願望、他人の助けありて叶う
年長組高校二年の秋。
みじかめです。
「あれ? 忍ちゃん?」
ドーナツ店でひーちゃんとの談笑中、入り口付近からかけられた声に振り返る。
「やっぱりそうだ。久しぶりっ。」
こちらへ向かって手を振っているのは制服姿の香奈朶ちゃんで、見知った顔へ私も手を振り返した。
「しーちゃんのシリアイー?」
「うん。彼氏の幼馴染さん。」
尋ねられて頷く。ひとりで入店してきたらしい香奈朶ちゃんはきょろきょろとあたりを見渡した後、困ったようにこちらへ視線をくれた。あ……席がないのかな?
「ひーちゃん、呼んでもいい?」
「いーよ、いーよー。」
椅子は三つあるし、ひーちゃんコミュ強ギャルなので行けるだろう、と提案したところ二つ返事で了承された。テーブルに両肘をついたまま、私より先にひーちゃんが香奈朶ちゃんを手招きする。
嬉しそうにトレーを持ってこちらへ向かってきたのを迎え、席に着いたところで香奈朶ちゃんが口を開いた。
「ありがとうー。お邪魔しちゃって大丈夫だったかな?」
「席空いてたしー? 全然いーよー。」
言い終えてすぐカフェオレのストローを咥えるひーちゃん。香奈朶ちゃんはひーちゃんと私とを交互に見、お高そうな通学鞄を床へ下ろした。あ、そういうの平気なんだ。数回しか話したことがないし、尋くんから彼女はどこかの社長のお孫さんだと聞いていたので……いや偏見なのだけど、鞄はどんなに大きくとも絶対に背もたれと背中の間に置くと思っていた。そっか床に置くんだ……勝手に親近感。
「えっと、忍ちゃんのお友達だよね?」
「うん。同じクラスの松明仁江ちゃん。」
私の紹介に合わせ、「よろしこー」と笑うひーちゃん。香奈朶ちゃんは小首をかしげながらも「よろしこー?」と合わせた。お嬢様かわいい……こんな育ちも品もいい子を間近で拝めることに感謝……。
「雪女子のカワイ子ちゃん、お名前はー?」
「植野香奈朶ですっ。」
私が紹介するまでもなく香奈朶ちゃんが名乗りを終える。コミュ強同士だもんね。よかった、私の見立ては間違っていなかった。
「うえのっちね。覚えたー。」
「あは、面白い呼び方だ。」
笑いながら両手を合わせていただきますの姿勢を取る香奈朶ちゃん。皿には五個のドーナツが乗せられている。思いのほかいっぱい食べるんだなあ。いっぱい食べる女の子はかわいいよね。しかも香奈朶ちゃんなら食べた分が全部おっぱいに行きそう。いいな……。
「んう。」
中に苺クリームが入っているドーナツを一口かじって、香奈朶ちゃんはくぐもった声を上げた。反対側から出てきたクリームが、咄嗟に出した手で支える間もなくボトボトと落ちる。え、もしかして食べるの下手くそなの……? 何もかもかわいい……。
「あは、やばー、クリーム全部出たんじゃね?」
目を細め、ひーちゃんが言う。明らかにオーバーサイズで袖口がボロボロになっているいつものカーディガンの袖をまくったかと思うと、伸ばした手で躊躇いなく香奈朶ちゃんのほっぺたを拭った。
「ついてた。」
「ありがとう。」
初対面だよね? あれ? 目を瞬かせている私の前でひーちゃんがけらけらと笑う。
「そーゆードーナツってー、クリーム入れる穴あいてるからー、そこから齧るといーよー。」
指を布巾で拭い、ひーちゃんはそう言って肩を揺らした。この慈愛に充ちた瞳……これは……お姉ちゃんの顔……! 友人の初めて見た一面にまたしてもときめきを覚える。ひーちゃん、魅力的すぎるんだよな……ギャルはいいぞ……。
「仁江ちゃん優しいね。次から気をつけるね。」
助言を素直に受け入れた香奈朶ちゃんはスカスカになってしまったドーナツを一欠片ちぎった。皿に落ちたクリームを綺麗に掬って、一口、一口食べ進めていく。美味しそうに食べるなあ……。
