待人、来る
年長組高校二年の秋。
交換創作会提出作品に加筆修正したものです。
九月某日。
準備を始めてからそれほど時間は経っていないような感覚なのだけれど、私は今、修学旅行先の小さな神社にやってきている。ここにいるということはもう二日目ってことなんだよな。夏休みを挟んだとはいえ、時が経つのは早い。
「さすが、アニメの題材にされるだけあるなあ。小さいのに何かいい感じの神社じゃん。」
同班の男子生徒が言うのに頷く。アニメの聖地だということで、彼含め三人の男子たちが来たがっていたこの神社。いま私たちは一基目の石造りの鳥居から三十段ほど石段を上った先に立っているのだけれど、ここからさらに九基の小さめで真っ赤な鳥居が続き、その奥にお社が見えている。敷地を地図で見たときに結構狭かったので、言い方は悪いがもっとしょぼいものを想像していた。けれどさすがは歴史のある町に存在するだけあって、霊感も何もない私にも何か神秘的なものを感じさせる雰囲気がある。
「写真撮る前に挨拶、済ませた方がいいんじゃないか?」
すぐさまスマホを構えた男子三人へ、もう一人の男子が視線でお社を示して声をかけた。なんとなく流れで班長になったクラスの一軍男子、寺生まれ山椒付和くんである。寄せ集めみたいな班の中で唯一のコミュ強だったので致し方なし。ありがとうございます。ちなみに副班長は私、姫川忍だ。至らないにも程があるけれど、そこは許して欲しい……。
「確かに、人間でも挨拶なしに敷地内撮ったら嫌がられるよな。」
「いや人間なら挨拶しても嫌がられるだろ。でも、お参りしてからにするか。」
それにしても、六人の構成員中私含めオタクが四人を占めていると居心地が良い。男子たちが先行し、私ともう一人の構成員であるギャル子ちゃんとが続いて六人でお参りを済ませた。
ギャル子ちゃんに関しては、この自由行動中許可されている私服がめちゃめちゃお手本のようなギャルだったので正直ちょっと怯んだ。でも、人当たりのよい子であることはわかっているので、旅行が始まってからは常に一緒に行動している。班員の中で女子は私と彼女だけなので、当然といえば当然の話だけれど。
「あ。姫ぴぴ見てー。」
ギャル子ちゃんが指さした先を見る。社務所があり、アニメコラボの絵馬とお守りが販売されているようだ。ポスターがいっぱい貼られているし、キャラクターの等身大パネルなんかもある。該当のアニメは履修していないけれど、狐娘ロリば……ええと、何千年も生きていて狐の耳としっぽが生えた、みかけは小さな女の子と大学生青年とのドタバタラブコメディ……だったと思う。
「社務所アキバみたくなってんのウケるわ。」
けらけら笑うギャル子ちゃんへ頷いた。なんというか……コラボするのはいいけれど、やりすぎ感が否めない。お社方面はあんなに神秘的なのだから社務所も威厳を保った方がよいのではないかしら……お節介かな。
「オタクくーん。あーゆーのはいーの?」
「最後に買って帰るけど、とりあえず写真撮ってくる!」
嬉々として散っていったオタク男子たち。旅行準備も初めはギャル子ちゃんに気圧されて「あばばば」ってなっちゃってたけど、こうやってちゃんと喋れるようになったんだなあ。特にギャル子ちゃん、ここまで見てきた限り笑顔か真顔かしか表情にバリエーションがないし、何を考えているかがわかりにくいのも距離を置きたくなる一因なのかもしれない。話してみれば普通の子なんだけどね。馴染めてよかった。
付和くんは彼らを目で追い、こちらを一瞥してからお社の方へ向けてスマホを構えた。ここまで一日半くらい行動を共にして分かったことだけれど、彼、事前に興味がないとか言っていた割には古い町並みや寺社仏閣が好きみたいだ。ご実家がお寺だからっていうのもあるのかな。
「姫ちー。」
呼ばれたのでギャル子ちゃんを振り返る。彼女はいつの間にか社務所のすぐそばまで移動していた。
「おみくじあるよー。引いてみよー。」
こちらに向けて手を振っているので駆け寄る。指さす先にはここで販売……いや、神社だと「分けていただく」とか表現した方がいいのかな? とにかく、アニメグッズを含めて社務所で参拝者がお金を払う諸々が一覧として貼られており、彼女はその中におみくじをみつけたようだ。
「いいね。引いてみよ。」
