【短編】世界的アイドルが、地味な私だけに惚れた理由
——あなたの言葉には、まだ泣いている誰かがいる。
その一言で、
私は、十年間閉じていた“痛み”を奪われた。
世界的人気アイドル・セシュン。
光の世界の住人が、
地味で誰にも知られていない私をまっすぐに見ていた。
「君の詞を読んだとき、胸が締めつけられた。
……悲しみの匂いがした。」
どうして——。
どうして、何も知らないはずの人が、
私の心の底だけを当ててくるの。
弟を失ったあの日から、
“本心を偽った言葉”を書いて生きてきたのに。
なのに——彼だけが、気づいてしまった。
これは、世界が知らない場所で始まった
地味な私と、トップアイドルの最初の“共鳴”の瞬間。
作詞は、わたしの唯一の贅沢だった。
お金なんてない。
華やかな世界に憧れたこともない。
でも——
言葉は、人を癒す。
悲しみさえ、一瞬だけ忘れさせてくれる。
だから今日も、ノート一冊を抱えて公園のベンチに座っていた。
そのときだった。
「ねぇ、なにこれ!めちゃくちゃいいじゃん!」
小学生くらいの男の子三人が、Bluetoothスピーカーでダンスしながら歌っている。
……かわいい。元気すぎる。
わたしは思わず声をかけた。
「ねぇ、その歌って……誰かの作品なの?」
「うん!いま大人気のトップアイドルグループ“ZELOS”の歌だよ!」
「へぇ……そうなんだ」
そう答えた瞬間。
わたしの視界の端で、
黒いパーカーに帽子を深くかぶった男 が、こちらをじっと見ていた。
(……いやいや。なに?あれ。不審者?
わたしみたいな地味女、誘拐しても価値ないよ?)
視線をそらし、歌っていた子たちへ向き直る。
「ねぇ。もしよかったら……曲、作ってあげるよ?」
「……え?お姉さんが?」
「うん。ダンス曲になるかわかんないけど……
オリジナルって、よくない?」
子どもたちは一気に目を輝かせた。
その横で——黒い男は眉をピクリと動かした。
(……なにこの人。わたし観察してる?やっぱり不審者?)
数日後。
手書きの作詞用紙を持って公園へ行った。
「はい、これ……」
「ありがとう!!」
「曲って、誰がつけるの?」
「ぼく!ボーカル担当だから!」
「そっか。……じゃあ、また今度も練習するとき教えてね?」
わたしがそう言うと、
ボーカルの子は、紙を食い入るように見つめた。
「ねぇ……これ、ほんとに“お姉さん”が書いたの?」
「え?どういう意味?」
「ううん!なんでもない!
じゃあ、明後日!!また来てね!」
走り去る背中を不思議そうに見送った。
(……そんなに変だったかな?)
そして当日、
公園に行くと——ありえない光景が広がっていた。
大人も子どもも集まり、
小さなスピーカーが用意され、
まるで小さなフェスのようだった。
「あっ!!お姉さん!!」
ボーカルの子が手を振る。
「みんな〜お待たせ!!
今からぼくたちの”初めてのオリジナル曲”聞いてください!」
え?そんな規模だったの?
ざわめきの中——
あの黒ずくめの男性もいた。
帽子を深くかぶり、腕を組み、
ステージ(的な場所)をじっと見ている。
(……え、本当に誰?
ていうか、またいるの?怖いんだけど)
そのときの、わたしは知らなかった。
彼が“ZELOS”のメインボーカル・セシュンだということを。
音楽が流れた瞬間——
空気が止まった。
歌声が、公園の木々を震わせるように響いた。
「……すご……」
聞いている人たちが息を呑むのがわかった。
わたしの言葉が、
あの子たちの声にのって
形になる。
それを見たとき、胸があたたかくなった。
(よかった……この子たちのために書いて……)
一方、黒ずくめの男は——
帽子を少し上げ、目を見開いていた。
「……嘘だろ」
小さく漏らした声は、歓声にかき消された。
歌が終わると、盛大な拍手が起きた。
「お姉さんって、プロの作詞家なの!?」
「いや……違う。ただの“文字好き”」
わたしは笑う。
子どもの頃から、
“文字化け”という言葉が大好きだった。
(文字がお化けになる……可愛いじゃん)
わたしは文字に向かってよく話しかけていた。
「君は、どんな化け方するの?
