側に貴方がいる日常
夢から目が覚めた。
悪夢というほどではなかったけど、あまり見たくはない夢から。
そして、夢から覚めた私がまず感じたのは、暖かさだった。
私の手に伝わる、自分以外の手の温かさ。
優しく包まれるその感触を目で追えば、私の手を両手で包む護の姿があった。
護が眠っている。
外が明るいことに違和感を覚えて、多少楽になった体をうごかし、スマートフォンを手に取って時間を確認した。
『10:42』
いつもなら確実に遅刻になっている時間だ。
だというのに、なんで護が……?
疑問に思ったのもつかの間、私の動きを感じ取った護は、ゆっくりとその瞼を開き始めた。
長めのまつげがぱちぱちと上下する。
「ん……姉さん、起きた?」
「ごめん護……迷惑かけたみたいで」
「迷惑なんて……姉さんが風邪を引いたら弟の僕が面倒を見るのは当然の事だよ」
起き抜けでも護は変わらない。
少しだけ眠そうなままではあったけれど、温和に笑って答えてくれる。
「そっか……ありがとう」
「うん……どういたしまして……体調はどう?」
「まだちょっと熱っぽいし身体もだるい……けど、それぐらいかな」
「そっか、食欲は?」
聞かれて、お腹に手を当てる。
「おなかは……空きました……」
「分かった。じゃあ、すぐに雑炊用意してくるね」
「ありがとう……」
ああ、護離れって本当にしないといけないんだっけ?
弱り目にこんな優しくされたら、やっぱり甘えたくなっちゃうなぁ……。
──…………。
護お手製の卵雑炊は優しい味付けで、弱っていた体にしみこむようで、食べ終わるころにはいくらか気分もよくなってきた。
デザートの桃のゼリーを食べていると、護が少し安心したような表情をしていた。
「良かった。ちゃんと食べられたね」
「護が作ってくれたんだもん、絶対に残したりしないよ」
「はは、無理そうなら残してくれてもいいんだけど……今日は病院行けそうかな?」
「うん、それくらいなら動けそうかも」
さっきほど熱を測ったときは、37度8分まで落ち着いてた。
いつもと比べれば高すぎるくらいだけど、行けるなら病院に行ってちゃんと薬をもらった方がいいだろう。
「無理はしないでね、今朝なんて凄い苦しそうにしてたんだから」
「心配かけてごめんね? でも無理はしてないから」
「ならいいんだけど……姉さんは昔から体調悪くても隠すとこあるから……」
「あはは……心配かけたくなくて……」
「そんなこといって毎度悪化してたら余計に心配なんだけどね」
護がジトっとした目で訴えかけてくる。
私が悪いので何も言い返せない……。
「ごめんって……反省してるから病人をもっと労わって……?」
「あ、こういうときだけ病気を持ち出すんだ」
「ごめんなさいっ」
調子が良くなってきた証拠なのか、いつも通りバカなやり取りもできるようになってきた。これで明日はまた学校に行けそうだと安心した。
「姉さんが風邪を引くなんていつぶりだろうね?」
「う~ん……どうだったっけ」
少し記憶をさかのぼると、ある時期を思い出した。
それこそ、さっき夢で見ていた頃、母がまだ健在で三人暮らしをしていた頃だ。
「中学上がる前くらい……じゃない?」
「……! ああ、そっか……」
護も思い至ったようで、少しだけ顔に影が差す。
でも、すぐに切り替えて先ほどまでの明るい顔に戻る。
「確か、その時も姉さんが体調悪いの黙って悪化したんだよね」
「うっ……」
藪蛇だった……。
「あの時は確か、毎日働きづめだった母さんに遠慮してたんだっけ。母さん、いつも帰ってくるのが遅いから、今日みたいに結局僕が看病したんだよね」
「そういえばそんなことも考えてたかな……」
あの時は、まだ母が憑りつかれたように毎日働いているころで、それを見ていた私は自分の体調が悪いなんて言ったら看病させる必要が生じて、仕事の邪魔になると思ったのだ。私たちのために働いてくれてるのに、邪魔しちゃいけないって。