「さすが、ノリいー。」
社務所の中へ声をかけると巫女さんが顔を出す。二十代後半くらいの綺麗な女性で、にこやかに対応してくれた。どうやらここを彼女一人で回しているようだ。平日ということもあり、アニメの放送もすでに終わっていることから私たち以外には二組くらいしか参拝者が見えないけれど、それにしても一人はすごいなあ。御朱印とかも彼女がやるのかしら。
アニメコラボと通常のうち、通常のおみくじを選択する。プラスチックケースを差し出されたので、中に入っているおみくじをギャル子ちゃんと私、それぞれ一枚ずつ引いた。いやプラケースかよ、と一瞬思ったけれど、最近になってアニメで有名になっただけの小さな神社なのだからよく考えたら不思議なことではない。実家の近くの神社なんて社務所は基本的に無人で雑におみくじの箱だけ置いてあるもんな……昨日大きな寺社仏閣ばかりを巡ったのでそちらに慣れてしまったようだ。
「結ぶとこはー……あっちか。いこいこー。」
後ろにカップルが並んでいたので、すぐに社務所から離れてギャル子ちゃんに続いた。どうやらこの神社ではおみくじ掛けのような人工物ではなく植栽の枝に直接結ぶようだ。小さな実がなっている、可愛い低木。何て種類の木なんだろう。
「いいとこだねー。あたし全然キョーミなかったけどー、割と落ち着いてて好きかもー。」
ギャル子ちゃんがおみくじを開きながら言うのに頷いてから、私も開け口に手をかける。
――不意に、目の前を綺麗な銀杏の葉が舞った。
秋口でもあるためさほど珍しい光景ではないのに、何故か妙に目を奪われた。右から左へすう、と通り抜けたのを目で追って、その終点で思わず「え」と声が漏れる。
「うっわ。」
数歩先でギャル子ちゃんの声。心なしかいつもより低い声音だった気がしてそちらを見遣れば、私と同じ方を見ている彼女は無表情で後頭部をかいていた。その後、にこり。
「ちょーキレーくね? ウケるー。」
ウケとる場合か、と反射的につっこみかけて抑えた。声音が違ったから何か思うところがあるのかと思ったら、いつも通りだった。
確かにだ、確かに綺麗だけれども、言及すべきはそこではないし愉快げなのもおかしい。絶対におかしい。
「わー、やばー。あっち見てみよーよ。」
まあ……彼女の様子を見て私が落ち着きを取り戻したのは事実である。うん、確かに泣いても喚いても仕方がない。いや、ウケてることには釈然としないけど。
「えと……だ、大丈夫かな……そんな軽率に動いて……」
とりあえず楽しそうなギャル子ちゃんに懸念材料を投げる。投げるだけ投げてから辺りを見回した。うん……気のせいじゃない。え? ほんとに?
先程まで境内で一番目立っていたのは丹塗りの鳥居だったはずなのだけれど、どういうわけか九基のそれらは忽然と姿を消し、そこには紅、橙、黄色に各々化粧した木々が見事な枝振りを広げている。さっきまで私たち、あそこを歩いていたはずなんだけどな……。どう見ても立ち入るのは困難そうな森具合だ。おみくじが結んである植栽以外は左右も前方も全部、森。綺麗な暖色の森。その証拠に木と土のよい香りがする。さっきまではお社で焚いてるお香の匂いがしていたはずなのに。
「大丈夫、大丈夫ー。」
ギャル子ちゃんから根拠がなさそうな返答を得て、それでも一人になるのは嫌なので彼女に続いた。
歩き出して気づいたのだけれど、どうやら境内全てが森に飲まれたかというと、そういうわけではないらしい。私たちの足元なんかは石畳で、それは社務所があったはずの方へと続いている。「あったはず」と言ったけれど、社務所も跡形もなく消えているのである。代わりにあるのは随分と大きな丹塗りの鳥居で、そこから上へ上へと石段が伸びていた。あからさまに「人の所業ではありません」ってしてくるのやめてくれませんか……理解が追い付かないんですが……。
「すっごい鳥居ー。めちゃキレー。ついさっき塗ったみたいー。」
「やめて……状況が人知を超えてることを更に認識させないで……。」
「姫ちん面白いこと言うね」と鳥居に近づいていくギャル子ちゃん。石段のてっぺんにも下のと同じ鳥居があるけれど、その先の様子までは見えない。何段あるんだろう……っていうかここ、山のてっぺんじゃなかったっけ……? 事前に地図で見たぞ、私。その更に上ってことは……?
