表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
正倫か不倫か  作者: 他人
13/14

現実へ




彼女は、会いたいと言っていた。


好きだとも言っていた。


はっきりと。

逃げ道を残さない言い方で。


けれど同時に、苦しみながら言っていた。


「会えないよね」


理由は並べられた。


試験があること。

立場があること。

私に迷惑がかかること。

周りの理解を得られないこと。

今は動くべきじゃないという判断。


どれも正しかった。


正しいがゆえに、彼女はその先に、言葉を付け足した。


「いつか、会いにきてね」



その「いつか」は、希望というより、踏みとどまるための支柱だった。


現実を見ている人間が、崩れないために差し出す言葉。


彼は、それを聞いたとき、


彼女が自分に縋っているのではなく、

自分自身に縋っているのだと分かった。


会いたい。

でも行けない。

だから未来に預ける。


その構図の中で、彼女は一人で耐えていた。


彼は、その姿を見てしまった。


そして同時に、別の感情も生まれていた。


——自分は、彼女を追い込んでいる。


好意を向けられること。

期待されること。

関係に名前のないまま感情だけが存在すること。


それらすべてが、彼女にとって負荷になっている。


彼は、その自責から逃げられなかった。


だが、それだけではなかった。


もっと単純で、もっと身勝手な感覚もあった。


——この願いを叶えられないなら、何も変えられない。


言葉だけで繋がる関係。

想像の中だけで育つ感情。


それは彼にとって、「保留」という名の停滞だった。


保留は安全だ。


だが、安全である代わりに、何も動かさない。


彼は、自分がこれまで何度もそうやって生きてきたことを知っていた。


考えて、悩んで、理解して、結局動かない。


その結果、時間だけが過ぎる。


彼女の時間も。

自分の時間も。


彼は思った。


会わないままなら、

彼女はいつまでも「行けなかった側」に留まる。


自分はいつまでも「待たせている側」に留まる。


どちらも、不正だ。


彼は、ある結論に至った。


彼女が来られないなら、

自分が行くしかない。


それは勇気ではない。


責任でもない。


もっと身も蓋もない動機だった。


——自分が動かない限り、この関係は現実にならない。


現実にならないものは、清算もできない。


彼は、自分に制約を課した。


衝動で動かない。

誰にも嘘をつかない。

予定を作る前から、理由を用意する。


本を読み、

節目の年だと語り、

一人で出かけることが不自然でない構図を作る。


卑怯だと分かっていた。


だが同時に、完全な虚偽ではなかった。


その場所へ行きたいという気持ちも、確かに存在していた。


彼は、嘘の中に真実を混ぜた。


自分で自分を誤魔化すために。


移動の手配を済ませたあと、彼はしばらく画面を見つめていた。


取り消そうと思えばできた。


何度も指は止まった。


それでも、確定は取り消されなかった。


彼は思った。


これは、彼女のためではない。


自分のためだ。


自分が、これ以上、想像の中に逃げ込まないための行為だ。


同時に、こうも思った。


——この選択が、間違いだったとしても。


——それを引き受けるのは、未来の自分だ。


彼女ではない。


誰でもない。


自分だ。


彼は、その重さを理解したうえで、行くことを選んだ。


その時点で彼はもう、


「何も起こらない人生」


からは降りていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