八重樫詩葉の慧眼
── 9月6日 15時58分 橘柊和 ──
「それで、柊和ちゃん。昨日の返事は無事もらえそうかな?」
「はい」
「そうか、護君としっかり話せたみたいでなによりだよ」
護は私の頼みを快諾して役員になると言ってくれた。
ただ、家事の分担に関しては思ったより護が頑固だったので、最低限これぐらいはと考えていた程度しか成果は得られなかった。
とはいえ今までの頑固さを考えると信じられない進歩だ。
最悪なにも変わらない場合もあり得ると覚悟していたのに、掃除に加えて洗濯も私の担当にできた。あんな説得に効果があっただなんて。下着の効力は凄い。
正直恥ずかしいというには今更すぎるし、多少無理がある言い分だと自分では思ったけど(実際私は恥ずかしさとかはあんまりないし)、フリで多少顔を赤らめて恥ずかしがってみせると護は慌てて首を縦に振った。
…………あたふたしてる護、可愛かったなあ。
でも、可愛いのはそうなんだけど、なんか悪い虫が寄り付きそうで不安になってきた、今後はより注意しないと……。
美咲とかならともかく、どこの馬の骨とも知らない……あれ、これって女の人が相手でも使える言葉だっけ。……使えるか。
ただ、分担することになったとはいえ、それでもまだ割合で言えば護が七割、私が二割、二人で共有が一割といったところ。
……その結果自体にはそう満足してないんだけど。
とにかく、今は生徒会の話だ。
「じゃあ、お話の結果どうなったのかな?」
椅子に座ったまま私に問いかける詩葉先輩。
生徒会室は教室程大きくないけど資料棚や備品など置くスペースがあって尚ゆとりがある。雑然どころか余裕が感じられる落ち着いた部屋だ。
そんな中、会長専用の長机に悠々と構える詩葉先輩の姿。
詩葉先輩の雰囲気のせいか机が見た目以上に高級そうに見えてくる。
「生徒会長の件、謹んでお受けします」
そんな先輩につられたのか、生徒会長を引き受けることの重みのせいなのか、なんだか必要以上にかしこまった言葉が出てしまった。
「あは! そっかそっか! すごく嬉しいよ!」
だけど、詩葉先輩はそんなことは気にすることもなく、喜色満面といった様子だった。
「そんなにですか?」
予想より素直な先輩を見ていると気が緩んで、私も少し笑ってしまった。
「ああ、昨日も言ったけど柊和ちゃんが会長を継いでくれるのは期待してたしね。それに」
「それに?」
「先輩面して後輩に絡むめんどくさいOGみたいなあれ、ちょっとあこがれてたんだよねぇ」
「なんですかそれ……」
さっきまでの威厳や風格に溢れることは先輩の姿はすっかりきえてなくなっている。すごく俗っぽいものに憧れてるなこの人。
「いや、私、仲のいい人そんなにいないからね。なんかご立派なレッテル貼られまくりで皆遠慮しちゃって、こんな些細な憧れでも果たせそうにないなってすっかり諦めてたから、なんかすごい嬉しくて」
「まさかその憧れのためだけに私を推薦した訳じゃないですよね」
「本当にまさかだよ。確かに三割くらいはそういう動機もあるけど、柊和ちゃんが会長を務める生徒会っていうのがすごく楽しみなの」
「三割はあるんですか……」
そんなに楽しみなのか、先輩面。
あ、そういえば先輩に話しておきたいことが。
「あ、生徒会といえば、メンバーの選任って会長の私に一任されるんですよね」
「ん、そうだよ。例年通りなら正式に会長就任が決まってから募集するなり心当たりを指名するなりして集めたりするんだって」
変わった制度だと思うけど、役員までは選挙で決めたりしない。なので詩葉先輩のように少数精鋭になったり、反対に過去には最高で十数人も役員を抱えた代もあったり会長次第で結構変わるらしい。
「それか──だれも指名しないっていうのも、運営に支障がないなら許されるらしいよ」
皮肉っぽい笑顔を浮かべ、言葉でも皮肉をあげつらう。
「それは遠慮しますよ、私には難しいので」
「また謙遜しちゃって。まあ、私も最初から二人きりでやろうとおもってたわけじゃないんだけど。役員はちゃんといたほうがいいよ?」
「それなんですけど、役員が一人決まりまして」
先輩は一瞬キョトンとして、けどすぐに。
「護君?」
「流石ですね。その通りです」
本当に察しのいい人だ。
肯定を確認すると詩葉先輩の顔はゆっくり緩み始め……。
すぐ愉快そうに笑い始めた。
「はは! やっぱり柊和ちゃんってブラコンだよね! 間違いなく!」
「いや! いろいろ理由があるんです! 決して弟だからとかじゃなくて! 本当に!」
「いくらなんでも会長就任にあたってまず最初に弟の勧誘って……! クッ……あっはははは! それで常識の範疇ですなんてのはちょっと無理があるよ!」
「確かに信頼はしてますし安心もしますけど! 別に変な理由じゃありませんから! ていうかそんなに変ですか⁉︎」
初めて見る勢いで笑っている。そんなに面白いんだろうか。
非常識ってこともないと思うんだけどなぁ?