「姫ぴ、頭抱えちゃってどしたー?」
眼前に広がる、実際にはおろか写真でさえ見たことがないくらいに現実離れした景色。感動を通り越して畏怖までもを覚えるそれを見るや「ウケる」との感想を口にしたギャル子ちゃんは、あまりにも強キャラが過ぎないだろうか。
「もしかして、さ。」
「うん?」
あとね、これが一番信じ難いことなんだけど。
「これ……神隠しだ……?」
「あは、ぽいねー。」
夕陽が綺麗なんだよね……。時計はまだ昼過ぎ、午後二時半を示してるのにね……。
*****
さて、ギャル子ちゃんに半ば引きずられて散策すること十五分。
「下、全部見ちゃったぽい? 階段上がってみる?」
石段を指さしてギャル子ちゃんが言った。何故こんなに冷静なんだこの子……私なんて怖くて怖くて……
――と、言いたいところなのだけれど。
「うーん……でも大丈夫かな? 鳥居って、神様と人間の世界とを区切るものだって聞いた事あるんだけど。」
私自身も何故か落ち着いてしまっていたりする。逆に大丈夫なのかしら……絶対にありえない環境下だぞ、私ちゃん?
「まあ大丈夫しょ? 相手カミサマなら、悪意あったらとっくにウチらコロされてそーじゃん?」
「悪意なく連れ去られてる方が帰してもらえない気もするんだけどな……。魅入られちゃったってことじゃない……?」
まあ確かに「歩き回るのが畏れ多い」みたいな感覚はあるのだけれど、怖くてたまらないだとか、不安で仕方がないだとか、そういった感情は一切湧き上がってこない。むしろ懐かしさというか、変な充足感があって……今風に言うと「エモい」? そんな気持ちだ。
「とりま脚疲れてきたし? 座っちゃおー。」
ぺこ、と一礼してから鳥居の右端を二人で通り抜けた。数段上がったところで向きを変え、ギャル子ちゃんが先に腰を下ろす。私も彼女の一段下へ追従、見上げるような体勢で落ち着いた。思えばこの子、礼をしたり手水舎で清めたり、旅行を通じてそこらへんが律儀なんだよね。そういうところ、すごく好き。
「あたしさ、実はこーゆーの、慣れてんだよね。」
小さなバッグのどこに入っていたのかお茶のペットボトルを取り出すと、彼女は肩を竦めた。
「慣れて……えっ?」
「ちっちゃい頃からー、自分ちの庭で迷子になったりとか、よくあってー。」
「庭めっちゃ広い豪邸とかじゃないのによ」とギャル子ちゃん。しかも「ちっちゃい頃『から』」ってことは、子供の頃限定の話じゃなく、今でもってこと……?
「花壇があってちっちゃいブランコがあってー、チャリが停めてあるくらいのほんと普通の庭なんだけどー。何でか時々、変なとこ迷い込むんだよねー。でも、ここもそーだけど何となく落ち着くからお昼寝したりしてー、気づいたら、元んとこ戻ってる的な?」
「的な」て。もし自分がこうしてヤバそうなところに来ていなければ「夢じゃないかな?」って苦笑いするところだけれど、もう自分自身で異界の存在を証明しちゃってるんだよね……。あ、彼女のも今のこれも両方夢だったりしたら、私としてはとても嬉しいよ!
