43.この魔物は、わたくしよりも絶対的に強い。
「第二王子殿下――!?」
慌てて騎士や衛生兵たちがその場に跪こうとするのを、クリストフ様が押しとどめます。
「今は時が惜しい。礼は不要だ」
「第二、王子……」
わたくしの隣でイオアンが呆然と呟いています。
何度か一緒に戦ったりするうちに、仮面の騎士様は護衛ではなく、わたくしと親しい貴族令息だとは気づいていたようですが、まさか王族だとは思っていなかったのでしょう。
「いつまでも呆けているな! 我々も現場に急ぐぞ」
クリストフ様が先頭を切って駆け出そうとするので、衛生隊の隊長が焦った様子で前に進みます。
腰を抜かした修行者をその場に残し、わたくしたちは獣道を駆け抜けて毒沼へと向かいました。
「魔物が来ます! お気を付けて!!」
前方から飛び兎やツリーフロッグ、狂い鼠など、小さな魔物達がこちらに向かって走ってきているのが見えました。
すごい大群です。
これを倒して進まねばならないとしたら、かなり厄介ですわね……。
ですが、魔物達はわたくしたちに襲いかかろうとはせず、身構えるわたくしたちの横をすり抜けて走り去っていきます。
聖水をかけて魔物避けをしてはおりますが、それにしてもこちらを一顧だにしないのは不自然です。
まるで何かから逃げているような……。
――グガァァオオオオオ!!!!
刹那、ビリビリと空気を震わせて不気味な吠え声が聞こえてきました。
……いえ、空気を震わせているのは声ではなく、強い魔力かも知れません。あまりの強さにわたくしの全身に鳥肌が立ちます。
魔物達の逃げ足が一層早くなります。
そう、彼らは逃げているのです。圧倒的な強者を前にして、魔物達はわたくしたちに構うことすら忘れて、一目散に逃げ出しているのです。
「……行くぞ!」
クリストフ様の声に、わたくしたちは再び走り出しました。
わたくしたちとは逆方向に駆けていく鼠たちを見ながら、わたくしは頭の隅で考えます。
何故今、彼らは逃げているのでしょう。
巨大熊がどこから迷い込んだにしろ、森の中程にある毒沼にたどり着くには、それなりの距離を移動しなければなりません。
巨大熊は空を飛ぶことはできません。ならば、大地を通るしか方法はないでしょう。
もしも――例えば何か獲物を追うなどして――毒沼まで短時間で駆け抜けたのだとしても、これほど強い魔力を発する存在を、他の魔物が気づかないはずはありません。
特に小さい魔物は大きな魔物に捕食される立場ですので、強者の存在には敏感です。
巨大熊が近づいてきた段階で、彼らはとっくに逃げていなければおかしいのです。
これほどに慌てふためいて逃げるなんて、まるで巨大熊が突然現れたとでもいうような――。
「もうすぐ毒沼です!」
隊長の声に、わたくしは思考を中断して前に意識を向けました。
獣道の前方、重なり合っていた木々の間隔が開いて、青空が見えています。
わたくしたちの走る速度とともに青空はみるみるその面積を増やし、やがて目の前が完全に開けました。
森から飛び出したわたくしたちの前に広がるのは平原、その向こうに葦の生えた沼が見えます。
平原と沼を合わせると、前世の小学校のグラウンドぐらいの大きさです。
そして、その平原のまん中にいたものに。
わたくしは息を呑みました。
――黒い、小山のような巨躯。
爛々と光る目。鋭い牙。太い腕。盛りあがった筋肉。
そして何より……圧し潰されそうなほど、強い魔力。
黒狼も格上だとは感じましたが、それでも何とか太刀打ちできるとまだ思えました。
でも、これはダメです。
この魔物は、わたくしよりも絶対的に強い。
到底――。
「お嬢さん!」
イオアンに腕を引かれて、わたくしはバランスを崩しました。よろめいた体の横を、細い水流が過っていきます。
それが毒液だとわかったのは、地面に落ちた水に触れた草が変色したからです。
水流の飛んできた方に視線を向ければ、人間ほどもある巨大な毒蛙と、それに斬りかかるアンナの姿が飛び込んできます。
いけない、戦いの場でなぜわたくしは自失していたのでしょう。
『エアカッター!』
