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推し恋あをによし4

推し恋あをによし3の続きです。

「推し恋あをによし」は当投稿にて完結となります。

 

「いかがですかー?」

 にこにこと背後で鏡を掲げる美容師。その鏡を眺めつつ首を左右に回し、双刃は「はえー……」と間抜けな声を発した。

「か、髪型変えるだけで、こんな変わるんすね……。」

「いやあカットのしがいがありましたよ。お兄さん、切る度にどんどんかっこよくなるんだもん。」

 失恋をすると人は髪を切るものだと聞いてその例に則ってみたわけだけれど、こんなにもお世辞を並べられると、どういう反応をすればいいか困ってしまう。極端にコミュニケーションが苦手な人間にとって、美容院なんてところはあまりにもハードルが高い施設なのだ。文化祭前日ということもあり、勢いで予約してやってきてしまったが、やっぱりもう来ないかも……これ伸びたらどうしようかな……。

 実の所双刃、本当に顔の作りは整っているのだけれど、本人に気づく気配が無いので致し方ない。

「気に入っていただけました?」

 微笑まれて、双刃はうなずく。前髪が目にかからないのは何年ぶりだろう。少しそわそわしてしまうけれど、視界が良好なのは悪くない。

「あ、ありがとうございます。」

「こちらこそ! 一、二か月くらいは伸びてくるのを楽しんでもらって、飽きて来たらまたいい感じにしますんで! 顔出してください!」

 椅子を回してもらって、立ち上がる。これまで三か月に一度くらい、「いい加減に切れ」と母親に言われるくらいのタイミングで床屋には行っていたのだが、そうか……一か月とかで整えているのか、世の人々は。

 受付で先程とは別の美容師に支払いを済ませ、これまたお洒落なポイントカードを受け取った。たまるとトリートメントが無料になったりするらしい。……また来るか。

 美容院を出て、何気なく髪の毛に手を伸ばした。マッシュウルフ? とか言うらしい髪型。毛先はオイルだかワックスだかでちょっと固まっている。これまで伸び放題だったことから、双刃がヘアセットなんてしたことがないのを察してくれた美容師さんは「朝起きて軽く濡らしてドライヤーさえすれば何となくいい感じになりますよ!」と言っていたけれど、本当なのだろうか。


「藩田?」


 気だるげな声に呼ばれて、気持ちジャンプしてしまうくらいには驚いた。

 体の右側から聞こえた声へ首を回すと、見知った顔と見知らぬ顔が並んで立っている。

「……山椒?」

「やっぱり藩田、だよな。」

 同じクラスの一軍男子、オタクに優しい陽キャの山椒付和だ。隣に立っている私服のイケメンはどこか既視感のある青年だが、歳の頃を見るに七男の生徒だろうか。付和の知り合いであるらしい。

「髪型違いすぎて人違い、かと思った。」

「あ、あはは……」

「そっちのがいいわ。似合ってる。」

 これがモテか……めちゃくちゃサラッと褒めるじゃん……俺の恋愛対象が男だったら惚れてた。

 双刃のそんな感想など知る由もない付和は、口元へ手をやると大あくびを一つ。時計は十九時半を指していて、この時間にこうして学校付近にいるということは帰宅途中なのだろう……つまり。

「もしかして、この時間までかかったのか、編集?」

「その通り。居残り三十分で帰れる予定が突然、アプリが落ちてデータ、吹き飛んでこのざまだ。バックアップ、なかったらマジで死んでた。」

「うわあ……。」

 肩をすくめてみせた付和。いやあ……本当にお疲れ様だ……。ショートフィルムの編集班を残して下校してしまったけれど、何か差し入れくらい持っていけばよかったかな。

「ま、ちゃんと完成はしたから安心、してくれ。明日以降は給仕の、やつらに任せときゃ大丈夫だろうさ。」

「そ、それなら良かった。本当、お疲れ様。」

 さて立ち話するうち、付和の連れの青年が「付和のクラスメート?」と首を傾げた。

「ん。……あ、そうだ。修学旅行で班一緒、だった奴の一人だよ。」

 思い出したように修学旅行の話題が出たところで、双刃は記憶のどこにこのイケメンの姿があったかを思い出した。気づきを得て無意識に顔のほうへ視線をやると、ばっちり彼と視線が交わる。おお……顔がいい。

