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第九章 フラッシュライトの中の私たち


七海のミニアルバム『もう月夜の七海じゃない』(No Longer Moonlit)と僕の漫画『星と七海』の第一巻は、同じ日に発売された。


早朝、僕は校門の前で七海を待っていた。手には届いたばかりの漫画の単行本が数冊。表紙には、僕が心を込めて描いた、星空の下の七海の横顔がきらめいている。少し離れたコンビニエンスストアの店頭にある広告スクリーンでは、七海の新曲のミュージックビデオが繰り返し流れていた。彼女はシンプルな白いシャツを着て、ピアノの前で弾き語りをしている。派手な特殊効果はなく、ただ純粋な音楽だけがあった。


「健太!」

背後から七海の明るい声がした。振り返ると、彼女が小走りでやってくるのが見えた。ポニーテールが朝の光の中で弾んでいる。彼女の手にも一冊の本が――僕の漫画だった。


「見て!」彼女は興奮した様子で漫画を掲げた。「コンビニにもう並んでたよ!店員さん、昨日から問い合わせがあったって言ってた!」


僕が何か答えようとしたその時、ふと校門の向かい側に数人の見慣れない顔がいるのに気づいた。そのうちの一人が、僕たちにカメラを向けている。七海は僕の視線を追い、その笑顔が瞬時に強張った。


「記者……?」彼女は声を潜め、無意識に僕の後ろへ隠れようとした。


「みたいだね」僕は彼女をかばうようにして校門へ急いだ。「林田さんも、マスコミが注目するかもしれないって言ってたじゃないか」


七海は唇を噛みしめた。「こんなに早いなんて……」


これはほんの始まりに過ぎなかった。午前中の最初の授業が終わる頃には、僕のスマートフォンは様々なメッセージで鳴りっぱなしだった。出版社からは漫画の初版が完売し増刷中だという連絡、高校時代の同級生からは各地の書店で見かけたという陳列写真、さらには「星七カップル推し」を名乗る見知らぬアカウントから祝福のメッセージまで届いていた。


七海の方はもっと大変な状況だった。休み時間に彼女のところへ行くと、教室の外には人だかりができていた。窓越しに、七海が数人のクラスメイトに囲まれてサインをしているのが見える。彼女は僕に気づくと、その目に助けを求めるような色を浮かべた。


「ちょっと通して」僕は人垣をかき分け、七海の手を引いた。「ごめん、急いでるんだ」


屋上へ逃げ出すと、七海は大きく息をついた。「もう、びっくりした……。いきなりみんなが私の『長年のファン』みたいになっちゃって」


僕は苦笑しながら頷いた。「僕の方もだよ。高校三年間、一言も話したことなかったクラスメイトから、突然『ずっと漫画家になる夢を応援してた』なんてメッセージが来たりして」


七海は僕の肩に寄りかかり、小声で言った。「まだ初日なのに……これからどうなっちゃうんだろう」


僕は答えず、ただ彼女の手を強く握った。僕たちには分かっていた――プライベートな物語を公にすると決めた瞬間から、穏やかな生活は望むべくもないということを。


午後の状況はさらに手に負えなくなっていた。学内掲示板には『月夜七海、素顔の彼氏との甘い日常を大暴露!』というタイトルのスレッドが立ち、そこにはなんと、僕たちが昼休みに屋上で過ごしていた時の写真が載っていた。角度からして明らかに盗撮だ。さらに恐ろしいことに、誰かが七海の授業時間割やよく利用する自習室まで特定していた。


「一度帰る?」僕は七海の青白い顔を見て、心配そうに尋ねた。


七海は首を横に振った。「もう少し……林田さんと会う約束があるから」


放課後、僕たちはまるで泥棒のように学校の裏門からこっそり抜け出したが、それでも駅で二人の女子生徒に呼び止められた。


「あの、月夜七海さんですか?」一人がおずおずと尋ねた。「一緒に……写真撮ってもらえませんか?」


七海は反射的に半歩後ずさり、僕は彼女の前に立ちはだかった。「すみません、今はプライベートな時間なので」


女子生徒たちはがっかりした表情を浮かべたが、それでも礼儀正しく立ち去った。電車の中で、七海はずっと手すりを強く握りしめ、指の関節が白くなっていた。


「大丈夫?」僕は小声で尋ねた。


七海は無理に微笑んだ。「グループを辞めたばかりの頃みたい……どこへ行っても誰かに見られてる感じ」


林田さんに会ってからは、状況が少し好転した。彼女は僕たちの悩みを冷静に聞き終えると、一枚の日程表を差し出した。「マスコミの取材は来月まで入っています。私からの提案は――適度には協力するけれど、一線を画すことです」


「一線?」七海は不思議そうに尋ねた。


「例えば……」林田さんは眼鏡を押し上げた。「音楽制作については話しても、恋愛の細かいことには触れない。仕事中の写真は撮らせても、プライベートなデートの写真は断る。肝心なのは、お二人で口裏を合わせておくことです」