「フフ……フフフフ。いいね、早速期待を裏切らないね、柊和ちゃんは」
少し落ち着いてからもずっとクスクスと笑いが止まらないらしい。
私は遺憾な思いを隠せない。
「期待に応えられてるなら何よりです……!」
「ああ、そんな拗ねないで、私が悪かったから」
「本当に反省してます?」
「勿論だよ。もう笑わな……ふふ」
「詩葉先輩!」
「ああ、ごめんごめん!」
詩葉先輩は普段冷静で優しい反面、スイッチが入るとすごく意地悪になるから困る。すごいからかってくる。
「とにかく、能力的にも適任でなにより信頼できること、あと私的な事情により護を役員に──」
「私的なじじょ──」
「違いますよ、護も生徒会役員として私の仕事を把握できているならいろいろ都合がいいからとかそんなんですから」
「わ、すごい早口。らしくないなあ」
「と に か く! 以上の理由で護を役員に任命したいのですが、構いませんか?」
「おっと、それはちょっと間違えてるな」
「え?」
間違えている? なにが?
詩葉先輩にたった一言で話のペースを持っていかれてしまう。
「さっきも言った通り、柊和ちゃんの生徒会は柊和ちゃんに一任されるんだよ? もう私が口を出すことじゃない」
『しっかりしなきゃ』と目の前に立った詩葉先輩は正面から私の肩に手を置く。
そしてすぐそばから私の目を覗く。
肩に置かれた手にぎゅっと軽く力が入る。
「もう昨日よりずっとずっと君に期待してるんだから」
「詩葉先輩……」
目の前に立つ先輩を見上げる。
先輩の目からは言葉通り、私への強い期待が感じられて。
私もそんな先輩に応えるように……。
「期待って、面白そうだからですか?」
「……あは、バレた? だってこんな笑わせられたの久しぶりなんだもん!」
「笑わせてる訳じゃないです!」
本当にこの先輩は……!
なんて呆れる気持ちはこんこんと湧いているはずなのに、心のどこがで私も楽しんでしまっているからやっぱりこの人は憎めない。
詩葉先輩は私をからかって満足したのかまた自分の席に着く。
「いやあ、それにしても柊和ちゃん、本当に護君には全幅の信頼って感じだね! どんな子なのかすごく気になって仕方がないよ」
「どんな子って……会ったことなかったですか?」
「残念ながら見かけたことがあるぐらい。柊和ちゃんの話で気にはなってたんだけど機会がなくて。だからってこれといった理由もなく急に会いに行っても困らせちゃうでしょ?」
「そんな気遣いできたんですね……」
「あ、ひどい。私だって自分勝手に生きてるわけじゃないんだよ?」
私もこうは言ったけど先輩はそこまで自分勝手じゃないことはわかっている。
「でも役員になるならいい機会だね。これからは元生徒会長として堂々と仲良くできるよ」
「護は最高にいい子ですから先輩も気に入ると思いますよ」
「いや~。どうかな、柊和ちゃんのモノを見る目、護君に対するものだけは信頼しきれないから……」
「何でですか!」
私ほど護のことを正しく、そして詳しく評せる人間はいないだろうに。一体どこがあてにならないというのか。
一度護について語って聞かせてみせた方がいいかもしれない。軽く四〜五時間ぐらい。
憤慨する私に対して先輩は少しの間静かになり、やがて口を開く。
……気のせいだろうか。
私を見るその視線は一瞬だけどこかぬらりと絡みつくようなものに変わったように感じた。
「護君といえば……私も色々耳にするよ」
「護のですか? どんな話を? 誰から?」
つい気になって質問がまとまらなかった。
「霧華ちゃんが護君と同じクラスなんだよね」
「キリカ? どなたですか?」
昨日の今日で早速悪い虫見つけちゃったかもしれないな。
「ああ、うちの生徒会の後輩ちゃんだよ。柊和ちゃんがブラコンって話をしてたんだけど、そしたら護君と同じクラスだって」