お菓子?ジュース?それとも……泣きたいの?」
弟が生まれたときもそうだ。
「ねぇ、みててね。文字がお化けになるよ」
弟は口をぽかんと開けていた。
「おねえ……ちゃ…ん……?」
——あの日までは、いつも明るい日常だった。
いつものように公園に行き、
弟と同じぐらいの少年たちの姿を見ていたら、
男の子たちに呼ばれた。
「ねぇ……お姉さん」
「なに?」
ボーカルの子は、うつむいた。
「……あの曲、もう歌えないんだ」
「え?どういうこと?」
別の子が少し悲しそうな顔で説明した。
「あのね、あの日、公園にいた大人の人が……
『その曲、買いたい』って言ってきたの。
すっごいお金持ちらしくて。
ボーカルの子の両親が話を進めちゃって……」
「……売ったの?」
「うん。
ぼくらには、よくわかんないけど……
もう歌っちゃダメなんだって」
(……誰だよ。
子どもたちの“初めて”を金で奪うなんて)
そのとき、背後から声がした。
「……その曲を書いたの、君だよね?」
振り返ると——
見たことないスーツ姿の男が立っていた。
男は、ポケットから細長いケースを取り出し、
上質な名刺を一枚、わたしに差し出した。
「ここでは……話しづらいので。
車の中でもいいですか?」
公園の駐車場には似つかわしくない、
黒光りする大きな車。
スモークの窓。
内装もチラッと見えただけで、
“絶対に高い世界のやつ”ってわかる。
(……いや、怖いって。
こんな高そうな車、乗った瞬間に運命変わるタイプのやつじゃん)
それに、男からふんわりと香ってきた匂い……
香水?柔軟剤?
とにかく“お金持ちの匂い”だ。
そんな大人の男が、
地味で貧乏なわたしに話しかけてくる理由なんて、
どう考えても良くない。
「わたし……連れて行っても、なにも取れませんよ。
貧乏だから……」
「そういう意味で誘ってるんじゃないですよ。
むしろ、あなたのほうが“怖いものを持ってる”」
(は?意味わからん)
男はクスッと笑って、
後部座席のドアをゆっくり開けた。
「……どうぞ」
いや、どうぞって言われても。
(いやいやいや。誘拐確定じゃんこんなの。
この人……高身長、声は低音、匂いはいい。危険度SSS。)
子どもたちが近くで見ていて、
「おねえさん?」と心配そうにしている。
……変なことはされない、よね?
しぶしぶ、わたしは足を一歩、中へ。
——その瞬間。
車内の空気が変わった。
香り、温度、静けさ、全部が別世界だった。
ゆっくり顔を上げると——
黒のキャップを深くかぶった青年が座っていた。
銀色がかった髪がわずかに光る。
顔が……整いすぎている。
いや、整っているどころじゃない。
(……は?誰……?
ていうか、そんな顔で近づいてくるとか……
女遊びの気配しかしないんだけど?)
男は静かに微笑んだ。
青年はキャップをゆっくり外した。
私は無表情のまま、まっすぐ見た。
「……どうも」
青年の表情が一瞬ゆがむ。
「君って……僕のこと知らないの?」
(知らないし、知りたくもない)
スーツの男が口を開いた。
「実は、先日の“あの曲”を買わせていただいたんです」
「……」
息が止まった。
青年が、静かに言った。
「やっと見つけた。
僕が……ずっと探していたものを」
何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
ただ一つだけわかった。
——この人たちの目的は、私の“言葉”…」
車内の空気は、やけに静かだった。
セシュンは、少しだけ息を整えてから口を開く。
「……あの歌詞、僕が歌うべきだと思ったんだ。」
突然の言葉に、胸の奥がチクリとした。
「でも、ほしかったものとは違ったんだ」
「……あなたのためじゃない。
あの子たちのために書いたから。
だから、違和感があって当然でしょ?」
自分でも驚くほど、冷静に返していた。
けれどセシュンは、迷いなく首を横に振った。
「違うよ。
“あの子たちのために書いた詞”にしては……深すぎた。」
……深すぎた?
(……なにそれ。深すぎたってどういう意味?)
