こんなに可愛かったらしょうがない
──私が内心で調子に乗り始めてからすぐ、それは起こった。
この時、私は油断していた。
考えが綺麗にまとまったことで気分の良くなった私は、『私やっぱり天才じゃね~?』とか調子づいて考えてた。
その時、急に──
──ゴツン‼
という衝撃が、頭で爆発した。
もうめっちゃくちゃ痛い。
「イッ、タ……あ、ごめんなさい!」
誰かにぶつかってしまったと気づいたときには口から謝罪の言葉が出てくる。まず謝らなければ。
しかし意識が考え事から外に向いてやっと気づいた、目の前には誰もいない。
じゃあ、私は何にぶつかったの?
ハイ。
立っていたのは電柱でした。
……………………。
おっ……わっ………。
うわああああああああああああああああああああああ‼
バカなのかな!
ホントバカなのかな私はぁ⁉
一人で相撲を取っていたと気づいたら、顔が一瞬で赤くなっていく、もうめちゃくちゃ顔が熱い。
反射で慌てて頭を下げて、その上わりと大きな声で謝ったのが恥ずかしさを倍増させてる。第三者から見たらどれほどマヌケに写っていることか、さぞ痛々しかったろう。
あ、ダブルミーニング⁉
どうでもいいわ!
というか、誰かに見られたか?
そこまで考えが回り、そのまま視線を動かして前と後ろに向ける。
幸い、私が立っているのは狭い住宅街の一本道。
視界の先には学生の姿はおろか犬一匹、姿は見えない。
よぉぉぉし‼
セーフだぁ‼
安堵して、次第に冷静になってくると狭くなっていた視界が元に戻っていく。
痛みと恥ずかしさでつい慌ててパニックになってしまい、視界がすごく狭くなっていたことにようやく気づき始めた。
というか……あれ?
今気づいたけど、ここはもう自宅の目の前だ。
どうやら考え込んでいたら、すっかりこんなところまで移動していたらしい。
そういえば、今朝もこんな感じだったな。
たしか私が学校についてもぼーっと考え込んでるから護が──
「……姉さん?」
そうそう、こんな感じの心配そうな声を今朝も同じタイミング、同じセリフで……。
……って、え?
声のする方にゆっくり振り返れば、我が家の庭。
そこで、取り込んでいたのだろう、洗濯物いっぱいのかごを抱え、心配そうな表情を浮かべる護とフェンスの越しに目が合った。
──最悪だ。
一本道だから誰にも見られていないと油断していたら、道ではない所に一番見られたくなかった弟が立っていた。
「……いつからみてた?」
「え……と、たった今気づいたばっかりだよ? 電柱の前で立ったまま動かないから何してるのかなって」
つまり、私の醜態は見られてないと?
数秒間だけ沈黙し、その間護をじっくりと観察する。
……………………。
……………………。
………………………………。
あぁ、嘘……ですね……。
だって、手元に洗濯物取り込んでたたんまりあるし!
現場のすぐ側で、時間かけて洗濯物取り込んでたんじゃん!
それにこんな閑静な住宅街だもん、電柱に謝罪する声はおろか、最悪頭をぶつけた音すら耳に入ったかも知れない。
だというのに今の今まで気付かないわけがないもん〜!
護も自分の嘘を私が頭から鵜呑みにするなんて思ってないはずだし、ただただこのままじゃ私が恥をかくと考えて咄嗟に白を切ったんだろう。
……正直な所、今現在猛烈な恥ずかしさで胸も頭もいっぱいだ。結局全然かいてるよね、恥。
お互いわかりきってるのに白を切っても体裁を取り繕えるだけ。
だが、これは護の優しさ故と思えば無碍にはすまい……!
「あ~……そっか、いや、ちょっと考え事に耽ってボーッとしちゃって」
電柱の前で突っ立っていた理由とも、突っ込んでいた理由ともとれるように説明する。
「はは、そっか、そういえば今朝もそんな感じだったね」
護の対応はぎこちない。
けどそれは特に問題にはならない。
ちょうど話したい話題もあったし話を切り替えさせてもらおう。
「……護、少し話、いいかな」
少し真面目な雰囲気で話しかける。
「イヤ、ホントに何も見てないって!」
「そうじゃなくて!」
もう終わりにしてぇ! その話は! お願いだから!