「おー! そっかそっか。いつも忍と仲良くしてくれてありがとなーっ。」

 名前は忘れてしまったけれど、そうだ。双刃にとって推しの一人、姫川忍のイケメン彼氏だ。修学旅行の準備期間中に写真を見せてもらったことがある。

 笑顔で挨拶をくれたのへ視線は思わず逸らしつつ、「こちらこそお世話になってます」と軽く会釈した。

「人の顔覚えるの得意なつもりなんだけど、見せてもらった班の写真にいた顔に思えなかったな。イメチェンした?」

「え、えっと……髪を、切った、かな。さっき。」

 ないコミュニケーション能力を絞り出して何とか会話する双刃へ、イケメンくんは「さっき?」と問い返してくる。双刃がうなずくと、今度は付和が不思議そうに続けた。

「それにしても突然、切ったよな。何か心境、変化でもあったのか?」

「あー……んー……。」

 口ごもる双刃へ二人の視線が注がれる。少しは成長したものだ。少し前までだったら二人の陽の者に見つめられた途端、消えてなくなってしまっていたかもしれない。

 とはいえ何と返事したものか……変に取り繕って突っ込まれるより、正直に言ってしまった方がいいかもしれない。いいよな……? 択ミスってないよな……?

「何ていうか……失恋? みたいな、感じ……かな。せめてその子が言ってた通り……その、清潔感くらいは意識してみようかな、って……。」

「大したことじゃないから気にしないでくれ」と早口で続けると、二人は顔を見合わせた。興味を持たれたら厄介だな……。オタククンごときが超絶かわいいギャルに片恋だなんて、身の程を知らない己があまりにも恥ずかしい。仕方ないだろ……好きになっちまったんだよ……。

 双刃が目を泳がせていると、付和とイケメンくんとは「そっか」「切り替えんのはいいことだよな」とそれぞれ一言。顔を上げた双刃へ笑いかけ、それ以上は何も言わなかった。

「引き留めて悪かったな。バスの、時間大丈夫か?」

「え、あ。そろそろ行かないと。」

「バス通なのか。また会ったらゆっくり話そうなー。」

 付和とそのお友達と手を振って別れる。美容室に続いて使い切ったコミュ力に目を回しつつ、双刃は小さく息を吐いた。え……何……イケメンってこんな時の対応までイケメンなの……? 爪の垢もらってもいいか?

 ひとしきり思考を終え、ふっと我に返る。今朝両目にあてがわれた想い人の掌を思い出して、ぎゅうと胸が痛んだ。

「……晩飯、何かな。」

 小さく呟いて、暮れかけた空を見上げる。赤紫色の空がどこか切なくて、久しぶりに耳をイヤフォンで塞いだ。



 *****



「盛況だな。」

「付和くんー……」

 恨めしそうな忍の視線を受け、付和は肩を揺らす。

 二年C組のショートフィルム喫茶は予想を大きく上回る大好評で、ヘルプを手の空いた女子たちでまかなうことになった。しかもエプロンが足りなくなったという理由から、ショートフィルムの衣装として教室の後ろに展示していた派手なミニスカートのメイド服を身に纏って。

「お寺クンなにー? 冷やかしー?」

 こちらも不服そうなのは仁江である。メイド服を着られること自体には大変喜んでいたけれど、何せ思ったより忙しいのだ。ドリンクの種類が少なくてよかった。多かったらオーダーミスが多発するところだ。

