記された電話帳は、全ての項目が几帳面に埋まっていて、彼女のこういう点に無頓着そうな見た目からすると意外な気がした。人間の外見なんてさしてあてにならないということが実感できる。それでも、どうしても見た目の印象から判断してしまうのはしょうがない。月葉は、進んでその誤差を修正しているのだ。
月葉は見かけほどにキツイ性格ではない、と考えた時、ふと彰介の言っていたことが思い起こされた。──もう一緒に居られるという環境に割と満足してしまっている、という発言。
翔也はこの際、思い切って訊ねてしまおうと思い立った。
「あの……、草壁先輩は郡山先輩のことどう思ってるんですか?」
「──あなたって一体、どこまで知ってるの?」
矢を射るような一言に、翔也は慌てた。彰介と月葉との一件を翔也が知っていることを、そういえばまだ月葉は承知していなかった。
「え、えっと、江城先輩が教えてくれたんです……」
「……口が軽いんだから」
ため息に乗せて月葉はぼやき、それから面倒臭そうに語り始めた。
彰介の告白の経緯は、翔也が目撃したとおりだった。ただあの批評の羅列は、どうやらストッパーが外れて言ってしまったらしい。彼女にしてみれば「暴言」だったそうだ。
「それでも彰介はあっさりと納得して、受け入れてくれた。本当に驚いたの……、あそこまであたしの暴言を真摯に受け止めてくれたのは、彰介が初めてだった。あたしなんかの言葉を、自分のこれからに役立てよう、っていう、熱意が感じられた。だから、これは、ただの男子じゃない、って思って、すぐに見習にしたの。──だから、それ以上はなんとも思ってない。恋愛感情なんて全く無い」
月葉はしきりに強調した。
「じゃあ、ただの師弟関係なんですか」
「まぁ、その『師弟』っていうのは、政光があたしに提案してきたことなんだけどね。本気で生徒会長になれそうなヤツを探しておけ、って言われてたから、それに応えただけ。ただ──」
月葉はそこで言葉を詰まらせて、軽く視線を落とした。
「あたしの選択は間違ってないと思う──、彰介は何か大望を持ってる。その大望のためにあたしにくっついて来たんじゃないかって、彰介を見るたびに思うの。今は、あんなちゃらんぽらんだけど、方向を間違えなければあいつはもっと大きくなるって……、……思ってる……んだけど……」
急に声が小さくなったので、翔也が不審に思って彼女の方を見ると、顔がうつむきすぎて完全に真下を向いていた。
「ええ、と……」
翔也が反応に困ると、月葉は急に顔を上げて怒ったように言う。
「な、何てことを言わせるのよ……」
「……は、恥ずかしがることないのに……」
翔也は呆然として言った。
月葉はかなり彰介を信頼しているのだが、今までの月葉もそのことに気づいていなかったらしい。意図せずに露呈した本音は、翔也にとって美しいものに思われたのだ。
月が高く上って鈍く光り、街灯が点々と煌いている。駅から伸びる通りこそまだかろうじて活気があるものの、数分歩いて道を曲がるとすっかり活動を止めて夜の様相を見せる街並みがあるだけだった。
翔也はそんな暗がりの中で、見知った顔を見つけて思わず声をかけた。
「……あれ、会長、どうしたんですか?」
「うわぁ!」
びっくり箱にひっかかったかのように、姫翠は声を上げた。翔也は苦笑して言う。
「そんなに驚かなくても……」
「あ、ご、ごめん……、びっくりしちゃって……」
もう彼女は生徒会長モードではなかった。服装も制服ではない。
「どうしたんですか、こんな時間に」
「え? え……と、ちょ、ちょっと散歩、かな」
「そんな大きな鞄を持ってですか?」
「…………そ、そういう翔君はどうしてこんなに遅いの?」
翔也はどきりとした。「翔君」という呼び方はかつて母親が盛んに使っていたのだが、自宅がアパートになってから、そう呼ぶのは幣原家の人たちくらいになってしまった。そして、まさか生徒会長にその名で呼ばれるとは思いもよらなかったので、嬉しいと同時に懐かしくも感じた。
でも、たかだか名前を呼ばれた程度で浮かれてられないので、きちんと質問に応える。
「何か草壁先輩にお茶に連れていかれまして……」
「え、月葉が? そうなんだぁ」
