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第五篇 三階のあの部屋

 放課後、翔也は人ごみをかき分けて生徒会室へ向かった。確固とした目的地があるために、勧誘を怖じる気持ちは無くなった。とはいうものの、結局一回も声をかけられなかったというのも微妙な心境だ。

 W字の校舎の少し外れたところにある管理棟の三階に生徒会室はある。基本的に教師しか立ち入らないので、教室がある棟とは違う物々しい雰囲気が漂っていた。

 三階に上がると、姫翠が階段のすぐ傍で待っていた。

「場所、わかんないと思うから」

 そう言う彼女の姿は、今朝アパートで見た姿とはまるで違った。初めてR組で出会った時と、全く同じ立ち振る舞いだ。この場には翔也だけしか居ないというのに、それでもまだ仮面をかぶり続けられるというのは、職業病に似たものなのかも知れない、と翔也は思った。

 そんな風に考えていたら、ふいに姫翠が言う。

「……制服だよ」

「え?」

「制服を着てると生徒会長の責任みたいなものが、私の弱い部分を完璧に隠してくれるの。……だから、私服の私は滅法弱いの」

 姫翠は不敵に微笑んでみせた。翔也の考えていることが彼女には筒抜けだったようだ。どうやら、自分は表情に大きく出てしまう性質らしい。翔也は知らず知らずのうちに、内面を堂々と晒していたことを恥ずかしく思った。

「──じゃあ、行こうか。まだ誰も来てないけどね」

 姫翠は踵を返して歩き出し、翔也もそれに従った。

 生徒会室は、普通の教室の三分の二程度の大きさだった。中央に会議机が二つ横に連ねてあり、一番奥の端に机がさながら議長席であるかのようにくっつけて置いてある。入り口から見て両脇の壁には大きな棚が二つずつ、都合四つ置いてあり、中には書類や資料などが収納してあるようだ。

 翔也は姫翠に続いてその部屋の中に踏み入れた。よくある生徒会室といった感じだったが、部屋の奥までいたってから、部屋の隅に白いシーツのかかったベッドがあることに気がつく。

「な、何でベッドが……」

 翔也が呟くと、姫翠が面白い小話を教えるふうに言った。

「そのベッドは昔、保健室改装した時があるんだけど、その時に処分される予定だったのを当時の生徒会長が譲り受けて、日曜大工部の人たちに直してもらってここに置いた、って話」

「に、日曜大工部……ですか」

「そっちに驚くんだ。──でも、今はもう無いんだけどね。私が一年生の時に廃部になっちゃった、DIY部」

 姫翠はそう言うものの、あまり名残り惜しげではない。潰れる部活も多いものの生まれる部活も多いらしいから、部活の生死にそこまで感慨を抱かないのだろうか。

「何か、生徒会室にベッドって意外ですね……」

 このベッドは二つ並んだ棚の後ろ側にある角の隙間に押し込まれているため、入り口から死角になっていて、奥に入るまで気づくことができず、これもまたその意外性を助長していた。

「意表を狙ったのかもね。それか、泊まり込みでもするつもりだったのかも」

「そんな激務なんですか、生徒会って」

「少なくとも私はそう感じたことは一回もないな。……委員会に分業させてるから、生徒会自体にそんな業務が集中するわけでもないしね」

 姫翠がそう言い終えた瞬間、部屋の扉が開いた。

「こんちはーっす……って、あれ……」

 大人しいような印象を与える男子が、及び腰気味に入ってきた。それを見た姫翠は、彼に向けてにっこりと微笑んでみせる。

「こんにちは」

「あ、こんちはっす! ……ええっと……」

「ご覧のとおり、ほとんど来てないから、かけて待っててくれる?」

「はい、分かりました」

 彼は扉の近くに重ねてあるパイプ椅子を一つ持ち上げて展開し、机の近くに持って行ってそれに座った。全体的に優しい顔立ちをしていて、争いごとなどを好まなさそうな印象と裏腹に、口調は軽く、率先して相手にアプローチをしていくような感じがする。そして、彼の声は廊下で盗み聞きした男の声によく似ていた。

