花くだり
年長組高校二年生最後の月。
交換創作会に提出した作品です。
三月三十日、火曜日、午後八時五十七分。
各々のスマートフォンからアラームが響き、床やベッドにころがっていた五人は揃って飛び上がった。即座にパソコン前へと集合し、最年少がマイクをオンにする。脇にいた家庭科担当が慣れた様子でマイクテストを終え、隣で寺生まれがカメラのスイッチを入れた。パソコン画面に映る自分たちの姿を確認したのは組長。角度を微調整している横で、本日準備に役目のなかった自称イケメン担当が画面をのぞき込みながら前髪を整えた。
「よし」と声を発したのは誰だったか。準備万端となったところで、時計がカチリと九時を示す。
「今日も始まるいつもの放送!」
「春が来ますね桜も咲きそう。」
「桜スイーツドカ食い警報!」
「暁覚えぬおやすみ最高……!」
軽快な音楽をバックに、各々ワンフレーズずつの即興風ラップでスタートするのがお決まりの生放送。役割は日によってさまざまだが、今日はイケメン担当が先陣を切り、寺生まれ、家庭科担当、最年少と続く。
「抱腹絶倒あーゆーれでぃ? せーのっ!」
「だんち~ず☆!」
ラストの音頭を組長がとり、メンバー全員と視聴者のコメントが同時に同じ固有名詞を紡いだ。配信を始めて一年ほどになる「だんち~ず☆」は、男子五名、女子一名の幼馴染グループである。
「初見の方は初めましてっ。常連さん、ちーっす!」
「今日も九時から生放送。一時間ゆるりとお付き合いくださいっ。今夜のお相手は組長さっと。」
「イケメン担当ひろりん。」
「家庭科担当おーたん。」
「最年少すー。」
「外住まい組寺生まれわっふの、五名です。よろしくお願いします。」
生声配信かつ過半数が団地住まいであるという情報まで明かしている割に、縁日のお面という申し訳程度の顔バレ防止策のみで身バレが防げているのはもはや奇跡と言えよう。ここまで目立った炎上もないので特定班に晒されるようなことこそないだろうが、そろそろ友人知人には配信者だとバレる頃かもしれない。
「あ、ごめんねー。今日もかななはいないんだー。」
コメント欄を眺めていた家庭科担当が顔の前で手のひらを合わせた。
不在の紅一点は寺生まれ同様、外住まい組。あまり配信には参加しないが、時々顔を出しては視聴者を喜ばせている。おっとりとした性格に加え、お面が魔法少女アニメの妖精キャラクターであることから、漂う美少女感がうけているようだ。
「春休みだから揃うと思ってた……かあ。どっちかというとうちの、姫さんは長期休みの、方が多忙だからなあ。」
「まあ、そのうちふらっと現れるんで、気長に待ってくださいな。」
「それでは」と企画が始まり、いつものように和気藹々と進んでいく生放送。
二十分も経過したころだろうか。不意に最年少が声を上げた。
「わっふ、電話。」
「え?」
音もバイブレーションもオフにしているため本人は気付かなかったが、画面に映し出された着信の表示が、たまたま最年少の視界に入ったらしい。言われるがまま己のスマートフォンを見下ろし、寺生まれは狐面の奥で顔をしかめた。着信表示が映りこまないよう気を遣いつつ、立ち上がってからマイクへ告げる。
「急用かも。すみません少し、抜けます。」
コメント欄に「いてら~」と見送られ、退室する。そんな寺生まれをほんの少し目で追ったものの、ほか一同はさほど気にする様子も見せず企画の進行に戻った。
「わっふが抜けるとか、俺らの絵しりとり実質終了したくね?」
「辛うじて絵心あるの、わっふとおーたんだけだからな。期待してるぞ、おーたん。」
「いや、僕に頼らざるを得ないの相当ヤバいって!」
この絵しりとりは五分ほど前、画伯の組長によって既にあらぬ方向へ舵を切られて皆が気づかぬうちに終了しているので置くとして。最年少はちらと寺生まれの去った方へ視線だけ動かす。
寺生まれのスマートフォンだが、画面に表示されていた名前は「植野香奈朶」だった。本日不在の紅一点、外住まい組レアキャラ・かななの本名である。果たして自分たちのスケジュールを把握しているはずの彼女が、放送中であることが分かっているこの時間に、敢えて電話なんてかけてくるだろうか……?
