初仕事
── 9月12日 14時50分 橘護 ──
(いやあれはなんとかなんないでしょ……)
舞台袖、僕は声を抑えながら心の中で悲鳴を上げた。
数百人単位の生徒が一堂に集まっている。事前のイメージでは生徒一人一人の顔なんてぼやけていたし、興味のある人間とそうでない人間がまばらに入り混じる光景が見えていたが、現実はそんなことはなかった。
一人一人の顔がはっきり視認できるし、そのほとんどが壇上の人間に向けている。野菜に見立てるとか全然無理だ。
普段なら、皆すごい立派だな~とか思うところだけど、今だけは違う。
みんな真面目すぎだよ! もっとだらけててほしかった!
あー大変だ。だんだん緊張がひどくなってきた……。
自分以外は大丈夫だろうかと、同じく舞台袖で待機している皆の方を向いてみた。
「…………フッ」
みさきさんは、僕程は緊張はしてないみたい?
……というか、あれ?
なんか遠い目をしてないか?
諦観のような潔さを感じるような?
前々から不安の残った僕や美咲さんがこんな調子ではあったけど、残りの二人は堂に入った態度だった。
東雲さんは流石場慣れしているだけあって、いつもののほほんとした様子から切り替わり、表情も引き締まっている。
一方姉さんは普段と全く変わらない表情だった。
といっても、家での気の緩み切った表情ではなく、皆の前での、外用の凛とした表情。
この態度に対して猫を被るというのは正しくない。姉さんの切り替えはスイッチを入れるという表現がしっくりくる。
なぜなら、外用の顔も偽っているわけではなく、姉さんの素顔に他ならないから。
「護、美咲、緊張すごそうだね?」
姉さんは僕たちの様子を見るなりそう言った。
「柊和ぃ~! どうしよう! なんか段々頭の中真っ白になってきちゃったよ~!」
いよいよ諦観も極みに至り、灰になって散ってしまいそうな儚さすら醸していた美咲さんが姉さんに泣きつく。
「あ~コラ! もう本番なのに制服乱れちゃうじゃん!」
「だって~!」
なんだかんだいつも通りにも見える上級生組を尻目に、笑顔を浮かべていた東雲さんに話しかけてみた。
「東雲さんは流石に余裕そうだね」
「あ、橘君。そうだね、人前でここに立つのもすっかり慣れちゃったから。最初はあたしも全然ダメだったのにね~」
「そうだったんだ?」
「うん。だから、橘君や美咲先輩はあたしの所信表明を聞いてなかったみたいだけど、本当はそっちの方がありがたかったりして」
「そうだったんだ? ……でもやっぱり、聞いてなかったのは失礼だから、今後は気を付けるね」
「あはは、真面目だね! ……それで、橘君も緊張してるの?」
相も変わらず姉さんに泣きついている美咲さんを横目にそう言う。
「まあね、僕は姉さんと違って注目されても堂々としてられるほど肝が据わってないんだ」
「大丈夫だよ! 練習見てても前のあたしより全然上手だったもん。橘君も柊和先輩みたいにできる人なんだね」
東雲さんはいつもの明るさでそう褒めてくれる。
「そんなことないけど、姉さんの足は引っ張れないからね」
「あは! あたしも橘君に負けないよう柊和先輩にいいとこ見せないとだね!」
この数日で確信したけど、東雲さんは姉さんに憧れてるらしい。それも結構強く。僕と話してる時も姉さんの話ばかり聞かれる気がする。
「ふふ、そんなこと言っちゃって。年下組は可愛いね」
「あっ柊和先輩!」
やっと美咲さんを引きはがせた様子の姉さんがこちらに話しかけてきた。美咲さんもとぼとぼとこちらにやってくる。
「あたし、頑張りますから見ててくださいね!」
「うん、期待してる」