「郡山君、彼と初対面だよね」

 姫翠にそう訊かれて、郡山は初めて翔也の方を見やった。

「……初対面です」

「じゃあ、紹介しておこう。一年の柄井翔也君」

「よ、よろしくお願いします」

「えぇ、一年生なのに、生徒会室入り!」

 翔也がおずおずと頭を下げると、郡山が目を見開いて立ち上がった。そんな驚かれるとは思っていなかったので、慌てて翔也は訂正する。

「いや、まだ決まったわけじゃないですけど……」

「すごいなあ、俺なんてぼっちになるんじゃないかと冷や冷やしてた時期なのになあ……。──あ、ごめんごめん、俺は二年の郡山彰介、よろしく」

 彰介は近づいてきて握手を求めてきたので、翔也はそれに応えてやる。やけに温かい掌だった。

 そんな折、また扉が開いた。

 今度入ってきたのは小柄な女子だった。長く伸びた髪を一つに結んで背中に流している。背格好こそ幼く見えるものの、その眼光はとにかく鋭く、視界に入る物すべてを注視しているかのような瞳をしていた。そして、その声は廊下で聞いた、告白を受けた女の方の声と酷似している。

 彼女の入室に、真っ先に彰介が反応した。

「あ、師匠、こんちはっす!」

「こんにちは。早いのね」

「真っ先に来ましたから! 勧誘にも引っかかりませんでしたし!」

「──あなたって、二年生じゃないの?」

「プーなら学年関係なく声かけられるらしいですよ」

「ふぅん……、それで」

 彼女は彰介の言葉には大して興味を示さず、すっと視線を翔也に向けた。

「あなたは?」

 たったその一言だけだったのに、翔也は凄まじい圧力を感じた。高圧的というよりも、内心に直接語りかけてくるような、隠し事も抉り出されてしまうような鋭さがあったのだ。

「ええ、と……、一年の柄井翔也って言います」

 彼女はそれを聞いて、顔を姫翠に向ける。

「……姫翠が連れてきたの?」

「そう。ちょっとした縁があってね」

 姫翠がしれっと言ってのけると、彼女は吟味するような視線をまた翔也に向けた。

「あたしは草壁月葉。一応三年。よろしく」

「よろしくお願いします」

 言うまでもなく、握手など無い。その代わりに、月葉はしばらく翔也を見つめ、やがて判決を下すように言った。

「あなた、彰介と似たところがある」

「えっ!」

 と、声を上げたのは翔也でなく彰介の方だった。

「どど、どういうことですかそれ!」

「何で、あなたがしゃしゃり出てくるの」

 月葉は鬱陶しそうに半眼で彰介を睨めつける。

「だって、俺の名前が出てきたんですよ、気になるじゃないですか!」

「黙ってればそのままあたしが説明したのを聞けて、ちゃんとあなたも理解できてたはずなのに、これじゃ本末転倒じゃない」

「……確かに」

 彰介が妙に真面目な顔になってそう呟いた瞬間、また扉が開いた。

「よう、お前ら、早くも仲が良いな」

 その低めで深い声にはよく覚えがあって、翔也はすぐさま『妥協党』の紺屋政光と察することができた。背が高く、百八十は軽く越しているようで、全体的にほっそりとしており、温和そうな容姿である。

 そんな彼の言葉に、月葉が睨みをきかせた。

「仲が良い? これで?」

 しかし、政光は怖じずにあっけらかんとしていた。

「ああ、反抗期の妹と、受験に失敗した兄、みたいな感じだ」

「俺が年上なんですか!」

「い、妹……」

 彰介はともかく、月葉はどこか心の敏感な部面を抉られたらしい。絶句していた。

 月葉から今にも罵倒が飛びそうな雰囲気であったが、政光は抜け目なく翔也を発見して逃げ出すように近づいてくる。

「んと、君は入部希望の人かい?」

 彼が本気で言っているのか冗談で言っているのか分からず、翔也は一瞬返答に困った。

「…………まぁ、一応、そうかもしれないです」

「ホントに? そりゃすごいな。あーっと、俺は紺屋政光という者だ。一応生徒会会計監査兼書記という名前だけな肩書きの実質副会長をやっている」

「ええと、俺は柄井翔也って言います。一年です」

「一年生……ってまだ入学して一週間も経ってないだろうに、もう生徒会室に居るなんてマジですごいな。俺が一年の頃は、必死で勧誘から逃げてた時分だ。多分君、大物になれるぞ」

 政光はニッと笑ってみせた。翔也にとっては途方も無い話だが、しかし彼に言われると不思議と自分は大物になれるのではないか、と錯覚してしまいそうになる。

「まあ、見学だけで本入部しないっていうんなら、もう二度と会うことは無いだろう。せめて、こんなヤツがいるんだなあってことを、心の隅に覚えておいてくれりゃあ、俺は幸せだ」

