38.わたくしは、武者修行でも“悪役令嬢”になってしまったのですね。
イオアンやアンナにいろいろ教わりつつ、時々仮面の騎士様に助けていただいたり、仔猫ちゃんに出くわしたりしながらも、わたくしは順調に武者修行を重ねていきました。
南の森の奥の魔物も“摩滅”できるようになり、そろそろ泊まりでの修行に入ってもいいのではと思って、イオアンに相談したのですが。
「……もうちょっと様子を見た方がいいかもしれませんね」
南の森の奥、結界石に守られた即席の休憩ポイントで、返ってきたのはそんな遠回しの否定でした。
「わたくし、武者修行にも慣れましたし、かなり実力もついたと思ったのですが……」
自惚れだったでしょうか。
「いや、お嬢さんの実力は充分だ。だが、今は周りの空気が悪い」
「空気?」
イオアンは深みのある茶色の瞳でわたくしをじっと見つめます。それは、わたくしの何かを計っているかのようでした。
ややあって、少し忌々しそうな口調で打ち明けてくれました。
「お嬢さんについて、妙な噂が流れているんですよ」
アンナがびくりと身じろぎをいたします。心当たりのある仕草に、わたくしは彼女に問いかけました。
「アンナ、何か知っていて?」
「……行き帰りの馬車などで、嫌な視線を感じます」
なるほど、とわたくしは頷きます。
それはわたくしも思い当たることがございます。
乗合馬車では初回からじろじろ見られたり、こそこそ噂話などされてはいたのですが、最近では視線に敵意が混じるようになり、聞こえよがしに悪口なども言われることがございます。
今朝も「実力もないのに修行者気取り」だとか「お貴族様のお遊びで狩り場を荒らされちゃ迷惑」なんて言われておりましたわね。
いちいち反論していてはキリがありませんし、トラブルにもなりかねません。
直接危害を加えられるわけではないので無視していたのですが、イオアンが危機感を覚えるほどなのでしょうか。
「噂とは、具体的にどのようなものですか」
「まず、お嬢さんが公爵令嬢だってのはほぼバレてます」
「まあ」
隠し通せるとは思っていなかったので、それほど驚きはありません。確証はなかったにしても、すでに初日から当たりをつけられていた気がします。
「その上で、魔物は護衛が全部倒してお嬢さんは何もしてないだとか、公爵家の財力を使ってアイテムを買い占めているだとか、森で優雅にティータイムしているだとか、はてはお嬢さんが公爵家の権力を使って奥伝を不正に手に入れたとか言われてますね」
それは、わたくしに奥伝を授けてくださったマルティン先生にも失礼ですわね。
そもそもアンナに魔物を倒してもらっては意味がないでしょう。わたくしが魔物を“摩滅”しなければ能力はアップしないのですから。
アイテムの買い占めも嘘ですし、ティータイムは……これだけは本当といえるかもしれません。今まさにその状態ですから。
わたくしは、手に持ったティーカップとブラウニーを見つめます。
でも、修行の合間のティーブレイクですし、誰に迷惑を掛けているわけでもありませんのに。
「出鱈目ばかりではありませんか。あなたはその噂を放置してるのですか」
アンナが厳しい目付きでイオアンを咎めます。
「俺はお嬢さんの雇われなんでね。俺が否定しても庇ってるだけだと思われちまう。無論、信じてくれる友人はいますよ、でも『そういうことになってるんだろ』とか『お前も大変だな』とかしたり顔で言ってくるような、噂を楽しむ奴らに比べたら数は少ない」
「噂を楽しむ……」
「そ。奴らにとっちゃ噂が真実かどうかなんてどうでもいいんです。『貴族としての責任を自覚して勇者を目指す賢い令嬢』より『実力もないのに勇者を目指して修行の真似事をする滑稽な令嬢』の方が面白いから噂を流すんですよ。まったく反吐が出る」
「つまらない真実よりおもしろおかしく盛り上がれる嘘の方が広まりやすい、ということですわね」
貴族の社交界でもよくあることです。
そういうところは、貴族も庶民も変わりがないのですね。
「お嬢さんは誘拐や邪魔を警戒して、他の修行者や狩人と関わらないようにしてるでしょう。それを邪推して、庶民と話しもしたくないとお高くとまってる、なんてのもあったな」
こっちの感情の方がやっかいかもしれん、とイオアンは溜息をつきます。
――ああ、なるほど。
「もともと“お高くとまったお貴族様”という反感があったので、それを下地にして悪評が広がってしまったのですね」
「とはいっても、噂の広がりがちと不自然です。誰かが意図的に悪評をばらまいてる可能性がある」