「だから今回も、大丈夫じゃないかなって思うんだー。」
軽く伸びをして、ギャル子ちゃんはのんきに言う。
「ね。」
と、私の目をまっすぐ見て笑んだのを見てようやく、気遣われているのではないか、と思い至った。
「う、うん。こんなこと初めてだからちょっと怖かったけど……松明さんのおかげで、帰れそうな気がしてきた、かも。」
「あは。でしょでしょー。大丈夫、大丈夫っ。」
やっぱりそうだ。雑に思えた「大丈夫」の数々で、「心配いらないよ」って、異界初体験の私が不安がらないようにしてくれていたんだ。やっぱりいい子……好感度が上方に振りきれちゃう待って……。
ところで、ここに来て初めて名前を呼んだ気がする。二人きりなので当然だけれど、今呼んだ松明さんとはギャル子ちゃんのこと。フルネームは松明仁江。私が言うのもなんだけれど、わりと古風な字面だ。地味な私と違って名前と性格にギャップがある。よき。
「前にママが調べてくれたんだけどー、こーゆーとこをシンイキってゆーんだって。カミサマって気まぐれでー、人間連れてっちゃうこと、結構あるらしーよ。」
良いお母さんだなあ。娘の言うことを信じて調べてくれたんだ。それにしても、神域……本当に? さっきおみくじ開こうとして急に私爆睡して夢見てるとかじゃなくて? それはそれで別の意味で怖いけど。
「ま、キレーなもの見られるし、あたしはいーけどー。」
「松明さん、神様に気に入られてるんだね……慣れたって言ってたけど、最初は不安じゃなかった?」
私もバッグからお水を取り出して、口に運びながら尋ねる。ギャル子ちゃんは「うーん」と悩ましげに唸って。
「家にいる方がしんどかったから、別にかな。」
あっ……地雷踏んだ? 心臓が嫌な高鳴り方をしたところで、しかしギャル子ちゃんはけらけらと笑う。さっき見たことない表情したよね? ごめんね無理しなくていいよ?
「別にそんな重い話じゃないってー。あたし妹いるんだけどー、ちょっとハッタツ遅くて体弱くてー。入退院繰り返してたから、その間あたし全然構って貰えなくてさー。さみしかったんだよね。それだけー。」
重く……ない、かなあ? 瞬きくらいしかできなくなっている私を「姫ちんウケる」と一笑に付し、ギャル子ちゃんは続ける。
「シンイキ来るとね、ウジウジしてる時に……背中押してもらえる、ってゆーか? そん時もシンイキから帰って一言ママに「サミシー」って言ったらカイケツしたしね。だからカミサマ、会ったこと無いけど絶対いいヤツーって思って、シツレーな事しないよーにベンキョーしたわけよ。あたしにしてはがんばったくね?」
そうか、それで旅行中ずっと丁寧に礼拝していたのか。先生に対してもタメ口なのにそこだけ礼儀正しいのが不思議だったのだけれど、納得がいった。そうやって義理堅いところを見ると、一見サボっているだけみたいだけれど、不登校気味なのにも深い理由があるのかもしれないな。こんなにいい子なんだもの。
「てか、家の庭からシンイキ行くと桜咲いてるとこに出ること多いんだけどー、紅葉もキレーね。」
話題を終え、無邪気に彼女は言った。先程から空想のはるか上を行くマヨヒガ状態。余裕がなかったのでよく見られていなかったが、眼前に広がるのは一面、夕刻の紅葉だ。改めて見ると確かに、きっと世界中のどんな景色よりも、美しい。まさに圧倒的、美。
「桜もきっと、綺麗なんだろうな。」
「まじキレーよ。見せたげたいわー。妹すら連れてけてないから、無理かもだけど。」
妹さんが今は元気いっぱいに女子高生をしているという補足情報を得てほっとしたところへ、一陣の風。舞い上がる彩りを眺めつつ前髪を整えていたら、彼女が小さくまた唸った。
「んー……ついでにさー、もいっこ、話してい?」
もしかしてまだ他にもスピリチュアルな経験があるのだろうか。
「もちろん。」
ちょっとわくわくして頷いた私へ、彼女は「ありがと」と笑んだ。
「あんま人に話したことないんだけどー、あたしさ、養子なんだよねー。パパとママの実の子じゃないの。」
「ふぁ。」
変な声が出た。えっ、いや、そんな人に話したことがないようなことを私なんかが聞いちゃって大丈夫……? それ、戯れにする会話じゃなくない?