「視聴者さーん、やっぱ急用だったんだけどひろりん、借りてっていい?」
そうこうしているうち、部屋の外から届く寺生まれの声。メンバーは一様に声の方へ顔を向けた後、コメント欄の確認のためにパソコン画面へ視線を戻した。
「いやいや、視聴者さんがイケメンの不在を許してくれるわけないじゃん。」
フリ全開で茶化してみせるイケメン担当。空気の読める視聴者たちは「行ってきて、どうぞ」とイケメン担当を全力で送り出しにかかった。彼の面の奥に一抹の不安が滲んだことなど、知る由もない。
彼がなぜ動揺したかといえば、寺生まれがこちらを手招きしているからである。既に面を外し、コートまで羽織って、神妙な顔つきで。なに……そういうのいいよほんと……間に合ってるよ……。
「視聴者さんのばか! 視聴者さんがひろりんのこと要らなくても、ひろりんは視聴者さんのこと大好きなんだからね!」
「うざ。」
「きも。」
「引く。」
「生理的に無理。」
「てめーにだけは言われたくねーぞ原因寺生まれ!」
仕方なしに腰をあげつつ、まあ、穏便に抜けられるなら御の字である。視聴者コメントも含め全員で軽口を叩きあった後、「じゃーね!」と締めにお決まりの挨拶を、今日ばかりは吐き捨てるように放って画角から飛び出した。
廊下に出てすぐに寺生まれ――もとい、山椒付和は、手に持ったまま下ろしていたスマホを耳に当てて会話を再開する。ずっと通話は繋がっているらしい。
どうやら自分がどこかへ連れ出されるようだということだけは把握したイケメン担当――もとい、船井尋は、気が乗らないながらもコート掛けから自身のパーカーをひっつかんだ。なお、現在地は組長の自宅である。
「悪いな。ちょっと緊急事態で。」
スマホを少し顔から離し、万が一にも配信中のマイクが音を拾わないよう小声の付和は、相も変わらず深刻な顔つきだった。先ほどの煽り全振りムーブからはかけ離れた気遣いに、「いいけどさ」と尋。尋には付和のこの表情に、心当たりがある。
「お前の緊急事態めっちゃ嫌なんだよ……絶対怖い話じゃん……。」
「まあな。」
寺生まれという出自のせいか、この付和という男、見える・感じる・祓えるの三拍子そろった「その手」の半ば専門家である。即答されたことから見て、電話の相手は今まさにおばけ関係で付和に何かしらの相談を持ち掛けてきているらしい。
「相手誰なの? てか、何でよりにもよって『零感』の俺をご指名?」
一方尋はそれと対称的に、皆が「嫌な感じがする」と口をそろえる場所にあっても「何が?」と首を傾げる人間だ。まあ、怖いのは苦手だからそういう場所では人一倍ビビり倒すんだけど……そこに女の子がいなければ。居たらそりゃあ、少しは見栄を張る。
「香奈朶からのエスオーエスだ。内容は置くとして今、家に一人なんだって。流石に男一人で行くのは社会通念上、だめだろ。そんでお前、選んだのはまあ……消去法かな。」
「まあ、家主引っこ抜くわけいかねーし、中学生はこの時間連れ出せねーし、家庭科担当は俺の比にならんくらい怖がりだもんな……。」
俺がどんな場面にも対応できる高性能なイケメンであるばかりに……などと冗談を言いつつも、幼馴染がたった一人で怯えていると聞いてしまった以上、尋からは付和についていく以外の選択肢が除かれてしまった。
「それにしたって、なんで一人? あの過保護目な家族が香奈朶置いてどっか行くことなんてある?」
「どうも深い付き合いの、ある取引先で不幸が、あったらしい。急いで出かけたって。」
なるほどな、と尋は息を吐いた。香奈朶の祖父は運送関係の会社を経営している。大きな取引先で不幸とあれば、例え遠方であろうと出向かざるを得ないのだろう。慌ただしく行われる通夜・葬式の間、高校生の娘を一人見知らぬ地のホテルに置くか自宅に置くかの二択となれば、自宅に置いて行くのは道理である気がする。
「詳しいことは道中、話すわ。とりあえず早く、向かってやろう。」
