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第十一章 平行線の交点


七海がスイスから帰国して三週間目、僕たちの生活は再び軌道に乗ったように思えた。


朝八時、僕は音楽教室のドアの前に立ち、ガラス窓越しにピアノを弾く七海の後ろ姿を見ていた。陽の光がカーテンの隙間から彼女の肩に降り注ぎ、髪の先を淡い金色に染めている。彼女は新曲『平行線』を作曲中で、指が鍵盤の上を跳ね、時折止まっては楽譜にいくつかの音符を書き込んでいた。


僕はそっとドアを開けた。七海は振り返らなかったが、口元がかすかに綻んだ。


「いつから盗み聞きしてたの?」と彼女は尋ねた。


「君が三つ目の音を間違えた時からだよ」僕は笑いながら近づき、温かいミルクティーをピアノの上に置いた。


七海の指が止まり、僕を睨みつけた。「間違ってないわ」


「はいはい、未来の国際的スターが間違えるわけないよね」僕はわざと語尾を伸ばしたが、彼女の肘鉄を食らった。


彼女はミルクティーを受け取り、一口飲んだが、目は楽譜に釘付けだった。「この曲……次のライブで歌いたいんだけど」


「歌詞はもう書いたの?」


「まだ」七海の指が無意識に鍵盤を軽く叩いた。「テーマは『選択』なんだけど、なんだか何かが足りない気がして……」


僕はピアノのそばに寄りかかり、彼女のわずかに寄せられた眉を見つめた。ヨーロッパから帰国して以来、七海の音楽スタイルはより自由になり、アイドル時代の枠にとらわれなくなったが、同時にある種の迷いも抱えているようだった――彼女は過去の束縛に戻りたくない一方で、全く未知の未来に不安を感じているのだ。


「『平行線』の視点から書いてみたらどう?」僕は提案した。「例えば……永遠に交わらないように見える二本の線が、実はどこか見えない遠くで交差していた、とか」


七海は一瞬言葉を失い、目が輝いた。「……私たちみたいに?」


「うん」僕は頷いた。「君がヨーロッパへ行き、僕が東京に残ったけど、結局またお互いのそばに戻ってきたみたいにね」


七海は突然立ち上がり、僕に抱きついた。頬を僕の胸に押し当てる。「健太、あなたって本当に天才ね!」


僕は笑って彼女の髪をくしゃくしゃにした。「これはただの漫画家の職業病だよ――いつも物語に円満な結末を見つけようとしちゃうんだ」


「違うわ」七海は顔を上げ、真剣な眼差しで僕を見つめた。「あなたが誰よりも私を理解してくれているからよ」


彼女の目は朝の光の中でキラキラと輝き、まるで星をいっぱい詰め込んだかのようだった。僕は思わず身をかがめて彼女にキスをした。七海はそっと目を閉じ、まつ毛がかすかに震えた。


