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終わってしまえばくだらないこと

年長組三年生の秋。


「ひーちゃん、どうしよう」


 そんなメッセージを送ってきた香奈朶と共に仁江はいつものドーナツ屋へやってきた。高校が三つも密集している地区に存在している宿命か、店内は放課後のこの時間、同年代の男女で溢れかえらんばかりだ。

 思えば香奈朶と二人きりで会うのは初めてかもしれない。忍と三人でならよく遊んでいるのだが、仁江からすると香奈朶は自分の友人というより「しーちゃんの友達」という印象が強かったので、己を名指しで呼び出してきたことに先程はそこそこ驚いた。


 さて、そんな香奈朶がどうして仲良しの忍をすっとばして仁江に声をかけたかというと、その忍との間で喧嘩とまではいかないまでも険悪なムードになってしまったらしく、助けてほしいという相談だった。

 言われてみれば今日学校で話をした忍はいつもよりどこか元気がなかった気がする。たぶん女の子の日なんだろうなあ、と勝手に推測していたが、どうやらこの件が原因らしい。……けどー、あのしーちゃんじゃん? 何したら怒るんだろ、あのコ。

 疑問符しか浮かばない状態でこうして待ち合わせのドーナツ屋に辿りついたわけだが、レジに並びながら話を聞けば納得であった。何でも香奈朶、忍の恋人と自転車に相乗りしたらしい。


「それ……私に話したら、『そっか』って、笑うと思った?」


 忍はうつむいたままそう言ったあと、苦笑いのまま別れの言葉を告げ、立ち去ってしまったという。


「ごめんね、今はかなちゃんと……楽しくお話しできそうにない」


 想像するにぞっとした。仁江がもしこんなことを忍から言われようものなら、縋りついて「ごめんごめんね捨てないで」とみじめに泣き叫ぶまである。普段心配になるくらい何でも許してくれる忍から拒絶されるのだ。香奈朶が放課後まで我慢できたことを心から尊敬した。……すっご、かなち。

 それにしても、人の彼氏と自転車に相乗り。そりゃあ彼女は怒るだろうと思ってしまいそうになるが、香奈朶と忍の恋人とに関しては少々事情が違っている。彼らはほとんどきょうだいのようにして育った幼馴染なのだ。自転車の相乗りなど子供のころから当然のようにやってきただろうし、おそらく香奈朶の方も忍が怒るなんて微塵も思っていなかっただろう。


 奇跡的に取れた店内角の席に向かい合わせで座り、仁江は破れ散らかしたベージュの袖に小さな手のほとんどを隠しながら二度、三度と頷く。しょんぼりと眉を下げる香奈朶を見、少し考えてから口を開いた。

「そーねー。あたしはこう思うーってだけなんだけどー。それー、かなちが別に悪いってわけじゃないと思うー。でもー、怒っちゃったしーちゃんのキモチも? わかるかもなーってカンジ?」

 仁江にかけられた言葉を受け、香奈朶は眉を下げた。

「私、本当に悪くないかな? 普通、彼氏と自転車相乗りなんてされたら彼女は嫌がるものだってわかってたの。でも、私と尋が幼馴染ってしーちゃんは知ってくれてるから、大丈夫、許してくれるって、甘えてた」

 普段はドーナツ五個を余裕で平らげてから自宅で夕飯も食べるという香奈朶だが、今日ばかりは全く食指が進んでいないようだ。そもそも三つしか注文していない。……いや、三つでも十分すごいけどね? あたし二つ食べたらー、もー夕飯要らないし?

「ま、わかってんならー、ダイジョブじゃね? しーちゃんがー、そんくらいでかなちのコトー、キライになったりとかー? するわけないし」

 無糖のアイスカフェオレをすすり、仁江は笑う。「そうかな」と不安げな香奈朶へうなずいて、グラスの中でストローを回した。

「てかそもそもさー?」

 突然仁江の声量が上がったので香奈朶の肩が跳ねる。

「しーちゃん普段ならー、そんくらいフツーに笑ってスルーしてくれそじゃね? なんかあったんじゃないのー? その前にさ」

 ドリンクを見下ろしたままの仁江へ首を傾げた香奈朶の背後で、ガタリと大きく椅子が鳴った。


「確かに言われたわ……。『また尋くんと自転車、乗りたいなー』って」




*****



 昨日の夜からチャットアプリに何度も何度も文字を打ち込んで、何度も何度も全部消して、どうしても送信ボタンが押せないでいる。

 帰り着いた自室のベッドに制服のまま寝転んで、忍はため息をついた。今日の授業は何も内容を覚えていない。仲良しの仁江とさえ何を話したかほぼ記憶にない。

 自分がいかに狭量な人間かを思い知らされて嫌になる。かなちゃんは尋くんにとってきょうだいのような存在だ。よく知っている。自転車にだって、傑くんやおーちゃんを乗せるのと同じこと。理解している。……なのに。