お嬢様がこういう庶民的なものを口にしているというシチュエーションだけでも助かるのに、更に彼女、何を隠そう私の推し配信者グループの一員なんだよね……あのレアキャラ「かなな」ちゃんが幸せそうにドーナツいっぱい食べてる……ありがとうございます……幻覚って体でファンアート描いて後でニコヤカ静画にアップするね……ちゃんと共有するから待っててね、だんち〜ず☆のオタクたち……。
「しーちゃん、真顔でどしたー?」
ひーちゃんに声をかけられて我に返った。いけない、友人知人相手に完全な推し事モードになりつつあった。それもこれもひーちゃんと香奈朶ちゃんが良さみに溢れているのが悪い。
「ううん、香奈朶ちゃんが下校中に買い食いするイメージってなかったから……ちょっと、意外だなって。」
これはこれで本当の感想を述べ、「美味しそうに食べるね」と付け加える。香奈朶ちゃんは二個目のドーナツを咥えたまま小さく首を傾げた。嚥下まで少しあって口を開く。
「意外かな? 私、食べるの大好きだから、ドーナツとかクレープとかハンバーガーとか、一人でも結構買い食いしちゃうよ。」
えっ、そうなんだ、意外。お嬢様でもファストフード食べるんだな。それもおひとり様ってことは、付き合いとかじゃないってことだから、ファストフードそのものがとても好きってことだ。偏見が崩れ去っていく……姫川、反省します……。
「わかるー。あたしも『今日こそ真っ直ぐ帰ろ』って毎日思うけどー、気づいたらやっぱタピオカ持ってんのー。ウケね?」
「気づいたら持ってるのはびっくりだねっ。」
噛み合っているのかいないのか、とりあえず波長はあっている様子の二人を眺めつつ、アイスティーを一口。ああ……私本当に西高受けてよかったなあ……色んな意味で憧れてた景色が今、目の前にあるよ……。
「ところでさ。」
ホットココアに手を伸ばしながら香奈朶ちゃんが言う。飲み物も甘いものなのね……? 気持ち悪くなったりしないのかな。
「うん」、「なーに」とそれぞれ返せば、彼女は楽しそうにこう続けた。
「『しーちゃん』、『ひーちゃん』って呼びあってるの、とってもいいね。きっと、すっごく仲良しなんだねっ。」
一口飲んで「あち」と舌を出す。そんな香奈朶ちゃんの仕草を眺めてから、視線をひーちゃんの方へ……
「あは、ゆーてまだトモダチ二週間目よー。」
……あっ。えっ、ひーちゃんめっちゃ嬉しそう……! それは私も嬉しくなっちゃう反応だ。
「そうなの?」
「そー。カタチから入った的な?」
ず、とひーちゃんのストローから音が鳴った。「ありゃごめん」と言った彼女と、ばっちり目が合う。
「しーちゃんと仲良くなりたすぎてー、あたしから『呼んでい?』ってきーたんだー。ね?」
「わ、私もひーちゃんと仲良くなりたかったから、嬉しかったよ。」
環境が完全に人智を超えたそれだったことは置いておいてね! 神隠され中だったわけで、絶対にそれどころではなかったはずだけれどね! ……などと回想しているうちに、香奈朶ちゃんがぱちぱちと数回瞬きした。さっきよほど熱かったのかココアを今度は恐る恐る口へ運び、無事に飲み込んでから口を開く。
「二週間目はびっくりだ。もっとずっと前から仲良しなのかと思った。」
「んーん、つい最近までぼっちだったかんねー、あたし。しーちゃんに拾われたんだー。」
「ね」と同意を求められ、首を横に振る。
「ううん、ぼっちで拾われたのは私の方だよ。クラスメートと買い食いして帰るなんてこと無かったから……今、すごく楽しい。」
言えば「そりゃーよかった」とひーちゃん。香奈朶ちゃんはうんうんと満足気に頷いて、ふと何かに気づいたのか、ぽん、と手を打った。
「私も二人と仲良くなりたかったら、何かニックネームで呼べばいいのかな?」
首をかしげ、真剣な面持ちである。ということはたぶん友達百人いるタイプの香奈朶ちゃん、私やひーちゃんみたいなとっつきづらい人間とも仲良くしてくれるつもりなのだろうか。たぶんいきなりニックネームで呼ぶのは、友達づくりの端緒として間違っているけれど。