通話を繋げたままなので、こちらと香奈朶と交互に話す付和。香奈朶の声は聞こえないが、付和の返答を聞くだけで「ああこれ絶対いるわ、香奈朶んちにおばけ」と、尋の内には絶望と形容して差し支えないタイプの確信が湧き上がってくる。
なにせ植野香奈朶氏、幼馴染としては実に嘆かわしく心配なことに、パンティにスカートのお尻側をインして登校すること、彼の知るだけで実に四回。頼むから自衛のためにもせめてパンツの上に何か履いてくれ……。いや、今そんな事はどうでも良くて。
とにかくそんな例からもわかるように、箱入り故か持って生まれた性質か、身の回りの違和感という違和感に大変疎い香奈朶。幽霊「ぽい」ものを見た程度ではおそらく「気のせいか」で済ませてしまうだろう。
その彼女が、誰もスマホなんて見ていないことを当事者として知っている生放送中に、だめもとで電話をかけてくるくらい怯えているとしたら……。
「……行きたくなさすぎるなあ……行くけどさあ。」
嘆いた尋のつぶやきに、付和は苦笑を一つ落とした。
*****
時を遡り、同日、午後二時過ぎのこと。香奈朶は思う。お花見とは大変良いものだと。
隣県にある菖蒲臨海公園の桜は、海沿いの悪辣な環境にも関わらず毎年美しい花を咲かせることで有名で、こうして屋形船から望む桜並木は見事というほかない。
香奈朶はこの日、祖父による上客の接待に同行し、一通りの挨拶を終えては滅多にお目にかかれない船上のランチを楽しんでいた。女子高生ってだけで喜ばれるから得だなあ、とシャンパングラスでお高いオレンジジュースを嗜みながら、酔っ払いの群れから少し離れたところでひとり桜を眺める。素面で水を差すのも悪いし、仕事の話はつまらないし。
「綺麗だなあ。」
小さく呟いて写真を一枚。それから何気なく公園とは反対方面、山がちな東の方へと目線を移した。山々にはおそらく臨海公園のそれとは異なる種類の桜が咲いているが、開花の条件が違うのかあちらは満開を過ぎ、残る花もわずかな様子。
「わあ。」
そんな風景の一か所に視線を留め、香奈朶は小さく歓声を上げた。河口に流れ込むいくつかの川の内、一つを下ってくる小さな舟が見えたのだ。祖父に持たされたオペラグラスを両目にあてがい、少し身を乗り出して確認する。
「やっぱり、『花嫁舟』だ。」
視認できる範囲には、小さな川が三つ海に流れ込んでいる。かつてそれらの川沿いにはいくつもの村落が存在していたのだと、香奈朶は昨日、祖父から聞かされた。村々の間で初めは単なる手段として、時を重ねるにつれて宗教的意味合いをもって行われるようになったのが、いわゆる「花嫁舟」の風習である。
村同士で縁談があった際、重い嫁入り道具を運ぶのに陸を行くのは大変なので、舟に乗せて川を行ったのだそう。次第に文化レベルが上がり、そこに自然信仰的な価値観が加わっていったことで、花嫁が白無垢で河口まで川を下る、という儀式的な行事になったのだとか。
今となってはゴールデンウィークに合わせ、県内外から抽選された新婚夫婦が日に一組、晴れ着姿の新郎新婦と花嫁の両親ないし親族とで舟下りをする……という、若干情緒の薄い行事になってしまった。しかしそれも夢見る女子高生からすれば、十分に魅力的な催しである。
「んー、遠いなあ。」
オペラグラスを通したところで、距離の離れた花嫁舟はあまりよく見えなかった。少々残念に思いつつもしばらくその姿を眺めていたのだが、そこでふと、違和感に気づく。
舟には花嫁の他に、船頭がひとり。
果たして昨日祖父が見せてくれた近年の花嫁舟の写真は、あんなにシンプルなものだっただろうか。確か船頭が前に立っていて、その後ろに花嫁と花婿、さらにその後ろに、たぶん花嫁の両親であろうおじさまとおばさま……そんな配置だったような気がする。そもそも、舟自体も大きなものでないとはいえ、あそこまで質素な作りはしていなかったような……?