会社を出る時、林田さんは僕を呼び止めた。「田中さん、あなたの漫画……少し内容を調整する必要があるかもしれません」


僕は胸騒ぎを覚えた。「どんな内容ですか?」


「最新の番外編です」彼女は一冊の雑誌を差し出した。「七海さんはまだ見ていないかもしれませんが」


雑誌の漫画コーナーを開いた途端、僕の心臓は止まりそうになった――先週提出した『星と七海』の番外編には、僕と七海が屋上で初めてキスをした場面が描かれていたのだ。モノクロの線画ではあったが、七海のまつ毛のカーブに至るまで、細部が正確に描写されていた。


「こ……これは……」僕は言葉に詰まった。「出版社が、読者が喜ぶような内容を増やしたいと……」


「問題は」林田さんは冷静に指摘した。「あなたが当事者の同意を得たかどうかです」


帰りの電車の中で、七海は黙ってその雑誌をめくっていた。ページが進むごとに、僕の心は重くなっていく。ついに彼女は手を止め、指先であの初キスの場面をそっと撫でた。


「描いたのね……すごく正確に」彼女は小声で言った。その声からは感情が読み取れなかった。


「七海、僕は……」説明しようとしたが、何から話せばいいのか分からなかった。確かに、原稿を提出する時、彼女の同意を得る必要があるなんて全く考えていなかった。


「私たちのプライベートな時間、全部……」七海は顔を上げ、その目には傷ついたような光が揺らめいていた。「全部、漫画のネタになっちゃうの?」


電車の到着を告げるアナウンスが、一時的に僕を救った。だが、この問題がこれで消えるわけではないことは分かっていた。


その晩、僕たちが七海の寮の前で別れる時、雰囲気は依然として重苦しかった。七海はいつものおやすみのキスを拒み、ただ淡々と言った。「また明日」


一人で寮に戻り、僕はパソコンの画面に映る漫画の原稿をぼんやりと見つめていた。編集者から、番外編の反響が大きく、読者からもっと「甘い日常」を求める声が上がっているというメッセージが届いた。本来なら嬉しい知らせのはずが、今はただ胃が締め付けられるような痛みを感じるだけだった。


スマートフォンが震えた。七海からのメッセージだった。

【お母さんの主治医の先生から連絡があって、今日は意識がはっきりしている時間が長いから、会いたいって。明日の朝、東京に一度帰るね。】


僕はすぐに返信した。

【一緒に行こうか?】


既読の印はついたが、返信はなかなか来なかった。結局、七海からは簡単な一言だけが返ってきた。

【大丈夫。】


その冷たい返事は、どんな非難よりも僕を打ちのめした。僕はベッドに横たわり、夜が明けるまで天井を見つめていた。


翌日の昼、僕は食堂で七海のバンドメンバーである大輔に会った。


「七海先輩は?」彼は不思議そうに尋ねた。「今日の練習、中止になったんですか?」


「お母さんの見舞いで東京に帰ったんだ」僕は答えた。「聞いてなかった?」


大輔は首を横に振り、それから少し躊躇って言った。「あの……先輩、大丈夫なんですか?昨日、LINEグループでの口調がなんだか変だったんですけど」


僕は苦笑した。「僕たち……ちょっとしたことで揉めてて」


「漫画のことで?」大輔の問いに僕は一瞬言葉を失った。「あ、みんな番外編見ましたよ。すごく良かったです!でも……確かに、ちょっとプライベートすぎたかも?」


傍観者にすらこれほどはっきり見抜かれているとは。僕は本当に、どうしようもない馬鹿だ。


午後の授業は一言も頭に入らず、七海の傷ついた眼差しばかりが脳裏に浮かんでいた。放課後、僕はまっすぐ駅へ向かい、東京行きの切符を買った。


病院の受付で七海の母親の病室番号を尋ねた。僕はそっとドアの前に近づき、ノックしようとしたその時、中からピアノの音が聞こえてきた――録音ではなく、本物のピアノの音だ。それは僕が今まで一度も聴いたことのない、悲しくも美しい旋律だった。


ドアの小窓から覗くと、七海が病室の隅にあるピアノの前に座っており、彼女の母親は車椅子に座って、静かに娘の演奏を見つめていた。窓から差し込む陽の光が、二人に優しい光の斑点を落としていた。


七海が最後の音を弾き終えると、母親の方を向いた。「これ……お母さんが書いたの?」


母親は頷き、弱々しいながらもはっきりとした声で言った。「あなたへの……十八歳の誕生日プレゼントよ。ずっと渡す機会がなくて……」


七海の目が瞬時に赤くなった。母親は震える手で車椅子の脇から古いノートを取り出した。「全部……楽譜はここにあるわ。本当はあなたの……コンサートの時にでも……」


言葉を言い終える前に、母親は突然困惑したように眉をひそめた。「あなた……どなた?」


七海の涙がついに溢れ出した。「私よ、七海……あなたの娘の」


母親の表情は困惑から理解へと変わり、そして深い悲しみの色を帯びた。「七海……ごめんなさい……また忘れちゃったのね……」


七海は母親の車椅子の前に跪き、しっかりと抱きしめた。「大丈夫……私が覚えてるから……私が覚えてるから……」


僕はそっと後ずさり、その瞬間を邪魔しないようにした。廊下の長椅子に座り、僕はスケッチブックを取り出し、今見たばかりの光景を描き始めた――出版のためではなく、ただ自分のために、この貴重な瞬間を記憶するために。