「……何であんなふうに言っちゃったんだろ」

 正直ずっと前から、尋が他の女の子に密着されるのは、相手がたとえ香奈朶でも嫌だ。それを言わずに飲み込んできたのは、物わかりのいい彼女でいたかったから。そもそも尋に片思いをしていたころは他の女の子と彼が付き合っていることさえ知っていたのだし、ずっとあの時のまま我慢できる、香奈朶ともいい友達でいられる、そう思っていた。

「本当にいやだ……私、何でこんなに嫉妬深いんだろう」

 枕に顔をうずめたら涙が出てきた。感情のコントロールが効かない。生理中だからだろうか。いや、そんなのはただの言い訳だ。どんなタイミングだって大好きな友達を傷つけていいことにはならない。香奈朶は尋と自転車に二人乗りしたことを包み隠さず伝えてくれたし、謝ってもくれた。それは誠意だ。なのに忍はそれを許せなかったばかりか、とても嫌な言い方で撥ねつけて、ただの一言さえ謝れないでいる。

「嫌われちゃったよね……きっと」

 謝らなければと思いつつそれができないでいるのは、自分がしたのと同じことをされるのが怖いからだ。自分だって今まで「気にせず好きにやってね」と言われていたことを突然「なんでそんなことするの?」なんて言われたら「いやいや、いいって言われたからやったに決まってるじゃん」と思うわけで。

 理不尽なことを言った。だから謝ったところで拒絶されるかもしれない。大好きなかなちゃんから、もう二度と許してもらえないかもしれないのだ。こちらからチャットを送れば相手の気持ちが明文化される。それがとても怖かった。

 そんな時、ぴろん、とチャットの通知が鳴った。泣いて赤くなった顔を上げてスマホのロックを解除する。……どうしよう、かなちゃんからの絶縁宣言だったら。

「尋くんだ」

 嫌な予想ははずれ、通知内容は尋から送られてきたチャットアプリのスタンプだった。知らないゆるキャラが迫真の表情で全力疾走しているスタンプ。……どういう意味だろう?

 何を伝えたいのかはわからないけれど、とりあえず涙をぬぐって体を起こした。「どうしたの」と送ったメッセージに既読はつかない。誤爆かな。火曜日だし、今夜のだんち~ず☆に遅れそうとか?

 意図不明な恋人からの連絡を受けて、忍は深呼吸を一つ。見覚えのないキャラクターの愉快な表情をしたスタンプから、「うじうじ考えているくらいなら行動しろ」と言われたような気がした。ずっとこのまま不安がるくらいなら、さっさと連絡して結果を見てしまった方がいい。どちらに転がるとしても。

「……『かなちゃん、昨日は』……『ごめんなさい』……いや……『ごめんね』」

 いつもの五分の一くらいのスピードでもって入力していく。やたら長文にならないようにして、でもそこそこの長さのメッセージが出来上がるのには十分ほどを要した。



 かなちゃん、昨日はごめんね。


 私、自分が思ってるより嫉妬深かったみたいで、

 尋くんと一緒に自転車乗ったかなちゃんのこと、

 突然、とっても羨ましくなっちゃったの。

 今までいいよって言ってたのに、やっぱり我慢できなくなっちゃった。


 かなちゃんが悪いって言いたかったんじゃないんだ。

 私、かなちゃんのこと大好きなのに、あんな嫌な言い方して……。

 本当にごめんなさい。


 許してもらえるかな。

 また、遊んでくれますか?



 ……結局保身に走っちゃった。……ううん。でもこれが、正直な気持ちだ。

 思えばこれまで他者とまともに喧嘩なんてしたことがなかった。今回のも喧嘩といっていいのかよくわからないけれど、忍にとってそもそもほとんど初めてに近い友人が香奈朶と仁江だ。当然、嫌われる心配をするのだって初めて。不安にもなる。

 意を決して送信ボタンを押す。ほぼ同時に、ぴろんとまた通知音が鳴った。



 確認すんの忘れてた


 忍、今家いる?

