第四篇 逆側の生徒会長
姫翠は真っ赤な眼で翔也を見た。彼の心中を奥の方まで覗き込み、窺っているような瞳だ。
「……ぜ、全然驚かないんですね……」
やがて、彼女は恐る恐る、といった様子で訊いきたので、翔也はぎこちなく笑ってみせた。
「ええっと、昨日言いましたけど、俺って一瞬で驚き尽くすタイプなんで……」
「……軽蔑したりしてませんか……? その、騙してたって……」
「そんな、軽蔑だなんて……むしろ会長のことは尊敬してますって」
あの入学式の時から抱いていた本音が思わず出てしまい、翔也は顔が少し熱くなる。しかし、それ以上に姫翠は彼以上に赤くなって俯いた。純粋に照れているようだった。
「そ、尊敬だなんて、ありがとうございます……。あ、あの、このこと、誰にもバラしたりしないですか……?」
「バラしても、誰も信じないと思いますけど……、いやいやいや、絶対にバラしませんから安心して下さい。──あと、敬語なんて使わないでください、なんだか歯がゆくてたまんないんですけど……」
初めて目にした時からもちろん今に至るまで、翔也は敬慕の眼差しで彼女を見ている。そんな彼女から敬語を使われると、やりにくくてしょうがなかった。
「う、ううん、そう? ……こういうプライベートで人と話をするなんて、久しぶりだから……」
過度な丁寧さはなくなったが、それでも昨日の自信に溢れた口調に戻ることはなかった。
姫翠は一瞬、何かいいたげな視線を翔也に向けたものの、ためらうように顔を伏せる。翔也が不思議に思いながら待っていると、やがて意を決したように姫翠は言った。
「あ、あの実は、私、孤児……なの」
あまり、翔也は驚かなかった。自分でもそのことに驚いている。
姫翠は翔也の反応を窺い見ることなく語りを続ける。
「……ずっと負い目を感じてきた。昔から両親が欲しいという思いよりは、どうして生まれてきたんだろう、っていう劣等感が強かったの。それでも漫然と生きてた。まだ子供だったし、死ぬなんて考えられなかったから。……小学校の真ん中くらいで、ある家に養子にしてもらったんだけど、小学校を卒業すると同時に引越して海外に行く、ってことになってた。私はその時に、日本に残りたいって必死で懇願した。すごい勢いで反対されたけど、最終的には中学卒業までは経済的に面倒を見るけど、それ以降は自分でどうにかしてくれ、って形でまとまって……」
「……それから、ずっと、一人で?」
姫翠は頷いた。
「お金に関しては大丈夫だった。小学校の頃、まぐれで宝くじを当ててたから……」
「……た、宝くじ当たったって本当だったんですか」
翔也が目を丸くすると、彼女は照れるように視線を逸らす。
「三千万円だけどね。今は、もうちょっとしかないけど……卒業まで問題なく過ごせて、大学に行けるくらい」
やもすると、その宝くじは姫翠に希望を与える、神様の粋な計らいだったのかもしれない、と翔也は思った。
姫翠は両手で麦茶のコップを持ち上げて、小さく啜る。
「生徒会長になるって決心したのは中学生の初めの頃。もう、中学じゃ無理そうだから高校で生まれ変わって、まるきり違う自分になるって決めた。学校で虚勢をはりはじめたのはその頃から。……もうその態度がすっかり板について、誰もその作った人格を疑う人はいなくなった。大楽庭に入ってからは尚更簡単だった。そこに裕福な家育ちっていう情報を加えれば、ぬるま湯みたいな選挙を勝つのは簡単。……そうして『生徒会長』としての私が出来上がった」
作り上げたものを本物として扱っていくには、相当の神経を要したはずだ。僅かにでもその裏側がはみ出せば、忽ち糸がほつれてばらけていくように会長神話が瓦解していく。
「でも養父母との約束で、五年経ったらもともと住んでいた家を出ていくことになってたの。だからこのアパートに引っ越してきた。で、でも、あれほど誇張して裕福さを吹聴してきたのに、一人でアパート暮らしっていうのを知られたら、マズイから、今後は格段に気を張らなくちゃって思ってたんだけど……、まさか大家さんが生徒だとは思わなくて……」
「……いや、大家じゃないです、俺は」
すかさず翔也が訂正すると、姫翠はきょとんとして彼を見たあと、わたわたと慌てだした。
「や、やだ、どうしよう……、私、ここを大家さんの部屋と間違えて──」
