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聖女のいない日

作者: 納豆巻

1. 始まりの足音

 私の名前は神崎マリナ。今日の私、完璧。下ろしたてのワンピースも、巻いたばかりの髪も。まあ、見ればわかると思うけど、そこそこイケてる部類に入る。世界の中心が私じゃないって言うなら、それはたぶん、世界のほうが間違ってる。


 その日も、私はスマホの画面だけを見て道を歩いていた。時々、私を避け損なうドジもいるけど、ぶつかってくる方が悪いのよ。こっちは忙しいの。そんな時、前から来た老人がよろけて──ドン、と私の肩にぶつかった。そして、そのままスローモーションみたいにアスファルトへ崩れ落ちた。


「……最悪」


 思わず口から漏れる。湿ったアスファルトの匂い。その瞬間、周囲の視線が突き刺さってきた。冷たい目、非難の視線、私を断罪しようと構えられるスマホ。でも、私は神崎マリナ。頭の中で、女優のスイッチがカチリと音を立てた。


「きゃっ! 大丈夫ですか!?」


 駆け寄りながら、内心では(面倒くさいな)と思っていた。でも、完璧な笑顔で、大粒の涙まで浮かべて。

「誰か、救急車を!」


 倒れた老人は胸を押さえ、うわ言のように何かを呟いていた。幸か不幸か、ただの持病の発作だったらしい。私のせいじゃない。絶対に。それでも私の涙声の訴えと必死の形相に、周囲の空気は明らかに変わっていった。「なんて優しいお嬢さん」「心ある子ね」という囁き声。


 SNSではすぐに『#今日の天使』なんてタグ付きで動画が拡散された。やっぱり世界は、私に微笑むようにできているんだ。


2. 聖女の直感

「これ、彼氏が作ってくれたんだ! 世界に一つだけなの」


 カフェで友人のミカが見せてきた手作りのブレスレットを見て、私は心の中で鼻を鳴らした。安っぽい。センスもない。違う、腹が立つのはそこじゃない。「彼氏からのプレゼント」っていう、その事実が、私の神経を逆なでした。


 ミカがトイレに立った隙に、私はそのブレスレットを抜き取り、自分のポケットに滑り込ませた。ただの意地悪。ただの衝動。私の持っていないものを、あなたが持っているのが許せないだけ。


 ミカが戻ってくると、案の定「ない!」と騒ぎ始めた。


「……あの、 ミカ、これ……もしかして」


 私はタイミングを見計らって、ポケットからブレスレットを出した。


「さっきからスマホのBluetooth設定に見慣れない名前が出てて……これ、失くし物防止タグと同じ形だから、もしかしてって……あなたのカバンから反応があったから怖くなって」


 完璧な嘘。けれど、半分だけ真実になった。ミкаが震える手でブレスレットを分解すると──簡単に分解できるようになっていた――中から出てきたのは、案の定、追跡用の丸い小さなタグ。


「マリナ……ありがとう……! あなたがいなかったら……」


 泣きながら抱きついてくるミカを見下ろしながら、私はぼんやりと思った。そうか、私、気づいてたんだ。この安っぽいアクセサリーにまとわりつく、粘着質な危険に。あの老人の時もそうだった。私、誰よりも早く異変を察知してた。