 いなくても入って待ってるね

 


「え?」

 反射的に玄関の方を見る。鍵がかちゃりと回る音がした。ドアが開いて入ってきたのは尋。合鍵は渡してあるのでそれはいい。それよりどうも走ってきたらしく、息が上がっている。

「ど、どうしたの、尋く……わ」

 忍を視認するなりずんずん寄ってきた尋に抱きすくめられて目を瞬かせる。わけがわからないでいる忍の顔の後ろで、尋は息を整えてから口を開いた。

「ごめん。全部俺のせいだ」

 ここでようやくバタンと玄関のドアが閉まった。しんと静寂の中、困惑する忍へ優しい恋人の声が届く。

「嫌に決まってるよな、香奈朶であろうと、チャリ乗っけてさ」

「え、どうしてそれを」

 香奈朶が尋に話したのだろうか。だとしたら尋くんが気に病んでしまったのはとっても申し訳ない。悪いのは心が狭い私の方なのに……。

 体を離し、顔を合わせる。尋はここにきて初めて忍の泣き腫らした顔に気づくと一瞬目を丸くして、気まずそうに頭をかいた。

「ドーナツ屋でたまたま仁江チャンに香奈朶が相談してるの聞こえちゃってさ。香奈朶は猛省してたっぽかったけど、これ絶対悪いの俺じゃんってなって。いてもたってもいられなくて、走ってきちまった。ほんとごめん。忍が優しいのに甘えてたわ」

 忍の頭を撫でながら尋は言う。肌寒い時期だというのに尋の首筋を汗が伝っていた。ドーナツ屋から走ってきたのだとしたらそこそこの距離だ。本当に……これだから好きでたまらなくなる。……って、かなちゃんが、ひーちゃんに相談?

「かなちゃんとひーちゃん、今日一緒にいたの?」

「うん、ドーナツ屋で話してた。あの感じだと香奈朶が気にして仁江チャン呼び出したんじゃないかな。『しーちゃんに嫌われちゃったらどうしよう』って、泣きそうな顔して」

 そんな。嫌いになるわけがないのに。私が悪いのに。

 ぼろぼろと涙が零れてきて、忍は両手で顔を覆った。尋は瞬きを数回、頭をフル回転させて過去の忍の様子と現在とを照らし合わせる。……あ、この反応は!

「その感じだと自分のこと責めてるな?! 違うぞ、俺が悪いのっ! これはほんと。俺がノンデリだったのっ! きょうだいみたいなもんとはいえ香奈朶だって女の子なんだし、しかも忍最近一緒にチャリ乗りたいって言ってくれてたの断っといて香奈朶乗っけたわけだし! だから忍は自分責めるんじゃなくて俺に怒るべきなの! この野郎って怒っていいの!」

 顔を覗き込むようにして言った尋の目は真剣だった。指の隙間から見えたその表情を見るにつけ、余計に涙が溢れてくる。ああもう、いやだ。本当にメンヘラやめたい。

 そう。ちょうどタイミングも悪かったのだ。忍は尋との初対面で自転車二人乗りを経験したわけだが、それ以来彼の後ろに乗ったことはなかった。当時は顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった相乗りだが、今は恋人同士なわけだし、何だか青春っぽくていいよなあと思って、先日「また乗りたい」といったようなことを言ったのだ。すぐに「危ないからダメ」と断られてしまったのだけれど。

「うちの連中はみんなニケツ慣れてて多少のことじゃ怪我しないから乗っけるけどさ、忍は慣れてないし、そもそも二人乗りって法に触れてるし。忍のこと大事にしたいから断っちゃったんだ。他の女乗せるのは論外として、最初からちゃんと説明すればよかったよな。特別だから危険なことさせたくないんだって」

 濃緑の袖で涙をぬぐい、こちらを見つめる尋と視線を交わす。心配そうな表情へ首を横に振り、忍は口を開いた。

「ちがうの。わかってたの……。わかってたけど。でも……やだったの」

「そうだよな。やだったよな。やな思いさせてごめんな」

 また溢れてきた涙を袖でぬぐい続ける忍へ、尋はバッグからハンカチを取り出して手渡す。付き合いたての頃は視線すら合わせてくれなかった彼女がこんなにも感情を露わにしてくれている。しかも、尋を独り占めしたくて、だ。……泣かせてしまったのは不本意だけど、少し嬉しいかも……。