舟から視線を外してはスマートフォンを取り出し、香奈朶は「花嫁舟」で検索をかけた。ヒットした画像にはやはり香奈朶の思い出した通りの情景が写っていて、花嫁が満面の笑みでこちらへ手を振りかけている。幸せそうだ。行事の性質からいっても、そうあるべきだ。でも今しがた見えた花嫁は遠くてよくわからないなりに、なんだか俯いているように見えた気がする。
そこまで考えたところで決定的なことに思い至って、香奈朶は顔を跳ね上げた。
ひゅ、と喉が鳴る。
川に桟橋のようなものはないし、川下りを終えて海へ出たのだとしても、かの木舟がジェットエンジンでも搭載していない限り、視界には絶対に収まっているはずだ。
なのに、先ほど見た「花嫁舟」は、香奈朶の視界のどこにもない。
「……うそ。」
思わず呟いて、もう一度目を凝らす。いくら景色を探しても、視界には穏やかな水面が広がるばかりである。
「憧れすぎて幻覚見ちゃったかな」とも考えたけれど、憧れが反映されるのなら今まさに手のひらにある幸せそうな景色が発現しそうなものだ。下ばかり見て憂鬱そうに、船頭ひとりと川を下る花嫁なんて……なんだか寂しいというか、悲しいというか。
それに、ゴールデンウィークにはまだまだ早い。今は春休みなのだ。まだ三月。ちらと見たカラオケ中の酔っ払いたちは置くとしても、話題が尽きたのか景色の方へ視線をやっては疲労感を滲ませている奥様方に関しては、自分とほぼ同じ景色を見ていたはずなので、花嫁舟なんて見たものなら姦しく騒ぎそうなところである。
それに何より視線を川へと戻したとき、消えた花嫁舟に、背筋を得体のしれない冷たさが駆けた。普段の自分なら「見間違いかな」で終わらせそうなものなのに。いや、たとえおばけだとしても、「初めて見たー!」なんて、はしゃぎそうなものなのに。思い出すだけでゾッとするなんて、これはもしかして植野香奈朶史上初の心霊体験というやつなのではないだろうか。
わだかまりを抱える香奈朶を他所に会場はお開きの空気になる。祖父の口上を聞きながら念のためもう一度景色を見回したけれど、やはりそこに舟の姿はなかった。
――あとで付和に相談しよう。
そう思ううちに会場は帰途につく客で慌ただしくなり、ホスト側の人間である香奈朶にも一応の役割はある。あれやこれやとタスクをこなし、家に帰りつく頃には花嫁舟のことなどすっかり忘れてしまっていた。
*****
「なるほど……で、その花嫁が家までついてきてた、と……」
「たぶんな。」
いきさつを聞き、尋は頭を抱えた。なんでおばけなのにそんなおめでたい格好してるの……幸せの絶頂じゃんその格好するときってさ……そんな状態で化けて出るって何か絶対普通じゃない事情あるでしょ……常人にはわからない未練抱えて死んだやつでしょそれ……。
そんな思考回路の全ては把握していないまでも、長い付き合いの付和は心中を察して眉を下げた。ハイスペックイケメンという彼の自称を肯定するのはいささか癪に障るけれど、実際その通りなので有事の際はついつい尋を頼ってしまうのだ。おばけが苦手なのは知っているわけだし、今回はちょっとかわいそうだったかな。
とはいえ、現状に頭を抱えたいのは付和も同じ。さすがに尋に伝えるのは避けたが、香奈朶曰くその花嫁はぼろっぼろに朽ち果てた花嫁衣裳を纏い、ぐっちゃぐちゃの顔をこちらに向けては笑っていたという。布団にもぐって震えたくなる気持ちもよくわかる。そんなの俺でも怖い。何で笑ってるんだよ……幽霊のテンプレだろ「恨めしや」。ご存じない?
