第十七篇 目撃者の宣言
「茶番はそこまでだぜ、柄井翔也!」
多くの謎にパンクしていた翔也だったが、浅井のその呼びかけで我に返った。彼はあろうことか翔也の名前を叫んだ。意図が全く読めない。翔也はただ瞠目して浅井の動向を見守るしか無かった。
「その子とどんな関係なんだか知らんが……、お前がうじうじしてるようなら、俺が先攻を切らせてもらおうか!」
「な、何の話を……」
翔也はかろうじてマイクに向け、それだけを言うことができた。スピーカーから頼りない翔也の声が聞こえてくる。だが、からきし浅井の耳には届いていないらしい。
浅井は一つ、大げさな咳払いをした。
「幣原瑠子さん!」
「え……、私……?」
瑠子は怯えた表情で呟いた。もちろん、その呟きは会場には聞こえていない。瑠子は全く心当たりが無いようだったが、翔也は何故だか浅井のその一言だけで、大方を理解してしまった。
──まさか。
「入学式の時に、ちらりとあなたを見かけました!」
──浅井との馴れ初めはどうだった? あれは空席を眺めていた翔也に、浅井から話しかけてきた。瑠子が座っているはずの空席を、見ている男に……。
「あの時は今よりも髪が長かったようですけど……、俺にとっては、その一目だけで十分でした!」
──どうして浅井は、白瀬と打ち合わせをしている時、幣原という苗字に異様に反応して食いついてきた? どうして、翔也に委細をしつこく問い詰めてきた?
「この一ヶ月は全く会えなかったけど! 今はこうしてメッチャ遠いけど、顔をあわせてる! この機会を逃したら、もう絶対に言えなくなるだろうから言います!」
──この催しが始まる直前の浅井の一言、『覚悟を決めろ』、の真意は?
翔也は浅井が何かを言い出す前に、唖然として浅井を見つめる瑠子の横顔に向けて言った。
「瑠子、絶対に顔を逸らさないで……、お前が思ったとおりに動いてくれ」
「えっ……そ、それって……、ねえ、あの人って──」
誰? 瑠子が言い切る前に浅井が凄絶な勢いで言った。
「あなたに、一目惚れしましたあああああああああああああああああああああ!」
余韻が爆音になって体育館内に轟く。──そして次の瞬間、体育館の中の空気が爆発したような歓声が起こった。翔也にとって、そのボルテージの上がりっぷりはあまりにも突然に思えたが、実際は違う。浅井が起立した時から、盛り上がりは始まっていた。翔也の耳はその熱気を無視して、ただ愕然としていただけだった。
しかし、今、無音の鼓膜を破るようにして、その喧噪が耳に飛び込んできた。白け切っていた体育館は浅井という新たな乱入者によって、再び熱せられた。翔也がした乱入と違って匿名でも一向にかまわない、今の時分ではアニメやドラマでもやらないような堂々とした告白が、興味を惹かないことなどありえないのだ。
盛り上がった生徒たちは一斉に囃し立てる。
「いいね、やるねー!」
「あれ、ガチでいってんの?」
「女の子の返事はー!」
「おい、そんな後ろに居ないで前行ってやれよ!」
好奇の視線があらゆる場所からあちこちに向けられ、前方に居る男子の野次がうるさいほど聞こえてくる。
その時、瑠子が翔也の袖を引っ張った。
「ね、ねぇ……、私告白されたの……?」
おそるおそる、瑠子が訊ねてくる。翔也はひどく歯切れ悪く答えた。
「……そう、だね」
「わ、私が……、誰かに好きになってもらえたの?」
そう訊いた瑠子の表情に、翔也は肺中の空気を盗まれたような息苦しさを感じた。
笑顔だった。
ずっと、翔也が願い続けて追い求め続けてきた、あの昔と変わらない笑顔が今、眼前にある。夥しい人目の前で、彼女は確かにその明るい顔を見せている。ほとんど会ったことが無いも同然の浅井が、いともあっさりと翔也の願望を実現させてしまった。
それはそれで嬉しい。
だが、悔しさの方が大きかった。自分の無力さを、まざまざと見せつけられたようだった。まるで、翔也の存在と関係無しに世界が動いているような感慨。結局瑠子に何もできなかった自分の惨めさを、喉元に迫る勢いで突き付けられたような気がした。
「よっ、と」
そんなかけ声と共に、浅井が上手側から跳び乗ってきた。翔也はぼうっとしていて気づかなかったが、さっきよりもざわめきが大きくなっている。男子達が矢継ぎ早に浴びせてくる野次もはっきりと聞こえてきた。
翔也がその声の群れに少し慄いていると、浅井が真面目な顔で言った。
「べ、別にお前を助けるためにやったわけじゃないぞ。あくまで俺は純粋な気持ちを伝えたかっただけなんだからねっ!」
