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第一篇 新しい教室と廊下

いい忘れましたがこちらの作品、某新人賞一次審査落ちとなっております!!

 教室に戻ると、次のホームルームまで空白の時間があった。

 翔也のクラスはY棟N組。このクラスは三年間変わらないことになっており、ずっと一緒のメンバーと担任だ。とはいっても、授業の大半が授業選択になっていくのでマンネリになることはない──らしい。

 もう全員体育館から帰ったようだ。そう思って翔也は教室を見渡してみたが違った。

 一つ空席があった。

 肩の力が吸い取られるように抜けた。ずっと気を張っていた自分が惨めに思えるほど、いかにも当然といった風にその空席はある。まるで、あの頃から延長してきたかのように。

 翔也は観念したように前に向き直った。新しいクラスはちらほらと会話が起こっている程度で、まだまだ活発になるのは先のようである。

 不意に、翔也へ声が掛けられた。

「えっと、もしもし?」

 そちらへ顔を向けると、一人の男子生徒の好奇に満ちた視線が一直線に翔也に突き刺さった。良く言えば純真な、悪く言えば無遠慮な視線だった。

「あの空席の人と、知り合いなの?」

 ついでに言葉で心も抉るような言葉に、一瞬絶句する。

「いや、まぁ一応……」

 かろうじてそれだけ言うと、翔也は相手の顔をじっくりと観察した。

 何やらスポーツ系の部活をしていたかのような顔立ちだ。そして、何か企みごとを秘めていそうな顔だ。そう、文化祭の時に、周囲の目を独占するようなバカげたパフォーマンスをやらかしそうな面相をしている。

 その男子生徒は、そんなお調子者のような気色を一層深めて訊ねた。

「何、同中の子?」

「同中、っちゃまぁそうなんだけど……幼馴染なんだよね」

「幼馴染っ!」

 パッと顔色を変えて叫ばれたので、翔也は思わずのけぞる。

「そんな叫ばなくても……」

「いやあ、悪い悪い、そんなことリアルで目撃するのは初めてなんでね」

「でも幼馴染がいるくらい、こんなでかい学校なんだから、一つや二つくらいあるでしょ」

「それが隣の席の人だから、驚いたんだろ」

 彼はけらけらと笑った。翔也も彼の心情が分からないでもなかった。

 それから軽く自己紹介をした。彼の名前は浅井律斗。なかなか遠い地区から、ここまで通ってくるらしい。最寄り駅から数駅である翔也と比べると段違いの距離である。

 最低限の自己紹介だけを済ませると、また浅井は好奇心をかき集めたような表情を浮かべたが、すぐにその気配を消した。

「あー、なんで空席か、っていうのはちょっと訊いちゃまずい質問か?」

「……その類の質問かな」

 それを聞くと浅井はバツの悪そうな顔で頭を掻いた。

「悪い悪い。まあ、若気の至りっていうことでさ、許してくれ」

 それでも調子は軽い奴だ。全く謝られてる気がしないが、そもそも悪いことをされた気もしていななかったので、言われたとおりに許してやる。

「別に気にしてないけどね」

「そうか、サンキュー」

 浅井はあくびを一つ漏らすと肘を机についたが、やがて思い出したように自分の目を指さした。

「そういえば、視力良い方?」

「まぁね」

「ほーん、羨ましいな、俺はコンタクトなんだわ。……ってことはじゃあ、あの生徒会長の姿もばっちり見たよな」

 やっぱり目をつけるところは同じか、と何となく翔也は残念な気分がした。それでもそんな気分をおくびにも出さずに、生徒会長の姿を思い起こしてみたが、くっきり思い出せるのはせいぜいあの流れるように伸びた髪ぐらいだ。

「そんなでもないよ。髪と輪郭だけが精一杯だった。けど、まぁ大分綺麗だったと思う」

「そうだよなあ、もっと近くで拝みたかったぜ。全く、壮絶なエリートだよなぁ、二年連続生徒会長なんてさ」

 どうやら翔也の聞いていた噂は本当らしい。中学の頃に一時的に噂になった程度だったからあまり信用していなかったのだが、そう裏付けされるとあの威厳の濃さが増した気がした。

 浅井は嘆くように大きく首を傾ける。

「家も相当リッチらしいぜ。毎日送迎車がつけられるくらい裕福な生まれなのに、あの会長は他の生徒と対等でいたいってんで、毎日普通の電車通学をしてるとかなんとか。あと毎日結構な料理を食べてて、月に何回もフルコース料理、ファストフードみたいな庶民の味は知らない──って噂だ。あと、これはホントかどうか知らんけど、宝くじでかなりでかいモノを当てたことがあるらしい」