対人ならば別として、対おばけの場合、にこにこしている相手にいい思い出は一つもない。付和は香奈朶に現在地を報告しつつ、スマホを持つ反対の手でポケットを探った。やっぱり今日は親父からもらった数珠、持ってきてないな……。
「こうやって走って向かってるけどさ、付和。」
問われてそちらを見る。結構必死に走っている帰宅部付和と異なり、涼しい顔のバドミントン部。
「大丈夫なの? はっきり見たってくらいだし、至近距離にいたんだろ、そいつ。香奈朶、何かされたりしないのか?」
尋はよそ見の弊害で掠めそうになった電柱を避けてから再度こちらを見、眉をひそめて尋ねてきた。「ああそれなら大丈夫」と頷いて正面へ顔を戻すと、付和は差し掛かった街灯下に集る羽虫を払う。
「おばけがいたのは窓の、外らしい。今も窓叩いてるって言うから中には、入ってきてないはず。セーフだな。」
「セーフなんだよかったあ」と香奈朶の安堵が右耳から届く。一方、質問者がいつまでも無言なのでふと目線をやれば、左側を行く尋は眉をひそめてこちらを見ていた。
「どうした?」
「いや、おばけって窓とか壁とか、関係なくね……?」
それは「見えない側」の人間にとって至極もっともな疑問であるのだが、付和にしてみれば想定外の質問であった。「どう説明しようか」と、汗が伝い始めた顎に左手を添える。
「実際問題物理的な、障壁っておばけには、関係ないんだけど、それはあくまで、本おばけが『物を通り抜けられる』って認識、できていればの話だ。香奈朶曰くその、おばけは窓に片手で、触れるようにして立ってたって言うし、硝子を抜けられるなんて、ことは考えもしないだろうな。」
付和のこの「入れないと思い込んでるうちは入ってこないけど入ってくること自体は可能」といった趣旨の発言に対し、当事者の香奈朶としては背筋が凍ったのだが、付和の方は「大丈夫、大丈夫」と実に楽観的である。
「マジでお前のそういうとこ、どうかと思うわ。」
「え? 何が?」
香奈朶の心境を察しては同情を示す尋へ、付和はひたすらに首を傾げた。
*****
植野邸正門のセキュリティ認証を文字通り「顔パス」で抜け、広い庭へと駆け込んだ尋と付和。社長邸宅の顔認証セキュリティシステムに登録されているというのは、よく遊びに来る幼馴染の特権だ。悪用はしないけど……じーちゃん、ちょっと寛大すぎるよな。
自動で閉まるハイテクな門扉の音を背に、お洒落な石畳へスニーカーを走らせる。
「うおっ。」
不意に、尋の行く手を付和の腕が遮った。尋は急ブレーキをかけ、付和の顔を見やる。真剣なその視線の先を追って、一つだけ明かりのついた窓に行きついた。
「香奈朶の部屋……。」
呟いて、再度視線を幼馴染へ。付和の目は一直線に窓の方を見ているけれど、たぶん、自分とは見ているものが違うのだなとすぐに理解した。
――いるんだ、あそこに。
尋を止めたのは、変に動いて相手を刺激しないようにするためだろうか。ええ……やだよ……。おばけ見えるのもやだけど、見えないおばけに襲われるのはもっとやだ……。
息もできないほどの緊張感。付和と窓とを交互に見る内、付和の表情が困惑を浮かべた。突然丸くなった彼の双眸に気が気ではない尋。何か声をかけようとして、言葉を紡ぐ前に付和の唇が動いた。
「消えた。」
「え?」
「何もしてないんだけど」と付和。
「中に入ったとかではない……よな?」
「ないな。完全に消えた。」
状況を把握する間もなく、ぽいと付和からスマホを渡された。電話の向こうで「ねえどうしたの何かあったの」と涙声を寄越している香奈朶に状況を説明してやる。いや……俺も全然理解できてないけど。
そうこうしている内に、あたりを確認していた付和が検分を終えたのか、尋より前に出て邸宅の玄関を指した。表情に穏やかさの戻った彼について歩きながら、ようやく尋も安堵する。何か……どうにかなったっぽい。
「なあ香奈朶。おばけいなくなったらしいから玄関あけてくんない? 一旦お前の顔見ないと、俺らも何か安心できねーわ。」
尋が言うなり、植野邸の窓に次々と明かりが灯っていく。行く先々、全ての照明をつけながらこちらへ走ってきている香奈朶の様子が目に浮かんだ。ちょっとほっこりして、でも本人が必死なのは容易に想像できる。無理もないよ……俺が同じ目に遭ってもたぶん全く同じ行動とるよ……お疲れ、香奈朶……。
「あれ、付和、それ……?」