「ああ、後輩の。……え? 二人でそんな話してるんですか?」
ブラコンという言葉に反応しても詩葉先輩は応えてくれない。
「優しくて清潔感があるし、そのうえ顔が柊和ちゃんに似て美形、おまけに家事まで完璧にこなすっていうんだから、狙ってる女の子が多いんだって」
『生徒会で何の話をしてるんだ』と突っ込みたくなったが私の意識は新たな先輩の発言にくぎ付けになる。
「狙ってる? 闇討ちですか?」
「なんでさ。普通に恋人候補としてだよ」
「護が?」
「そう。君の弟の橘護君ね」
……………………。
護が、モテる……いや、知ってた。
というか護の場合昔からそうだったし。ただ、高校からはそういう話を聞かなかったからすっかり意識から抜け落ちてただけで……。
なら、もう彼女も……いや、なら流石に私に黙ってるわけないか……。
「全っ然、気付かなかった……」
「護君とはあまりそういう話をしないのかな? もう告白とかした女の子もでてるらしいし、今も狙ってる子もいるんだって」
「そこまで⁉ 確かに性格も良いし顔も良いと思いますけど!」
「それが興味深くてね。私もその話を聞いて霧華ちゃんに同じ質問してみたんだけど」
その霧華という子は護と親しいのだろうか?
「ほら、去年の柊和ちゃんも同じようなことで盛り上がったけど、すぐに弱火になったでしょ?」
そういえば私も去年似たような状況にはなっていた。軟派な奴ばっかりだったし、そういう状況も二年生になる頃には落ち着きを見せていた。
断り続けた影響なのか……もしくは火傷跡がいい虫よけになったのかもしれない。
「柊和ちゃんはどんな相手でもそういう告白には応えなかったでしょ? 隙がなさ過ぎて、君に惚れた子たちも段々諦めていったけど、護君のほうはその真逆みたいなんだよね」
「……隙が多いってことですか?」
詩葉先輩は机に肘をつけて組んだ指に顎を乗せる。
「そう。女の子と話してる時、それはもう隙だらけなんだって。相手に好意を勘違いさせるような態度で接してくるらしいよ? パーソナルスペースが近いっていうか。計算じゃなくて天然でそれをやってるらしくて、最終的には両想いなのかもって勘違いするんだってさ」
「それは……エグいですね」
ただ、それに関して言わせてもらうと護は昔からそうだ。
しかも誰にでも無差別でそういう態度をとるからタチが悪い。
そう、本当に誰でも……。
「でしょ? そのくせ女の子側が思い切って距離を詰めてみたり、いっそ告白してみたりしても家事があるってすっぱり断っちゃうんだって」
なんということか。昨日悪い虫が寄り付かないか不安だと心配していたのに全くの杞憂だった。
たしかに女の子たちを寄せ付けるところはあるようだけど、そのことごとくを撃退してしまっているらしい。すべて天然で。
甘い匂いで誘ってパクっといくなんて。食虫植物じゃないか。
いやパクっといってはないんだけど。
護とウツボカヅラやハエトリソウの類を重ねる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
てっきり今現在は護の良さが分かるのは私や美咲くらいですんでるものかと……。
「でも、もしかしたらそのうち護君の琴線に触れてくる女の子が出てきたりするかもね? そうしたら護君は盗られちゃうかもしれないよ?」
「護に彼女ですか……」
いつかはできるんだろうとぼんやりと思ったことはあったけどまさかこんな間近な問題だとは。
私も覚悟が足りてなかったってことかな……。
「もしかしたら、それもアリなのかもしれませんね……」
詩葉先輩は目を点にして私を見つめる。鳩が豆鉄砲を打たれたようなとはこんな感じの顔だろうか。
ところで、鳩が豆鉄砲打たれた顔って実際はどんな顔なんだろう? 鳩っていつも同じ顔してない?
