邂逅というべき出会い
── 5月6日 8時20分 橘柊和 ──
入学から一ヵ月ほどたったある日の事。
一時期、私に旦那と娘がいるなんて騒がれる出来事もあったものの、なんだかんだでそれも落ち着き、私の思惑通りの毎日を送れていた。
学校とまも……家庭の両立を図れるようになり、クラスメイトとの仲も良好、唯一の懸念事項である加賀さんも私の秘密を漏らす様子はない。
まあ、自分から言いふらす心配は最初からしていなかったけど、初めのうちはうっかりなところが目立っていたので、口を滑らすとも限らないと心配していただけなんだけど。
でも、思ったほど抜けているわけではないようで、クラスで彼女の事を観察していると、意外にもしっかりしている面が多く、結構びっくりした。
ともかく、この調子ならこれから三年間も特に問題なく過ごせるだろうと、そう思い始めていた。
つまりは、油断してしまったのだ、私は。
朝、登校して教室につき、周りからの挨拶に笑顔で応えて、机の中に教材をしまい終わり、そのまま教室の後ろにあるロッカーまでリュックをしまいに行こうと立ち上がった。
その時になってようやく気付いた。
「えっ? なんで……っ!」
「……? どうしたの、橘さん?」
一瞬、自分が教室にいるにも関わらず、取り繕うのも忘れるほどに取り乱してしまい、いきなりのことにクラスメイトからぎょっと驚かれてしまった。
「あっ……ご、ごめんなさい。なんでもないんです」
「えっと……本当に大丈夫?」
「ええ……私は本当に大丈夫ですから……大きな声をあげてごめんなさい」
「いや! 私は全然気にしてないけど……!」
言い訳もいつもと違って説得力がない、意識がそちらにいかず、ずっと一つのことに釘付けになっているせいだ。
──私のリュックにつけてあったストラップサイズの猫の人形がなくなっていた。
それに気づいたとき、全身の毛穴が開き、総毛立った。
『なぜ⁉』と焦って、クラスメイトの心配を無理矢理やり過ごした私は、急ぎ人形の紐が括り付けてあったリュックの側面を注意して見る。
なんと紐がちぎれており、直接結んであった所だけが残っていた。
人形はもうずいぶんと前から着けていたもので、確かに紐が悪くなっていてもおかしくない。
人形自体には悪くならないよう手入れを欠かさなかったけど、紐までは意識していなかった。
あれだけ大切なものだったのに。
それなのにずっと点検せずにいた私の落ち度だ。
今朝の時点では、家を出る前に人形がリュックに付いていたのを憶えている。
けどそれ以外に心当たりはなにもなかった。
これじゃどこで落としたかも見当がつかない。
けど、私にとってはかけがえのない人形だった。
無くしてそのままはあり得ない。
何としてでも見つけなければと、内心捨てられていないか、本当に見つかるのか、いろんな不安に押しつぶされそうになりながらも、とにかく動き出さずにはいられなかった。
「私、ちょっと行かないと……」
「え、行くって、もうホームルーム始まるよ⁉︎」
「ごめんなさい、急ぐので……!」
──…………。
あれから数時間経ち、帰りのホームルームが今終わったところだ。
結局、人形は未だ見つかっていなかった。
リュックを持って移動したポイントを頭の中で思い描き、そこを中心に校内を探ってみたけど人形は全く見当たらず。
おかげで授業中もずっとそのことに気を取られ、座学の授業は一才頭に入らずボーッとして先生に注意をくらうし、体育の授業なんて最悪だった。バレーボールを顔面で受け止めるような醜態は生まれて初めてだ。
周りからも流石に心配され、体調不良なら早退した方がいいと勧められたけど、私は人形を見つけるまで帰る訳にはいかなかった。
少なくとも、校内の心当たりを探しきるまでは。
帰るのはいよいよ通学路を探す段階になってからだ。
解散の合図が出ると、私は教室からほとんど走っているような速度で飛び出し捜索の再開に出掛けた。
幸い、私が校舎内にてリュックを持ちながら移動した経路は複雑じゃない。
