42.救難信号だ!
「ま、仕方ねえか。オレももっと修行して、次までに強くなっとくさ」
不満は口にしたものの、さっぱりした性格なのか、ライはあっさりと気持ちを切り替えたようでした。
「おい、ライ。次はオレだぞ。順番は守れよ」
「わーってるよ! 再戦するまでの心意気ってヤツだよ」
次に並んでいた方とライは知り合いなのか、笑いながら言い合っています。
「次を楽しみにしてますよ、嬢ちゃん」
「はい、ライさんもそれまでご健勝で」
「え、なんでオレの名前……」
手を振って去りかけていたライの足が止まりました。
「名乗らなかったっすよね?」
「周りの方が呼んでいらっしゃいましたから」
「相手の名を覚えるのは、貴族として当然のマナーだからな」
仮面の騎士様が話に割り込んできました。見るからに怪しい格好なのですが、いつの間にか場に馴染んでいらっしゃいます。
「パーティーの時などは何百人と覚えるし、使用人の名もすべて頭に入っている。アレクサンドラもそうだろう?」
「ええ、もちろんですわ。今までの対戦相手の方も、すべて覚えていましてよ」
「あ、そういう……」
ライが何故か肩を落とし、ご友人に慰められております。でも、やっぱりすぐに気持ちを切り替えたのか、ニカッと音がしそうなほど満面で笑いました。
「ま、平民のオレが嬢ちゃんに名前覚えてもらっただけで役得か!」
「まあ」
なんと返したらいいかわからず、わたくしは曖昧に微笑みました。
前世の感覚では違和感がありますが、身分制度のはっきりしているこの世界では、“貴族の覚えがめでたい”ことも誉れとなるのです。
……というか、悪役令嬢としては「このわたくしが名を記憶するのです、名誉と思いなさい」とかなんとか、高飛車に言うべきだったような気がしますね。
抜かりました。
でも、もうライは戻りかけていますし、観客も解散しかけています。今さらですわね。次回から気をつけることに致しましょう。
「わたくしたちも、そろそろ修行に戻りましょうか」
イオアン達に呼びかけて、わたくしがリュックを背負いかけた、その時。
「救難信号だ!」
管理小屋から緊迫した声があがりました。
空を見あげれば、小屋から見て北東の方向に光の柱が立ち上っています。その色は――赤。
救難を告げる信号弾は緊急度によって色が分けられていて、赤はもっとも緊急度の高いものです。
「毒沼の方か!?」
信号弾は森の中ほどに広がる沼地からあがったようでした。沼自体には毒性はないのですが、毒蛙の群棲地のため、毒沼という名前が付けられております。
にわかに管理小屋が騒がしくなります。
わずかな見張りを残し、警邏の騎士たちが隊を組んで小屋を飛び出していきます。
小屋にいた修行者たちも、慌ただしく動き出します。信号弾が打ち上げられたときは、常駐の騎士はもちろんのこと、森にいる皆が協力するのが不文律となっております。
例えば信号弾の近くにいれば、いち早く救援に駆けつけることになりますが、今回の場合は……
「ちと様子を見に行ってくら!」
えー、救援に向かう血の気の多い者たちもいますが、残りの者たちは騎士や衛生兵の指示のもと、大きな鍋に湯を沸かしたり、手持ちの薬などを確認し合って、怪我人が出たときのための準備をいたします。
「薬草や毒消し草を買い取るので予備があるものは申し出てくれ!」
「毒沼あたりらしいし、毒消しが余分に必要か?」
「予断は禁物だ。外傷の可能性もある。回復薬も用意しておけ」
せわしなく動き回る衛生兵の中には、どうやら修道士はいないようです。基本的に彼らは教会に所属するので国として配備できる人数は少なく、弱い魔物しかいないこの森には配置されていないのでしょう。
でも、弱い魔物しかいなくとも生命の危険に晒されることはあるのです。
わたくしは、近くにいた衛生兵にそっと申し出ました。
「わたくし、簡単なものでしたら回復魔法を使えます」
「それは助かります! 可能でしたら現場に同行をお願いいたします」
申し出た衛生兵ではなく、その横で出動準備をしていた隊長らしき人が返事をしてくれました。
「かしこまりました」
わたくしは隊長に頷いて、リュックを背負い直しました。
もしも一刻を争う場合、現場での処置が必要になりますものね。
「イオアンはここで待って――」
「もちろん行きますよ」
仲間たちを振り返ると、仮面の騎士様まで含めて全員準備を調えておりました。
アンナは護衛なので連れていくしかないにしても、契約外の仕事なのですから、イオアンは別に行かなくてもいいと思うのですが。
仮面の騎士様に至っては、ご身分を考えれば危険な場所には行くべきではないのではないでしょうか。
「ここにいる私はお前と同じ一修行者だぞ」
仮面の下から覗く唇が、悪童めいた笑みを浮かべます。
わたくしもですが、仮面の騎士様も最近はこちらに来る頻度が高まっておりますので、生徒会活動が少し心配です。エアハルト様やヴィルヘルム様の苦労が忍ばれます。
言い争っている時間はありません。
わたくしたちは隊長に従って、衛生隊のいちばん後ろについて現場へと向かいました。
でも、その途中。
「に、逃げろーーー!!」
先ほどの血の気の多い修行者たちが転がるようにこちらに向かって走ってきました。
わたくしたちの横をすり抜けて駆けていこうとする彼らのうち一人を仮面の騎士様が捕まえます。
「どうした!」
「あれは無理だ! 倒せねえ!!」
「落ち着け! 何があったのだ!」
勢い余って地面にひっくり返った修行者の男は、衛生隊の隊長の叱咤にひくりと喉を震わせ、それから一気に吐き出しました。
「ジ、巨大熊だ!」
「なに!?」
驚愕がその場を支配します。それは本来、こんな場所にいるはずのない魔物の名前です。
「見間違いではないのか?」
「間違いなんかであるもんか! すげえ叫び声で、騎士様もやられて……」
「ど、どうしてこんなところに巨大熊が……」
衛生兵たちの間に動揺が広がります。
巨大熊は本来北の山に生息する強敵です。前世のヒグマより凶暴で、黒狼よりさらに硬い毛皮と鋼の鎧を貫く膂力を持っています。
「被害は!? 信号弾をあげた者は無事か?」
「一匹じゃねえんだ。に、二頭も……ポ、毒蛙も信じられねえぐらいでかいのが」
「現場はどうなっている? 戦える者は何人だ!?」
「知らねえよ! 目の前に騎士様が吹っ飛ばされてきたんだ! あんなヤツにかなうわきゃねえ! 逃がしてくれ!」
仮面の騎士様が続けざまに問いかけますが、男は動揺のあまりか、まともに受け答えができない状況です。
騎士様は舌打ちをすると立ち上がって声を上げました。
「フォルカー!」
仮面の騎士様の声に応えるように、どこからか黒衣の騎士が現れました。仮面の騎士様の護衛です。
「至急、状況の確認を。巨大熊出現が事実なら、警邏に伝達。森中の狩人・修行者すべてを各所の管理小屋に避難させろ。結界も強化し、王都に伝令を走らせよ」
「はっ!」
命令を受けたフォルカーはすぐさま森の中に消えました。
「な……?」
ことの理解が追いつかず、動揺する隊長や衛生兵の前で、クリストフ様が仮面を外します。
「私は第二王子クリストフだ。たった今から、この場の指揮権は私が預かる!」
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次回は水曜日昼に投稿いたします。
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