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正倫か不倫か  作者: 他人
14/14

一歩




「なんで、勝手に決めたの」


最初に返ってきたのは、その言葉だった。


声は強くなかった。


けれど、温度が低かった。


責めるというより、


抑えている感じだった。


彼は一瞬、言葉に詰まった。


言い訳はいくらでも用意していた。


けれど、そのどれもが嘘になる気がした。


「…相談するべきだった」


そう答えた。


彼女はすぐには返さなかった。


少し間を置いて、


「私は、相談相手じゃないの?」


と聞いた。


その問いは、怒りというより、


悲しみに近かった。


彼は、その違いが分かってしまった。


胸の奥が、じわっと痛んだ。


彼女は続けた。


「二人のことなのに、なんで一人で決めるの」


責め口調ではない。


けれど、逃げ道もない。


彼は、この瞬間、理解した。


彼女は「会いたい」という感情より前に、


「対等でいたい」という感情を持っている。


それが、彼女の強さであり、


彼が惹かれてしまった部分だった。


彼は正直に言った。



「もし行かないって選んだら、一生後悔すると思った」


彼女はすぐに返さなかった。


しばらくして、ぽつりと、


「私はね」


と前置きしてから言った。


「会いたいって、ずっと思ってたよ」


彼の喉が詰まった。


彼女は続けた。


「でも、来たら、きっと苦しくなるって分かってたから」


彼は、その時点で、


自分がどれだけ彼女を追い込んでいたかを理解した。


彼女は、感情を押し殺していた。


彼が理性的であると信じていたから。


彼が、無茶をしない人間だと信じていたから。


彼女は言った。



「嬉しかったけど」


一拍。


「怖かった」


彼は、何も言えなかった。


彼女は、少し強めの口調になった。


「迷惑とか考えなかったの?」


その言葉の裏側が分かった。


——迷惑をかける存在になりたくなかったのは、彼女自身だ。


彼女は続けた。


「もし、あなたの生活が壊れたらどうするの」


「私のせいにされるの、嫌だから」


ここで、彼ははっきり分かった。


彼女は、自分のためより先に、


彼の未来を心配している。


その事実が、彼を苦しめた。


彼は、少し間を置いて言った。


「君のせいにはしない」


「これは、俺が選んだ」


「君が止めても、俺は行ったと思う」


沈黙。


長い沈黙。


彼は、嫌われる覚悟をした。


彼女は、深く息を吐いて言った。


「……勝手だね」


彼は否定しなかった。


「うん」


彼女は、少しだけ笑った。


困ったような笑顔だった。


怒っているのに、


完全には突き放せない顔だった。


「一目だけだよ」


その時の彼女の声は、


許可というより、


妥協だった。


それでも彼は、頷いた。


その夜、彼は思った。


彼女は怒った。


それは、


会いたくなかったからじゃない。


彼が来れば、彼女が苦しくなるからだ。


彼は、その苦しさを分かった上で、


それでも行った。


それが正しいとは思わない。


ただ、


「何も変えない」という選択が、


もう出来なくなってしまっていた。


彼は、その事実だけを、静かに受け入れていた。


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