普段通りであれば、まず校門から玄関までまっすぐ向かい、玄関からは一階にある一年生の教室、その奥から二番目の『1-B』の教室まで寄り道せずに移動して終わりだ。
帰りもその逆を行くだけ。
ただ、今朝に限って陸山先生の呼び出しがあったので、玄関から2階の職員室に向かい、そこから三階の指導室で少し話をするために移動があった。
その分まで調べようと思うと、昼休みだけの時間では十分に調べることが出来なかったし、ただの休み時間はたったの十分しかないので探し物には使えなかった。
もし私が校舎内にて人形を落としていたのなら、もう既に拾われたかもしれない。
なら、運が良ければ職員室等然るべき場所に落とし物として届けられている可能性もある。
ただ、最悪の場合落とし物として扱われず、捨てられてしまっている可能性すら考えられた。
前々から心配していた可能性にリアルに思い描くと、その瞬間に息が詰まった。
──…………。
飛鳥さんとの三人暮らしを始めたばかりの、まだ護が料理を満足に出来なかったような初めの頃。
私がキッチンで夕飯を作ろうとしたら、護が陰に隠れてこちらの様子を伺っていたので、声を掛けてみた。
『護……? 何か用?』
私に気付かれて少しビクッとした護は、観念したように姿を現した。
少し申し訳なさそうな顔に見えたので、何か謝るようなことでもしたんだろうかと思ったら、護は両手を背にやって何か隠しているようだった。
問い詰めようかと思えば、意外にも護はその両手を私の前に差し出した。
『お姉ちゃん、あの、これ……』
『ん? なあに、これ?』
差し出されたものを受け取る。
フェルト生地に綿を詰めて出来たキーホルダーくらいの大きさの、ぬいぐるみのような何か。ぱっと見では何を象っているのか分からない。
けど、つたないながらも一生懸命に作られたことは見ただけでも伝わってきて、護が頑張って作ったのかなと思えば愛らしい気持ちに心が温かくなる。
『今日家庭科で裁縫やったから……お姉ちゃんに』
『……! 私に作ってくれたの⁉』
『うん……お姉ちゃん、猫好きだったから。喜んでくれるかもって思って作ったんだけど……。でも、裁縫が下手で全然……』
なんと、私へのプレゼントのために作ったというじゃないか、つい抱きしめたくなる気持ちが湧くものの、今はまだはしゃぐべきじゃないと抑えた。
護があまり浮かない様子で心配だったからだ。
どうやらこれは猫の人形だったらしい。
言われるまで分からなかったのは、少し歪な形をしていて猫と判別がつかなかったからだ。
護もそこを気にしているらしく、少し顔がうつむいてしまう。
なるほど、先ほどまで隠れていたのはこれを渡してガッカリされるのが怖かったんだ。そう気づけば、いらぬ心配をしてしまう臆病な護が可愛く見えてきた。
私を想って一生懸命に作ってくれたのだ、それを私が嬉しく思わない訳がないというのに。
『ありがとう、護。私、この子が大好きになった!』
『……!』
笑って素直に感謝を伝えてあげれば、護は安堵と嬉しさが入り混じったような表情を浮かべる。
そして、私はあとで尋ねようと思って、一旦気にしないことにしたそれを指摘する。
『護、その手、これ作るときに怪我したの?』
護の左手には、ところどころ絆創膏が張られていた。
とくに人差し指は数が多い。
人形作りに集中して、針で何度か刺して怪我をしてしまったのだろう。
『あ、そうだよ。でも、あんまり痛くないから大丈夫!』
『…………』
今は私に褒められたことが嬉しいのか、護は自分の手の怪我なんてどうでもよさそうにそう笑って見せる。
初めての裁縫で苦戦しながらも、私のために頑張る護の姿を頭に思い浮かべる。それだけで目の前の弟が何よりも大切だと心から思えた。
人形を持ったまま、私は護の両手をやさしく包んだ。
『本当にありがとう、護。この子、ちゃんと大切にするね?』
『うん! なんならもっとたくさん作るよ!』
『嬉しいけど、怪我させたくはないなぁ』
『大丈夫だよ、もう慣れたから。次は怪我しない』