「……そりゃ流石にガセでしょ」

 翔也が軽く笑ってみせると、浅井は知らんと言わんばかりに大仰に肩をすくめた。

「でもな、恋愛面ではかなり手厳しくて、高嶺の花ってレベルじゃない、天界で五年に一度咲く花と言われるほど、きっついらしいぜ」

「……へぇ、それ本当?」

 翔也は次々と披露される詳しすぎる情報を怪訝に思ったが、浅井はとんでもない、といった様子で目付きが鋭くなる。

「ホントホント、友達の兄ちゃんとかがアタックしたらしいんだけどさ、イージスの盾かよ! ってくらい守りが堅いらしいぜ。かといって、彼氏がいるわけでもないらしいんだよな……」

 まさに絵で書いたような傑物ぶりだった。すべてを安易に信じようとは思わないが、あの威厳のある体裁を思うと、どれも嘘とは思えなくなる。

 そういう人をリアルで目撃する方が、幼馴染よりもよっぽど驚嘆に値すると思うのだが、彼にとってはどちらも同様の価値があるらしい。

 翔也は壇上に立っていた会長の姿を思い浮かべ、ため息混じりにぼやいた。

「なんか、すごい恵まれた人なんだな」

「んー、そうだな。羨ましい」

 浅井は目を細めながら頬杖をついた。


 翔也は一人で帰路についていた。浅井は駅からはまるきり反対方向であったために、そこでもう別れている。高校初日の感想としては、とりあえず一日目、といった感じだ。

 角を曲がると自分の家が見えた。たまにぼやっとすると通りすぎてしまいそうになる。

 翔也の家は、彼が小学校六年生の頃に、一軒家からアパートになった。

 小学校の頃、父の俊也がひどい面倒くさがりで適当であったため、生真面目な母はかなり辟易していたらしい。そのために言われる小言にも父は辟易していたために、だいぶ夫婦仲は冷え切って居たようだ。

 そんなある日、父が言った「あー、飽きたから仕事辞めたわ」という言葉で母は激昂、筆舌尽くしがたい騒ぎになり、そのまま成り行きで離婚に至ってしまった。翔也は無論、母と同じ立場だった。「普通、そんな理由で辞職なんてしないだろう」と呆れていたのだが、なぜか結局俊也の元に残されてしまった。ちなみに、仕事辞めたというのは嘘ではなく、実際はクビになっただけらしい。ヤケになっていたのだ。

 ほとぼりが冷めてから、父は酷く悩んだ。しかし落ち込んでいた原因は母に逃げられたからではなく、翔也を育てることに不安を覚えていたからであった。──むしろ、離婚したがっていたのは彼の方だったらしい。このことについて、翔也は子供心ながら意外に思っていた。

 二週間ほど暗い父子の食卓が続いたが、ある日、父は希望を見出したような顔で、言った。

「この家壊してさ、アパート作るか」

 翔也は答えられず呆然としただけだった。そうして何のことか分からないでいるうちに、物事が進んでいった。俊也の祖父達が所有していた土地やらの遺産を全て処分して資金を作り、そのありったけでアパートを建て始めた。翔也は、それにいくら費用が掛かったのかを知らない。親戚がどんな反応をしたのかも知らない。どんな手続を踏んだのかも知らない。何故そんなことをしようと思い立ったのかも知らない。とにかく、唖然としているうちに、全てが進んでいた。

 竣工したのは中学生中頃だった。正確な日付は覚えていない。至って普通のアパートだった。1DKの部屋が立ち並ぶ、平凡な二階建てのアパート。それを見た当時の自分の反応を、翔也は忘れてしまった。少なくとも、そのアパートが建設されている間に住んでいた父の実家よりはマシだと思った。

 翔也は『弘露荘』と名付けられたそのアパートの管理人のような位置づけになっている。家賃だけで喰っていけるわけでもないので、俊也はまた仕事に就いた。そのために日中不在のことが多く、代わりに翔也が雑用をこなしていたら、いつの間にか住民からはそんな認識をされるようになっていた。


