おもいでめぐり 前編
「ねぇ、橘君……もう、いいかな?」
橘君の部屋に案内されたあたしは、どうぞといわれるままにベッドに腰かけた。
男子の部屋に入ることさえはじめてなのに、なんと大胆にもベッドに腰かけている。そんな大変なシチュエーションでも、何も意識していなかった。というか、意識がほかのことに占領されていて、初めての状況に気付くことさえできていなかった。
早く、早くと気持ちを焦らされる。
「そんなに我慢できないの? ……安心してよ、ちゃんと準備してあるから」
橘君はがさごそと例のモノを取り出そうとしている。
「だって……ずっと楽しみにしてたの……何日もお預けで……もうこれ以上待てないんだもん!」
「本当に好きなんだね……そこまで欲しくなっちゃうなんて、ちょっと好き過ぎるんじゃないかな?」
「それを言ったら橘君だって、あたしの希望にこたえられるんだから相当じゃん……」
「そうかな? これくらい僕の立場なら当たり前だよ」
「あたりまえって……全然あたりまえじゃないよ……まあ、あたしにとってはありがたいから、どうこう言うつもりは毛頭ないんだけど」
「東雲さんは特別なんだよ? コレは家族以外の誰にも見せたことないんだから……まあ、見せてほしいと頼まれたのも初めてなんだけど……さあ、用意できたよ」
「……っ」
思わず固唾を飲んでしまう。ようやく、ようやくだ。
目の前の机に置かれたソレを前に、ゴクリと言う音が聞こえたと思ったらあたしの喉が固唾をのむ音だった。
「こ……これが――」
あたしの待ちに待った、待望の――。
『橘家の思い出 柊和 幼稚園卒園まで』
「うわあぁぁああかあいいぃぃぃ‼」
すぐさま開いたそのアルバムには、柊和先輩の幼い頃の姿が何枚も収められていた。脳みそぶっとぶ程度の可愛さ。やばすぎる。
そう、橘家にお邪魔することが決まってから、私が橘君にお願いしていたのは、ずっとずっと楽しみにして待ちわびていたのは、このアルバムを見せてもらうことだっただったのだ!
『柊和 はじめて一人で立つ』
うわ! 凄い! こんな小さいのに一人で頑張って立ってるんですけど‼ 偉すぎる……お金払いたい……無理ぃぃぃ……。
『柊和 生まれてきた弟に興味津々』
うわああああああ!
赤ちゃんの橘君と橘君の頬っぺたをおそるおそる触ろうとする柊和せんぱ……。
うわ‼
うわああああああああ!
『柊和 護のほっぺたにチュー』
うわああああああぁぁぁぁ……ぁ……。
まだ小さな柊和先輩が赤子同然の橘君をハグしてほっぺに口をぉぉぉ……。
あぁ……やば……い……。
バタン。
「東雲さん⁉」
急に倒れて床に突っ伏す私に驚く橘君。
「大丈夫……ちょっと……興奮しすぎて……脳みそに血が……」
「全然大丈夫じゃないと思うけど⁉」
「大丈夫だよ……このアルバムには人を癒す力があるもん」
「ないけど……?」
「あるの」
「な……」
「ある!」
「あったかも……」
あたしの充ち溢れんばかりの活力を見て橘君はうなずいていた。
たとえ体が耐え切れなくても、心は反対に満ち満ちているのを感じられる。
それにしても、生まれてから幼稚園に入るまでのアルバムの、しかも半分もいってないところでノックアウトされてしまった。
全体で見ればまだ三分の一にも満たない到達度なのに。
確かに可愛すぎて仕方がないとはいえ、このままでは最新の中学生篇どころか小学校を卒業するまでにあたしの命は燃え尽きてしまう。
それはダメだ。中学生篇までしかとこの目に焼き付ける前に命尽きるなんてありえない。死んでも死にきれないから。
「でも、アルバムくらい頼めば姉さんがいくらでも見せてくれたと思うけど、なんでわざわざ僕に頼んだの?」
「だ、だって……柊和先輩の前なのに正気保てなくなるとか……無理でしょ」
「まあ確かに凄いリアクションだなとは思ったけどね」
「それに橘君の方が、本人よりもたくさん柊和先輩の写真とか持ってそうだなって、あとちょっとすごい写真とか……」
「なんで……? 期待されてるとこ悪いけど、昔は携帯すらもってなかったから、写真を撮ろうにもとれなかったんだよね」
スマホを手に入れてからは結構記録してあるけど。と橘君。
目の前に積まれているアルバムは、家に残されていたデータをかき集めて新しく用意したものと、昔二人の両親が記録していたアルバムのコピーらしい。
オリジナルは橘君個人ではなく家族で保有しているとのこと。
それでも十分な成果だと私は思う。
「やばすぎだよ柊和先輩……小さい頃から美人になるのがはっきりわかるぐらい美形……天から二物どころじゃなく与えられてるもん……」
三歳で幼稚園入園を果たした柊和先輩のカメラ目線の一枚はまさに天使というべき愛らしさだ。贔屓目なしにもそこらの人気子役より可愛い。
「そうだね……姉さんは小さい頃から変わってないよ」
そう言う橘君の目はやさしげで、いとしそうに一枚一枚の写真を眺めている。
なんだか、まるで遠くから見守るような。
変わってない……。橘君のその一言で、ふと気づいた。いや、当たり前のことにだけど。
──柊和先輩の頬には、まだ火傷痕がない。
それに気づいて、興奮が少しだけ冷めて、それでも新たなミニサイズの柊和先輩の写真を目にして、声を殺して悶えながらなんとか一枚一枚乗り越えていくと、かろうじて小学生時代までたどり着くことができた。
『柊和 護を強引におままごとにつき合わせる』
「橘君と柊和先輩って、昔から仲良かったんだね?」
「うん、少なくとも僕の覚えてる間で、姉さんと仲が悪かった時期は少しもなかったかな」
橘君と柊和先輩は家庭環境でいろいろあったから、そういった経緯で仲良くなるきっかけがあったのかともおもったけど、そういうわけでもなかったらしい。
元から仲は良かったみたいだ。
「姉さんは小さい頃からいろんな才気にあふれてて、ほとんど二つ違いの僕をずっと面倒見てくれてたんだ。お姉ちゃんについてこいって」
「すごい男勝りな感じ……」
でもあたしの柊和先輩に対するイメージにぴったりのかっこよさだ。
「あはは、そうかも。そういえば姉さんは当時から女子にモテてた憶えがあるよ」
「あたしも昔から出会ってたらやばかったかも……」
——…………。
橘君からアルバムの説明がてら、いろんな昔話を聞かせてもらって、そうしてしばらく読み進めていけば、もう小学生編も終わりが近づいていた。
しかしそこで、一つ気になることがあった。
小学生は学年ごとに『〇年生』と、アルバムが用意されていたけど、小学六年生のアルバムに、少し違和感があったのだ。
『柊和のアルバム 六年生ver』
それまでのアルバムとタイトルも装丁も少し違う様な気がする。
多少は気になったものの、中身は変じゃなかった。これまでのアルバムと一緒で、当時の柊和先輩の写真とその状況の説明を入れた一言が添えられている。
そうして六年生編も読み進めていくと、気になる一文が目に入った。
その瞬間少しだけ、体が強張った。
『柊和と護 転校』
「え……?」




