能ある鷹は爪を隠す
しばらくお互いの話をして帰り道を歩いていると、とある店が目に入った。
──ケーキ屋だ。
私が生まれるより前からある、地元住民に愛されているお店。
橘さんも少し目で追っているのに気づいて、橘さんと私の共通点を思い出した。
「そういえば、橘さんって甘いものが好きなんだよね」
「ええ、加賀さんも一緒でしたね」
「家は学校から近いんでしょ? ここのケーキ、おいしいよね!」
「そうですね……! 本当は和菓子の方が好みなんですけど、ここのケーキはそんなこと気にならないくらい上品な味でしたね。甘さもちょうどよかったんですけど、クリームの口当たりの良さが特に好みで……」
ただでさえそれなりに舌の回る橘さんが、ケーキの話になった途端それまでよりも五割り増しぐらいの饒舌さでケーキの品評を始め出した。
「へぇ~、橘さんって語彙が豊富だね? 私なんかずーっと食べてるのに『甘い』と『美味しい』しか出てこないよ」
「私の方はそうでもないですけど……。加賀さんの場合、むしろ思い出の味だからこそ、私みたいな細かい感想が出ないものなのかもしれませんね」
まるで他人事のような言い方に少し違和感を覚えた。
このあたりに住んでいる人ならほとんどが思い出の味レベルで浸透しているものだと思っていた。
「橘さんはそうじゃないの?」
「ええ、私、中学より前は別のところに住んでたので」
尋ねてみれば、相変わらず迷うことなく答えてくれた。
「そうなんだ! このケーキの味を知れたのは幸運だったね!」
「本当にそう思います。それに、ここらへんはあのケーキ以外にも沢山気になる洋菓子と和菓子があるので、ついつい食べ過ぎちゃうくらいで」
「橘さんでもそんな悩みがあるんだ! 親近感湧く~!」
確かにここのケーキ屋もそうだけど、駅前を始め、少し歩けば各所にスイーツの美味しいお店が見つかる。
「ただ、甘いものが沢山食べられるのは幸せですけど、弊害も沢山ですから……」
「分かる! 気を抜くとすぐ太るんだよね!」
油断していると食べ過ぎてしまって、体重計に乗ったら大変グロテスクな結果になっていることも珍しくない。
だからここら辺に住む女の子はお菓子を通じて、天国と地獄を体験することになりがちだ。
橘さんは体重管理とは全く無縁の『いくら食べても太らない系女子』だと思っていたけど、そこは私たちと同じだったらしい。敵ではなかった。
「私のためにって、護もよく買ってきてくれるから、最近体重が……」
「護って?」
「あっ……護っていうのは家族の事で。私、弟がいるんです」
唐突に話に出てきた男の人の名前に一瞬ぽかんとしてしまう。
そしてすぐに『護……もしかして……本当に恋人が⁉』なんて思ったけど、その考えはあっさりと否定されてしまった。
「そういえば、さっきの電話でも護って言ってたような……」
「……!」
私がそう何の気なしに呟く。
「それにしても……弟さんが……? 随分と……あれ?」
それからだ、橘さんは段々と歩くスピードを緩めはじめ、やがて完全に立ち止まってしまった。
「どうしたの……? 橘さん?」
「加賀さん……やっぱり、電話聞こえてたんですか?」
電話の話。
私はもう既に終わったものだと思っていたけど、橘さんはまだ気にしていた。
「いや……さっきも言った通りだよ? 多少雰囲気がわかる程度には聞き取れるところもあったけど……距離があったから、基本全然で何の話をしてるのかも分からなかったし……」
「雰囲気程度……」
また何事か考え込んでいる。
そんなに気になることかな、と思った私は少し頭の中を整理してみた。
そうして少し考えがまとまったところで、ある可能性に思い至った。
──それは、『護』なる人物が弟というのは嘘で、本当は『恋人』という可能性だ。
最初、私はあの電話の相手を恋人なのではないかと思っていた。
なぜなら、あの時の橘さんの様子は、そう思えるほど楽しそうだったからだ。弟だと説明を受けた今でも恋人の方がしっくりくるくらいだ。
ただ、『楽しそう』だけでは、恋人だと決めつける理由としてはまだ弱い。
楽しく会話するなんて、友達とだって出来る。
けど、私が疑う理由はまだある。
さっき橘さんは、『ケーキを良く買ってきてくれる』と言っていた。
姉が好物だからと色んなところからケーキを買ってくるような弟なんてあり得るのだろうか。
私には兄弟姉妹はいないから世間一般がどんなものか知らないけど、家族がケーキを買ってきてくれるシチュエーションというと、例えば買い物帰りや会社帰りの両親が『ついでに』と用意してくれた時か、なにか祝い事の時くらいのものだ。