 ──私の直感は、神がかっているのかもしれない。

 そう、勘違いは確信に変わり始めていた。

 ちなみに、ミカは彼氏と別れたそうだ。一流企業勤めのイケメンって度々されてた自慢もこれで止む。人って見かけじゃ分からないわよね。


3. 汚れた決断

 雨上がりの午後。新品のハイヒールの革がきしむ音さえ心地よかった。そんな私の足元に、突然泥まみれの子犬がじゃれついてきた。


「ちょっと……汚っ!」


 反射的に、蹴り飛ばした。

「キャン!」と哀れな鳴き声が響く。背後から、鬼の形相をしたおばさんの声が飛んだ。


「あなた! なんてことを!」


 まずい、という二文字が脳裏をよぎる。あの手の中にあるのは、私を社会的に殺すための銃口だ。でも、私は聖女。とっさに表情を切り替える。


「違うんです……! あの子、水たまりを異常に怖がってて、目の焦点も合ってなかったんです。皆さんに近づいたら危ないと思って……!」


 半信半疑の空気。でも後日、その犬から狂犬病の陽性反応。ネットに上がった動画は、『動物虐待』から一転して──『聖女、苦渋の決断の瞬間』。

 涙ながらに私はテレビカメラの前で語った。


「普通の人には見えないものが、私には見えてしまうことがあるんです……それが祝福なのか、呪いなのか……」


 世界は、私の目を信じ始めていた。


4. 炎上の先の真実

 なにやら最近、調子が良い。SNSを開けば、私への称賛と感謝があふれている日が増えてきた。気持ちがいい。この世界は、ようやく私という存在の価値に気づいたのだ。


 その日も、エゴサーチで自分の名前を検索し、心地よい賞賛の海を泳いでいた。ふと、見慣れない匿名掲示板のスレッドが目に留まる。


『【悲報】現代の聖女こと神崎マリナ、高校時代はただのクズだった』


「は? 何これ」


 指先が、冷たくなる。スレッドを開くと、そこに並んでいたのは、埃をかぶった記憶の断片。卒業アルバムの、少しダサい制服を着た私の写真。そして、私が『パシリ』に使っていた、あの地味な同級生の名前。


『こいつ、田中から毎日金巻き上げてたよな』

『わかる。いつもお菓子とか買いに行かせてた』


 ……思い出した。ああ、あの田中。いつもオドオドして、金だけは持ってた、都合のいい財布。

心臓が、氷水に浸されたみたいに冷えていく。まずい。これは、まずい。


 しかし、焦りは一瞬で、黒い怒りに変わった。


「あの女…!私がパシってやった恩も忘れて、今さら告げ口したの!?」


 いや、スレを立てたのは男の名前だ。ああ、あいつか。当時、私に相手にされなかった、キモい取り巻きの一人。

(私の成功が、そんなに妬ましいんだ。惨めな負け犬が)


 炎上が最高潮に達した、その時だった。事態は、私の予想もしない方向へ転がり始める。

当の本人、田中が、実名でSNSに長文を投稿したのだ。


『皆さん、誤解しています。神崎さんが当時、私にしたことはいじめではありません。あれは、私を本当の地獄から救うための“避難”だったのです。主犯格のグループから毎日受けていた陰湿な嫌がらせを、彼女は「あんた、私といないと殺されるよ」と言って、無理やり断ち切ってくれました。彼女のそばにいる方が、ずっと安全でした。彼女は昔から、何も変わっていません』


「は?」


 思わず声が出た。何言ってんの、この女。私が、そんなことを言った? 全く、これっぽっちも、覚えていない。


 でも、スマホの画面の中では、世界が動いていた。彼女の投稿は、爆発的に拡散されていく。「そういうことだったのか!」「泣いた」。非難は、より熱狂的な称賛へと変わっていた。

 田中の当時のエピソードがいくつか挙げられていく。意味もなく拘束されて、カッターを這わせるように体のアチラコチラに突きつけられた。(震えたせいで刺さってしまったこともあったらしい)

 アクセサリーの万引きを強要されて、それでも盗む事が出来ずに自腹を切った――。

 あの子たちも結構、過激なことしてたのね。

 私は、ゆっくりと状況を理解した。そして、口の端が吊り上がるのを、必死で抑えた。


(そうか、そういうことに『なる』のね)


 そういう物語を、世界は求めているんだ。だったら、私がそれを叶えてあげなくちゃ。

 私は、ゆっくりと過去の記憶を再構築し始める。


(そういえば、あの子、ユミコのグループに睨まれてた……)

(私が呼び出した時、あの子、ちょっとホッとした顔をしてたような気もする……)

(私がおやつを買いに行かせてたのは、あの子を陰湿ないじめから物理的に引き離してあげるための、優しさだったんじゃ……?)


