サンタを信じる暇がない
エレベーターの窓に貼られていたサンタさんのシールを見て、マリアさまは本当に処女だったのだろうか、という考えに飛んだ。ヨセフ以外に男がいたんじゃないのか。あるいは強姦されたのではないか。
子どもにサンタさんを信じ込ませようとする親が嫌いだ。子どもの夢を壊さないように、などと言うが、子どもが自ら見ようとしている夢ではなく、大人が作った大人の見せたい夢なのだ。
そう思うのは、わたしにサンタを信じている暇などなかったからだろう。同級生がまだサンタさんを信じている頃、あの書き出しの『涼宮ハルヒの憂鬱』や、『ダレン・シャン』を読んだ。
サンタさんを信じているのが「いい子」で、信じていないのが「悪い子」という風潮が嫌いだった。大人がこうあって欲しいという子どもでなければ悪い子なのか? あんたが悪い子だからだ、とサンタさんを信じている女子に言われた。悪い子だから信じられないのだと。わたしはその女子に嫌われていて、それ以外にも何度か揉めた。「うち、動物にたとえたらなにに似てる?」と訊かれて、「カバ」と答えたら、めちゃくちゃキレられた(しかし、カバにはカバの、ネコやイヌにはない可愛さがあるのだ)。
真実を知っていて、嘘が吐けないと損をする。現実の嘘を嘘だと教えてくれるのは、フィクションだけだ。
本当はどんな子もサンタさんを信じていないし、カバはカバにしか見えない。でも、信じているふりができるし、ネコやイヌだと答えられるのだ。
信じる、という行為は、なにが対象であっても善とされる。
子どもにサンタさんを信じていて欲しいと思うのは、処女信仰と同じだ。
こうして幼少の感情が新鮮に蘇ってしまうのは、「サンタさんを信じていた頃」がないからではないか。
わたしは今でも「サンタさんを信じていない子ども」のままなのだ。
これは本当の怒りではない。怒りはもっと他にある。
出かける前に薬を飲み忘れたせいだ。
「子宮、きれいだってー」診察室から出てきたNは、ソファにぽいっと座った。
子宮きれいて。
わたしが反応に窮していると、Nは脚を伸ばして「もうちょっと待てば生理くるだろうって」と付け足した。
制服の、というか十代らしい患者は、Nしかいなかった。付き添いで来ている男もいない。女ばかりだ。女の子でもお姉さんでも奥さんでもなく、みな、女、に見える。
今、Nはどうでもいいことのようにきれいだってーと言ったが、先週、しばらく生理が来ていないから病院に行きたいと言い出した時は、深刻な顔をしていた。
妊娠じゃないならよかった、と思ってしまったが、よかったのか? 子宮がきれいというのは子宮に問題がないということなのか、じゃあ健康ということなのか、であればなぜ生理が来ないのか。わたしに付き添わせたのは妊娠している可能性があったからではないのか?
