橘姉弟の幸せな一時 後編
──…………。
一時間ほど勉強したのち、二人で休憩に。
コーヒーを淹れて甘い物を用意すると、姉さんは「こんな時間にいいのかなぁ」なんて言って、一応遠慮するポーズをとったあと、結局僕の予想通り飛びついてきた。
今日はクッキーだ。
勉強しながらでも簡単に食べれると思って、いきつけの洋菓子店で用意しておいた。
机の対面に座り、二人で談笑する。
「そういえば、この前用意した弁当、美咲さんはなんて言ってた?」
約束通り、姉さんと同じ弁当を美咲さんのためにもう一つ用意した。
弁当箱は後日丁寧なことに、洗った状態で姉さん伝手に返されたけど、詳しい話は聞いてない。
「そりゃあもう感激してたよ。こんなに美味しい弁当を毎日食べてる私が段々憎らしくなってきたって」
「僕は二人が仲良くなってくれたらいいなと思って作ったんだけど……」
「そういうことなら……まあ、一緒にお昼を食べることになったし、効果はあったんじゃない?」
姉さんは左手で頬杖をついて少しだけばつの悪そうな表情を浮かべる。
なぜか素直に仲良くなっていることを認められないらしい。
昔は普通に友達も多かったのに、中学から今に至るまででかなり捻くれてしまったのだろうか。
「折角久しぶりに友達が出来そうなんだから、ふいにしちゃもったいないよ?」
しょうがない人だと思いながらも、意地を張った子供のようで微笑ましい。
右手で頬杖を突きつつ呆れたように笑ってしまう。
「友人ね。それならもう一人できたけどね」
「え? 美咲さんじゃなく?」
「じゃなく」
これにはさすがに呆気にとられてしまう。
中学では一人も出来なかったのに……高校に入ってからは凄い巡り合わせだ。
「たった二か月でいろんなことがあったんだね……その人とはどうやって仲良く?」
「……出会って、話して、脅されて」
「僕は友人になった経緯を聞いたつもりだったんだけど?」
脅しから始まる友情もあるのかもしれないけど、そういうのは普通、紆余曲折あって最終的に仲良くなるのであって、脅されたから波長を感じたり好感を持ったりするわけじゃない。さすがの姉さんでもそんなぶっ飛んだ感性はしていない……はずだ。
「『友達にならないと分かってるよね』って脅された」
「……冗談だよね?」
「半分はね」
半分冗談というのは、この場合何が冗談で何が真実になるのだろう。
少なくとも、姉さんに仇をなすなら僕としても穏やかではいられない。
「その人とすっごく会いたくなってきた」
「護にだけは絶対会わせたくない」
「どうして?」
「……どうしても!」
急に恥ずかしがるような素振りを見せた姉さんはそれきりその件について口を閉ざしてしまった。
まあ、ここ最近の姉さんは特に気になる様子はなかったし、大丈夫かな? いや、実際には時折何かを思い出しては急に恥ずかしそうにして悶えるときはあったけど、それだけだ。
今の姉さんの様子から見ても、脅されたことは問題にすらなっていないのだろう。
なら、僕が気にすることもないか。
「からかわれるって分かってるのに、会わせられるわけないじゃん……」
なにか小さく呟いた姉さんは頬杖を突く手を右手にした姉さんは顔を顰めていた。
「何か言った?」
「なにも!」
「ふぅん?」
変な姉さんだなと笑って、僕は頬杖を逆の手でつく。
「……ん?」
「…………」
リビングが静かになる。
「…………ふう」
別に会話が途切れた程度で気まずくなるようなこともなく、姉さんは黙ったまま一度姿勢を正した。
「…………ん」
僕もつられて背をまっすぐに。
一連の流れの間、姉さんはなぜかずっとこちらを見ていた。
「…………」
姉さんがこてんと首を傾ける。
「……んっ」
僕も合わせて傾けてみると、姉さんとまっすぐに目が合う。
「よっ」
「……?」
姉さんがふいに、まるで挙手するかのように右手を上げた。
いきなり何をしてるんだろうと思いながら、左手を上げる。
「ほっ」
「ふっ」
今度は右手を上げたので僕は左を。
鏡写しのように。
……あれ、なんか……変か?