その時、教室のドアが突然開いた――


「七海先輩!あ……すみません!」


大輔がドアの前に立ち、楽譜の束を抱え、顔を真っ赤にして後ずさりした。


七海は僕の腕の中から素早く離れ、咳払いをした。「は、入っていいわよ!」


大輔は俯いたまま入ってきて、楽譜をテーブルに置いた。「これは前回の練習の修正部分です……あの、わざとじゃ……」


「大丈夫よ!」七海の声音はいつもよりオクターブ高かった。「私たちはただ新曲について話し合ってただけだから!」


大輔はこっそり僕を一瞥し、その目には「分かってますよ」と書かれていた。そして、飛ぶように逃げ去った。


七海は顔を覆ってしゃがみ込んだ。「……恥ずかしすぎる」


僕は笑って彼女を立たせた。「何を怖がってるんだ?学校中が僕たちが付き合ってることを知ってるじゃないか」


「でも、後輩にキスしてるところを見られるなんて、あまりにも……」七海の耳は血が滴るほど赤くなり、声は次第に小さくなっていった。


僕は彼女の顔を軽くつねった。「じゃあ、次は鍵をかけるのを忘れないようにね」


七海は僕を睨みつけたが、口元は思わず綻んでいた。


午後、僕たちは七海の母親の見舞いに病院へ行った。新しい薬物治療を始めてから、玲子さんの状態はずいぶん安定し、七海の幼い頃の細部まで思い出せるようになっていた。


「七海、あなたが小さい頃、初めて舞台に立った時、緊張して転びそうになったの、覚えてる?」玲子さんは微笑みながら尋ねた。


七海はリンゴの皮を剥いていたが、その言葉に手が震えた。「お母さん!そんなこと、もう言わないでよ……」


「でも、あなたが舞台で踏みとどまった後、普段の練習よりもずっと上手に歌えたのよ」玲子さんの眼差しは優しかった。「あなたはいつもそうなの……緊張すればするほど、かえって実力を発揮できるのよ」


七海はしばらく黙り込み、小声で尋ねた。「お母さん……後悔してる?私をあんなに小さい頃から舞台に立たせて」


玲子さんは窓の外に目を向けた。陽の光が彼女の横顔に淡い影を落としていた。「後悔しているのは、あなたに音楽を学ばせたことじゃないわ。あなたが……心から愛せる道を選ばせてあげられなかったことよ」


七海の指がかすかに強張り、リンゴの皮が手のひらで途切れた。


玲子さんは振り返り、七海の手を握った。「でも今……あなたがピアノを弾いている時の表情を見て、初めて本当の音楽とは何かを理解したの」


七海の目に涙が浮かんだが、彼女は意地っ張りに瞬きをして、涙がこぼれるのを堪えた。


病院を出る時、七海はずっと無言だった。電車が駅に入ってくる直前になって、彼女は突然口を開いた。「健太、私、小さなライブをやりたいの」


「うん?」


「学園祭みたいなのじゃなくて、本当の公演……ライブハウスで、自分の歌を歌うの」七海の目はキラキラと輝いていた。「お客さんは多くないかもしれないけど、試してみたいの……『月夜七海』のオーラに頼らず、ただ『姫野七海』として舞台に立つことを」


僕は彼女の輝く横顔を見つめ、胸に温かいものがこみ上げてくるのを感じた。「何か手伝えることはある?」


七海は笑って首を横に振った。「ううん、今回は自分でやってみたいの。でも……」彼女は少し間を置き、頬をかすかに赤らめた。「一番前の席に座ってくれる?」


僕は彼女の手を握り、指を絡ませた。「もちろん。一番大きな応援ボードを持っていくよ」


七海は僕の肩に寄りかかり、小声で言った。「実は……少し怖いの」


「誰も来ないのが怖い?」


「来た人が……がっかりするのが怖い」七海の声音はくぐもっていた。「みんな、もしかしたら『月夜七海』の華やかなパフォーマンスを期待しているかもしれないのに、今の私みたいな中途半端なオリジナルじゃ……」


僕は彼女の指を軽く握った。「モントルーで『星のかけら』を歌った時、あの小さな女の子が言ったこと、覚えてる?」


七海は顔を上げた。


「歌声の価値は、テクニックがどれだけ完璧かじゃなくて、人の心を打つかどうかだよ」僕は小声で言った。「そして、君の歌は……いつも僕の心を打つんだ」


七海の目が潤んだ。彼女は僕の手を強く握り返した。まるで、何か目に見えない力を掴んだかのように。


ライブの準備は思ったよりも順調に進んだ。七海は小さなライブハウスを見つけ、会場は広くないものの、音響設備は一流だった。彼女は毎日放課後になると練習に行き、時には学内のバンドメンバーと、時には一人で深夜まで弾き語りをしていた。


そして僕は、『守護星』第二巻の制作に取り掛かっていた。今回、主人公は受動的に守られる側ではなく、愛する人と肩を並べて進み、共に世界の視線に立ち向かう。編集者の佐藤さんは初稿を読んだ後、珍しく修正意見を出さず、ただこう言った。「今回の物語は……第一部よりも力強いですね」


