マチルダは恋に気付き、涙をにじませた
「ねえ、マチルダ、ちょっとあっち、見て頂戴。彼がいるわよ」
ミシェルに言われ、反射的にそちらの方に顔を向けた。
ロイドがこちらを見つめていた。まっすぐな目に射すくめられたような気がして、すぐに目を逸らした。
「どうかしたのかい。知り合いでも見つけた?」
ミシェルの従兄のオランドに聞かれ、いいえ、別にと答えて愛想笑いをしておいた。
心臓はバクバクしているし、顔も赤くなっているはずだ。
一番前の席に案内されて座ると、オランドがお酒のリクエストを聞いてくれた。ミシェルはキールを、マチルダは昨日の失敗もあるので、アルコールの弱いミモザを頼んだ。
隣に座ったミシェルが体を寄せてくる。
「彼、あなたのことをじっと見ていたわよ。この後、声を掛けてくるかしら」
「駄目よ。心臓が持たないわ」
彼の目を見たのは初めてだった。今朝は目をつむっていたから。そう思った途端に、今朝のキスを思い出してしまった。またもやカーっと頬が熱くなる。たぶん、私はあのキスで、恋に落ちてしまったのだ、と気が付いた。
ジンワリと涙が滲みあがってくる。その前のことがなければ、ただの片想いなのに。いいえ、ただの遠くの噂話の中の男性だったのだろう。関わる事すら無かったはずだ。なんでこんな事に、と思うと、また涙が出てくる。なんだか頭の中がぐちゃぐちゃで考えがまとまらない。
「ほら、涙を拭いて。今泣いていたら変よ」
そう言いながら、ミシェルが私を抱き寄せた。周囲の目から隠してくれているのだろう。ありがとう、いい友達だ。
さっと目をハンカチで拭い、背筋をしゃんと伸ばした。ちょうど、オランドがカクテルを手に戻ってきたので、お礼を言ってトールグラスを受け取った。
シュワっと泡立つカクテルを一口飲むと、少し気持ちが落ち着いた。グラスの中で泡が上に登っていくのをなんとなく眺め、ぼおーっとしていると、オランドに声を掛けられた。
「どうしたんです。泡を見つめて、どんな物思いに浸っているのか、気になるな」
「あ、すみません。ただ、ぼんやりしてしまって。何も考えていないんです。泡が上がって行くなあ、としか」
マチルダさんって楽しい人ですね、と言って屈託なく笑う。つられて一緒に笑い、やっと陰鬱な気分を追いやることが出来た。
そのころ、ロイド達に声を掛けられた三人は大いに盛り上がっていた。
「ロイドの目当てはイザベルだと思うわ。わざわざ声を掛けてきて、ダンスに誘うのだもの。絶対にあなたを意識しているわ」
「そんなはずないわ。だって、こんな地味な恰好をしているのよ。いつもの半分も着飾れないのに。彼の好みの範囲外だわ。いつも華やかな女性とばかり浮名を流しているでしょ」
「仕方無いでしょ。親の目をごまかしてきているのよ。いつもよりぐっと目立たなくしていないと、知り合いに見つかってしまうわよ」
イザベルと友人のマイナは、お互いの家に泊まりに行くふりをして、もう一人の友人ジェインの家族に連れてきてもらっているのだった。親に内緒で来ているが、ジェインの親にも、それを内緒にしている。
普段、華やかに遊び回っているので、親たちの締め付けが厳しくなってきているのだ。
ジェインがそそのかすように言う。
「明日の夜会では、ちゃんと着飾って、ロイドを捕まえなさいよ。私の姉のドレスを貸してもらいましょう。きっと、ばっちりよ。あのロイドを釣り上げたと知れば、親も文句なんか言わないわよ」
マイナも同調していった。
「ロイドは派手に遊んでいるけど、独身の女性には手を出さないと聞いているわ。あなた、絶対に脈ありよ。がんばれ」
「この演奏会の後のダンスに誘われているの。その時に様子を見てみるわ。
まさか、こんなところで、こんなチャンスに巡り合うなんて思いもしなかったわ。ちょっとだけ、大人っぽいパーティーに顔を出してみたかっただけなのに。私って、もしかしたらすごく運がいいのかしら」
三人はいつものように華やかに笑い合った。その笑い声は、演奏会を待つこの場には少し大きすぎ、周囲に軽く顰蹙を買った。