まあ、子宮がきれいなら大丈夫か……。
最近オープンしたばかりだというこの病院は、薄いグリーンと白が基調の内装で、ホームページによるとお医者さんも受付スタッフも女性のみで安心、アプリ予約で簡単、呼び出しは番号なのでプライバシーが守られる、とのことだった。この世の病院すべてこうなってくれればいい。でも女医さんって怖い人が多いから、いつもの精神科は適当なおじさんでいい。わたしがわざわざホームページを見たのは、中絶費用がいくらか調べたかったからだった。
「九百万なら出せる」と言った。祖母が死ぬ直前、詐欺で盗られた金額が八百万だったためである。
深刻な顔をしていたNは「なにそれ」と少し笑った。半端だな、じゃあ千万、と言い直した。
大学を一年で中退してからフラフラしているわたしの口座に、千万もない。だが家族中に頭を下げて金を借りて、祖父母と伯母の遺品を売れば無理な金額ではないだろう。
いや、自分の蔵書から売ろう。アルバイト先の古書店にちょこちょこ持っていって、色を付けて買い取るのだ。店長の目を盗んで、母方の叔父の名義を使えばいい。レコードやゲームも売れるだろう。今はこうして飲み忘れてしまう薬を、毎朝ちゃんと飲むようにする。ネクタイを締めてスーツを着て、まともに働く。働く場所を探す。簡単なことではないか。
病院のホームページを見たのは、その日、Nを送って帰ってからだった。よく来るショッピングモールの上階にあるそこでは、中絶手術などは行っていなかった。
中絶費用は、一般的に十万前後らしい。九百万。なにそれ。千万。なんだろう。
頭上の画面に次は何番の方、と出てくるのがマクドナルドみたいだ。呼び出された番号の人が診察室に入ると、葉酸サプリの広告に切り替わる。
Nが呼び出された時、一緒に診察室に入ろうとしたら「ひとりで大丈夫だよ」と止められた。不思議そうに。
会計の呼び出しを待っている間、ぼんやりとその画面を眺めていた。一ヶ月分で3,499円。一緒に見上げていたNが「あれ、うさんくさいね」と囁く。たしかに清潔で安心安全なのに、サプリの広告だけが安っぽくて怪しい。さっき立ち上がって行った女は、これを見てどう思ったのだろう。
「怖くなかった?」言ってから間違えた、と思ったが、Nは「ぜんぜん」と答えた。妊娠してたり子宮が汚かったりしたら怒られるのだろうか。「機械の椅子がおもしろかった」そりゃよかった。
診察料もマクドナルドみたいだった。
妊娠していたとして、わたしの子どもなのだろうか。毎回必ずゴムはしているが、何事も絶対安心ということはない。この二、三ヶ月で、Nは妙にセックスが上手くなったというか、変わったというか、こうしてエレベーターで隣に立っている空気感も、少し前とは違うような気がする。
「剥がれてる」Nは床に落ちている星のシールを指差した。わたしは「あーあ」とだけ言った。行きの時点で落ちていたが、Nは今、気付いたのだ。Nはわざわざ拾って、サンタさんが拳を振り上げる先の空に貼り直した。見よ、ベツレヘムの星。窓の外はちょうど夕陽が落ちたところ。
具体的になにか変わったわけでもないし、妊娠していないのなら、問い詰める必要もない。
そもそも、こんなことしなくてもいい、と思い出す。Nはこんなことしなくてもいいのだ。部活や勉強に励んで、放課後は同級生と遊ぶべきなのだ。病院に来なければいけなくなっている場合ではない。それも、わたしのせいで。わたしのせいではなかったが。誰のせいであってもいけない。ぺらぺらの粘着力の弱い星なんか拾わなくてもいい。
「そういえば、ページェントの練習とかないの」Nは聖歌隊だったはず。
「今日はなかった」やや硬い声。
ふうん、と頷き、その横顔を見つめて、続きを待った。Nは一瞬だけわたしと目を合わせてから、視線を外すと、「あんまやる気ないんだ」と髪をいじった。
「みんなが?」「あたしが」「なんで」ううーん、と唸るだけで答えないので、わたしもNの髪を指に巻く。つやつやで気持ちがいい。「人間関係?」とNは首を傾げながら答えた。