姉さんはそういいながら東雲さんの頭を撫でた。姉さんから相談を受けてから何があったのかは詳しく聞けてないけど、後輩を可愛がる姉さんというのも初めて見る光景だった。
「柊和と雲ちゃん、仲いいよね」
「美咲さん。もう大丈夫なんですか?」
「ん、全然だよ? って、それはいいんだけど」
良くないと思う。
「柊和に憧れてる後輩は度々いたんだけどね。柊和の方があそこまで心を開いてるのは初めて見た」
「僕もです」
仲のよさそうな二人を見ていると、別に妬くとかそんなんではないけど、すこしだけ寂しい気持ちが、心のどこか片隅で湧き上がるのを感じる。
それがなんなのか、なんでなのか分からなくて気持ちが悪い。
「ん? 護君、柊和取られて妬いちゃった?」
「そうじゃないんですけど……なんかわかんないです……」
「うふふ、だいじょーぶだよ! いざという時は私がいつでも新しく護君のお姉ちゃんになってあげるから! 何なら今すぐにでも……」
「──お姉ちゃんがなんだってぇ?」
姉さんが僕と美咲さんの間に体をねじ込んできた。
「くっ邪魔が入った……」
「まったく、油断も隙も無い……」
「この過保護! ブラコン~! 少しは私にも護君を譲れ~!」
「譲りません~! 護のお姉ちゃんは私だけです~!」
今度はよくわからない話でバチバチ火花を散らしていた。
「美咲先輩と橘君ってどういう……?」
東雲さんが伺うように僕に尋ねる。
「姉さんが家まで遊びに連れてきた時になんでか気に入られてね。それからよく私の弟にならないかって」
「へえ……。それって……つまりどういうこと?」
「実は僕もよくわかってない」
僕の姉は姉さんだけ。だから美咲さんの言ってる事を受け入れることはない。
でも、美咲さんはあんな態度でいて人に気を遣える人なのは良く分かっている。あの冗談もなにか意味があってのことなのだろう。
……実は僕の方も、美咲さんが今度はどんなふうにスカウトしてくるのか楽しみにしているところがあったりして。
「気になるね……って! 大変ですよ柊和先輩、美咲先輩! もうそろそろ私たちの番です!」
声を潜めながら気持ち大きめの声で姉さんたちにそう呼びかける東雲さん。僕らの番の前にあった先生の話がそろそろ終わりかけだ。
「おっと、じゃあいつでも出られるようにしないと」
「うわああ、本当に来ちゃった! どうしよう! いい感じに誤魔化せてたのに!」
「緊張をほぐすのに護を使わない」
「ああでもしてないと緊張がやばかったんだもん……」
「ほら、美咲は練習ではちゃんとできてたんだから……それに」
姉さんは美咲さんの耳元で囁く。僕には聞こえなかった。
「…………」
「もう、あの人たちに遠慮することはなにもないんだから」
「頭では……わかってるんだけどね……」
美咲さんはやるせないような表情を見せる。
……遠慮、か。そっか……美咲さんは緊張してるんじゃなくて……。
「護はどう?」
「大丈夫、なんとか頑張ってみるから」
「なら大丈夫だね。護が私に嘘ついたことないもん」
今度は僕の方に向かってきて姉さんは僕の肩に手を置く。
「これからよろしく頼むよ、副会長。私の右腕になって支えてくれるんでしょ?」
僕が、姉さんの右腕に……。
視線、肩に置かれた手から、僕に期待が流れ込んでくるように伝わる。期待を薪に胸が熱くなっていく。
その言葉はどんな鼓舞にも勝る一言だった。
「……! うん、当然‼」
『続きまして、後期生徒会の信任投票と、所信表明です』
集会の司会が僕らの出番を告げる。
「じゃ、皆。行こうか、私達生徒会の初めての一仕事だよ」
そう言った姉さんの背中を見ただけで、まだ少し抱いていた不安は微塵も残らず霧散していた。