「あぁ……、いや、そういうわけでもなくって、ここは大家なんですけれども……」
ややこしい方面に誤解されてしまった。翔也はすぐ釈明しようとするが咄嗟に言葉が出ず、どう説明しようか一瞬考える。
そして、その誤解を解くついでに、ここは一つ、彼女の過去話のお返しと言ってはなんだが、このアパートの成り立ちについて話してあげよう、と翔也は思い立った。
大雑把に経歴を話した。両親が離婚した。何故かアパートを作ろうと言い出して、働かなくても長いこと暮らしていけるほどの資産を投げ出して、このアパートを建てた。父は仕事に就いて、家にいないことが多く、翔也が客の対応することが多い。しかし、実際の大家は父である。だから、自分は大家ではない。
「──だから、実際の管理者宅はここですけど、俺は大家ではありません、ってことです」
「……そうなんだ」
さっぱりとした様子で姫翠は呟いた。納得してくれたようだ。元来話すのは得意でないので、退屈に思われてないか、意味不明でないか、と心配していたのだが、どうも大丈夫だったらしいので、翔也は安堵の溜息をつく。
「何だか」
ぽつりと姫翠は言った。
「き、君、すごい冷静だよね……」
「そう思いますか……。自分でもビックリするくらい落ち着いてますよ、今」
「……でも、このことを知ったのが君じゃなかったら、私、こんなに落ち着いてないと思う。あ、こ、これでも落ち着いてる方なんだからね」
「わかりますよ、さっきなんかはひどい取り乱しようでしたから」
遠慮がちに主張する姫翠に、翔也は静かに述べる。そして、そのまま自分でも引きつってると分かる笑みを浮かべてみせた。
「……それに、弁えてますから。世の中、何があってもおかしくない、ということを」
自分が思っていた以上に、その言葉に凄みが出た気がした。姫翠は驚いたように目を広げる。
「そうなんだ……」
その声は緊張の色を帯びていて、余計な事を言った、と翔也は後悔した。なので、少し口を閉じて言うべき事を考え、弁明するように言った。
「……まだ俺は長く生きてませんけど、当たり前だったことが当然のように非常識になりうる、ってことは嫌というほど経験してきました。初めてのそれは、俺が小学校低学年の時、飼い犬が死んだ時だったんですけど、毎日当たり前にうちの傍に居たあいつが、もういなくなってるんですよ。あいつが生きていた時、そんなことがあったら、非常事態だっていって探し回ったのに、死んでからは非常事態が日常になってるんです」
「……」
「次は、祖母が死んだ時……、長らく入院してたんですけど、ついに亡くなってからは病院に寄らないことが当たり前になって……、次に離婚です、『親』と単純に言った時、母と父と指すはずが、俺の場合は父だけになりました。次に家が新しくなる、身近に住んでいる人たちが増えました……。そして……」
翔也は一瞬躊躇したが、言葉の勢いに任せることにした。
「幼馴染が、事故に遭いました。その事故でお母さんが亡くなって、彼女は一生残る傷を負って、……もう、元のように笑わなくなりました。学校にも来なくなって、ただ虚ろに生きているだけになりました。──当然が永遠にあるわけではないと、もう了解しているんです。俺は、何があってもおかしくない、って身構えて毎日生きてるんです」
「…………そう、なんだ……」
姫翠は細い声で呟いた。翔也はしまった、と思い、無理に口調を明るくしてはにかんでみせる。
「だ、だから、そんな経験が活きているなら、すごく報われるような気分なんです」
「……うん、ありがとう」
小さく、しかしはっきりと彼女は言って、麦茶を一口飲む。翔也もそれに従うようにコップを口に運んで、ほとんど二人同時に元の場所へ戻した。二つの堅い音が、重なって鳴る。
その音で空気が改まった気がした。翔也は次に言うべき言葉を見失って戸惑いを覚えたが、姫翠が遠慮がちな口調で、しかし身を乗り出すような勢いで言った。
「あの、もし良かったら……、生徒会に、来てみない?」
「えっ!」
あまりにも突飛な提案だったので、翔也はその意味を一瞬つかみかねた。
姫翠は何故か恥ずかしげに続ける。
「別に、あの二人みたいに弟子とかじゃなくて……、その、見学、みたいな感じでもいいんだけど……」
「……で、でも、それは、俺が後継者ってことになりますよね……」