「ちょっと大事な話なの……!」
「……大事な話?」
ようやく私の意図が正しく伝わったようだ。
「えっと、長くなりそう? 今すぐがいいかな?」
長くなるかは護次第だけど、詩葉先輩への返事は明日だし、締切的にも今日の夜は昨日の仕事の続きを片付けないといけない。
「時間はかかるかもだけど、今すぐは難しい?」
護は首を横に振る。
「いや、大丈夫。ただ、洗濯物だけ畳んじゃうから少し待っててくれる?」
「なら私にも半分ちょうだい? 手伝うから」
「あ、うん」
今度は護も素直に頷いた。
──…………。
「姉さんって本当になにをやらせてもそつがないね」
私より先に洗濯物を畳み終えた護が口を開く。
「いや、洗濯物畳むくらい誰でもできるでしょ? それに護のほうが早いし綺麗じゃない」
「僕はもう何年もやってるからね。姉さんは家事から離れてずいぶん経つのに、家事歴1年の時の僕よりずいぶん上手だよ」
口と一緒に手を動かしていると、残りは私のシャツと下着が数枚になる。ちなみに護の分はとっくに終わっていた。
……すっかり慣れたし、今更とはいえ、下着すら弟に洗濯から整頓まで任せきりなのは乙女としてまずいかしら? 終わってない?
「そのころはまだ若かったでしょ、私も護も」
「なんだかすっかり老けたセリフだね……? けど今もまだまだ若いよ。確かに当時、幼くはあったけどね」
護は少し間を開けて言葉をつづける。
「きっと、姉さんなら、料理でも洗濯でも掃除でも、すぐに今の僕と同じくらい上手になると思う」
護の表情からは感情が読めない。
寂しそうな表情にも懐かしそうな表情にもみえる。
「姉さんはどんなことでも、僕より、誰より上手くできたから」
「そんなこと──」
「あるよ。なにをするにしても、僕が姉さんに勝てた試しなんてなかったからね。本当に一度も」
「……気にしてるの? なにか、嫌な思い、してたとか?」
そんな想いはつい口から漏れでてしまった。
もしかしたら護にも、私を疎ましく思っているところがあるんじゃないか。
そんな疑問が浮かんでしまっては、どうしても確認せずにいられなかった。
けど、護は首を横にゆっくり振る。
その表情は、お父さんにそっくりな優しげな笑みを浮かべて。
「そんなことない。僕にとって姉さんはなんでもできて頭が良くて、かっこよくて頼りになって、優しくてあったかくて……。そういう姿を一番近くで見てて、それでも少しも僻めなくて、恨むところがなくて……むしろ心から自慢できる姉さんだから」
護の視線が、声が、感情が、とても暖かく体に伝わってくる。
「まもる……」
「それに今は僕にだって姉さん相手でも多少は自慢できるような事も出来てきたし」
「…………」
「それもこれも姉さんに負けたくないとかじゃなくて、姉さんの支えになれるようにって思えたから頑張れたんだし、言ってしまえば全部姉さんのおかげ──」
「護~~っ‼」
不安でいっぱいだった反動で感極まり、つい抱き着いてしまった。
全力で‼ ぎゅっと‼
「ああ護‼ うちの護は日本一いい子だなぁ‼ 私にとっても護は世界一可愛くて宇宙一愛しい自慢の弟だぞ~~っ!」
「あはは! 姉さん、ちょっと苦しい!」
「かわいい護にはいっぱいぎゅうしてやる!」
時々私は護にたいして過干渉なんじゃないかって不安になるときがある。私は心配性すぎるんじゃないかと。
それでも護にこう言ってもらえると安心できるし心が温かくなる。大切な護のためにって頑張りたい気持ちが尽きることなく湧き続ける。
過干渉だとしても、悪いのは私じゃなくてこんなに良い子な護のほうだ!
「私より護が凄い所なんていっぱいあるんだから! 掃除も洗濯もいつも欠かさずにやってくれてたし! 料理なんて護のご飯以上に美味しい物はこの世に存在しないし!」
護は私にされるがままで、なんとか返事を返す。
「そっかぁ、そんなに喜んでてくれてるなら報われるなぁ」
私の感謝をしみじみと受け取って護は微笑む。暖かそうな表情。護が感じている優しい熱を、今そっくりそのまま私も感じられる。
「それで、そんな自慢の姉さんが僕に何の話なの?」
護のことでいっぱいになって頭から大事なことがすっぽ抜けていた。
いかんいかん、できる限り上手に事を運ばねばダメなのに。
洗濯物はまだ下着だけ残っているが、まあこれくらいすぐに片付けられる。
「それなんだけど、さっき詩葉先輩とお話ししてきて、護にも手伝ってほしいことがあって」
「姉さんの支えになれるなら、なんでも言ってよ」
『なんでも』私を全力で信頼しているから言える言葉。
その言葉にまたうれしくなる。
「うん、あのね」
ここは護にならって、ど真ん中ストレートでいこう。
「……護。私の生徒会の役員になってほしいの」