「……ま、真面目な顔してるくせに、緊張感は果てしなくゼロだな」
「へへっ、まぁ、何だかんだ言って慣れてるしな」
浅井は大衆をちらりと見やる。この人数の前で全く動じていない。むしろ、あのけたたましい歓声を味方につけているようだった。
浅井は、瑠子の方に向き直って仰々しくマイクを通して言う。
「あー、どうも、こんな顔してます」
生徒たちがどっと笑った。瑠子は困ったように身をすくめる。しかし、翔也が言ったように顔はしっかりと浅井に向けられている。
「……じゃあ、返事を聞かせて下さい!」
浅井がそう切り出して、若干緊張を帯びたような顔をした。翔也は無言でマイクを瑠子に渡してやる。すると、さっきまで騒がしかったざわめきが潮が引いていくように静まっていった。──告白には、返事がある。その返事を聞き漏らさまいとする風潮が、客席に浸透しているのだ。
翔也はちらりと瑠子の顔色を窺った。瑠子はその視線に気づくと慌てた風にマイクに口を近づける。──催促しているように思われたらしい。
「えと……」
もじもじとした声だった。翔也は固唾を呑んで次の言葉を待つ。浅井の方を見ている余裕など無かった。
「そ、そんな風に言われるなんて……、一生無いと思ってた……から……、す、凄い嬉しい、です……」
瑠子の声は体育館によく響いていた。言葉をつっかえた時の空白に残るうぶな響きが、万人の緊張の糸をかき鳴らす。
やがて、瑠子は決心したように言った。
「え、えと……、で、でも……、ごめんなさい、わ、私にはもっと大事な人がいるので……」
その言葉に大衆がどよめいた。
浅井は見るからにがっくりと肩を落とし、マイクを介さず生声で言った。
「やっぱりダメかあ……、ガチだったのになぁ……」
「ご、ごめんなさい……」
「あっ、いやまぁ、そりゃあ初めて見た男の告白なんて普通はうけないわ! うん、ここは男の浅井、ということで……、家でどっぷり泣かせてもらうわ」
「うぅ……、ごめんなさい……」
翔也は普通に会話している二人を動揺しながら見つめていた。どうして、ここまで普通に会話できるのか。今、目の前の客席の賑わいが聞こえないのか。翔也はそちらにばかり気がいってしまって、背中が汗だくになっている。
観衆のざわめきがひときわ大きくなってきていた。告白の結果は成らなかった。しかし、それよりももっと気になることが瑠子の発言の中にあって、それへの関心が目に見える速度で高まっているのだ。
「ちょっと、いい?」
そんな折に、じっと近くで見ているだけというわけにはいかない、といった風に翔也達の間に顔を出したのは姫翠だった。しかも、どこかこれまでの展開を楽しんでいるような表情をしている。
姫翠は最初から持っていたマイクを使って言った。
「もし、差支えがないのなら是非とも答えて欲しいんだけど……、その、もっと大事な人っていうのは誰なのかな?」
そして、ちらりと翔也の方を見やった。翔也ははっとして、瑠子に視線を向ける。瑠子も窺うような目で翔也を見てきた。
──彼女の右目は、翔也が今まで見たことのない瞳の色をしていた。子供のように照れるような喜ぶような、しかし成熟したような艶っぽさがある、不思議な視線だった。
瑠子は一瞬、翔也にそんな眼を見せた後、姫翠の方を向いて訊ねる。
「えっと、言っていいですか……?」
「うん」
姫翠は純粋な笑顔を見せて頷いた。
瑠子は、ほっとしたようにマイクを持ってくるりと全校生徒の方を向いた。
「……えっと、私が好きな人は……」
『オオオオオオオッ』、とドラムロールの様にコールがかかった。
瑠子はそのコールの響きが程よく消えた瞬間、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「わ、私の好きな人は……柄井翔也……、あなたですっ!」
どわっ、と会場が火を吹いたように盛り上がった。翔也は、顔面が熱した鉄板のように熱くなり、閃光弾が目の前で炸裂したような目眩を覚えた。会場の喧噪以上に自分の心臓がけたたましく鳴り響く音を、正常に機能しているのか分からない耳が捉えている。下手したらそのまま崩れ倒れてしまいそうだった。
「お、俺……?」
翔也が動揺していると、瑠子は小さな声で気恥ずかしそうに言った。
「だ、だって、さっき私が困り切ってた時、あの衝立倒して来てくれて、手を握ってくれたでしょ……? あ、あの時……翔が初めて怪我した私を見に来た時も、私の手を握ってくれたこと、思い出して……、いつでも私が困ってる時に来てくれる、優しい人なんだあ、って思って……」