 弘露荘にたどり着くと、背の高くて体格ががっちりとした男性と出くわした。どうやら翔也と同じく、今、帰宅らしい。

「宇垣さん、今帰りですか」

 翔也が声をかけると彼は振り返り、そして快活な笑顔を浮かべた。

「よう、翔ちゃん、今日は早上がりでね。で、どうだったい、学校は」

 宇垣は、弘露荘住人第一号である。その頑強な体つきと厳しい顔つきを見て、翔也は最初は正直ビビっていたものの徐々に慣れていき、今では親しい付き合いをしている。

「まぁ、なんていうか……慣れるまで大変そうですね」

「おう、そうかい、そうだよな。大楽庭って、バカでかいんだろ? ちっぽけな中学校から一気にそんなとこ行ったら、気疲れもするわな」

「ホント、比べ物にならないですよ」

 帰りがけにちらっと見やった校庭の広さを思い出しながら、翔也は苦笑交じりに言った。

 翔也の部屋は一階一番奥の部屋なので、一番手前の部屋の宇垣とは自然に、そのまますぐ別れることになる。

「あ、そうだ」

 宇垣は部屋に入りかけてから思い出したように声をあげた。

「この前に見学に来た人さ、今週末に越して来るみたいだぜ」

「え、誰ですか、それ?」

 目を丸くする翔也を見て宇垣は一瞬疑問符を浮かべたが、すぐ剛気に一発笑ってみせた。

「あぁ、翔ちゃん、知らんかったんか。そういえば、翔ちゃんが入試の日だったなぁ、あの嬢ちゃんが見学来たのは」

「へぇ、新しく来るんですか。全然知らなかった……」

「ついにずっと空き家だったお隣さんに人が入るぞ、良かったなー、翔ちゃん」

 むしろ自分の方が嬉しいと言わんばかりに、宇垣は豪快に翔也の肩を叩いた。彼にこうされるのも、久しぶりだった。

 そのまま宇垣と別れると、翔也は自分の部屋に向かう。

 1DKの部屋で父子二人で住んでいる。できれば自分用に一室欲しかったが、なんとなく言うのが憚られているうちに、結局一室を共有することとなった。

「おかえり」 

「ただいま」

 入学式が終わってから生徒だけが残り、保護者は先に解散しているので先に親が家に居るのは自然なことだ。

 父の俊也は寝っ転がって、ぼんやりと学校でもらった資料を眺めていて、翔也はそれを脇目に鞄を置く。

「今日は居眠りしなかった?」

「ん?」

 俊也は顔だけ起こし翔也を見て、呼応するように翔也も流し目で父を見る。

「卒業式の時の前科があるからさ」

 中学の卒業式に、卒業証書を受け取って壇上から降りた翔也が目にしたものは、だらしなく口を開け放って爆睡する俊也の姿であった。

 しかし、俊也はそんなふうに身内の情けない姿を目撃した時の、こちらの情けなさを知らない。

「いや、いくら何でもあんな大勢の点呼は飽きるってもんだぞ」

「ってことは寝たの」

「気づいたら退場の最中だったな」

「……不甲斐ない」

 翔也はため息をついた。それから気を取りなおして、先刻宇垣から聞いたことを問い質してみる。

「ねぇ、週末隣ん家に誰か来るの?」

「……あぁ、そうだった」

 俊也は資料をちゃぶ台の上に置き、上半身を起こしてあぐらをかいた。

「すっかり言うの忘れてたけどそうなんだよ。でさ、その日、また俺仕事入っちゃったんだ。だから対応してくれないか?」

「また? いつも父さんが対応しないから、引っ越してくる人最初は皆俺が大家だって思い込んじゃうんだよね」

「いいじゃねえか、いつか継ぐことになるんだし」

「マジか……」

 確かに、このまま取り立ててしたい仕事が見つからなければ、大人しく家業を継ぐことになるだろう。もしかして、そういう大事な日に限ってちょくちょく居ないのは、自分をその職分に定着させるためなのだろうか。

「よろしく頼むぞ」

 俊也の言葉に翔也は軽く手を掲げて了解の意を示した。



 今日から部活動が解禁となる。それほど入学式から日が経っていないのに解禁とは、まず誇るものといったら部活動、という校風があるからなのだろうか。

「どこ入るか決めたか?」

 朝、教室に入るやいなや、浅井にそう訊かれたが翔也はかぶりを振った。

「中学の時も帰宅部で満足してたからさ、特に何も無いんだよね」

「えぇ、お前、この学校入って部活入らないと、人間関係極端に狭くなるぞ」

 別段、人脈を広げたいから部活に入りたいと思うわけでもない。特に入りたいわけでもなしに、知り合いを増やすためといって部活に入るのはその部活に悪い気がしてならないのだ。