「……ねえ」
「ん?」
「さっきからなんで私の真似してるの?」
「……まね?」
そう言われて、僕は自分の上げている手に視線をやる。
姉さんは何してるんだろうと思ってたくせに、何も考えないで、ただ反射で上げていたそれを確認し、改めて『僕の方こそなんでこんなことを』と考えると……答えが見つからなかった。
「なんで真似してるんだろう?」
「いや、私が聞いてるんだけど?」
二人で一緒に困ってしまった。
「頬杖の時から真似してたよね?」
「ああ……うん、そうかも」
「なんでか自分でも分かんないの?」
「うん」
「無意識のうちに?」
「うん」
「……何か病気とか」
「そんな病気聞いたこともないけど」
「そうだね……」
…………。
なんか、変な空気になってしまった。
いつもだったらお互い一時間以上無言でいても居心地の悪さなんて感じることもないのに、今だけは少し違和感がある。
「気になるけど……分かんないんじゃ仕方ないよね」
「うん、なんかごめん」
「今度調べてみよっかな……」
「ん?」
「いや、こっちの話だから」
「そう?」
姉さんは早々に切り替えた様子だ。
話も絶妙なところで途切れていたので、再開するにもどうしようかと頭を悩ませそうになったけど、時計を見てそれも必要ないかと思い直した。
「休憩、そろそろ終わろっか。もう十分くらい経ってるし」
「うん、僕もそう思ってた」
僕が切り出すより先、姉さんも同じことを思っていたようで先に言われてしまった。
「あ、いや。もう今日は切り上げてもいいかも? 全然寝てもいい時間だし」
時計を見ればもうすぐ十時半。
ここから再開すると寝るのは十二時近くなってしまうだろう。
「いや、姉さんさえよければもう少しだけ続けたいかな」
「そ? 私はもちろん構わないけど」
「なら、お願いするよ」
「ん」
僕の意向で勉強は続行することに。
姉さんならいつでもまた教えてくれるだろうとは思うけど、せっかくの機会だからもう少しだけ続いてほしいと思ってしまった。
──…………。
姉さんの指示で、一度自力で問題集を解いて、現在の学力を軽くテストしてみることに。
数十分かけてミスのチェックまで終えた僕は姉さんに終わった旨を報告しようと、背後のソファに横たわる姉さんに振り返った。
「姉さん、おわ……った……よ?」
「すぅ……すぅ……」
けど、報告は果たすことが出来なかった。
いつのまにか姉さんが眠りこけて、すぅすぅと鼻だけで寝息をたてていたからだ。
「お~い……本格的に寝ちゃった~……?」
小さな声でそう囁くものの、反応はない。
これは起きないなと判断し、時間的にもちょうど良かったので、姉さんに軽くタオルケットを掛けたのち、一人で自己採点をしてその日の勉強は終了することにした。
ちなみに、結果は満点だった。
姉さんの教えの賜物だ。
自己採点終了後、もう一度姉さんの側へ。
やはり起きる気配はなく、寝息も一定のリズムを刻んでいた。
……起きない、な。
さっき僕が掛けたタオルケット一枚の無防備な姿を前に、少しだけ良くないいたずら心が湧いてきた。
家にいるときは大抵ゆるゆるな姉さんだし、朝はいつも起こしてるのでこういう姿は見慣れてるけど、朝の姉さんの部屋ではなく、夜のリビングという習慣化していない状況で改めて姉さんの素顔を見ると、なんだか新鮮に見えて、魔が差したというか。
悪い心が囁く甘い誘いに抗えず、僕は手をそっと伸ばして──
寝入っている姉さんの頬を、軽く指で突っついてしまった。
……今までの人生で赤ん坊に触れ合う機会は残念ながら一度もなかったので、比較なんて出来ないのに、姉さんの肌はそれと何ら遜色無いんだろうと確信した。
もちもちとか、すべすべとか、ぷるぷるとか、そこら辺の表現はコンプリートしている。唯一無二の感触だ……。
いわゆる、卵肌というやつだろうか、柔らかさの極致を指に感じた。
ただし、押したときの弾力は卵にしては少し柔らかすぎる。
指が押した分しっかりと沈んでいった。
……なぜだろう、なんで……やめられない……。
「んんっ……」
「……ッ⁉」
姉さんが寝たままで顔を顰めた。
悪事が見つかりそうになって肝が冷えてしまった。
いや、悪事なんていっても程度はくだらないいたずらに過ぎないけど……。
気づいたときにはいつの間にか惹きこまれていて、無心で頬をつついていた。
でも、原因がはっきりしない。
僕には慣れないいたずらだったから?