「寄り道とかはちょっと……っていうお友達が多いから、いつもひとりで買い食いしてたんだけどね、ちょっと寂しいなって思ってたんだ。たまにでいいから、私も混ぜてくれないかな?」
そうか……雪女子ってお嬢様が多いもんな。香奈朶ちゃんの周りもお金持ちの子だらけだとしたら、何らかのお稽古とかがあったりして、まっすぐ帰らなくちゃいけなかったりするのかもしれない。また偏見かな、これも。
それにしても、ストレートにこういうことを言えちゃうところが香奈朶ちゃんのいいところだと思う。私なら同じことを思ったところで、尻込みしている内に解散の時間になりそうだ。さて、首肯しようとした私より先に、口を開いたのはひーちゃんだった。
「あは、たまにとか言わないでさー、いっぱいあそぼーよ。あたし今しーちゃんしかトモダチいないからー、マジ大歓迎よ。」
メール教えて、とすぐさまスマホを取り出すひーちゃん。香奈朶ちゃんはと言えば相当嬉しいのか、目をキラキラと輝かせている。そうか……コミュ強でも意外な理由で買い食いに憧れていたりするのだな……。勉強になるし、仲のいい友達が増えるのもシンプルに嬉しい。
「なんて呼ぼかなー。『かなち』でい?」
「うんっ。」
サクッと連絡先を交換しつつ、ニックネームが決まった様子。まあ私とひーちゃん然り、ありがちなそれなんだけど。でもなんか……なんか嬉しいんだよね……。
「『ひーちゃん』と『しーちゃん』だよね。」
「そ。」
「私は、『かなちゃん』って呼ぶね。」
呼び方確認作業中に私も連絡先を交換した。知り合ってから二ヶ月は経つけど、ニコヤカ動画のコミュニティ以外に連絡手段がなかったんだよね……少し前までお互いハンネで呼んでたし……あれ、オフ会かな?
「わー、嬉しい。二人ともたくさん誘うねっ。」
「もちよー。あたし帰宅部だからまじ暇だし、いつでも呼んでー。あたしも呼ぶけどー。」
「私も……声かけるねっ。」
*****
かなちゃんのお皿が空になったタイミングで、三人とも腰を上げた。日が短くなってきたものだ、もう随分と暗い。
「しーちゃん、家反対方向だよね? 帰り大丈夫?」
「うん、大丈夫。もう部活終わってる時間だし、すぐ尋くんと合流できるはず。」
心配してくれたかなちゃんへ返答すると、反対側から小突かれた。
「この時間から遊ぶとか、やるーう。」
「そ、そんなんじゃないよっ!」
にやつくひーちゃんへ頬をふくらませる。やましいことなど無い。尋くんに家まで送ってもらって、夕飯を作ってもらうだけだ。いや、うん……? よく考えたら私にばかり都合のいい予定じゃないかこれ? 尋くんいつもありがとうね?
「しーちゃん。」
声をかけられたのでかなちゃんを見た。がし、と両肩を掴まれて、「ほえ」と変な声が出る。
「尋に何かされたらすぐ言ってね。かな、色んな手段が取れるからね。」
目が本気だった。心強いけれど多分彼に限って私を泣かすような真似はしないと思うので大丈夫だよそんな社会的に抹消することも辞さないみたいなことを幼馴染を対象に遠回しにでも言い放ってはいけないよかなちゃ……あれ、今かなちゃん一人称「かな」じゃなかった? え、かわいい……ひーちゃんのとは違う種類のときめき……
様々な感情を何とか飲み込んで「大丈夫だよありがとう」とようやく口にしたところでスマホが鳴った。尋くんから、「ドーナツ屋向かってる」とのメールである。
「ぴの顔拝んでから帰ろかなー。いーな、あたしもカレシほしーわ。」
「私もー。」
楽しそうに並んでいるふたりを眺め、本当に友達ができたのだな、と実感する。大袈裟だけれど……うん、生きててよかった。
「忍ー、遅くなってごめ……あれ、香奈朶? なんでいんの?」
「お友達だからっ。ね、しーちゃん。」
「ね。」
「えーやばー、しーちゃんのぴ、ナマで見てもちょーイケメンじゃん。ウケる。」
「え……ありがと? この子も忍の友達? 意外なタイプね?」
「ふふふ……うん。お友達っ。」