 政光が調子よく言って翔也の肩を軽く叩いた時、扉が今度は凄まじい勢いで開いた。

「すいません、遅れましたああああああああ!」

 全く同じ台詞を全く同じような状況で聞いた覚えがある。ただ、今回が前回と違うことは、情報が視覚的にもあることだ。

 彼女はひどく取り乱した様子で入ってきた。セミロングの髪を直しながら、そのどんぐり眼で室内を見渡す。

「あ……、別に、遅刻じゃない感じですか?」

「この雰囲気ならあと三十分は平気だったな」

 政光が腕時計を見やりながら言ってやると、彼女は途端に安心しきって顔を綻ばせる。

「わ、私この部屋が三階だってこと忘れて、二階をずっと死ぬような思いで彷徨ってたんです! でも間に合ったなら良かったぁ」

「あなたは別に良いかも知れないけど、不幸なことに見習の元々薄かった肝を更に潰したみたいよ」

 月葉が非難するように指差した先には、パイプ椅子に座り込んで呆然としている彰介の姿があった。

「嘘、そんな私の突入ダイナミックだった?」

 彼女は掌を彰介の目前で振ってみる。すると、彼はすぐさま蘇生して目を白黒させた。

「──閃光手榴弾でも転がってくるかと思った……」

「そんなゲームじゃないんだから」

「いや、今の突入はある意味ゲーム以上の恐ろしさだった……、これがリアルティというものなのか……」

 彰介は何か超越的なものを悟るかのように呻吟している。相当肝が冷えたらしい。

「ごめんごめん。でも私って、ドアとかかなりガサツに開けるタイプだから、あんまりドアの傍に居ないほうがいいかもね」

「ドアを粗雑に開けるタイプなんて、相当なマイノリティね」

 月葉が苦々しげに言った。それでも規華は意に介した様子を見せなかったが、ふと翔也の存在に気づいた途端に表情が若干硬くなった。

「あれ……新人君ですか?」

「お前と同じ、見学者だよ」

 政光が「同じ」という言葉を強調して言った。彼女はじっと翔也をその愛敬のある瞳で見る。何だか観察されているようでいたたまれなくなったので、翔也は先に自己紹介することにした。

「一年の、柄井翔也って言います。よろしくお願いします」

「えっ、あ、ど、どうも!」

 空回りぎみな快活さで返事をされた。てっきり、相手も自己紹介に繋いでくれるのかと思ったのだが、予想外の返答に翔也は何と言えばいいのかわからなくなった。

 そういう気配を翔也の表情から察したのか、彼女は慌てて言葉を接ぐ。

「えっと! 二年の、江城規華って言います! よろしく──ってあれ、一年生なの?」

「そうですけど……」

「──そうなんだ、てっきり紺屋先輩の双子の弟かと……」

「革新の最先端を行く、盛大な勘違いだな」

 政光は苦笑したが、どこか愉しげ見えた。尤も、いつも愉しげではあるが。翔也は妙に似通ったこの師弟を半ば茫然として見ていた。

「全員揃った?」

 会長が声をかけた。役員たちが一斉に彼女へ視線を集めて頷く。

「それじゃあ、始めようか」

「一気に大所帯になったもんだな」

 政光がパイプ椅子に座りながら言うと、姫翠は嬉しそうに微笑んでみせる。

「そうね。尤も、去年は二人だけでもっと寂しかったけど」

「え、他にもう居ないんですか?」

 翔也が思わず問いかける。てっきり、もう何人か居るものかと思っていたが。

 彼の質問に月葉が答えた。

「紺屋があんな長たらしい肩書きを言ったことを考えれば、分かると思うけど、生徒会に『正式』に加入しているのは私と紺屋と姫翠の三人だけ。厳密に言えば、各委員会の委員長も関わっているといえばそうだけど」

「そうなんですか……、でも三人で生徒会って機能するんですか?」

 翔也はいまいち実感が持てなかった。

「さっきも言ったけど、委員会に実際の業務が集中してるから、生徒会が担うのは大体学校運営側と生徒とのパイプ役が専らで、そんなに忙しいわけじゃないの」

 姫翠の言葉を聞いて、先ほどのベッドのくだりでの話を翔也は思い出した。そういえば、そんなことを言っていた気がする。

 とりあえずその件について納得した所で、翔也は他の人に倣って着席しようとしたが、椅子が余っておらず、座ることができなかった。

 翔也がそのことに気づいた瞬間、政光が話しかけてくる。

「もう椅子は売り切れみたいだな。もう、そのベッドにでも座っておけばいいんじゃない?」

「え……」

「ううん……、ごめんね、今日はそこに腰掛けてもらえる?」

 姫翠にまでそう言われては仕方がない。翔也はおとなしく部屋の隅にあるベッドに腰を下ろす。想像していた以上に硬くて冷たい寝床だった。


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