ごめんなさいよりありがとう
──コン、コン、コン。
静かな部屋にノックの音だけが木霊する。
「……東雲です」
緊張してるのか強張った声が聞こえたので、ドアを開いて出迎えた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。……失礼します」
なんだか変な感じだ。ここは生徒会室なのにまだ部外者の私が役員の東雲さんを出迎えてるのはやっぱり変な構図だと思う。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって。大丈夫だった?」
「いえ……今日は特に用事もありませんでしたし、先輩からの呼び出しなら、大丈夫です」
嬉しいことを言ってくれる。
けど、その表情はやっぱり浮かない様子で。
「そっか、ありがとう」
その顔が私のせいかと思うと胸の痛みは加速する。
チクチクしてた痛みがじくじくと蝕むようなものへと変質する。
「話があって呼んだんだけど、どんな話かは聞いたかな?」
席に座ることもなく、話を進める。
「いえ、会長からは先輩が話があるからって……。あの、橘先輩」
「ん、なにか──」
呼ばれて、用を問いかけるより彼女の動きは速かった。
「知らずとはいえ、とても失礼なことを言ってしまいました、ごめんなさい……っ!」
「──っ!」
一年越しの謝罪。彼女はいきなり頭を下げた。
頭を下げて謝られたから、彼女の表情は見えなかった。けど、その声と声の震えから伝わってくる感情は、とても悲痛で。私の胸は更に酷く締め付けられる。
東雲さんは捲し立てるような勢いで二の句を継ぐ。
「先輩は忘れてしまったみたいですが、あたし、去年先輩と……!」
「文化祭……だよね」
「……っ⁉︎ 思い出して、くれたんですか……?」
忘れられたと思っていただろう東雲さんは疑問を口にする。
驚いた様子で、ずっと伏せていた顔をやっと覗かせた。
「今日呼び出したのはね、私が東雲さんに謝りたかったからなんだ」
「先輩が……あたしに……?」
「うん、昨日先輩たちに話を聞いて、やっと思い出せた。……私から約束したのにね、それすら忘れて、君を傷つけちゃったよね……だから、ごめんなさい」
私が謝ると、今度は私が頭を下げたせいで彼女の表情が見られない。
でも、慌てているのはすぐに分かった。
「そんな……悪いのはあたしなのに!」
「悪くない。あの状況でああいう勘違いをしても仕方ないことだよ。そのうえ私が勘違いを肯定した。再会を約束したくせに勘違いをそのままにしたから、今もそんなに辛そうにさせちゃったんだよね」
そのうえで私は全部忘れていましたなんて、あきれ果てるほどの勝手さだ。現に東雲さんは入学してからずっと、私に負い目を感じるようになってしまった。私のせいだ。
「そんなことない‼ それに、例え仕方なかったとしてもあたしは酷いこと言っちゃったんです! 先輩は私に優しくしてくれたのにっ‼」
「酷いこと……これのことだよね」
左の頬に手を当てながら訊ねると、東雲さんは少し怯んだ。
「そうです、言うに事欠いてお化け屋敷みたいだとか……あたし、最低です……っ」
「悪意があったわけじゃないよね。少なくとも私は気にしてない」
「でも……!」
私がその言葉を気にしてないのは本心だ。
でも、大事なのは東雲さんにとってそれが負い目を感じるに値する発言だったという点だ。私が気にしてなくても東雲さんが気にしてしまうのは止められない。
それは、私にはよく理解できていることだった。
──締め付けられていた胸に、少し、寂しい思いが浮かんだ。
私にとって、あの日の出会いはいい出会いだった。
お化け屋敷がどうとか、あの日私にとって大事だったのはそんな言葉じゃなくて、でも東雲さんはずっとそれに囚われている。
違う。酷い言葉以外にも言ってくれたことがあるのに。
私にとってあんなに嬉しかった言葉が、東雲さんに残っていない。
それが、とても、とても寂しい……。
貴方はなにも悪くないのに。どうしてこの子もそれが分かってくれないのだろう。
「…………ねえ、私のこれ、どう見えるかな?」
火傷痕に触れていた手はそのままに、過去に護にかけたその言葉を、今度は彼女に訊ねる。
「……それ、は……」
「あの時さ、君、言ってくれたよね、カッコよくってむしろ似合ってるぐらいだって」
「それ……は、言いました……なんにも知らなかったくせに……」
「……私の火傷ね? 昔、大切な人を庇って受けた傷なんだ」
「……え?」
私の突然の告白に、東雲さんは上手く応えられない。
「庇って、傷一つ負わせなかったんだよ? ……だから、私にはあの子を守りきれた証で、誇りみたいなものなの」
「……!」
「本当に見た目に関しては特に気にしてなかったんだよ? 前に嫌な人にもっとひどいこと言われたこともあるけど、特になんとも思わなかった。悪意を持って悪口言われたこと自体は不快だったけどね。だから、お化け屋敷ですかなんて言われたって私、笑ってたでしょ?」
多分、私は悪意や好奇の視線に耐えられるように、気づいたときには心のどこかを張り詰めさせていた。心に悪意が届かないように、目を逸らしてしまっていた。
本当は、私にとって、胸を張って誇れるものだったはずのに。
「はい……笑って、ました……」
