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砂漠の嵐 -5:虚実

暖炉の火が、薪を食んで激しく爆ぜた。


ヴィクトルが提示した「米軍大隊の撃破」という狂気の作戦。その二つの目的。兵器の価値証明と、外交の破壊。二人の巨頭は確かに同意を示した。

だが、沈黙を守っていたドミトリー・ヤトフ元帥は、同意したからこそ、今度は「軍人」として、その作戦図に致命的な指摘を入れ始めた。


「ペトロフ同志。君の政治的な論理ロジックは理解した」


老元帥の声は、密議の熱気を冷ますように静かで、そして重かった。


「だが、君は現代の戦争を知らない。ワルシャワの最前線から、T-80Uの精鋭大隊を引き抜き、輸送船でイラクへ送る。それは兵站ロジスティクス的には可能だ。だが、戦術的には自殺行為だ」


ヤトフは、ヴィクトルの目をまっすぐに射抜いた。


「君が撃破しろと命じた相手は、米陸軍の機甲騎兵連隊だ。彼らは単独では動かない。彼らの背後には、人類史上最強とも言える濃密な航空支援エア・カバーが控えている。A-10攻撃機、アパッチ攻撃ヘリ……。空の守りを持たない戦車大隊など、彼らにとっては格好の標的だ」


ヤトフは、室内の中央にあるテーブルに歩み寄ると軽く叩いた。まるで、派遣された戦車大隊をエアカバーで押しつぶすことを表したかのように。


「我々が航空優勢を確保しない限り、精鋭大隊といえども、彼らは上空から一方的に狩られ、砂漠に並ぶ鉄の棺桶となるだけだ。君が恐れる『ソ連製兵器は安物』という、最悪の宣伝フィルムを撮らせることになるぞ」

「ならば、空軍も送ればいいではないか」


エリツォンが、苛立たしげに口を挟んだ。


「戦車が送れるなら、戦闘機も送れるだろう。最新のSu-27でも何でも」

「それこそ不可能です、ボリス・ニコラエヴィチ」


ヤトフは、素人をたしなめるように首を横に振った。


「多国籍軍の空の壁に風穴を開けるには、最低でも一個航空師団規模の戦力が必要になる。だが、戦闘機は戦車とは違う。巨大な滑走路、管制設備、そして膨大な整備員と燃料……。そんなものを動かせば、NATOのAWACS(早期警戒管制機)が、トルコの上空から全てを見通す」


老元帥の指摘は、ただ現実に基づいていた。


「何より、空軍の中枢にはゴルバノフ書記長の息のかかった将校が多い。大規模な航空部隊の移動指令など出せば、離陸する前にクレムリンに通報が入る。レーダーと『人の目』は嘘をつかんのです」


さらに、とヤトフは続けた。


「仮に奇跡的にイラクへ運び込めたとして、今のイラク空軍に我々の最新鋭機を受け入れるだけの整備能力キャパシティはない。砂と熱でアビオニクス(電子機器)がイカれれば、ただの鉄屑だ。結果として我々は砂漠に降り立った瞬間に、全てを暴露され、そして敗北する」


それは、超巨大組織であるソ連軍のトップだからこその、動かしがたい現実的な視点だった。

戦車だけでは勝てない。だが、空軍を送れば隠蔽できない。

詰みだと言わんばかりの元帥の指摘に、エリツォンは言葉を失い、舌打ちをした。


だがヴィクトルは、ヤトフの指摘が出てくることを想定していた。

彼は指摘を全面的に受け入れ言い返す。


「ですから、我々は航空戦力をイラクには送りません。あくまで送り込むのは陸上兵力のみ。通常の兵器供与や、軍事顧問団の『ローテーション』としてごまかせる、最小限の戦力です」

「ならば、どうやって空を制する。裸の戦車を送り込む気か」

「空を制圧する必要はありません。ただ、敵の目を『迷わせる』だけです」


ヴィクトルの目が、暖炉の炎を反射し、異質な光を放った。


「想定される多国籍軍の地上侵攻スケジュールは、おそらく来年初頭、1月から2月。……もしその時、ソ連軍が、トルコおよびイランとの国境地帯で、あからさまな『大規模軍事演習』を行っていたとしたら、どうでしょうか?」


ヤトフの眉が、ピクリと動いた。エリツォンは、話の意図が掴めず二人を交互に見ている。


「米中央軍司令部は、二つの脅威に同時に対応せねばならなくなります」


ヴィクトルは淡々と続けた。


「南のクウェート戦線におけるイラク軍と、北の国境におけるソ連軍の不穏な動き。彼らの『目』である偵察衛星とAWACSは、そのリソースを南北に引き裂かれることになる。そして……」


ヴィクトルは、柔らかな笑みを浮かべた。それは世界を覆す謀議を話している男が浮かべるものとしては、あまりにも奇妙な表情だった。


「その『大規模演習』に参加している航空兵力が、数機、ほんの数機だけ『航路を逸脱』し、イラク北部の国境付近で多国籍軍の空域を『牽制』する動きを見せれば? もちろん、交戦はしません。ただレーダーに映り込み、彼らの戦闘機をスクランブルさせるだけでいい」

「……米軍の交戦規定(ROE)を縛る気か」


ヤトフが、呻くように言った。その意図を正確に理解したのだ。


「その通りです。米軍はパニックに陥るでしょう。『ソ連がイラクを支援するために介入する気か?』と。第三次世界大戦の引き金を引くことを恐れるホワイトハウスは、前線の司令官に厳命を下します。『ターゲットの識別を厳格化せよ』と」


ヴィクトルは、テーブルの上で拳を握った。


「疑わしきは撃つな。その命令が出た瞬間、米空軍の反応速度は鈍る。彼らが攻撃を躊躇するその数時間、その政治的な『霧』こそが、地上で我々の大隊が敵を伏撃し、離脱するための、唯一にして決定的な『ウィンドウ』となります」


ヤトフは、その作戦の全貌を理解し、目を見開いた。 陽動。それも、戦術レベルではない。国家間の緊張を利用した、戦略レベルでの巨大な欺瞞作戦マスキロフカ


「……狂気の沙汰だ」


ヤトフは唸った。軍人としての常識が、警鐘を鳴らしている。


「イラン国境での大規模演習だと? 隣のイランが過剰反応し、我々を侵略者と見なす可能性を考えなかったのか。米国を牽制するつもりが、テヘランとの偶発的な戦争を引き起こすぞ。彼らは8年間のイラン・イラク戦争で、ソ連製兵器に撃たれ続けてきたのだぞ」

「それについては」


ヴィクトルは、ヤトフの懸念を待っていたかのように、断言した。


「イランには、話をつけます」


エリツォンとヤトフが、同時に息を呑んだ。


「馬鹿な……イランと?」


エリツォンが絶句する。革命国家イランは、無神論のソ連を敵視しているはずだ。


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