アンナに伸びようとしていた毒蛙の長い舌を切り裂くと同時に、アンナが敵を袈裟掛けに切り捨てました。
「ありがとうございます、イオアン」
「まだまだいます。気を抜かないで」
周囲に素早く目を走らせれば、毒蛙は五体ほど、そして巨大熊は事前情報の通り二頭。そのすべてと警邏の騎士たちが戦っております。
逃げてきた修行者の言い方では、警邏隊は壊滅状態であるかのように思えましたが、まだ充分に組織的な戦闘行動を続けていたようです。
とはいえ負傷して動けなくなっている方も何人かいますし、戦っている騎士の中にも怪我をしている方はいます。
動けなくなっている方のところに、衛生兵が走って行きます。
「アレクサンドラたちは毒蛙を! 私は熊を倒す!!」
マントを翻して、クリストフ様が巨大熊へと向かっていきます。フォルカー以外のクリストフ様の護衛が三人、後に続いています。
ふと見れば、わたくしの周りにも護衛が増えていました。
警邏の騎士達が十人(うち三人は負傷して動けず)、衛生隊に含まれていた騎士が二人、クリストフ様と三人の護衛、イオアンとアンナ、わたくし、そして護衛二人。
これだけいれば、巨大熊にだって――。
「グゥオオアアアア!!!」
また巨大熊が大きく吠えて、わたくしの体がびくりと震えてしまいます。巨大熊の強大な魔力が突き刺さるようです。
どうせ敵わないのだから、抵抗しても無駄なのだ、と……そんな気持ちがわき上がります。
――いいえ、違う!
わたくしはぐっと強く唇を噛みしめました。
最初から諦めてどうするのですか!
「アンナ、下がって!」
震えてしゃがみ込みそうになる膝を叱咤して、背を伸ばし、呪文を唱えます。
『火の精霊よ、噴き上がる炎となれ! 火炎柱!』
わたくしの声に、新しい毒蛙と戦っていたアンナが距離を取りました。すかさず、高火力の魔術を叩き込みます。
毒蛙の足元から炎が噴き上がりました。
炎に包まれ、藻掻きながらもあっという間に炭になっていく毒蛙。
魔物が完全に燃え落ちたのを確認し、わたくしは魔力を断ち切って炎を消しました。
ふふふふ、森の中では木を焦がしてしまいそうで使えませんでしたが、ここは平原。誤射をあまり気にすることなく高火力の魔術も使えますわ!
『ライジングフレイム!』
わたくしはもう一体の毒蛙へと駆け寄りながら、また呪文を放ちました。
……この呪文の最大の問題点は、三メートル以上離れた場所には術を展開できないことでしょうか。
毒蛙はともかく、巨大熊ににはあまり近づくと、術を出す前に攻撃されてしまいそうです。
巨体のくせにとても素早いのですよね、巨大熊。
ちらりと目線を送れば、一頭に付き複数の騎士や護衛が同時に戦っているというのに、巨大熊はものともしていません。
……ああ、いけない。
巨大熊に注意を向けると、また強大な魔力を感じて身が竦みそうになります。圧倒的な力がわたくしを押し包み、気力を萎えさせようとするのです。
……あら? これってもしかして“魔滅”とちょっと似ているのではないかしら。
魔物が“魔滅”をしているわけではないのでしょうけれど、威圧されているのはひしひしと感じます。
負けるわけにはいきません。
わたくしは“魔滅”する時をイメージして、魔力とともに気力を練り上げます。
すると、巨大熊からの圧力が少し緩んだ気がしました。
なるほど、“魔滅”するしないに関わらず、こうやって気を漲らせておくことは戦闘においてとても大切なのですね。
むしろ大切だからこそ、それを利用して“魔滅”が生まれたのかもしれません。
巨大熊の威圧を和らげ、少し動きやすくなったわたくしは、イオアン達と協力して次々と巨大毒蛙を倒していきました。
まったく、なんだってこんなに大きくなったんでしょう。普通なら、せいぜい手のひらサイズ――。
「お嬢さん、あれを!」
イオアンが指し示したのは平原の奥にある沼。
その水面に次々と、毒々しい紫の巨大毒蛙が浮かび上がってきていました。
読んでいただいてありがとうございました。
反応いただくのも大変励みになります。感謝いたします。
次回は土曜日夜に投稿いたします。
もし面白いと思われたら、評価などいただけましたら嬉しく思います。