そういった事情も財力もある両親ならともかく、高校生にもなっていないような弟が、わざわざ姉のために体重が気になるほど高い頻度でスイーツを用意するかと言われたら、少し無理がある話に思える。
よほどのシスコンで小遣い全部それに使い込んでるわけでもない限りありえない。
まだ『彼女の好物を沢山用意してくれる彼氏』の方が全然あり得る話じゃないか。
極めつけは、私が先ほどの電話の相手が『護』だと勘づいた時の橘さんの反応だ。
あれだけ慌てていたんだから、橘さんにとって知られたくないナニカがあるのは間違いないと思うし、そもそも本当に弟なら焦る理由がない。
以上の理由で私の脳内では『橘さん、恋人いるけど隠しておきたいんだな!』という結論に至った。
ただこの推測、そもそも前提が間違っていて、橘さんが慌てていた理由は『相手が誰かを知られたこと』よりも、『私に話を聞かれたこと』である可能性は大いにあるんだけど、そこは私も年頃の娘だった。
浮かれた話に夢中になって、現実的な可能性は眼中になく、『恋人がいるのでは?』という楽しそうな可能性を思いついたら、それが事実である根拠を頭の中で優先的にかき集めていた。
多分だけど、冷静に考えれば否定できる根拠もそれなりに見つかったと思う。
でも、もう既に結論付けてしまったので、私の脳内でそれ以上この話を掘り進めることはなかった。
「……加賀さん。これから私が言うお願いは、何を言っているのか分からないなら、分からないままで結構です。その場合は忘れてください」
そして、タイミングよく橘さんが真剣な眼差しで始めたその提案は、私の中であくまで推測の域を出なかった結論を、間違いないと確信させるには十分なもので。
「先ほどの電話を聞いて、私についてなにか勘づいたがあるなら、それは誰にも言わずに内緒にしてくれませんか」
「……!」
『秘密にしてくれ』と言われて、私は完全に『やっぱりそうなんだ!』と思っていた。
よくよく考えれば、橘さんが何を秘密にして欲しいのかはまだいろんな可能性もありそうなもんだけど、全然考えてなかった。
私は自分の考えを疑わず、推測が正しかったのだと思い込んだ。
そして、それが良くなかった。
「わ、分かったよ……! 私何も聞いてないから! 今日の事は全部忘れるから!」
「……そう、ですか。やっぱりわかってたんですね」
「ごめんね? 嘘ついてたわけじゃないんだけど……もしかしてそうなのかなって思ってたから。今のでやっぱりそうなんだって」
「そうですか……じゃあ、少し早まったのかもしれませんね」
私の返事を受け、目を伏せる橘さん。
諦観というべきか、観念したといった様子で顔も少し疲れて見える。
「ほ、本当に言わないよ! 心配だったら、何か私も一つ恥ずかしい話を」
「いえ、大丈夫で……いや、それはいい。大丈夫だから」
「え?」
あえて一度言い直した橘さん。
ドキッとした。
一言だけだったけど、それまで敬語でしか話してこなかった橘さんが急にそれを崩したからだ。
今までの印象とギャップがあったけど、なぜかそれは自然に聞こえた。
私は、今のは橘さんがつい崩れた話し方をしてしまったのだと思っていた。
うっかりのミスだと。
「気づかれたなら、もうあえてあの話し方を続ける必要もないでしょ? 楽に話させてもらうね」
しかし、それは意図的な変化だった。
声色も違っていた。
今までの優しそうで温和な音色から一転、怜悧、冷静、そんな印象を受ける落ち着き払った声。
「何を驚いてるの? 分かってるって、今自分で言ったばかりなのに……それとも、いざ目の当たりにすると驚いてしまうものなのかな?」
私はすっかり話から置いてかれてしまった。
言われている言葉が驚きに阻害されて、うまく咀嚼できない。
ただ、理解できていたとしても、結局首を捻ることになったのは変わらないのだろうなと、なんとなく思うのが限界だった
ゆっくりと橘さんの顔を伺った。
やっぱり違う。
笑顔が印象的だった表情が今ではほとんど無表情、敵意こそ感じられないけど、まるで色が抜けてしまったかのようだ。
これまでにも度々感じた試すような視線を、もはや隠すことなく向けてくる。
「上手くやれてると思ったのに……本当についてないな」
「…………」
『ついてない』それはきっと私もそうなのだろう。
だって、思いがけない幸運だと浮かれていたら、私は知らない間に藪をつついてしまっていたらしい……。
しかも──
「もう見抜かれてるんだから意味もないと思うけど、折角だから一度はじめましての挨拶をやりなおそうか。いや、挨拶はこれが初めてだっけ?」
──蛇ではなく鬼が出てきてしまったのだから。
「これまでは少し優等生ぶってたけど、今の私が素の私だよ。私は橘柊和、改めてよろしくね、加賀美咲さん」




