34.わたくしは、悪い子でしょうか。
仔猫のことはちょっと気懸かりではありましたが、わたくしの本分は武者修行を全うすることです。
昼食後、イオアンに森の中での方向の調べ方、距離感の掴み方、身の潜め方などを教わりながら、魔物を“魔滅”し、ときどき失敗して倒しつつ、午後いっぱいを修行に励みました。
木々の間の空が茜色に暮れだしたら撤収です。
夜になると南の森でもそれなりに強い魔物が出てくるそうなので、少し残念ですね。近いうちに泊まりがけの修行もこなしたいものです。
南の森から王都への直通馬車の最終便で、王都へと帰ります。
定員十二人の大型馬車の中は修行者や狩人で満席です。
やはり女性の修行者は珍しいからか、乗客からちらちらとした視線を感じます。……いえ、遠慮なくじろじろと見てくる方もいらっしゃいますね。
「……なのかね?」
「カッコだけは一人前だがなあ……」
ひそひそ噂話をされるのはあまり気持ちのいいものではありませんが、できるだけ気にしないようにして、わたくしは夕闇迫る窓の外の景色を眺めていました。
「……お嬢さん、都に到着いたしました」
アンナに揺り起こされて、わたくしははっと目を覚ましました。いつの間にやら眠ってしまっていたようです。
「疲れてたんですね。無理もない。今日はゆっくり休んでください」
「ありがとうございました!」
じゃ、またと手を降って別れていくイオアンに礼を言います。
彼には明後日また案内人をお願いするつもりですが、そのことは口にはいたしません。周囲の誰が聞いてるかわかりませんから。
大聖堂横の商店で今日使った結界石や聖水などを補充して、わたくしも家からの迎えの馬車に乗ります。
家に着いたら、使用人達はともかくとして、なんとお父様とヴィタリー兄様までがお出迎えしてくれました。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
「アンナ、ご苦労様。またお願いね」
深く頭を下げるアンナに労りの言葉を告げて、わたくしはお二人に向き直りました。
「お二人ともお仕事は……?」
「ちゃんと終わらせてきたとも!」
お父様が胸を張りますが、本当かしら……。
王城では夜番などを除けば、夕方には就業時間となります。でも、枢密院議長であるお父様は、その後も会談や晩餐、パーティーほか、出席しなければならない会合なども数多くあって、スケジュールが詰まっているはずなのです。
「今は国内外ともに緊急の問題はないからね。少しぐらいなら大丈夫」
お兄様が片目を瞑ってわたくしをエスコートいたしします。お父様も反対側から腕を出すので、両手に花(?)状態です。
まあ、去年夏の氾濫や秋の疫病ではお二人ともろくに家に帰れず、お父様は何日も城に詰め、近衛騎士であるお兄様は国中を飛び回って視察や治安の維持に努められていましたから、今ぐらいはゆっくりするのもいいとは思いますが、それとこれとは別問題です。
わたくしとしては、あまり騒がず、いつものようにしていただきたいのですが……。
「いいじゃないか、初日ぐらい」
「お前の冒険がどんなものだったのか、聞かせておくれ」
「……仕方ありませんわね」
本当はとっくに晩餐を終えている時刻ですが、お二人はわたくしを待っていてくださったようです。
今日はお夜食程度で簡単に済ませるつもりでしたが、晩餐のテーブルにつくためにはドレスに着替えねばなりません。
わたくしは溜息をつくと、湯浴みをするために浴室へと向かいました。
晩餐を終えたあと(女郎蜘蛛を“魔滅”した話は大層お二人を驚かせました)、わたくしは早々に寝室に戻ってベッドに入りました。
今朝は早く起きましたし、明日は学院ですので疲れを持ち越したくなかったのです。
けれど、眠れません。
体は確かに疲れているのに、目が冴えてしまって、一向に眠りが訪れないのです。
枕に頭を付けた記憶がないぐらい、あっという間に寝てしまうわたくしにしては珍しいことです。
ショートスリーパーといえど――だからこそ、でしょうか――徹夜は苦手で、翌日にかなり響いてしまうのですが……困りました。
何度も寝返りをうって、眠ろうと努力してみましたが、ダメです。
初めての修行を終えて、神経が高ぶっているのでしょうか。
結局眠るのを諦めて、わたくしはそっとベッドから抜け出しました。
ガウンを羽織ってバルコニーに出ます。
わたくしの寝室は二階ですが、プライベートガーデンに面しておりますので、ナイトウエアで出ても家人以外に見られる心配はありません。
中空には美しい満月が上り、春の薔薇が香る庭園を照らしています。