「冷やかしに来た、わけじゃないさ。客連れてきた。ほら。」

 忍が「ぎゃっ」と聞いたことのない悲鳴を発した。付和が示した先にいたのは、己の恋人と、その幼馴染たちである。

「眼福……ありがとう二年C組……。」

「いらっしゃいませ……。」

「すっごい嫌そうな顔してんなあ、忍ちゃん。」

「え、と。お邪魔してます。」

「しーちゃん、かわいいーっ!」

 自身のクラスの出し物で覆は不在だが、忍の恋人尋に加えて、七男に通う惺、中学生の傑、そして雪女子から香奈朶のご来店だ。嬉し気な付和に真っ赤な顔で文句を言う忍へ肩を揺らし、仁江が恭しく四人に一礼した。

「いらっしゃいませー。四名様ご案内でーすっ。」

 教室中で「いらっしゃいませー」のやまびこ。こなれたそれへ「居酒屋かな」と傑が呟いたのへ忍が噴き出し、諦めたのか彼女も「ゆっくりしていってね」と笑って、別の接客へ向かった。

 席に着いた四人のもとへ膝をつき、仁江はポケットからメモ帳を取り出す。「ご注文は?」と問われたのへ香奈朶だけが「甘いので」と即答し、他三人はメニュー表へ視線を落とした。

「ねえ、ひーちゃんそれ、どうしたの?」

 香奈朶が言う「それ」とは仁江の額に貼られた絆創膏である。仁江は香奈朶の質問へ何でもない風に「これねー」と笑い、前々日の事故について簡単に語った。

「そっかあ。顔は辛いね……。」

「まーねー。」

 返答と共に眉を下げたのを見、「女子ってそういうとこ気にするんだな」と付和は思う。

「せっかくメイド服着るんならー、カワイイ時に着たかったなーとはー、思うかなー。」

「大丈夫! 十分かわいいよ!」

 香奈朶が真剣な顔で言うのにハグをして、「ありがとーかなちー」と仁江。

「てかあたしもだけどー、しーちゃんあと五分でシフト終わっちゃうんだよねー。ぴはだいじょぶそ?」

「ああ、それは大丈夫。仁江チャンと回るって楽しみにしてたからさ、忍。俺はこいつらと楽しむよ。」

 もはや「しーちゃんの」が取っ払われて「ぴ」と一音で呼ばれている尋の返答を受け、仁江は嬉しそうに笑った。注文を取ってはパーテーションで区切っただけの簡易バックヤードへ消えていったのを一旦見送り、付和は席に備え付けのタブレットでショートフィルムが見られる旨と、忍が脚本を書いた作品を幼馴染へ伝えてから席を離れる。バックヤードへ入っては、自身のバッグを開けて他のクラスで販売している屋台飯を広げた。

「これさっきたまたま、会った先生から差し入れ、預かってきた。早番で食ってくれだと。」

 ちょうど交代の給仕要員がやってきたところだったので、一仕事終えた面々が集まってくる。忍と仁江も相当お腹がすいているようで、「ご飯だー!」と歓声を上げた。

「センセーまじサイコー!」

「ポテト美味しいー。」

 しかし、当日に突然「働いてくれ」と言われてよく引き受けたものだ。もともと給仕係は準備の際の仕事を少なく割り振られていたのだし、準備期間にめちゃくちゃ頑張っていた彼女らは文句を言っても構わない立場だと思うのだが……こういうところが好ましいんだよなあ。

「これ、惺と尋からな。」

「え?」

 そんな二人へ、付和は別の袋を差し出す。首を傾げつつ開いた忍と仁江は、目を輝かせてよろこんだ。

「クレープだあ!」

「え、しーちゃんはいーとして、あたしももらってだいじょぶなの?」

「ああ。二人に、って。」

 「あとでお礼いわなきゃ」と仁江。惺と尋も我が幼馴染ながら律儀なものだ。なんだかんだ、付和と覆にも差し入れをよこしたし。文化祭のお客さんなんだから気にせず楽しんでいきゃあいいのに。

「てかさてかさー、しーちゃんとお寺クン、今日のじんじん見たー?」

 不意に、フランクフルトをかじりながら仁江が言う。忍が首を横に振り、付和の方は何となく昨日の出来事を思い出して黙っていると、仁江はハイテンションに続けた。

「やばかったんだって! 顔いーよなーってさー、前から思ってはいたけどさー? 今朝見かけたら髪切っててー、ちょー似合ってたー!」

「え、そうなの? 朝バタバタしてて、全然気づかなかった。」

 そういえば、仁江は随分と双刃を気に入っているようだ。よくちょっかいをかけているのは、ただ隣の席だからということもないだろう。双刃の方も初めこそグイグイ来るギャルの扱いに困っている様子で忍も心配していたくらいだったが、最近はそういったこともなくなってきていた。付和のような外野からでも仲がよさそうに見え……うん?