付和の手元に異質なものを見て声をかけた矢先、スマホから「きゃあ」と小さな悲鳴、次いで衝撃音。ああ……やったな。
盛大に転んだのだろう香奈朶に一声かけてから、本人が目前に迫ったようなので、尋は通話を切った。持ち主にスマホを返しつつ、再度付和の指先につままれた「それ」を見る。
「ああ。……なんだろうな。」
曖昧に濁されたのは、見ればすぐにそれとわかる一枚の桜の花弁。このあたりに桜の木のない以上、かの花弁がここに在る意味は……おそらく。
「……親父さん、どうしても今夜来られないの……?」
「明朝に期待だなあ。今日隣町に泊まりの、仕事行ってる。」
「今日もう俺、植野邸泊まる……。香奈朶のパパにちゃんと許可もらって泊まる……。無理……おうちかえれない……。」
笑う付和、開くドア、躊躇いなく飛びついて来た香奈朶、半泣きの尋。
ぐずる香奈朶に招き入れられながら、付和は外に向かって手のひらの薄桃色をふうと吹いた。
……霧散の間際に笑んだ彼女は、この花弁に何を載せたやら。
*****
ところ変わって、組長宅。
「すーがね、来月から高校生なんだよね。」
「高校入学しても変わらずやっていくんで、よろしくお願いします。」
二名退場のあとは滞りなく進んだ生放送。イケメン担当・レアキャラ・寺生まれの三構成員がとても怖い目に遭っていることなど知る由もなく、あとは締めの挨拶を残すのみである。
そんな折、ふと組長の目に一つのコメントが留まった。
「カーテン? うお、まじだ、開いてる。」
毎回組長の自室で行っている配信だが、カメラはいつも同じ方を向いていて、右の端に窓が写りこむような画角になっている。往々にして窓というのは硝子製。しっかり室内を反射してしまい、様々なものが写りこむ危険性があるわけで、普段ならば遮光カーテンをきっちり閉めてから生放送に取り掛かっている。けれど、今日は放送前にご存知の通り全員ぼうっとしていたため気が付かず、どうやらずっと半開きになっていたようだ。
「やば。エロ本とか映ってなかった? 大丈夫?」
振り返っては立ち上がり、組長が笑いを誘う。家庭科担当と最年少も肩を揺らし、もともとそんなこともあろうかと窓の対面には極力大事なものを置かないようにもしているのでさほど気に留めることはなかった。
――こんなコメントを見るまでは。
『さっき人通ったぞw』
『近所の人の顔バレで芋づる式に身バレとかあるし、まじ気をつけろ~』
視聴者が何気なく打ち込んだ善意のコメントだ。一部には草まで生えているし、別にセンシティブな単語が含まれていたわけでもない。
「視聴者さん、やめてよお。怪談やるには季節外れだって。」
だからこそコメント欄は、家庭科担当のこの言葉を受けて、一気にざわついたのである。
きちんとカーテンを閉めて戻った組長も画面を見、顔をしかめた。当の家庭科担当的には書き込まれた冗談を笑って、放送ラストに組長が「わあ!」なんて大きな声で家庭科担当と最年少とを驚かせて、ありがちな流れでお開きになる……そういった展開を予想していたのだけれど、視聴者から返ってきたのは『え?』とか、『何が怪談?』なんて反応で。
「……。」
「……。」
面の内側で青ざめたまま黙ってしまった弟分二人を見、組長自身も震えが来そうなくらいにはビビっているのだが、ここはもう年長の意地。立ち上がると振り返り、閉めたばかりのカーテンを勢いよく全開にした。
「何してんのマジで!? コメント欄読める?! 危機管理能力ゼロか!?」
可愛い系キャラも忘れてキレる家庭科担当。外が無人であったことと幼馴染の通常運転とに安心しつつ、組長は何事もなかったかのようにカーテンを閉めて定位置に戻った。
「……さて、時間だな! まあ最後慌ただしかったけど、今日はこの辺で! 今日のお相手は組長さっとと?」
「え、普通に締めるの……? えっと、いま寿命三年縮んだ家庭科担当おーたんと……」
「同じく最年少すー……」
「プラス、途中抜けたわっふとひろりん! 以上、うっぜー生主!」
「だんち~ず☆」
「でしたっ。じゃあ、また来週ー! あ、外は誰もいなかったぞ。窓枠に桜の花びら積もってて風流だった!」
未だ困惑が支配するコメント欄を置き去りにして、この週の生放送は幕を下ろす。
しかし終了間際、最年少の発した言葉によりこの配信は視聴者の間で伝説の回として語り継がれることとなった。
「誰かいてたまるかよ……ここ三階だぞ……。」