「──あのね、昨日あれから生徒会室に行ったら、案の定、政光たちは後継者を探してるって打ち明けてきたんだけど、でも、それは強制的に選挙に出させるってわけじゃなくて、それぞれ様子を見ながら、自分の意志で決める、っていうことだったの。……それで昨日は、その意志決定の期限は五月いっぱいまで、それまでは生徒会室にいつでも自由に出入りして良い、とか諸々のことを取り決めて……、だから、その気が無くても、とりあえず生徒会室に、君も来てくれないかなって……」
「……では、俺は会長の『弟子』になるわけですか」
「……そう」
もう翔也は驚かなかった。もうこの二日間で、高校生活で経験するはずの驚きの半分は消費した気がする。
しかし、実感が全く無かった。この目の前にいる人がマンモス校の生徒会長で、その跡継ぎになれる資格を自分に与えている。そう頭で理解していても、それが気持ちに現れなかった。強いて言えば役者不足だと思っている気持ちが強かった。全くそんな器など無いと、精神の根本的な部面で思い込んでいる。大勢の人だかりの前に立てるだけの、風貌を持っているとも思わない。全校生徒の前で話をするという仕事を想像するだけでも、目眩がしそうである。
だが、生徒会長の誘い、という事実がそういう内情に蓋をしてしまった。
「……えぇと、正直に言っていいですか」
「うん」
「選挙に勝って会長になろう、と思う気概は限りなく零なんですけど、ただ、好奇心で行ってみたい、というのはありですか?」
それを聞くと姫翠はにっこりと笑った。このアパートを訪れて、初めて笑った顔を見た気がした。それは、掃除ロッカーから会長が出てくるのはおかしい、と翔也が指摘した時見せた、あの可愛らしさだけが全面に出された笑みであった。
「大丈夫だよ。むしろ、まだ君は入学して何日かしか経ってないんだし、無茶言ってるのは私の方だから……、来てくれるって言ってくれただけ嬉しい。じゃあ……、仮の後継者っていうことで、よろしくね」
「……ありがとうございます」
姫翠は本当に嬉しそうにしてくれたが、翔也のプレッシャーを取り除くには至らなかった。自分は、いざとなって彼女の申し出をきっぱりと断り、野に下ることができるのだろうか。そういう面について、翔也は酷く弱かった。どうしても、相手の気持を尊重してしまって──
「あの、私も荷物整理しないとだから、そろそろお暇しても良いかな……?」
そんな不安の霧中に居る翔也に、姫翠が遠慮がちに言ったので、彼は慌てて了解した。
「あ、はい、すいません、なんか長らく話しちゃって……」
「ううん、良いの、私もこんな風に人と喋ったの久しぶりだったから、……安心した、というか、折り合いがついたっていうか……」
素の自分でいることが皆無である生活など、翔也には想像もつかないことだった。あの会長としてのプライドに溢れた姿が演技なのだとしても、長らくそれを続けていれば演技がいつのまにか素の自分になっている、ということがあってもいい気がするのだが、そうもいかないものなのだろう。
それでも、この年齢相応のあどけない姿が残っているということは、やはり誰かに知ってほしいからであって、その為に彼女は生徒会長をやっているのではないか、とさえ思った。しかし、彼女の正体を知った後に、そんな風に考えるのは傲慢だな、と翔也は思い直す。
「それじゃあ、何か問題あったら言って下さい」
流石に所有物の整理まで首に突っ込むわけにはいくまい、と思って、部屋から出ていく姫翠を見送ったが、彼女はすぐに振り向いて寂しそうな顔をした。
「えっと……、迷惑じゃなければ、手伝って欲しいんだけど……」
翔也は二つ返事で承知すると、弾かれたように部屋から飛び出した。
──整理は比較的すぐに終わった。家具の数もダンボールの中身も多くなかったし、決してこの部屋も狭いわけではないので置き場所に困ることもなかったためである。なので、荷物がすっかり片付いた部屋はどこかさっぱりとしており、姫翠の孤独な生活を想像させられるようで、翔也はなんとなくいたたまれない心持になった。
「あの、ちょっとお願いごとがあるんだけど……」
と、姫翠にひどく物腰低く言われて、翔也は意味もなく断ることなどできるはずもなく、結果的に今度は彼女の部屋で座談をすることになった。