 思い至った可能性へ、付和は顔をしかめた。そんな様子には気づかないようで、仁江は嬉々として話を続けている。

「でもさでもさー? 文化祭だからお洒落したんかなーって思ったけどー、よく考えたらじんじん給仕係じゃないしー、帰宅部だから出し物もないしー、どしたんかなー?」

「そもそも、文化祭だからって張り切るタイプでもない気がするよね、藩田君。」

「そーなのよねー」と考える素振りの仁江。少し思案して、付和は口を開く。

「気になるなら聞いてみたら、いいんじゃないのか? 本人に。」

「えー、それはムリかなー。」

 即答であった。忍も「どうして?」と言わんばかりに不思議そうにしたところで、視線を下へ落とした仁江はこう続ける。


「だって今……あたし、カワイくないし……じんじんにだけはこんな顔、見られたくないもん……。」


 赤らんだ頬、うるんだ瞳、下がった眉、小さい声。

 「あたし、着替えてくるねー!」と二人から目を逸らしたまま飛び出していった仁江を見送り、付和と忍は彼女が消えた方を向いたまま呟いた。

「……なるほど。」

「…………そっかあ……。」



 ******



 文化祭から約二週間。担任の都合で少し早めに行われた席替えから数日が経過し、今日も双刃は教室のど真ん中より少し後ろ、教卓から大変見やすい残念な席で、始業前の気だるい時間を過ごしていた。まあ、いいんですよ……俺より前の方の席にひーしーちゃんが、しかも隣同士で座っているので。大変尊い。

 相変わらず以前に比べて仁江が話しかけてくる頻度はがくっと落ちているけれど、勝手に失恋してから二週間も経過したので、ある程度は吹っ切れた。いいんだ。元に戻るだけ。俺は空気で、推しを眺める。眺められる席に俺を配置してくれてありがとう神様……。

 そしてマッシュウルフとやらで過ごしてみてわかったことだが、前髪が目にかからないってすごい。推しがくっきり見える。俺もう一生前髪伸ばさねえわ。

 そんなことを考えていると、不意に仁江がこちらを向いた。反射的に目を伏せた双刃へ、どういう風の吹き回しか、ずいずいと歩み寄ってくる。え、何? 見るなって言われたのに見てんのバレた? 詰められる?

「じんじんー! ねー見てー。」

 見て、と言われたので、恐る恐る顔を上げた。案外近くに顔があって驚いたのがひとつ、彼女が指さしているのが彼女自身の額であることに気づいて、あれ顔見ていいのか、と少し嬉しくなったのがひとつ。

 そして、彼女の額といえば。

「な、治ったのか。」

「そー。ねーねー、どー?」

 どう、と聞かれましても。傷があろうとなかろうと、いつでも可愛いが?

 そんな返答ができるような陽の者ではない双刃。まごまごとしている間に時間が経って、黙っているわけにもいくまい、と何とか絞り出す。

「え、と、よかった。治って。」

 再度視線を落としながら言う双刃に、仁江は「うーん」と一つ唸る。それから少し置いて、楽しそうに笑った。

「三点くらいの回答だけどー、まーいーやっ。」

 何点満点中の三点なのだろうか。恐らく百点だろうが、そんなことはもはや双刃にとってどうでもいい。いくら恋敗れたことを受け入れたとはいえ、好きな子に避けられ続けていたこの二週間は流石に少々しんどかった。話しかけてくれることが無いではなかったけれど、どことなくよそよそしかったし。