頬の感触が良かったから?
どれも原因の一部ではありそうだったけど、しっくりこない。
もっと別に、何か夢中になってしまった大きな理由が……。
「ん……すぅ……すぅ……」
「…………」
考え込みそうになっていたけど、姉さんがソファの上で丸まりだしたのに気付いてそれも中断されてしまった。
仕方ない、ベッドに運んであげよう。
起こすのも忍びないし、このままここで寝かせるわけにもいかないしね。
幸い、姉さんは眠りが深いうえに寝相もいい。
起こさないよう慎重にゆっくりと抱っこさえ出来れば、ソファから部屋まで運ぶのはそう難しくなかった。途中の階段は少し怖かったけど。
抱っこしている間、姉さんは無意識に僕の服を軽く掴んでいた。
「よっと……」
「…………」
「ん……起きてないね」
無事最後まで運ぶことに成功する。
ほんの二、三年前なら体格的な問題で無理だったろうけど、幸い今の僕なら姉さんを持ち上げて運ぶのに問題ないだけの筋力がついていた。
飛鳥さんから教えてもらった護身術はまず「敵を倒せるだけの筋肉をつけろ」とかいう元も子もないようなところから始まるので、そのおかげかもしれない。
「…………」
「…………」
姉さんは眠りが深い、そう頭の中で一度繰り返して、別に魔が差したわけでは……いや、魔が差した。
こう、最後にもう一回くらい良いかななんて思ってしまった。
だから──
ふに、ふにと。
二回だけ頬を突っついて、姉さんの耳元で「おやすみ」と伝える。
自分の部屋に戻って、ふと人差し指だけで感じた姉さんの頬の感触を思い出すと、自分の頬を突いて比べてみたりして。
そんなくだらないことをせずにはいられない程度には、どうしてもあの感触が忘れられなくて、なぜか悶々として寝付けない夜を過ごした。
──…………。
「…………」
護が部屋から去ったあとも、私はしばらくじっとして、今さっき起きたことをなんども頭の中で繰り返し思い出していた。
まず、私が寝ていたのは本当だ。
護が真剣に問題を解いているのを見て、静かにしていようとソファで楽な体制を取っていたらいつの間にか意識が暗闇に沈んでいた。
そして、次に起きた時、私はいつの間にか護にお姫様抱っこをされていた。
階段を上る前だったから、多分起きたのは持ち上げられてすぐだ。
凄く優しく持ち上げられたので、びっくりして飛び起きなくて済んだけど、でも頭の中ではその、なんというか……護に抱き上げられてるという状況を段々頭が理解していくにつれて、凄く恥ずかしくなってしまって……。
でも、別に勿体ないとかそういう訳ではないんだけど、その……。
途中で起きたことに気付かれてびっくりさせても危ないし?
どうせなら最後まで運んでもらった方が私としても楽だし?
そういう理由でなんとか頑張って初めての感覚を満喫……我慢して。
で、ベッドに寝かしてもらった後、やっぱり起きてお礼を言うのか、それとも恥ずかしいしやっぱりこのまま寝たふりしようかと思っていたら、何故か二度頬を突っつかれて──
『おやすみなさい、姉さん』
なんて囁かれたもんだから、こう……。
「~~~~っ⁉」
護が部屋を去った後、ベッドの上で羞恥やら興奮やらに身を任せて、ばたばたと暴れるしかなくなってしまった。
何⁉ なんで頬を突っついたの⁉
それに耳元でおやすみとか‼
そんなのダメージやばすぎるやつじゃん‼
今日の護は私の動きを真似してみたり、色々と変なところが目立ったけど……。
結局悶えるのは私だけなんだから、ずるいよなぁ……。
なんて、そんなことで悩んでしまう眠れない夜だった。