「あの頃は、僕もまだ家事とか全然出来ない小学生だったから……むしろ姉さんよりも取り乱してた憶えがあるな……情けない」
「情けなくなんかないよ。護が私のために必死になってるのを見てたら、凄くあったかくなったもん。一人だったら不安で仕方なかったと思う」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。今日だって起きたときに護がそばにいるって分かって凄く安心したから。ありがとね、護」
懐かしい話をして少し感傷に浸ると、護は当時を思い出して恥ずかしそうにする。だから私は当時からの感謝を素直に伝えることにした。
「……っ。えへへ、そっかぁ。僕、やっぱり姉さんにそう言ってもらえるのが一番うれしいよ」
すると護はどこか泣きそうにも見える顔で笑って見せた。
「……大げさだね、護は」
「そんなことないよ。姉さんは僕の一番大切な人だから」
「そういうことためらいなく言っちゃうんだもんなぁ……護は」
私だったら恥ずかしくて、素直に伝えてみようと思ってもできないんだけど、こういう素直さが周りの人間を惹きつけるんだろうか。
ずるい弟だ。ある種罪作りというか。
「……? 何か言った?」
「なーんにも。それより、ご馳走様」
「ううん、お粗末さま」
聞かれなくてもいいことは誤魔化して、食器を護に渡してしまう。
食器を受け取った護は立ち上がり、部屋から出ようとする。
食器を片付けるためだ、でも、それがわかっていて私は一抹の寂しさを感じた。
「ねえ、護」
「どうしたの?」
深く考えるより先、私は護を呼び止めてしまった。
寂しくて。
今日だけだからって、やっぱり少しだけ甘えたくなってしまって。
「もう少し……一緒にいて?」
「…………」
「……だめ?」
護があっけにとられたように黙り込んでしまうから、私は少し不安になった。
けど、その不安も護の表情が変わるのを見てすぐに霧散する。
「ううん……っ! 姉さんの気が済むまで一緒にいるよ……!」
私の求めていた優しい笑顔で、声を弾ませてそう答えてくれたから。
「ダメだな……私……。まだ全然変われそうにない……」
「何が?」
「こうやって迷惑かけて、結局護に甘える形になっちゃって……」
「いいじゃん。僕はこういう甘えてもらう時間も好きだよ。あ、姉さんが風邪をひいて苦しんでるのはもちろん嫌だけどね」
「む~……っ」
「いてっ、なんで叩かれてるの、僕?」
「護が悪い男だから」
「ええぇ……?」
そうやって護はすぐ私を甘やかして……!
私が変われないのは護のせいな気がしてきたから、ぽかぽかと叩いてやった。
「それに、昔から少しだけ変わったこともあると思うよ?」
「え? 何が?」
「姉さん、起きてから携帯みた?」
「さっき時間確認するときに見たけど……あっ」
もう一度手に取ってみると、いくつかメッセージが届いていることに気付いた。
美咲と霧華……それに詩葉先輩からも来ている。
どれも私の体調を心配するものだった。
今までにない体験だったけど、皆から送られてきた文面から感じ取れる想いに、不思議とこれ以上ないと思っていた心が、さらに満たされていく。
「前に姉さんは今よりもっと良い変化をって言ってたけど、確かにこういうのは悪くないかもね」
「……そうだね」
私達二人の閉鎖的だった日常が、少しづつ変わっているんだと実感する。
最初は詩葉先輩、次に美咲、生徒会が始まって霧華も加わった。
段々私たちの日常に新しい人たちが入り込んできている。
護と二人きりというのも悪くなかったし、それが変わってしまうのは寂しい気持ちもあったけど……こういう変化なら、悪くないと思える一日だった。