あの後、すぐに学校の最寄り駅前にある喫茶店に入って、ひたすらに喋っていた。月葉は元来お喋りな性格らしく、マシンガントークには全く及ばないが、少し開いた蛇口から溢れる水流の様に話題が絶えることなく、時間を忘れて翔也は話し込んでいた。慣れる、という本来の目的から言えば、十分すぎるほどの成果だった。
ただ、その弊害についていえば姫翠が腕時計を見て代弁してくれた。
「でも……、もう補導されてもおかしくない時間だよ……?」
「そうなんですよね……、だから──」
瑠子の所にも行けそうもない、と言いかけてやめた。さっきからずっと、そのことだけが頭の中を巡っていて、ついつい口に出しそうになる。姫翠は疑問符を浮かべたが、深く追求してくることはなかった。
今日、立ち寄ると前行った時に約束してしまったのだ。もうかなり時間も遅いし明日も学校があることを考えると、ここは帰るほうが正しいのだろうが、暗い部屋で一人窓の外を眺める瑠子の姿を思い浮かべるだけで、翔也はいても立ってもいられなくなる。
結局、翔也は申し訳なさそうに言った。
「あの……、ちょっと寄りたいところがあるんですけど……」
「えっ? ううん、でも、もう時間遅いよ?」
「……でも、今日行くって約束しちゃったんで……通り道だから、大丈夫です」
その家はそれから少し歩くと見えてきた。その門前で翔也は立ち止まる。
「えっと、ここに用があるので、これで……」
「……ここなの? 泊まっていくの?」
「いえ……、本当にちょっと寄っていくだけです」
すると、姫翠はとたんに不安げな表情を浮かべた。
「わ、私ここから、一人で帰るの……?」
「えっ、だって今まで一人で歩いてたじゃないですか」
「最初から一人だったから良かったけど、いきなり一人は怖いよ……一緒に入っちゃ迷惑かなあ?」
翔也は返事に窮して、二階にある瑠子の部屋を見上げた。暗くてもう寝入っているのかと思われるが、よく見るとぼんやりと照明がついている。まだ、彼女は待っている。
翔也は真面目な顔をして言った。
「会長、この家は大楽庭学園の生徒の家なんです」
「……えっ」
「制服ならまだしも、私服で、しかも俺と一緒で誤魔化し切れるんですか?」
「そう……ね、……じゃあ、気をつけて」
一瞬、会長としての表情を姫翠は浮かべて、しかしすぐかき消して、心配そうな顔で頷いた。翔也は仄かな罪悪感と共に、その背中を見送る。
インターホンを押すと、瑠子の父がすぐに驚いた顔を見せた。
瑠子の部屋にここまで遅い時間に訪れるのは初めてだった。いつもの頼りない照明は、完全に夜の気配に呑み込まれていて、瑠子の姿はシルエットしか捉えることしかできない。
「……来てくれたんだ」
「あぁ──、ごめん遅くなって、ちょっと用があって……」
「……ううん、来てもらってるのは私の方だから……、大丈夫」
翔也は手探りで彼女の近くに寄って行った。瑠子の視点から窓の外を見ると、月がよく見える。どこか艶かしい光を部屋の中へ注がせていた。
そんな穏やかな暗がりの中、瑠子が顔を翔也に向ける。
「ねえ……、外で話してた女の人、誰?」
翔也は即答せずに窓の外を見やる。部屋の中よりも、大量の街灯が照らすアスファルトの方が明るかった。やはり見られていたようだった。だが、相手が誰と判別するには至らなかったらしい。
「隣の部屋に引っ越してきた人だよ」
「あれ、遂に隣の部屋も埋まったんだね」
「あれ、言ってなかったっけ……。でもまぁ、そうだな、これで一階が全部埋まったんだ」
「良かったね」
そう話しているうちに、いつの間にか翔也はその暗闇に慣れていた。
「ただいま」
「おかえり。遅かったじゃんか」
帰宅すると、俊也がカップラーメンを啜っていた。夕飯は月葉と既に喫茶店で食べていたので空腹感は無かったが、その食べている姿を見て無性に何かを食べたくなった。
「ああ、瑠子のところ寄ってたから」
「……幣原か」
俊也は重々しく言った。翔也はやかんに水を入れて、コンロに載せ湯を沸かす。
「学校、やっぱり行ってないのか」
「あぁ……、入学式の日に来たけど、一日も持たなかった」
「…………そうか」
翔也は戸棚を開けて中を窺ったが、カップラーメンは余っていなかった。