「……そんなことはないと思うけど、絶対に、私が裕福な家の子じゃないってバラさないで」
姫翠は初めに訪れた時よりずっと真面目な顔つきで言った。──それでも、学校で会った時の三分の一にも及ばないが。だが却ってその位の愛敬が、翔也には丁度よく思えた。
「分かってます。それは安心して下さい」
「もし拷問受けても、爪二枚までは我慢してね」
「…………その辺は考えさせないでください」
想像した翔也の口ぶりが硬くなる。それがおかしかったのか、姫翠は少し笑い、その朗らかな雰囲気のまま人差し指を立てた。
「──あと、もう一つ。君に評議委員になって欲しいんだけど……」
その綺麗な指に見とれつつ、翔也は疑問符を浮かべる。
「評議委員、ってなんですか?」
「中学校で言う、学級委員みたいなのかな。その……、私と会う必要ができた時に、少しでも自然に接触できるようにしたいから、なってもらえるとありがたいんだけど……」
「はぁ……、俺が……ですか……」
翔也の居住まいがぎこちなくなる。元来、そういう積極的な役職というのは避けて通ってきた身なので、それに見合うだけの能力も経験も無い。そんな大層な身分になって、やり通すだけの自信がなかった。
そんな機微を察したか、姫翠は慌てたように言った。
「そんな無理にってわけじゃないから、……考えておいて欲しい、ってくらいかな」
「えっと、……じゃあ一応、考えておきます」
翔也は姫翠にそんな内面を見透かされたことを恥ずかしく思った。そして、なぜだか知らないが、すぐさま承諾しなかったことを悔やまれて、心底から申し訳ない気分が湧き出てくる。
──結局、その惨めな気分に後押しされて、彼は彼女の要求に応えることを腹を決めた。
日曜の午後にその旨を伝えると、姫翠は嬉しそうに笑った。ただ、その笑顔が見たかっただけだったのかも知れない、と翔也は自嘲気味に思ったりした。
休日が明けた。
次は体育館で選択授業についてのガイダンスがあるため、移動しなくてはならない。
「お前、生徒会入るってどこまで本気なんだよ?」
浅井が教室から出るなり訊いてきた。そういえば、彼には冗談半分といえどもそんな旨のことを伝えてあったことを思い出す。
彼がそんなことを訊いてきたのは、ついさっき翔也が評議委員に名乗りを上げたことに由来する。幸い他に誰も居なくてすぐさま決定になったが、翔也は終始緊張していた。自分にはあまりにも似合わなさすぎる、とクラス中の視線を受けて、痛切に思った。
「まぁ、一円玉一枚分くらい本気」
「うえぇ、そんなにあんのかよ」
おどけたつもりだったが、浅井は予想に反した反応をした。
「……じゃあ、一厘くらいって言ったほうが良いの?」
「一縷すらある時点で、俺にしちゃあ百と同義だぜ。生徒会なんて毛頭入りたいとも思わねえからな、そういう方向にちょっとでも向けるってこと自体がすげえ」
「そんなもんか……」
いまいち浅井の言わんとすることが掴みかねたが、性分に合わない、という解釈でいいのだろうか。しかし、自発的に評議委員になろうと思ったのではないので、翔也は引け目を感じた。
休み時間の廊下は騒がしい。一年生はそうでもないが、二年生以上は選択授業が大半であり、ほとんどの生徒が目的地へと動き始めるので、廊下がひどく混雑する。それでも気がつくと右側通行という秩序ができているので、移動に苦労するほどでもない。不思議な学校だ。
ふと、前方がざわめているような気がした。直感的にそう思っただけだったので、気のせいだと思っていると、浅井が肘で翔也の脇をつついた。
「おい、生徒会長だぜ」
翔也が背伸びをして覗いてみると、確かに反対側から姫翠が近づいてくるのが見える。
「ほんとだ」
「何だかんだで俺初めてだな、近くで見るのは」
浅井は首を伸ばして、彼女の姿を見ようと苦心している。
姫翠はちょくちょくすれ違う生徒から挨拶をされているようだった。その一つ一つに、柔和な微笑で返事をしているが、その笑みのどこを探しても「弘露荘」で見せていた《素の》彼女を窺うことはできない。
「俺たちも声かけるようぜ」
浅井は有名人に出会ったかのように嬉しげだったが、翔也はそういうノリにどうもなれなかった。
「別に良いんじゃない?」
「なんだよ、あんま乗り気じゃないな。生徒会入りたいとか思ってるなら、ここで顔を売っておいた方がいいぞ」