わたくしは、まだ少し冷たい春先の空気を目を閉じて吸いこみます。
瞼に浮かぶのは、わたくしに飛びかかってくる魔物の姿。地面に倒れ落ちる角土竜。女郎蜘蛛の濁った八つの目。魔物の体から現れる魔石。“魔滅”で結晶から立ち上る光の粒。
わたくしは、自分の両掌を見つめます。月の光にしらじらと照らされた手。今日も、侍女達に手入れされ、滑らかで美しいわたくしの手。
……この手で、今日、わたくしはたくさんの命を奪ったのです。
そして、これからもたくさんの命を奪っていくのです。
もう一度、わたくしは目を閉じて、ぶるりと体を震わせました。
「……眠れないのか」
下から声を掛けてバルコニーから見下ろせば、ガーデンに家人の姿が。月光を弾く金褐色の髪。お父様です。
「私もなのだ。一緒に散歩でもするか?」
お父様がわたくしに優しく笑いかけます。子供の頃から大好きな笑顔です。どうしようもなく甘えたくなって、わたくしは歯を食いしばりました。
「いいえ、お父様。明日は学院ですし、わたくしは早く休まねばなりません」
夜の闇も月の光も危険です。うっかり弱音を漏らしでもしたら、せっかく修行を認めてくださったのに撤回されてしまうかもしれません。
わたくしは何でもない風を装って、お父様に微笑んで見せました。
実際何でもないのです。
別にわたくしは悲しんでいるわけでも、傷ついているわけでもありません。
ただ――そう、少し重苦しい気分になっているだけ。そしてこれは、これから先、わたくしがずっと抱えていかねばならない重さなのでしょう。
「……そうか」
お父様の笑顔が寂しそうなものに変わります。
「では、もう部屋に戻りなさい。春とはいえ夜はまだ寒いからね。後で温かい飲み物でも届けさせよう」
「……お父様も」
「ああ、少し歩いたら戻るよ。おやすみ、アレクサンドラ」
「お休みなさいませ、お父様」
わたくしはお父様に手を振って、室内に戻りました。
……わたくしは、悪い子でしょうか。
きっと今日一日、いっぱいお父様にもお兄様にもご心配をかけたのでしょう。きっと、これからもかけるのでしょう。
わたくしは寝室から続きになっている自分の部屋に戻り、サイドテーブルに置いてある短剣や護符に触れました。
――それでも。
それでも、わたくしは勇者になると決めたのです。
その時、コンコン、とノックの音がしました。
お父様の言った飲み物を侍女が持ってきてくれたのかと思ったのですが、ドアを開けたのはヴィタリー兄様でした。
「どうしたのですか」
「スサンナが君に飲み物を用意していたから、奪い取ってきたよ」
お兄様が持っているトレーには、一杯のホットミルクが乗っていました。
お父様が命じたにしては早いタイミングです。わたくしが寝付けないでいるのに気づいて、スサンナが自分で用意してくれていたものでしょう。
そして、それにお兄様が気づいたと言うことは……。
じっとお兄様を見あげると、ちょっと照れたように笑いました。
「別に見張ってたわけじゃないさ。たまたま、通りかかったんだよ」
「こんな夜更けにたまたま?」
「そ、こんな夜更けにたまたま」
ぺろりと舌を出して、お兄様はわたくしにカップを押しつけます。
「さ、いい子だからこのミルクを飲んで、大人しくベッドに入りなさい。眠れなくてもいいんだ。目を閉じて横になっているだけでも体がやすまるからね」
「そうなのですか?」
「ああ。これは修行中でもいえることだ。もしも今後、泊まりがけの修行で眠れなかったとしても、ちゃんと横になって休むんだよ。疲労がかなり抑えられるよ」
「――はい!」
今後、とお兄様はおっしゃいました。
それは武者修行を続けてもよい、ということです。
晩餐の席で、わたくしの修行の話を聞いて、お父様もお兄様も驚いたり、青ざめたりされていました。
――きっと今日一日、わたくしはお二人にとても心配をかけたのでしょう。もしかしたら、今のわたくしの沈んだ気持ちにも気づいているのかも知れません。
なのに、お二人ともわたくしを止めるようなことはおっしゃいません。
何だか胸の奥が熱くなって、涙が滲みそうです。
わたくしは、悪い子でもいいのでしょうか。
お二人に心配を掛けるような子でも、貴族の令嬢として失格でも、それでもわたくしは……。
「ありがとうございます、ヴィタリー兄様」
手の中にカップの温もりに、わたくしはほっと肩の力が抜けていくのを感じました。
読んでいただいてありがとうございました。
反応いただくのも大変励みになります。感謝いたします。
次回は水曜日昼に投稿いたします。
もし面白いと思われたら、評価などいただけましたら嬉しく思います。