ライブ当日、小雨が降っていた。


僕は二時間前に会場に到着し、七海がすでにバックステージでギターを調整しているのを見つけた。彼女はシンプルな白いワンピースを着て、髪は緩くポニーテールに結び、華やかなメイクはなく、ただ淡い色のリップグロスだけをつけていた。


「緊張してる?」僕は尋ねた。


七海は深呼吸をした。「五万人のスタジアムよりも緊張するわ」


僕は笑って彼女の髪をくしゃくしゃにした。「君なら成功するよ」


七海は僕の手を握り、その指先は氷のように冷たかった。「健太……もし私が失敗したら……」


「そしたら一生笑ってやるよ」僕は彼女の言葉を遮った。「でも、そんなことありえないって君も分かってるだろ」


七海はぷっと吹き出し、肩の緊張が少し和らいだ。


観客が続々と入場し、予想よりもずっと多かった。学内のクラスメイトに加え、学外の人々もおり、さらには後列に数人の記者らしき人物も立っていた。七海はカーテンの後ろからこっそり覗き、呼吸が明らかに速くなっていた。


「彼らを見ないで」僕はそっと彼女の顔を向けさせた。「聴きたいと思ってくれている人たちのためだけに歌うんだ」


七海は頷き、目を閉じて深呼吸をした。


司会者の紹介が終わると、七海は舞台へ歩み出た。スポットライトが彼女を照らし、彼女の影が後ろに長く伸びた。客席から拍手が起こった。熱烈ではなかったが、十分に誠実な拍手だった。


七海はマイクの前に立ち、数秒間黙り込み、そして口を開いた。


「こんばんは、姫野七海です」彼女の声音は少し震えていたが、眼差しはしっかりとしていた。「今日は……自分の歌を何曲か歌いたいと思います。アイドルの歌ではなく、ただ……普通の女の子の気持ちを」


彼女はギターを抱え、指がそっと弦を爪弾いた。前奏が始まり、それはあの『平行線』だった。


最初は、彼女の声はまだ少し不安定だったが、歌が進むにつれて、次第にリラックスし、自由になっていった。歌詞は、二本の平行線がいかにして遠くで交差し、いかにして離れた後も互いを見守り続けるのかを物語っていた。


客席は次第に静まり返り、目を閉じて聴き入る者もいれば、そっとリズムに合わせて体を揺らす者もいた。


サビの部分を歌う時、七海は顔を上げ、その視線は照明を突き抜け、まっすぐに僕に向けられた。


「たとえ世界が私たちを違う方向へ押しやったとしても……」


彼女の声音は澄みきって力強く、


「私は必ず、あなたのそばへ戻る道を見つけ出すわ」


その瞬間、僕には無数の七海が見えた気がした――舞台で光り輝くアイドル、電車で僕の肩に寄りかかって眠る少女、屋上で泣き崩れる彼女、スイスのビデオ通話で自信に満ち溢れていた彼女――すべてが重なり合い、今この小さなライブハウスで、自分の心の声を歌う姫野七海となったのだ。


公演が終わると、客席から熱烈な拍手が沸き起こった。七海がお辞儀をする時、僕は彼女がこっそり目元を拭うのを見た。


バックステージに戻ると、彼女は僕に抱きつき、顔を僕の胸に埋めた。「……私、やったわ」


僕は彼女を強く抱きしめ返した。「君ならいつだってできるさ」


七海は顔を上げ、目は赤くなっていたが、その笑顔はいつにも増して輝いていた。「次は……もっと大きな舞台に挑戦したい」


「いいよ」


「もしかしたら、他の都市へツアーに行くかもしれない……」


「うん」


「来てくれる?」


僕は彼女の鼻を軽くつねった。「どう思う?」


七海は微笑んで近づき、僕の唇にそっとキスをした。「じゃあ、約束ね……私がどこへ行こうと、あなたは一番前の席にいて」


窓の外では、雨がいつの間にか止んでいた。夜空には、いくつかの星が雲間を突き抜けて、静かに輝いていた。


平行線はもしかしたら永遠に交わらないのかもしれない。だが、どこか遥かな次元で、それらはとっくに固く絡み合い、もう二度と離れることはないのだ。

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