「あ、だから今どーした、ってワケじゃなくてさ。初めて知ったの中二の頃でー、超ショック受けちってー。」
絶句する私へ構わず続けるギャル子ちゃん。下手なことが言える話題では無いので、ただ相槌を打つに留める。
「グレて好き勝手してさー。パパにもママにも紀華……妹にも、いっぱい怖い思いさせて。どーしても色々やめらんなかったし、悪いやつとばっかつるんで……でも、このままじゃヤバいなとは、思ってて。そんときもこーやってシンイキ呼ばれて頭冷えたってか、目ー冷めた? からさ。思い出してしゃべりたくなっちった。」
そこまで言って彼女は笑顔のまま目を閉じた。ただ懐かしんでいるのか悔やんでいるのか、普段から表情差分の少ないギャル子ちゃんから読み取るのは難しい。あ、もしかして壮絶なグレ方してた頃に色々大変なことがあって差分が減っちゃったのか……? なんか、それなら納得かも……。
「ま、未だにサボり癖抜けないから出席ヤバめだけどねー。意思よわよわー。あ、自分語りウザイねー。ごめーん。」
「ううん、ウザくなんて。その、私なんかが聞いてもいいのかな、とは、思ったけど。」
首を横に振れば、「まじヤサシー」と笑う。それから大きく伸びをして、彼女は再度ペットボトルに口を付けた。
「姫ぴだから、話す気になったんだよ。」
「え? 嬉しいけど……私なんてただ聞いたり頷いたりすることしかできないよ?」
きっともの足りないよなあ。せめて気の利いた言葉を返してあげられたらいいんだけど、どうにも人と話すのは下手くそで……
「それがいーの。姫ちん聞き上手だから、こっちも話してて気分いーのよ。誇るべきよ、そーゆーとこ。」
無意識に始まった自己嫌悪に、彼女のそんな言葉がストップをかけた。初めて言われた「聞き上手」なんて褒め言葉へ目を瞬かせていると、ギャル子ちゃんはまたひとつ笑顔をくれる。八重歯がちらりと覗いたので「ああこの種の笑顔は初めて見るな」と思った。
「おしゃべり苦手なのにー、あたしとたくさん話してくれてありがとーね。」
私、実は口説かれているのかもしれない……めちゃくちゃときめいてしまった。え、嬉しい。仁江ちゃん、本当にいい子……。いや現実には恐れ多くて名前で呼んだことなんてないけど。
「ううん、私も、松明さんとお話するの楽しい。」
「ほんとー? うれしー。じゃあじゃあ、姫ちに質問してい?」
現状が楽しんでいる場合ではないことは置いておいてね……もはやここに馴染んで忘れかけてたけど、これほんとに帰れるのかな……。まあいいか、帰れなくなったと決まってから考えよう。
「うん、いいよ。」
頷いて彼女を見上げる。私なんかに興味を持ってもらえるのは嬉しいけれど、一体何を聞かれるのだろうか。
「姫ぴぴ一人暮らしでしょ? めちゃ大変そーだけど、なんでわざわざこんなごく普通の公立高校入んのに、親元離れたのかなーって、気になってたんだよねー。」
思わず目を瞬かせた。そういえば今まで尋くん……恋人以外には訊かれたことがなかったけれど、私の境遇を知れば浮かんで当然の疑問である。私立の高校にスポーツ推薦で……とか、難関校に受かったので……などの理由であれば一人暮らしも納得と言ったところ。しかし私たちの通う富田西高等学校は中堅公立高校。自分以外の生徒が一人で暮らしているという話は、聞いたことがない。
「うーん……お恥ずかしい話なんだけど……。」
「なになに? 他落ちてここしか受かんなかったとかなら、あたしもだから恥ずかしくないよー?」
けらけらと笑ってみせるギャル子ちゃん。明るくていいな……やっぱりこの子といると楽しいや。
「私ね、別にいじめられてたとかじゃないんだけど……何となく漠然と学校が嫌で、行きたくなくて……。辛くなって一回お休みしたらそのまま行けなくなって……中学校、二年くらい不登校だったの。」
尋くん以外には、初めて話した。別に隠していた訳ではないけれど、進んで話題にするようなことでは無いし、何より自分が忘れたかった過去なので。
「たまに頑張って登校しても、被害妄想なんだけど、クラスメートとか他の生徒がみんな、私を軽蔑してる気がして。トイレで吐いたりとかしてた。」
でもギャル子ちゃんにあれほどサラリととんでもない出自を語られてしまったら、こんなことどうでもいいことに思えて、そのせいか話しながら自然と肩が揺れた。おかしいな。少し前まで思い出すのも辛かったのに、笑い話になるなんて。