喉の奥が、ひゅっと細くなるような感覚がした。
わたしは、ただ“公園の子たちのため”に書いたつもりだった。
笑って歌ってほしかっただけ。
楽しんでほしかっただけ。
——そのはずだったのに。
胸の奥で、言いようのない痛みが、かすかにうずいた。
あの子たちと向き合いながら、詞を書いたとき——
心のどこかが、ずっとざわついていた。
原因なんて、考えもしなかった。
考えたくなかった。
本当はあの少年たちと、わたしが失った弟を重ねていたことを——
わたし自身が、まだ気づいていなかっただけ。
セシュンは、わたしの沈黙を待つように視線を落とした。
少しだけ、呼吸を整えるような間があった。
そして——
淡々と告げた。
「君は……“本当の自分の言葉”で詞を書いていない」
心臓が、どくりと跳ねた。
「は……? なにそれ」
セシュンは、逃げ道を与えないように、ただまっすぐわたしを見つめた。
「誰かのための詞じゃなくて、本当は……
君自身のための言葉を書きたかったんだろ?」
「そんなわけ——」
否定しようとした瞬間、喉がきゅっと縮まった。
思わず目をそらす。
反射的に、防御するように無表情になる。
(やめてよ。
なんで……知らない人に、
こんなところまで見抜かれなきゃいけないの)
わたしの変化に気づいたのか、
セシュンは言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「君の詞には……なにか悲しみのようなものを感じるんだ」
心臓の奥がズキッと痛んだ。
「……どうして。
なにも知らないのに……どうして、そんなこと言えるの?」
「僕にもわからない。
でも——“匂い”がしたんだ」
「匂い……?」
「悲しみの匂い。
君が隠してる痛みの匂いだよ」
息が止まった。
ほんの一瞬、
弟の笑顔が脳裏をかすめた。
十年間、誰にも触れられなかった傷口を、
まるで迷いなく指でなぞられたような感覚だった。
セシュンは、窓の外の花壇へサッと視線を動かす。
「……この公園、僕もよく来てたんだ。
あの花壇、母さんが好きでね。
ここで歌の練習もしてた」
(……この人、本当にこの公園に来てたんだ)
彼の世界は光の中なのに、
わたしとは無縁だと思っていたのに——。
セシュンは、不意にこちらへ向き直る。
そして深く頭を下げた。
「君に……僕のための詞を作ってほしい」
「……は?」
「君の言葉で作られた曲を、僕は歌いたい」
意味のわからない鼓動が胸を叩き始めた。
「なんで……わたしなの?
もっとすごい作詞家なんて、いっぱいいるでしょ?」
セシュンはゆっくり笑った。
けれどその目だけは、一切ごまかしていなかった。
「君の本当の心の奥の詞……僕は歌いたいんだ」
……そんなふうに言われたの、生まれて初めてだった。
戸惑い、逃げたいのに、足は動かなかった。
静寂の中で、セシュンがそっと囁く。
「ねぇ……君の名前を、教えてくれる?」
胸の奥に冷たい風が吹き抜けた気がした。
誰にも明かす必要なんてないと思っていた名前。
でも——
今日だけは、なぜか言える気がした。
「……アリン」
沈黙が落ちたあと、
セシュンはゆっくりと目を細めた。
「アリン。
……綺麗な名前だね」
胸が熱くなるのを、必死に押し殺した。
車の扉が開き、外の空気が流れ込む。
アリンが降りようとした瞬間—
背後から、低い声が落ちた。
「——君を見つけてしまった以上、もう……離す気はないから」
振り返ったときには、
セシュンの表情は、もう見ることができなかった。
それでもわかった。
これはただの“出会い”じゃない。
始まりだ。
十年間閉じていた言葉の扉を、
彼がこじ開けてしまった。
アリンは、そっと自分の胸に触れた。
(……どうしよう。
この人……わたしの人生、変えにきてる)
知らない未来が、静かに動き出していた。
——そしてこの瞬間から、
アリンの“本当の物語”が始まる。
──【短編・完】
この短編を読んでくださり、ありがとうございます。
アリンが閉じていた“言葉の扉”は、
セシュンによって静かに開けられました。
けれど——これはまだ、ほんの序章です。
彼はなぜ、アリンの言葉に“悲しみの匂い”を感じたのか?
セシュンが探していた「ずっと見つからなかったもの」とは何か?
そして、アリンが抱えてきた十年間の痛みは……
彼に出会ったことで、どんな形に変わっていくのか。
二人の物語は、この出会いから大きく動き始めます。
もし続編に興味がありましたら、
ぜひ長編版で見守っていただけたら嬉しいです。
——あなたの言葉が、誰かの未来を変えるように。
アリンの言葉も、これから誰かの世界を変えていきます。