 それが今日はどういうわけか、文化祭前と変わらないグイグイ具合である。これはさあ……仕方ないじゃん……舞い上がっちゃうよ。

「ところでさー? じんじん今日の昼休みー、予定とかあるー?」

「昼休み?」

 昼休みに予定など基本的にはない。毎日なんとなくいつものオタク仲間と集まって、飯を食うくらいのものだ。

「と、とくには。」

「ほんとー? よかったー。じゃあじゃあー、昼休みさー、あたしに時間くんない?」

 何やら嬉しそうに、にこにことお誘いをくれた仁江。一体何を意図して聞いてきているかはわからないけれど、先に予定がないと言ってしまったし、そもそも何であれ誘われるのは悪い気がしないし。

「あ、ああ。いい、けど。飯買って食う時間さえあれば。」

「あ、それはダイジョブよー! じゃあじゃあー、昼休みなったら呼びにくるねー!」

 ぶんぶん、と手を振って席へ戻っていく仁江。頷いて顔を伏せ、双刃はにやけた顔を隠すのに必死だった。やっぱり、また前髪伸ばそうかな……こんな間抜け面、晒すのは憚られる……。

 聞き耳を立てていた周囲のクラスメートが双刃以上ににやついていることになど気づく由もなく。ここから受けた四コマの授業は、浮ついた彼の頭にひとつも残りはしなかった。



 *****



 ……これは夢か、幻か。

 緊張しつつ迎えた昼休み。仁江に手首をつかまれて、双刃は今、廊下をずいずいと連れて歩かれている。すれ違う生徒たちが皆こちらを「何事か」と言った表情で見ているのがかなり気になるし、そもそもこれはどこへ向かっているんだ……? 何の説明もなかったんだが。

「ま、松明。どこ行くんだ?」

「えー? もーすぐつくよー。」

 回答になっていないので、諦めて後ろをついていく。とりあえずまあ、彼女の機嫌がとってもいいので、何でもいいや。

 何に付き合わされるかはわからないけれど。この破天荒ギャルの思考回路を読もうとすることがまず間違っている。こうなってしまった以上は、身を任せるが吉だ。

「ギリまだお昼は暖かいからー、ご飯食べるならこーゆーとこがいーかなーって。」

 そう言って立ち止まった仁江は、中庭の芝生を指差して笑った。え、ご飯? 食べるの? 一緒に? 二人で…………?

「え、えっと……?」

「ご飯買うって言ってたじゃんー? てことはさー、おべんとないよね?」

「ああ、まあ、ないけど。」

 「じゃあオッケー」と、なにが良いのかは分からないが、芝生へ敷いたレジャーシートの上に座らされる。近くで見ると手入れの行き届いた芝生だ。陽キャがよく昼休みに弁当を食べている印象があったので中庭には近づいたことがなかったけれど、今日は自分たちの他に誰もいないし、確かに日差しがぽかぽかと当たって、居心地がいい。

 さて、黙ってとりあえず仁江の動向を眺めていると、仁江が持っていた珍しく重そうなスクールバッグから包みが二つ出てきた。手渡されて受け取ったはいいものの、え、これ……弁当、だよな?

「それねー、じんじんに食べて欲しくてー、あたしが作ったのー。」

「松明が? ……松明が、俺に?!」

 目を丸くした双刃へ、仁江はからからと笑う。

「えなにー? あたしがリョーリすんのー、そんな意外ー?」

「いや……そうじゃなくて、その……なんで俺に? って、思って。」

 弁当箱を抱えたままの双刃に、「早く食べないと昼休み終わっちゃうよ?」と仁江は言う。彼女が自分の分らしい包みを解き始めたのを見、双刃も恐る恐るそれに倣った。

「なんで、て言われたらー、お礼かなー。」

「お礼?」

「そ。文化祭の前の日ー、保健室連れてってくれたっしょ? あれのお礼ー。」

 はい、と割り箸を手渡されたので大人しく受け取る。お礼……って、あれをきっかけに嫌われたのだと思っていたのだけれど……どういうことだろうか?