私に喜んでほしいとそう提案する護に、私は少しだけためらった。
けど、その気持ち自体は純粋に嬉しかったので、護がケガをしなくてすむ方法はないかと考える。
『う~ん……じゃあ、今度は私と一緒に作ってみようか? つきっきりで教えてあげる』
『いいの?』
『うん、もちろん。ついでに私もお返しの人形作ろうかな』
『欲しい!』
我ながら会心のアイデアに、護は大喜びだ。
この辺はまだまだ小学生だよなぁと感じられる。
でも私が少し大人にならざるを得なかっただけで、この子は年相応なのかもしれない。それに、私が護を子供っぽいと笑うことは出来ないし。
『護は素直でかわいいねぇ……』
『可愛いって言われるの、あんま嬉しくないよ』
『ええっ! 生意気!』
私と違って、護はあっさりと大人になってしまうのだろうなと思うと、寂しくて、少し辛い。
私を想って、私のために作ってくれた人形を胸に抱える。
栓無いことを考えても仕方ない、今だけは純粋に嬉しい気持ちに浸っておこうと切り替えて、護の頭を優しく撫でるのだった。
──…………。
あの人形が捨てられて、もう帰ってこなくなる。
最悪の事態を考えるだけで目の奥が熱くなってくる。
鼻の奥もじりじりとした違和感を感じて、今学校にいることをなんとか思い出した私は、溢れそうになったそれをなんとか抑える。
考えているだけでは人形は見つからない、どんな手を使っても見つけ出す。
例えゴミを漁ることになろうと、絶対。
そう決意を新たにした私は職員室の近くを探し始めた。
周りからどう見られるかもお構いなしに地べたに這いつくばって探し始めた。
その時だった。
「君、いったい何してるの? 大丈夫……?」
凛とした声が耳に届く。
心配しているのと怪しがっている半々のその声の方に、床向いていた顔を上げる。
女子、それも上級生だった。
制服のタイの色で分かる。
とにかく、いつものすました笑顔を浮かべて対応する。
「すみません、私は問題ないのでお気になさらず」
「いや、問題しか……って、あれ?」
その先輩が私の顔を見て、何かに引っかかった。
おそらく、私の火傷に気が付いたのだろうけど。
いつもなら気にしないけど、今は少しでも時間が惜しかったので、どうでもいいことに時間を取られるのは煩わしく思えた。
「もしかして、君が『橘柊和』さん?」
けど、その見知らぬ先輩は火傷ではなく、私が『橘柊和』であることに興味を示したようだ。
なぜか楽しそうな笑みを浮かべて、私に確認を取ってきた。
「え、そう、ですが……?」
「やっぱり! 人伝に話を聞いて、前々から君の事が気になってたんだ」
「……はあ」
すこし、警戒の色が滲んでしまったかもしれない。
急にそんなことを言われれば仕方のない反応だとは思うんだけど。
「ああ、ごめんね。別に変な意図はないんだ。ただ、綺麗だの天才だのならある程度聞きなれていたけど、そのうえ隠し子がどうのと聞いたら流石に笑っちゃうでしょ?」
「…………」
マイペースに話を進める目の前の先輩に、なんだこの人と思わずにはいられない。
というか、その話って上級生まで広がってるんだ、我ながら呆れてしまうほどの認知度だな。
「まあ、それ以外にも興味深い話は聞けてたから、私が君の事を気にしてたのはそれだけが原因じゃないんだけどね?」
「あの……」
私は今余裕が無い、無駄な話に巻き込まれてうんうん笑って聞き流している暇はないのだ。
そう思って私は声を掛けた、でも。
「ああ、ごめんね。誰とも知らない相手に急に話しかけられても困っちゃうよね」
「そういうことじゃ……」
「私、そこそこ名前は知られてるからつい君も知ってるものだと驕ってしまったけど、一年生じゃ知らなくてもしょうがないよね。よし、それなら一度自己紹介しようかな」
駄目だ。この人、全然止まらないぞ。
いっそ無視して探し物を続行してやろうかと思ったけど、ちょうど名前を名乗ろうとしている。
仕方ないから名前くらいは聞いておこうと思い私はそのまま彼女の話を待ってみた。
「私の名前は──」