 そうだ。そうよ。私は、思い出した。

 私は、あの頃からずっと、気づいていたんだ。あの子の瞳の奥で揺れていた、SOSの小さな光に。周りの愚かな人間たちには見えなかった、魂の悲鳴を、私だけが聞きつけていた。


 鏡の前に立つ。そこには、悲劇と決意をその目に宿した、聖女が立っていた。頬を、本物の涙が伝う。

 この日、神崎マリナの聖女伝説は、過去にまで遡って、完璧なものとなったのだった。

 ユミコは、特定されて大変な事になってた。旦那と離婚するかもって、他の子から聞いた。

 普段の行いって大事よね。


5. 天の采配

 職場の休憩室。後輩が差し入れた手作りのパウンドケーキの、甘ったるい匂いが漂っていた。

 後輩も、パッとしない見た目のくせに、なんだか女気取ってて、キモって感じ。

 でも、先輩がテキパキとお茶を入れてたら、運ぶくらいしないと、目をつけられちゃう。


「佐藤さーん、お疲れさまですっ」


 狙っていた佐藤さんが入ってきたのを見て、私はトレーを持って立ち上がった──が。


「わっ!」


 足がもつれて転び、ケーキとお茶が派手に床にぶちまけられる。最悪。


「大丈夫!? 怪我してない?」


 駆け寄ってくれた佐藤さんの手が、床のクリームを拭った後、やがてかゆそうに掻かれ始めた。


「これ……ピーナッツ入ってる?」


「はい、隠し味に……」


 佐藤さんは青ざめた。


「俺、ピーナッツアレルギーなんだ。結構重いヤツだから、食べてたらヤバかったかも……」


 場の空気が凍りつく。


「……実は、私もなんです」


 別の社員まで手を挙げた。

 私のドジは、命を救った。佐藤さんが、私の耳元で囁く。


「神崎さんがひっくり返してくれて、助かったよ。ありがとう。命の恩人だね」


 ──そうか、私の“ドジ”じゃない。

 これは、私の体が危険を“予知”したんだ。

 私は、聖母のようにほほ笑んで言った。


「ううん。守られるべき人が、守られただけだよ」


6. 聖女のいない日

 その日、私は苛立っていた。ドタキャンされた。この私が。

 駅前広場の雑踏を歩いていたとき、視界の端に入ったのは、大きなリュックを抱えた女。貧相で、オドオドして、いかにも不幸そう。

 ……なんか、むかつくし、やっちゃおうか。

 なんでか、そう思っちゃった。清らかな女って皆に羨んだ反動ってやつかしら。

 私は人混みを抜け、背後からそのリュックをひったくった。


「きゃっ……!」


 女の情けない悲鳴を背に、走り出す。高揚感。

だが、広場の中心で私は足をもつれさせ、派手に転んだ。

 倒れた先にあったのは──私が奪った、リュック。

 私はそれに、覆いかぶさるような格好になった。


 ……カチ、カチ、という小さな音に気づいた、その時。


──ドンッ!!!


 大っきな音が身体全体に来た。

 意識がふっと遠のいていった。


エピローグ

『――神崎マリナさん(25)は、駅前広場で発生した爆発の中心にいたにもかかわらず、唯一の死者となりました』

『現場にいた人々の証言によれば、マリナさんは爆発直前、リュックを持った犯人に駆け寄り、バッグを奪い取るようにして倒れ込んだといいます』

『爆弾は鉄片をまき散らす構造でしたが、マリナさんがとっさに覆いかぶさったことで、その大部分が周囲に飛び散るのを防いだと専門家は分析しています』

『死者は彼女ひとり。周囲の負傷者は軽傷で済みました』

『彼女は、以前から人並み外れた直感のようなものが噂されていました。もしかしたら、今回も何かに気づき、咄嗟に動いてしまったのかもしれませんね』


 彼女の死を悼む花束が、駅前の慰霊碑に絶えず供えられている。

 SNSには「#現代の聖女」「#マリナさんありがとう」のタグがあふれていた。


 おしまい

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