「……」
翔也は意識が透き通っていくような心地がした。その、たどたどしい言葉の中に、快活だった頃の瑠子の片鱗が見えた気がしたから。
翔也は何も言えずにいたが、瑠子は喉の奥から言葉を引き摺り出すように続ける。
「だ、だって……、こんな性格が暗くなった女子を、ずっと気遣ってくれる人なんて、なかなか居ないでしょ……、なのにいつも心配そうな顔をして来て……、と、とんだお人好しだなあって……、思ってたけど……、す、凄い嬉しかったんだから……、す、好きになって当然でしょ……!」
「…………」
「で、でも、こんな顔してたらダメだなあって、思ったから、ずっと言えなかったけど……、浅井君だっけ……? 彼が一目惚れなんて言うから……、変な自信ができちゃった」
瑠子は泣き顔のような笑顔を作った。深く心の底まで染みこんでいくような、どこか自虐的で、でも精一杯の愉悦を孕んだ表情だった。
客席はひどくざわめいている。そのどよめきのほとんどは、この取り留めもない展開に困惑、或いは面白がって身内で会話しているものだが、野次も前方に固まっている男子から飛んできていた。
「返事は! 返事!」
その大半が翔也の回答を求めている。もう、何の会だか分かったものではない、盛大なお祭りの真っ最中でもあるかのような騒ぎだった。
その祭りの真っ只中に、翔也は佇んでいる。
そんな事実に押しつぶされそうだったが、しかし翔也はこの場にいたって一つ気づいたことがあった。
あらゆる方向から来る視線の嵐──だが、それは翔也の言葉を何とか捕まえようとする無数の耳でもあった。
今なら、確実に翔也の声が届く。美辞麗句でも、拙い言葉でも、熱気のこもった言葉でも、冷めた言葉でも、何だろうとこの群集の心に届く。
翔也は瑠子に手を差し出した。彼の手はひどく震えている。瑠子は一瞬、戸惑った顔で翔也を見たが、すぐに察したらしくその手にマイクを渡した。
翔也は少し目を瞑って、言うべき言葉を探した。
どうしてあそこまできっぱりと、『由利姫翠に恋心など抱いていない』と断言できたのだろうか、それはもっと別のところに恋心が置いてあったからだろう。どうして、大衆から視線を浴びるのが嫌で生徒会長として立候補することを躊躇っていたのに、今こうして無数の眼差しをこうむっているのだろうか、それは他でもない瑠子のためだろう。そして、どうして瑠子が事故に遭って悲嘆に暮れていた時、翔也はまっ先に彼女に会いに行ったのだろう、どうして今の今まで、彼女との関係を保っていたのだろうか。
幼馴染だったから、というだけでは表現しきれない感情が翔也の奥底にあったことを、彼はずっと、ずっと自覚していた。
──マイクの黒くて無骨なヘッドを見つめて翔也は言った。
「……好きでもない相手を……、ここまで労ったりしない」
「そ、それって……」
「……俺も、好きだよ」
そう言った瞬間、瑠子の顔が太陽のように輝いたのを、翔也は見た。それから、全校生徒が立ち上がる勢いで沸いたのも分かった。すっきりとした感慨も自分の内に見た。胸に降り積もっていた塵芥が一挙に洗い流されたように、清らかな気持だった。
「ありがとう……!」
瑠子は言うと、翔也に抱きついてきた。彼女は翔也の肩ぐらいまでの身長しかない。昔は同じくらいの背丈だったのに、いつの間にか翔也の方が高くなっている。今更になって気づいた。
これで、全てが報われたのだ。あの陰惨な事故からの日々が、これで──。
ゆらりと、視界が歪んでいった。地の底に意識が吸われていくような、自分の身体が自分のもので無くなるような、これが天からのお迎えというものか、と翔也はぼんやりと思った。
そのまま翔也は壇上で、瑠子に抱かれたまま崩れ落ちて、失神してしまった。今まで背負っていたとてつもない緊張が一気にほつれて、それに重なるように今まで瑠子にかけていた労が一気に解放されて、そうして生まれた大きな安堵感が翔也の疲弊していた身体を落としてしまったのだ。
──イベントはそんな新たな展開を見せてまた盛り上がり、結局予定終了時刻を大きく過ぎてしまっていた。
そんな時に誰かがぼそっと呟く。
「……まあ、この騒ぎに終了時間の超過は生徒会の責任ってことで、教師陣の評価は下がるだろうが……、有権者の生徒達からは莫大な支持を得られたってわけだ。これは良い宣伝になったな、良かった良かった。……うーん、そうだな、この流れに乗じて今日の授業サボっちまおうかな」
彼の呟きは誰の耳に入ることもなく、喧噪に混じって消えた。