「でしょ? 本当に嫌な思いはしなかったから……。でもね? あのあと君は言ってくれたよね、かっこよくって似合ってますって。あれ、すっごくびっくりしたんだ。どう言われたって関係ないって思ってたけど、まさか肯定されるとは思ってなかったから。……ねえ。今はどう見える?」
あの日泣いたのは、その張り詰めた糸が緩んだせいだ。
「そんな怯えてるのは、これが怖いから?」
あえてそう言うと、すごい勢いで反応が返ってくる
「違います‼ そんなんじゃなくて……っ‼ 変わんないです……いまも、カッコいいです! お姉さんは……変わってません!」
あの時と同じで、まっすぐな瞳だ。償いのつもりなのか、私に誠実でいようとしているのがその必死さから伝わってくる。
変わってないみたいだ、東雲さんも。
あの日私に自信を持たせてくれた女の子から、何一つ。
「へへ、そっか。そういえば、あれから私も見たんだ、火傷跡が似合う女性の軍人とか、マフィアの女ボスみたいなかっこいいキャラがでてくるアニメ。どう? 私も負けてないでしょ!」
私を見つめて言葉が出なくなっていた女の子に、ニッと笑いかけて聞いてみた。
瞳を見つめ返して、私の想いが伝わるように。
すると私の顔を見て女の子は瞠目し、なぜかボーっとしながらも応えてくれる。
「負けて、ません…………。おねえさんが……いちばんです。一番カッコよくて……あの日あたしに手を差し伸べてくれた……憧れで……なのにあたしは……」
今のこの子になら、きっと私の言葉は届く。
そう思って、私は一番伝えたい言葉を送ることにした。
「あの日私に届いたのは、お化け屋敷とかそんな言葉じゃない」
「…………」
「君が私をかっこいいっていってくれたこと。それまでは、誇りではあったけど、胸を張って自慢なんてできなかったの……誇りなのに、ちゃんちゃらおかしいよね」
私があの時、この子の言葉が嬉しかった理由。
「君は、私に悪口を言ったんじゃない……私の誇りを、カッコいいって、そう認めてくれたんだよ」
「…………っ!」
考えなくても分かる、簡単な理由。
「あの日から、この傷も自分に似合ってるって心から認められるようになったんだ、だから、ありがとう。それと、やっぱりごめんね。いろいろあって、その日の記憶に丸ごと蓋しちゃって、そのせいで昨日まで忘れちゃってて……。でも、君の言ってくれた言葉はちゃんと私に刻まれてた。あれからちゃんとこの火傷痕の事も胸を張れるようになったから……君のおかげ」
もうすっかり胸を締め付ける苦しさはどこかに行っていて、代わりに湧いてきた感謝の想いを、言葉にこめて伝える。
すると東雲さんの目にだんだん涙がたまって、やがて溢れ始める。
「それ、でも……おねえさん……あたし、本当はもっと早くあやまりにいかないとだめだったのに……入学してからあいにいこうとおもって、でも火傷がのこってたから、あたしがとんでもないかんちがいしてたって、ぜんぶ気づいたのに……ずっとこわくて、逃げちゃって……きのうもほんとはあやまるべきだったのに……!」
それはきっと、彼女に残っていた最後の負い目。
「ずっとにげちゃってごめ……っなさい……!」
ごめんなさいと言いながら涙を流すその姿が。
ずっと昔に消えない火傷を負って、自分のせいでと泣いて謝る護の姿と重なって見えて。その時と同じように私は。
泣いている女の子の身体をそっと抱きしめた。
「…………おねえ、さん?」
「『橘柊和』、だよ。遅くなっちゃったけど、約束通り私の名前教えるね……楽しみにしててくれたんだよね? 私の事『先輩』って呼ぶの」
素直にこくこく頷く去年より成長した女の子に、私は一つお願いをする。随分と遅れたけど、約束を果たすために。
「……すこしフライングして聞いちゃったけど。改めてちゃんと、君の口から直接、教えてくれるかな……君の名前を」
「……っはい! きりか、です。しののめ、きりか……っ!」
どこかぽーっとした目で私を見つめる少女、東雲霧華。
しののめ、きりか。本当は昨日の時点で聞いてしまってはいるけど、それでも、本人の声に乗って改めて認識してみると──。
「きりか、東雲霧華、うん、綺麗な名前。私、好きだよ、君の名前」
「たちばな、せんぱい……っ!」
「柊和、でいいよ。一年も約束忘れちゃうような先輩だけど、これまでの分、仲良くしてくれる? 霧華」
「っそんなの……あたし、こそ……! ……ひより、せんぱい……っ!」
私の提案に目を見開いて、それからまた泣きそうになりながら私の名前を呼ぶ霧華。
「あれから頑張って、ちゃんと私との約束を果たしてくれたんだね、偉いね……。それなのに私が忘れちゃったから、長い間苦しめちゃったね……ごめんね……」
「ひよ、りせん、ぱ……ごめん、なさい……ごめ……うぅぅうう」
私にしがみついた霧華は声を殺して泣いてしまう。
奇しくもいつかの私にそっくりな形。霧華の中でため込まれていた後悔が、涙になって私の制服に染みこんでいく
「うん、大丈夫だからね……。私は嫌いになんかならないから……もう忘れたりもしないから……霧華は私の大切な後輩なんだからね……」
気持ちはわかる、長いことため込んだものが決壊すると耐えられなくなっちゃうよね。私にも覚えがあるから、ホントによくわかるんだ。
いいよ。
今度は私が、胸を貸してあげる。