「意図的に、ですか」
わたくしは不愉快さに眉を顰めました。
誰が犯人か、具体的な心当たりはありませんが、我がオルテンブルク家にも敵対派閥はありますし、わたくしの邪魔をしようとする人たちもいるでしょう。
もっとも、わたくしが勇者として実力不足なんてぐらいの悪評では、我が家は小揺るぎもしませんが。わたくしが嫌な思いをするぐらいですわね。
「……噂の出所は後ほど調査するとして」
だらだらと中傷を流され続けるのも鬱陶しいですし、大元はきっちりと潰しておかねばなりません。
あ、“潰す”というのは噂を止めさせる、という意味であって、犯人を物理的にどうこうするわけではありませんわよ、念のため。
「どうせ公爵令嬢だとバレているなら、今後は管理小屋で昼食をとったりして、少しは他の方と交流いたしましょうか。大量のアイテムなど持っていないことは、荷物を見ればわかるでしょうし……」
地道なやり方ですが、それで少しは周囲の悪感情が改善するかもしれません。
とはいえ、誤解を解くには時間がかかりますわよね。
「修行者や狩人がわたくしに悪感情を抱いているとしても、こちらが戦う相手は魔物です。泊まりがけの修行には問題ないのではありませんか?」
勇者になるために、時間を無駄にはできないのですから、できるだけ遠回りはしたくありません。
「賛成はしませんね。今は何もしてこなくとも、今後どうなるかはわかりません。夜ってのは魔物も強くなるが、人の気持ちも不安定になる。攻撃的になったり魔が差しやすくなるんですよ」
わたくしの問いにイオアンは渋い顔で首を振りました。
「遠巻きに悪口言ってる程度ならまだマシだ。悪評を信じた奴らにとっちゃ、お嬢さんは“悪人”です。攻撃することに躊躇いがなくなる。『こいつは悪人だから何をしてもいい』と思いこんでしまうんです」
「お嬢さまを悪人だなんて!」
「ちょっと言葉が悪かったか……。だが、今はいけ好かないヤツ程度でも、そのうち悪人だと信じ込む奴もいるかもしれん。印象が悪けりゃ、それだけ偏った見方になるからな」
「事実無根の噂を信じて悪人に仕立て上げられるなんて、あまりに理不尽ではないですか」
アンナは憤慨していますが、わたくしは納得しておりました。
それは今世はもちろん、道徳観念が進んだはずの前世でもあったことです。
中傷や流言を本気にして、酷い言葉を投げつけたり、傷つけたり……。外国の話ですが、デマを信じ込んだ民衆によって殺されてしまった無実の人もいたはずです。
歴史上では前世の魔女狩りなども似たようなものではあるでしょう。
「さすがに直に攻撃してくるとは思わないが、些細な嫌がらせでも夜の森じゃ生命の危機に繋がることもあります。ただでさえ夜の魔物は危険なんだ。それ以外の不安要素はできるだけ除いておきたいんですよ、少なくとも最初のうちはね」
「少し過保護ではありませんか?」
不測の事態や危険も含めての修行でありましょうに。
「あなたの兄上からも重々頼まれておりましてねえ」
「お兄様が?」
まさかヴィタリー兄様からイオアンに話がいっていたとは。紛れもなく過保護ではありませんか。恥ずかしい。
「ま、お嬢さんの実力がわかれば根も葉もない噂なんざそのうち消える。ちょっとだけ辛抱しててくださいよ」
その時間が惜しいのですけれども……。イオアンやお兄様たちは知らないことなので、わたくしの焦りが理解できないのは仕方ないことではあります。
それにしても“悪人”ですか……。
わたくしは、武者修行でも“悪役令嬢”になってしまったのですね。
ふっと、そんな考えが思い浮かんで、わたくしは自分で自分がおかしくなってしまいました。
「ふ、ふふふふ」
「どうしたんです?」
突然笑い出したわたくしに、イオアンがいぶかしげな顔を向けてきました。
「何でもありませんわ」
「お嬢さま」
その時、アンナが緊張した声を上げました。ほぼ同時にかすかに話し声が聞こえてきます。
私たちは手早くお茶道具を片付け、いつでも立ち去れるよう準備を調えました。
「おんや~、ずいぶんと場違いな奴らがいるな」
小道をやってきたのは、あまり裕福そうではない……正直に言ってみすぼらしい身なりの三人の男たちでした。
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次回は水曜日昼に投稿いたします。
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