「でもね、学校生活には憧れてたんだ。友達とくだらないこと話したり、帰りに買い食いしたり、テストの結果に一喜一憂したり。だから高校には行きたいなって。」
ギャル子ちゃんは頷きながら聞いてくれている。また初めて見る表情だ。惑うような憂うようなそれで、私に寄り添ってくれる。
「けど、『不登校の私』は私にとってすごく汚点で、その汚点を知っている人間が、すごく怖くて。家の近くの高校に受かったとしたら、中学校のクラスメートがゼロってことはありえない。だから、私のことを誰も知らないところに行こう、って、雑に見知らぬ土地の高校に願書出したの。」
本気で受験した子に怒られちゃうね、と続けたら、「姫ちも本気だったんじゃん大丈夫よ」と返してくれた。確かに、あの時は頑張ったなあ。勉強自体もそうだけど、メンタルなんて完全に死んでたもんなあ……。あの時の私に会えるなら全力で褒めてあげたい。大丈夫よ、って。ギャル子ちゃんみたいに。
「よく親許してくれたね?」
「うん、もちろん反対されたけど、必死にお願いして許してもらったよ。それで西高に拾ってもらって……今に至るって感じかな。」
湿っぽい話を聞いてもらってしまった。しかも結局陰キャは変わらないので、買い食いとかほとんどしたことないっていう……。最近は尋くんとか彼の幼馴染のみなさんとは一緒にご飯食べたりすることもあるけど、部活の子たちは私含め大抵何かしらのオタクなので、アニメとか新刊とか配信とかゲームとか、各々推しのために直帰だしなあ。まあ、推し事は推し事で楽しいんだけどね。
「えー、でも姫ち部活以外いつも直帰じゃん?」
脳内を読まれたのかと思った。え、何で知ってるの?
「そ、そうだね……結局めちゃめちゃ仲良しの子とかはできてないから、寄り道とかはあんまりしてないかな。」
いやもしかしてクラスメートのおおよその動向って陽キャなら把握しているものなのか? すごいな……いや待て。この子最近は学校来てるけど、ちょっと前までほぼ不登校だったじゃないか。本当に何で知ってるの?
「なんだー、ずっと誘おうか迷って、忙しいかもってやめてたけど、フツーに誘えばよかったー。」
脱力した彼女を見、目を瞬かせる。
「え?」
地に伏した色彩を巻き上げて、私たちをも巻き込んで、つむじ風が抜けていく。
「ハンバーガーとかさー、ドーナツとかさー……憧れるじゃん? あたしもそーゆーフツーの高校生活したことないからさー、してみたいって思ってるわけよ。だから……」
小さな紅葉を摘まんでくるくる回し、彼女はいつもの空虚なそれでなく、明確に片笑んだ。
「姫ぴのその『めちゃめちゃ仲良しの子』になりたいなー……とか、言ったら、笑う?」
*****
「松明、姫川。」
境内の散策中、ほど近くからそんな声が聞こえたので意識を向けた。呼ばれた二人は振り返り、そこへ立っている人物を認めて瞬きを数回。
「どうした、突っ立って?」
声をかけたのは班員のひとりである。写真撮影の途中でスマホを構えたまま、半身で振り返るようにして彼女らへ呼びかけたようだ。いくら自分が班長でも銘々が何をしているかなんて逐一観察してはいないが、確かに彼女らは二人とも、俺が見た数分前と全く同じところに立っている。不審に思うのも道理だ。
「んーん、何でもー。」
常のへらりとした笑顔で答えたのは松明の方だった。そちらを見た忍ちゃんへ何か目配せして、手にしていたおみくじをバッグへ仕舞う。
「そうか? ならいいけど。」
「心配してくれんだー、やーさしー。」
「茶化すなよ」と照れている班員へそのまま駆け寄っては写真を見せてもらった様子。相変わらずギャルという生き物の生態はわからん。
「あ、しーちゃん見てー! ちょーキレーな写真。オタクくん写真じょーずね。」
ん?
「ひーちゃん……そろそろ名前覚えてあげなよ……。」
困ったように笑んで駆け寄っていく忍ちゃんを見、違和感を覚えたところで目の前を銀杏の葉が舞った。風向きとは明らかに異なるそれを目で追って、確信はないが、なんとなく腑に落ちる。
「……また難儀な、事だな。」
合流し、すれ違いざま一言。松明は一瞬目を丸めてこちらを見、一拍置いて破顔した。
「お寺クン、ここのおみくじー、ちょー当たるぽいよー。」