「先にやだって言っておけばよかったの……。なのに気にしないよって強がり言って……結局ヘラって……めんどくさい彼女……ごめんねぇ……」

「大丈夫。めんどくさくないよ。それだけ俺のこと好きでいてくれてるってことでしょ? ありがとな」

 再度撫でてやりながら出た自分の声に尋は驚いた。これまでの人生で一番優しい調子だった気がする。全くこの恋人と来たら、どこまで可愛かったら気が済むんだ。

「!」

「お」

 ぴろん。忍のスマホが鳴った。

 ティッシュペーパーに手を伸ばし、鼻をかんでからロックを解除する。


「かなちゃんだぁ……!」




*****



 店を駆け出していった尋の姿を見送って、連れの二人がこちらを見る。

「……えーっと、尋のお友達?」

「そー。このコがヒロクンの幼馴染でー、あたしはー、ヒロクンのかのぴのトモダチー」

 平然と話し出す仁江と尋の友人とを交互に見ていた香奈朶は紹介されて我に返り、ぺこりと頭を下げた。

「なるぅ。俺ら尋のクラスメイトー。お二人が何の話しとったか俺ら聞いとらんかってんけど、彼女さん絡みっちゅーことであっとる?」

「あってるあってるー。ごめんねー。ジャマしちゃった系?」

「いや、特に用があって集まったわけでもない。問題はないさ。むしろ船井が盗み聞きして済まなかった」

「ダイジョブよー。かなちは気づいてないっぽかったけどー、あたしはいるのわかってて話してたしー」

 わあ関西弁だあ、などと思いながら会話を聞くうち、香奈朶は自分の背後の席へいつのまにか尋とその友人が座っていたのだということにここで初めて思い至った。

 仁江が急に大きな声を出したのは、香奈朶ではなく尋に直接語りかけていたということか。

「船井、全部置いてったなドーナツ。どうするんだこれ」

「あ、よかったら私尋に持ってくよ。家近いから」

「ほんま? 助かるわー。それやったら袋もらわな」

 わざわざ列に並び、レジの店員から紙袋をもらってきた関西弁のイケメンくん。もう一人が皿のドーナツを袋へ詰め直し、香奈朶へ手渡してくる。「よろしく」、「はーい」と会話を終えては仁江を向いて座りなおしたところで、香奈朶のポケットがぶーぶーと振動した。

「あ、マナーのまんまだった」

「あるあるー」

 スマホを取り出し、フリーズする。画面を見つめたまま固まる香奈朶へ首を傾げた仁江だったが、その緊張感溢れる表情に、連絡してきた相手を悟る。

「しーちゃんだ?」

「うん。っていうか私、悩むだけ悩んでしーちゃんに全然連絡してなかったよ……。え、どうしよう絶縁宣言とかじゃないよね……?!」

 正直、仁江は香奈朶から要点を聞き終えた時点でもう何も心配していなかった。

 今日一日元気がなかったところを見るに、忍が香奈朶に対して継続的に腹を立てている可能性はゼロに近い。恐らくは香奈朶に心無いことを言ってしまった、と自分を責めて悩んでいたのだろう。忍はそういう子なのだ。だから大好きなんだけどねー。

「見てみりゃわかんじゃね? あのしーちゃんだしー、ダイジョブよー、たぶんー。」

 不安げに画面を見つめる香奈朶を眺め、仁江が吸ったストローからはずっ、と音が鳴った。「おっと」と口を外してグラスに氷しか残っていないのを確かめ、再度香奈朶の方を見る。


 ……よかったねー。すげー嬉しそーなカオすんじゃん。ウケる。




*****



 しーちゃん(涙涙涙

 しーちゃんわるくないよかながなんも考えてなかったのがわるいのよ!


 嫌な気持ちにさせちゃって本当にごめんね。。。

 また遊んでくれるって聞いてすっごく安心した!

 かなもしーちゃんだいすきだよ!

 ほんとに、傷つけちゃってごめんね

 許してくれてありがとうっ


 そだ!

 ひーちゃんに「しーちゃんに嫌われちゃったかも!」って

 いつものお店で相談してたらね、尋にお話聞かれちゃって(汗

 たぶん今、尋そっちに向かってると思うのっ


 今からしーちゃんちに尋が忘れてったドーナツ届けるから、一緒に食べてね!

 かなともまたドーナツいこねっ

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