表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
正倫か不倫か  作者: 他人
4/14

依存




彼は、

自分の人生を振り返ると、

いつも「寄りかかる場所」を探してきた人間だった。


幼い頃は母だった。

思春期以降は、初めて体を重ねた恋人だった。

そして、その恋人が、やがて妻になった。


誰かが傍にいることで、

自分という存在の輪郭を保ってきた。


一人で立つという感覚を、

彼は長いあいだ知らなかった。


それを弱さと呼ぶのは簡単だ。

だが彼は、それを生存の形式だと思っていた。


誰かと結びついていることで、

自分は壊れずに済む。

そう信じていた。


妻と出会った当初、

彼は強く惹かれていた。


安心したかった。

選ばれたかった。

必要とされたかった。


そして、必要とされていると思えた。


腕の中で眠る彼女。

毎日の連絡。

将来の話。


彼にとってそれは、

「生きていていい」という証明だった。


だが、関係は少しずつ変わっていった。


会話は減り、

触れ合いは減り、

目は合わなくなり、

名前で呼ばれなくなった。


彼は気づいていた。


だが、

気づかないふりをする方が楽だった。


嫌だと言えば、壊れるかもしれない。

我慢すれば、続くかもしれない。


彼は後者を選び続けた。


怒らない。

責めない。

要求しない。


その代わり、

自分を削った。


食事に行けば、相手の食べたいものを頼む。

自分の希望は言わない。

相手が迷えば、先に譲る。


それで喜んでもらえるなら、よかった。


そうしているうちに、

「何が食べたいか」と聞かれるのが、

少し怖くなった。


自分の欲を差し出すことに、

慣れていなかった。


彼は、

与える側でいることで、

関係の均衡を保っていた。


だがその均衡は、

対等ではなかった。


妻は変わっていった。


産後という事情。

疲労。

ストレス。


彼は理解しようとした。


待ってと言われれば待った。

仕方ないと言われれば飲み込んだ。


だが、拒絶されるたびに、

彼の内部で何かが削れていった。


触れると嫌な顔をされる。

誘うと舌打ちされる。

寝ている横で距離を取られる。


それでも彼は、

「嫌われているわけではない」

という言葉を信じた。


信じることでしか、

立っていられなかった。


やがて、言われた。


「もう一生したくない」

「変わらない」

「尊敬できない」

「したいなら、させてくれる人と結婚したら?」


その言葉は、

刃のように刺さった。


彼は反論しなかった。


できなかった。


泣いてしまう自分が、

さらに情けなかった。


それでも彼は、

すぐに別れようとは思わなかった。


十二年という時間。

子供。

生活。

家。


それらは、

鎖であると同時に、

現実だった。


彼は自分に言い聞かせた。


当たり前だ。

長く一緒にいれば、そうなる。

愛は形を変える。


だが、心の奥では、

違う声が鳴り続けていた。


「これは、愛の形なのか」


彼はその声を、

ずっと無視してきた。


無視できなくなったのは、

彼女に出会ってからだ。


彼女は、

彼の話を途中で遮らない。

結論を急がない。

評価しない。


彼が話す前提を、

否定しない。


彼はそこで初めて、

「聞かれている」という感覚を知った。


理解されている、

というより、

存在を受け取られている感覚。


それは、

妻との関係の中で、

いつの間にか失っていたものだった。


彼は気づいてしまった。


自分は、

妻を救いたかったのだと。


不器用で、

無邪気で、

愛し方を知らない人。


だから、

自分が頑張ればどうにかなると、

信じていた。


だが同時に、

彼は自分自身も救いたかった。


誰かに寄りかからずに、

自分で立てる人間になりたかった。


彼女と関わる中で、

初めてそれを学び始めた。


依存ではなく、

並ぶという感覚。


寄りかかるのではなく、

隣に立つという感覚。


それを知ってしまったあとで、

妻との関係を見ると、

歪みがはっきり見えた。


彼は変わった。


そして、

変わった自分で、

元の関係に戻れなくなった。


それだけのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