どれくらいの時間が経っただろうか。七海が病室から出てきて、僕の姿を見ると明らかに驚いた表情を浮かべた。


「健太……?どうして……」


僕は立ち上がり、彼女にスケッチブックを差し出した。「僕……謝りに来たんだ」


七海はスケッチを見つめ、その指がかすかに震えた。「これは……」


「漫画には載せない場面だよ」僕は小声で言った。「僕、自分がどれだけ大きな間違いを犯したか気づいたんだ……僕たちのプライベートな時間を、読者を喜ばせるためのネタにしてしまった」


七海は黙ってスケッチブックを閉じ、僕に返した。「お母さんが楽譜をくれたの……私のために書いてくれた曲なのに、今まで教えてくれなかった」


「綺麗だね」僕は心から言った。「君みたいに」


七海の目が潤んだ。「私たち……少し散歩しない?」


病院の庭では、夕陽が僕たちの影を長く伸ばしていた。七海は今日の発見について語ってくれた――あの楽譜は、彼女がグループを辞めた後に母親が書いたもので、クラシックとポップスが融合しており、彼女が幼い頃から強制的に練習させられていた曲とは全く異なるものだった。


「一番皮肉なのは……」七海は苦笑しながら言った。「お母さんが書いた曲が、まさに私がずっとやりたかった音楽だったってこと。もっと早く見ていたら……」


「今からでも遅くないよ」僕は小声で言った。


七海は立ち止まり、僕の方を向いた。「漫画のこと……私にも悪いところがあった。私、世間の目を気にしすぎて、あなたがただ自分の得意な方法で気持ちを表現しているだけだってこと、忘れちゃってた」


「いや、君は正しいよ」僕は首を横に振った。「有些な瞬間は……僕たちだけのものだよ」


七海は突然近づき、僕の唇にそっとキスをした。まるで屋上でのあの時のように。「例えば、こんな感じ?」


僕は驚いて瞬きをした。「こ……これは、許してくれたってこと?」


「条件付きでね」七海はいたずらっぽく瞬きをした。「次はないからね」


学校へ帰る電車の中で、七海は僕の肩に寄りかかって眠っていた。その手には、あの楽譜がしっかりと握られていた。僕はそっと彼女の前髪を耳にかけ、心の中で一つの決意をした。


翌日、僕は出版社に連絡し、番外編の今後の連載中止を要請し、僕たちの私生活に関する一切の取材依頼を断った。編集長はもちろん激怒したが、僕が新作『守護星』で代替すると提案すると、彼は渋々ながらも受け入れた。


『守護星』は、ある漫画家が、愛する人を世間の誹謗中傷から守るためにペンを執る物語だ――最近の僕たちの経験から着想を得たが、十分にフィクションとして脚色してある。


七海の方にも新たな進展があった。彼女は母親からもらった楽譜を『まだ言えなかった愛』という新曲に編曲し、次のシングルとしてリリースする予定だという。林田さんはそれを聴いて感激し、これは七海が今まで作った中で最も感動的な作品だと称賛した。


週末、僕たちは『音楽と芸術』という雑誌の共同インタビューを受けた――これは僕たちが初めて、そして唯一、公に恋愛について語った機会だった。記者が、プライベートな生活と世間の注目をどう両立させているのかと尋ねると、七海は僕の手を握り、完璧な答えを返した。


「月と潮の満ち引きのようなものです。月がことさらに光を誇示しなくても、潮は自然とそれに従います。そして、潮の満ち引きが、また月光を一層輝かせるのです」


インタビュー会場を後にする時、夕陽がちょうどよく、僕たちの影を一つに溶け合わせていた。七海は突然立ち止まり、空を指さした。


「見て、金星が出てる」


僕は彼女の指さす方を見上げた。夕暮れの空に、一番星がすでに輝き始めていた。


「知ってる?」七海は小声で言った。「金星は日本では『明けの明星』とか『宵の明星』って呼ばれるの。現れる時間によってね」彼女は僕の肩に寄りかかった。「私たちみたい……お互いの明けの明星であり、宵の明星でもあるの」


その例えはあまりにも的確で、僕は思わず彼女の額にキスをした。少し離れた場所で、数人の通行人がスマートフォンを構えていたが、今回は、僕たちは誰も避けようとはしなかった。


なぜなら、この瞬間の星の光は、僕たち二人だけのために輝いていたのだから。

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