「……あれ、意外な反応だね。柊和ちゃん的には気に食わないシチュエーションだと思ったのに全然不満とかないんだ」
「それはまあ、護と過ごす時間が減ったりしたら悲しいし寂しいですけど。でも護とは《《あくまで》》姉弟ですから、いつかはそういう日がくることも覚悟してます」
「……まったく、柊和ちゃんはさぁ」
護に彼女ができて、そっちに夢中になったら私と過ごす時間は自然減っていくことになるだろう。
心の準備が必要だと思う。寂しいけど、いつかはその時が来るから。
そんな覚悟をする私に対して、詩葉先輩は呆れた表情を向けてくるけど。
「でも、アリっていうのは?」
詩葉先輩に訊かれて、割と私の深いところにあるものが、しかし抵抗なく素直に打ち明けられる。
「護って結構心配になるところが多いんです。家事とか一人で抱え込んで自分のことは顧みない姿勢がスタンダードっていうか。告白を全部断ってるのも、自分が恋愛するとか、そんな選択肢がそもそも護にはありえないんだと思います」
でも……護の性格なら誰かに絆されてしまったりとかも考えられたんだけど……そういうこともなかったんだ、少し意外かも。
「へえ?」
思い返せばいままで詩葉先輩と話す護の話は護自慢とか思い出話とかばかりでこういう真面目な話はあまりしなかったかもしれない。
でも興味深そうに耳を傾けてくれるのでそのまま話し続ける。
「だから、もしそんな護に新しく彼女なり趣味なり夢中になってくれるものができて、新しい視点ができたなら、少なくとも家事ばっかりで自分に無頓着ってこともなくなるかな、と」
「もしかして私的な事情ってそういうこと?」
さらっと言い当ててくるあたりやはり詩葉先輩だなと思う。
「わかりますか?」
「まあね。そっか、ふむふむ……なるほどねぇ……。ねえ柊和ちゃん」
「なんでしょう?」
「柊和ちゃんはいつも本気で否定してるのは分かってるんだけどね。私が何度も言うように、君は間違いなくブラコンだよ」
またそんな事を言う先輩は、けれどからかっているような様子が見られない。否定したいけれど、今は黙っておくことにした。
「ちゃんといいところだけじゃなくて悪いところも見てあげられてる。そのうえで自分のことは二の次で護君のためになることを考えてあげられる。本当に大事にしてるのが第三者の私にもわかるよ」
「詩葉先輩……」
「というかそもそもブラコンじゃない普通の姉なら、弟に彼女ができることに覚悟は必要ないからね」
「そうなんですか⁉」
「……君と話に聞く護君はそっくりだ。だからこそ、君が護君を心配するように、私も君が心配になってくる」
私は面食らってしまった。私が護と同じだなんて考えたこともなかったから。
「そっくり……? それに心配、ですか?」
「柊和ちゃん、確認するけど、君が護君の心配してるところが自分にも当てはまってること、気づいてる?」
「私が……?」
「自分を顧みらない姿勢、背負うものの多さ、恋人だって最初から作る気はなかった、どれも私から見た柊和ちゃんにも少なからず当てはまる要素だと思う」
「そんなことは……」
「本当にないかな? 少なくとも過保護な自覚くらいはあるんじゃないの?」
ギクッ。
なんて音がつい体から漏れそうになる。
「心配いりません。無理はしてませんから」
「必要だったらするんじゃない?」
絶対する。
「それは……」
「……昨日、柊和ちゃんが困ったら私が手を貸すって言ったよね。あれ、生徒会の事じゃなくても頼ってくれていいからね。私的なことでも、困ったことがあったら頼ってくれていい。私は君の事を友人だと思っているから」
「……!」
「まあ、柊和ちゃんならけったいなことは言わないだろうって算段はあるんだけどね」
冗談めかした言葉につい力が抜ける。そうして先輩に詰問されてすこし緊張していたのに気付いた。
「せっかくちょっと胸にくるものがあったのに。急に情けないこと言わないでくださいよ」
「ふふ、ごめんね? でも、私が力になれることがあるなら手を貸すことは惜しまないから」
笑って謝りながらも、手伝う意思はしっかり伝えてくれる。
「本当に先輩にはしてもらってばかりでお返しできませんね」
「そんなことないよ。柊和ちゃんは一緒にいるだけで暇しないからね、日々楽しませてもらってるから」
それはお互い様なんだけど。
私と護は色々あって二人で生きていくことになったけど、詩葉先輩や美咲、飛鳥さんのような存在がいてくれたことはすごく恵まれていたと思う。本当に二人きりなら毎日がもっと苦しかったかもしれない。
いつか本当に先輩たちに恩を返してみせようという思いが今日でまた深まったように思えた。