「でもあれ……恥ずかしかったろ? 俺、余計なことして嫌われたから避けられてるもんだとばっかり……」

「え? いやまあ突然の姫抱きはちょいウケたけどー、嫌いになんてなるわけなくないー? むしろあんなに心配してくれてー、超嬉しかったしー。正直ホレなおしたーっ。」

 でも実際避けられてたよな……? でもその割になんか、今の松明めちゃくちゃ楽しそ――


 ――待て。今なんて言った……?


 弁当の包みへ落としていた視線を跳ね上げ、仁江の方を見やる。飄々とした物言いで爆弾を投下した彼女の横顔を見、双刃はそこから目が離せなくなってしまった。


 なんて顔してんだよ……そんな余裕ない表情、できんのかよ、あんた……。


「避けちゃってたのは、ほんとごめんね。じんじんには特にあたし、かわいーって思われたいからその……怪我して盛れてないブスな顔、見られたくなくて。」

 言って仁江はこちらを見る。眉を下げて笑む切ないその表情に、双刃は自身の心臓が跳ねたのを感じた。

「お弁当にしたのはさ、ママがね、その……意識して欲しかったら胃袋を掴みなさいって……胃袋を掴むものが心を掴むのよって言うから……。」

「……そんなことされなくても……とっくに意識してるんですが……。」

「えっ。」

 思わずポロッと零れた本音に、今度は仁江が目を丸くする。気恥ずかしくなった双刃はそっと弁当の包みを解き、蓋を開けた。

「うわ美味そう。」

「あ、う、うん! 食べて食べてー! 茶色くてごめんなんだけどー、あたしこーゆーのしかー、作れないんだよねー。」

 唐揚げ、卵焼き、アスパラの肉巻き、エトセトラ。ギャルと家庭料理の組み合わせエグくないか……? めちゃくちゃ美味そうだし、ギャップで殴られてもう死にそうなんだが……。

 しかし体は正直である。大きな唐揚げを一口かじり、双刃の顔は瞬時にぱあ、と晴れた。心配そうに眺めていた仁江はまずほっとしつつ、双刃の咀嚼が終わるのを待つ。

「どー? どー?」

「うっま……。めちゃくちゃ美味い。」

「よかったー! 口に合わなかったらどうしよーって、今日ずーっと心配してたんだよねー。」

 ずっと……? え、何? え、俺のことを? ずっと考えてくれてたの……? やっぱり夢なんじゃないかこれ。現実……? 本当に……?

「これその……作るの、時間かかったんじゃないか?」

「まあねー? 早起きしたのよー、えらくね?」

 彼女の話し方がいつもの調子に戻ったのに胸をなでおろしつつ、本当に美味しいので止まらない箸を進める。ちらと仁江を見やると、こちらを見ていた彼女と目があい、珍しく向こうから視線を逸らした。よく見れば仁江、弁当を広げてこそいるけれど、こちらばかりを気にしているようで一切手が動いていない。

 ……つまりこれは……さっきのも言葉の綾とかじゃなく……自惚れてもいいってことか……?

「ごちそうさまでした。本当に美味かった。」

 弁当を平らげ、双刃は両手を合わせる。空になった弁当箱を前に心底嬉しそうな仁江を見、「可愛すぎかよ」とキレそうなのをどうにか飲み込んだ。

「オトコノコやっぱ食べんのはやー。えへへ、でも嬉しーわ。作ったかいがあったーって感じー。」

 洗って返すと申し出たものの「いーからちょーだい」と空箱を奪われてしまう。「ありがとう」と一言、甘えることにして、双刃は空を見上げた。

 いい天気だ。何か空なんて久しぶりに見た気がするな……普段、いかに下ばかり向いているかがよくわかる。

「松明。」

「ん?」

 ほとんど手のつけられていない、自身の弁当箱を片付け始めた仁江を呼ぶ。珍しく下でなく上を見ている双刃に気づいては「どしたの」と首を傾げた彼女としっかり視線を交え、双刃はすう、と息を吸った。……ここで黙ってるのはさ、陰キャコミュ障でもさすがに、許されないと思うんだ。