「……だから、そんな本気で思ってるわけじゃ──」
やんわりと反論しながら前に向き直ると、姫翠は想像以上に接近してきていて、翔也は思わず言葉を止めてしまう。そして、あたかも示し合わせていたかのように、姫翠の視線が翔也に向いた。自然、目が合う。
その瞬間、休日中の彼女との会話の記憶が、心臓を鷲掴みにしたような気分に襲われた。
姫翠は驚いたように一瞬視線を逸して、僅かに《本来の》彼女の表情を見せた気がした。しかし、すぐさまどこかへかき消して、またさっきと同じような表情になる。
「──こんにちは」
「こ、こんちは……」
──ごく自然に挨拶された。翔也も咄嗟にし返す。そのまま、生徒会長は何事もなかったかのように通りすぎていった。本当にごく自然だったのだが、翔也にはその自然が却って不自然に思われる。
ふと、ただならぬ気配を感じて振り向くと、案の定浅井が修行僧のように厳しい顔をして翔也を凝視していた。
「おい……何だったんだ今のは」
「え……、い、今のって?」
「何でバブルの塔の頂上に居るべき会長が、自発的にお前に挨拶してきたんだよ!」
ぐっと迫られて翔也は一層返答に窮した。
「…………かくかくしかじかありまして」
「おかしい、おかしいぞ! そんなの俺は聞いてない、裏切られた気分だ! そうだよ、思えば金曜にお前が生徒会云々言い出した時から疑ってかかるべきだったんだ……、貴様ァ、金曜の放課後に何をしていたッ!」
「テンションもうちょっと下げろって……」
翔也は周囲を気遣うふりをしながら、必死でつくり話をこしらえていた。どうせ、これだけ騒々しい廊下なのだから、浅井一人が大声で喋る程度のことで誰も目くじらを立てたりしない。
浅井もそう心得ているようで、忠告なんて聞きやしないで、かつて無い真剣な表情で食いついてくる。
「別段、聞いた話で金儲けを考えてるわけでもねえ。好奇心が収まらんから訊いてるんだ、頼む、教えてくれ、誰にも言わないから!」
「そ、そんなに気になるのか?」
「マジックを見せつけられて、タネを一切知りたがらないヤツなんているか!」
知りたいと思うのは勝手だが、こうも苛烈に責めたてる奴は、マジシャンにとっていい迷惑だろうに。
しかたがないので、翔也は観念したふうに言った。
「わかったよ……、俺は金曜の放課後に腹痛でトイレに一時間くらい篭ってたんだ」
「長すぎだろ……」
「……まぁ、勧誘がうるさいから隠れてたっていうのもあるんだけど……。で、そこで出た所で、彼女がとてつもない量の書類を床にぶちまけているところを目撃してしまったわけだ、そしてそれを手伝ってあげた……っていうことだ」
「…………」
浅井は惜しげも無く怪訝そうな視線を翔也にぶつけてきた。背筋に刃物を突きつけられたような、冷たい嫌な感覚が全身を駆け巡る。
実際の所、嘘はついていない。確かに、床に書類をぶちまけていたとか、それを手伝ったとかいうのは根も葉もない全くの嘘だが、それでもトイレからでた後で会ったというのは紛れもない事実だ。
「そうなのか」
真っ赤な嘘を僅かな事実で支える試みが功を奏したのか、浅井は一気に興味を無くしたように前に向き直った。もっと大掛かりなスキャンダルでも期待していたのだろうか。
翔也は安堵したものの、このままでいればまたこの話題が再興するだろうと思って、話題変更することにした。
「ところで部活はちゃんと、その……『雑学研究会』に入ったの?」
「ん……? まぁ、そりゃあ小さい部活だから、新入部員なんて誰だって大歓迎されるぜ。あぁ、そうだ、そういえば、その雑研の顧問がさあ、白瀬なんだよな」
「……シラセ?」
「俺たちの担任だろ、名前くらい覚えてろよ。あの、制服着せたらそのまま授業を受けられそうなくらい若い先生だよ。スポーツしてたような体つきしてんのに、雑研の顧問にさせられて、すごく不満そうだったな……」
そうして話していくうちに、浅井は通常運転に戻っていき、翔也はようやく安心する。これで会長と校内で会っても、多少の説明はつくようになった。
しかし、あっさりと引き下がった浅井の態度に、翔也は何となく違和感を抱いた。ただ、本当に何となくだったので、饒舌に喋る彼の横顔からその片鱗でも窺おうとしたが、結局分からずじまいだった。