Nはわたしの母校に通っている。そうでなければインスタのIDが書かれたメモなど受け取らなかった。わたしが通っていた頃よりも校則が緩くなったようで、電車や商店街で見かける学生は垢抜けて見える。Nの友だちもつやつやの髪で、ぴったりと化粧をしている。だから、最初は制服の群れからNを見つけ出すことが難しかった。今でもNが先にわたしを見つける。
嫌ならやめちゃえば、と思ったが言わなかった。
「顧問って音楽のB先生?」「そうだよ」「まだいるんだ、あの人」「いるよ。おもしろいから好き」B先生の授業や平生の人柄は好評だったが、ちょっと思想のある人で、よく音楽室の前の廊下にビラを貼っていた。
「ページェント、なんかやった?」とNが言った。「なにも……いや、小学生の時に一回だけ博士やったな。学士号すら取れなかったけど」「それ、持ちネタ?」「初めて言った」「つまんないよ」「ウケ狙ってねえし」没薬担当でしょ、とNはずばり当ててきた。
次の階で人が乗ってきたので、手を離した。が、乗ってきたおっさんがNをじろじろと見てきてムカつく。見んな。俺がいるぞ。殺すぞ。睨む勇気はなくトラブルを起こしたくもないので、それとなくNの肩に手を置くだけにする。
Nは見られる。だが気にしない。なぜもっと怒ってくれないのだろうか、と思う。今朝また痴漢に遭って、と電車の遅延のように平気で言う。すごく嫌だ。こういう時、もっと自分の身体を大事にしろとか危機感を持てとかスカートが短いからだ、と心配や愛情として多様な説教をするものだが、しかし、わたしのこれは支配欲や独占欲に思える。
他人を指導したい欲求は、性愛の独占欲に似ている。サンタさん。処女信仰。子どもがどうやってできるのか知らなかっただけのマリアさま。いやいや「処女」は「少女」の誤訳なんだよって説。全部が嫌だ。Nはわたしといるべきではない。
薬を飲まなければ。薬を飲んでいないせいか?
「ご飯、食べてく?」「食べてくー」ママに言っとくーとLINEを開いたNに、「それで、大丈夫なの」と訊く。Nはきょとんとする。「大丈夫だよ。食べてくかもって言ったし」「いや、体調だよ」「なんで? 平気だよ」そうか。なんてったって子宮がきれいだもんな。
一階まで降りてから、だらだらとエスカレーターで上っていく。そういえば、ここに誰かと来るのは高校以来かもしれない。三階の映画館には、ふたりの女の子と二度ずつ訪れて、どちらとも長続きしなかった。今では六回で一回無料の恩恵をひとりで受けている。Nは映画館に行かない。家で映画を観ることはあるが、暗いところが駄目だという。夜もちいさい灯りを点けて眠る。それでいい。
Nが見ていた服を買ってやろうとすると「クリスマス近いじゃん」と断られた。忘れてた。クリスマスが今月であることも、サンタがクリスマスのものであることも。「二十五日、シフト入ってる」「二十四は?」「休み」「じゃあ二十四ね」とNはいつもの調子で約束したが、これではわたしが特になにも用意していないことがわかってしまう。蔵書を売ったので、金はある。まだ間に合う。
一段上に立ったNの右脚を、掴まるように撫でて様子を窺った。生脚で冷たい。Nはなあに、くすぐったいよ、と笑うだけだった。
結局、病院のひとつ下の階まで上って、甘味処兼和食屋さんに入る。Nと一緒にいると、他の客が気になる。知り合いに会いたくない。でも小説にするならここであのサンタを信じるカバみたいな女子を置きたいところだな、と考え始めたところで、いや、一昨年の春に祖母と来たじゃないか、と思い出した。ここで食事したのだ。あの時は、死ぬなんて思っていなかった。
Nは向かい側ではなく、隣に座ってくる。肩や太ももに触れながら話す。そうすると欲求がごっちゃになって、どんなに腹が減っていても、少し食欲が失せる。
メニューを開く前に、お冷やで薬を飲んだ。
「それっていつまで飲まなきゃいけないの?」とNが訊いてきた。
「わかんない」とわたしは答えた。医者の最近どうですか、に元気です、と答えても薬は処方される。増やされることもある。実際、こうして必要になる。
「ええー大変じゃん」とNは声を上げて、慰めるように腕をさすってきた。わたしにNよりも大変なことなどあるだろうか。Nはこんなことをしている場合ではない。まだ薬が効いていないので、わたしは怒りが湧いてきて、泣きたくなった。息を吐いて目尻を抑えると、ねえ、大丈夫なの、と澄んだ声。