「まぁ、別に狭まるのは仕方ないことだし、気にしてないよ。そっちは、どっか入るところ決めた?」

「俺? 俺はなんといっても、雑学研究会だ!」

 雑学研究会。妙に誇らしげな浅井の表情に、翔也はどう反応したらいいか分からない。

「へぇ……、そこって何すんの?」

「本読んで雑学をつける、らしい」

「……なんかクイズ大会とかに出るたりすんの?」

「いや別にそんなことはしない。手に入れた雑学を部員と共有して終わりらしい」

 部室で数人の生徒が黙々と本を読み、時間が来たら各々の知識を見せて解散する。その活動内容を想像してみて、翔也は心底に粘度の濃い恐ろしさが広がっているかのような心地になった。

「ううんっと……、俺にはあわなさそうだな」

 翔也が苦笑混じりに言うと、浅井は笑みを浮かべて言い放つ。

「あぁ、俺にもあわなさそうだ」

「……なんだそりゃ」


 ──猛烈な勧誘にもへこたれないでくださいね。

 そんな会長の言葉を思い出したのは放課後になってからだった。

「野球部入りませんかー! 一緒に甲子園目指してくれー!」

「バレー部入って、背高くならないか!」

「吹奏楽部入って僕と握手!」

「農園部に入れば、食べ物には困らんぞー! 多分、全国一の耕作面積じゃー!」

 そんな声がひっきりなしに教室の外から聞こえてくるので、翔也は一人で未だに帰れずにとどまっていた。浅井は言ったとおりに雑学研究会に急行してしまったのでもういない。教室内には何人か女子が残って話し込んでいるので、変に思われぬように、翔也は携帯をいじくっているふりをして動揺を隠しているところだ。

 ただでさえ押しに弱いというのに、『部活には入りたくない』の一点張りだけで、あの縁日のような騒ぎの廊下を抜けられる自信がない。これでは外に出るまでに、いくつ兼部することになるか知れたものではない。

 そうはいっても、いつまでも一人でぽつんと教室に残っている訳にはいかない。

 少し考えて策を思いついた。誰でも思いつきそうであるが、誰も実行しないような時間稼ぎだ。

 翔也はとりあえず荷物は教室に置いたまま、やや急いだ様子で廊下に出た。真っ先に視界に入っただけでも、四、五人が勧誘を受けている真っ最中だ。

 その人並みを縫って、「W」の底にあたる連結部分、早い話がY棟の端に向かう。

「すいません、放送部入りませんか!」

 待ち伏せしていたかのようにどこからともなく、マイクを持った女子の放送部員が現れて翔也の進路を塞いだ。

「すいません、今トイレに行きたいんで、他あたってください!」

 翔也は必死の形相を装って用意しておいたセリフを言い放ち、その脇を素通りしていった。無論、回避するための口実だ。

 しかし、さすがは放送部員というか、彼女は急ぐ翔也の隣にすっと並び、マイクを突きつけた。

「トイレですか! 大小どっちですか!」

「どっちでもいいでしょ!」

「今の心境、いかがですか!」

「どうでもいいでしょ!」

「和式派ですか、洋式派ですか!」

「どっちでもいいですッ!」

 しつこい。これが記者というものなのか。どうして至極些細なことなのに、徳川埋蔵金発見者へインタビューするかのように、呆れてしまうほどの真剣さで質問してくるのだろうか。もういやというほど、この学校の部活動の実態を見せつけられた気がした。

 そして翔也は同時に焦燥を覚える。もし、このまま密着取材なんてされたらたまらない。この放送部員は女子であるから、流石にトイレの中まで踏み込んでくることはないだろうが、外に張り込まれても困る。

「ウォシュレットについて一言!」

「水の勢いを最強にしたままにしないで!」

 もう自暴自棄だった。

 ようやくトイレが見えてくる。天竺への道のりさながらに厳しく長かったように感じた。

 翔也は半ば放送部員を無視するような勢いで男子トイレに入った。しかし、彼女は当たり前のようについてくる。流石に無いと思っていたが、当たり前のように実現してしまった。

「そ、そろそろ勘弁してください……」

「最後に一つだけ! 放送部に来てたいなー、って思いましたか!」

「全然!」

 翔也は叫んで個室に飛び込んだ。

 ──少し間があってから、放送部員のぼやき声が聞こえてくる。

「ダメだったかぁ……残念。…………というか、男子トイレって、臭っ」

 その点ばかりは、翔也も顔をしかめながら同意した。


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