「弁当、ありがとう。意気地無しで先に言わせちまったけど……その……」

 一瞬目を泳がせ、言い淀む。

 しかしもう一度目の前の想い人と目を合わせ、双刃は言葉を紡いだ。


「俺も、多分松明が意識してくれるよりずっと前から、松明のこと好きだった。釣り合うように努力するんで……良かったら俺と、付き合ってください。」



 *****



「ねー、じんじーん?」

 二人で歩くショッピングモールへの道で、仁江は双刃を見上げる。

「な、何だ?」

 相変わらず彼はあまり目を合わせてくれないけれど、昨日付き合い出したにしては横を歩く時の距離感が縮まったので、まあよしとしよう。

 ちなみに今日行くハンバーガーチェーンには忍と付和、オタククン二号と三号も誘ったのだが、いい笑顔で断られてしまった。また今度って言ってたし、まー次付き合ってくれんならいーけどさー。

「あたしさー、言ってなかったことあったわ。ダイジなことー。」

 言えば視線が降ってきたので、両目で受け止める。仁江は少しだけ眉を下げ、思い出した嫌な話に頭をかいた。

「あたしがやんちゃしてたのはさー、じんじんも知ってるじゃん?」

「まあ、ある程度は。」

 双刃は仁江の話を頷きながら聞いてくれる。話さねばと思いついたのは、こんなことで自身を嫌いになるような相手ならそもそも仁江に好意を抱くこともなかったとは思うのだけれど、ちょっとだけ、嫌われてしまいはしないかと、付き合うのはやめると言われてしまわないかと、話すのを躊躇うことである。

「あたしは法に触れるよーなことまではしなかったけどー、同じグループにやべーやつとかいたしー、別のグループのこれまたやべーやつと揉めたりとかー、あったわけねー?」

 忍と関わる際にも仁江はいったん躊躇したのだが、何故かと言うと、彼女が以前所属していた不良グループにも敵対するグループにも、手の付けられないような犯罪者が混じっていたからだ。そんな輩に顔が割れている仁江、もしかすると何かのきっかけで、因縁をつけられてしまうようなこともないとはいえない。何せ仁江は今こんなにも幸せなのだから、地獄のような豚箱ライフを送っている彼らにとって、妬みの対象であることはほぼ確実なので。

「そーゆーやつらの逆恨みでー、じんじんが殴られたりとかもワンチャンあるかもって思ってさー……こーゆーの、もっと早く言わなきゃだったよね。ごめん。」

 不安がにじみ出て、彼を見上げる瞳が揺れる。双刃は仁江の真剣さを見てか珍しく目を逸らすことなく話を聞き終えると、何か考えるように視線を上げてから口を開いた。

「あー、まあ、最悪長物があれば……何とかなるとは思うし、それは大丈夫かな。」

「え?」

 刃物向けられたらさすがにどうしようもないけど、と双刃。

「一応三歳から竹刀握ってるから、その……自分と松明の護身くらいは、どうにかなると思う。だからさ、その……そんな顔するなよ。な。」

 彼がへにゃ、と笑んだのを見、胸が苦しくなった。え、やば……いや知ってたけど、あたしのカレシ……ちょうちょうかっこいーんですけど……! しかも何、剣道やってんの……? その体躯で? 無理なんですけどー……流石に似合いすぎん? しかもしれっとあたしのこと守ってくれるつもりなんだ……? え……好き……。

「そっか! ならよかったー。」

「え、あ、えっ。」

 左腕をぎゅうと引き寄せれば、明かな動揺を見せる双刃。リュックなんて背負って両腕を開けているのが悪いのだ。スキンシップ取り放題だもんねー。

「ねー、ハンバーガー、何好きー? あたしはねー、チーズの奴。」

「え、えっと……照り焼きか、目玉焼きの奴かな……。」

「目玉焼き? 期間限定のー?」

「あ、あれ期間限定なのか。あんまり行かないから、いつもあるのかと思ってた。」

「そかそかー。じゃあじゃあー……これからは全部制覇できちゃうくらい、あたしといーっぱい、遊びいこーねーっ。」

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