33.それは、先ほどわたくしたちが助けた仔猫でした。
「お見事です」
「まさか女郎蜘蛛を茹でるとは! お嬢さんはとんでもないことを考えつくなあ」
「いい経験になりましたわ」
この調子でどんどん経験を積んでいきたいですわね――と思っていたら、お腹がぐうとなりました。
小さい音でしたので聞こえてないと思いますが……聞こえてませんわよね?
イオアンは口元に笑みを浮かべたまま、さりげなくわたくしから目を逸らして空を見あげました。
「太陽がもう真上を過ぎましたね。そろそろ昼にしますか」
聞こえていましたわーーーーーーー!
わたくしは頬が赤くなるのを自覚しながら、こくりと頷きました。
南の森は初心者用ですので、王国の騎士が常駐する管理小屋がいくつか用意されています。森の中に点在する小屋の周囲は強めの結界が張られていますので、危険を感じたらそこに逃げ込むことができます。
短い休憩ならばともかく、食事をする場合は魔物に怯えずゆっくり食事をしたいという方も多く、お昼時になると管理小屋は修行者や狩人たちで混み合います。
ただ、わたくしは例の噂がありますので、あまり他の方々とご一緒するのは避けたい気持ちがあり、前の休憩の時のように森の空き地を探し、そこに結界を張ることにいたしました。もちろん、地面に聖水を染みこませるのも忘れません。
前と同じ方法でお茶を入れ、リュックサックから油紙に包まれたサンドイッチを取り出します。
前世と同じくこちらのサンドイッチも、サンドイッチという方が名付け親なのですが、貴族ではなく外国の商人だったそうです。
こちらと前世では、こういった微妙に違いつつも類似する点があるのが面白いですわね。
ただ、前世ではサンドイッチはホワイトブレッドで作るのが主流でしたが、こちらではマフィンのような物に挟むことが多いようです。ですので、外見はハンバーガーの方に似てるかも知れません。
「んん、肉が分厚い! ハーブのいい香りにピリッとした胡椒がきいてて……これは美味い」
大きな口でローストチキンと玉萵苣のサンドイッチにぱくりと食いついたイオアンが満足そうに声を上げます。
肉を一晩ハーブに漬け込んで柔らかくして、北の高山から取り寄せた岩塩と胡椒をふってローストしたチキンは、幼い頃からのわたくしの大好物です。
自分の好きなものを誰かに褒めてもらうのは嬉しいものですね。
わたくしはほのぼのとした気持ちで、自分もサンドイッチを口に運びました。
どうでもいいですけど、イオアンは食べるの早いですわね。
わたくしが一口食べている間に、もう半分以上過ぎています。
男性ならよく食べるだろうと、イオアンの分は倍にしてもらって正解でした。
というかアンナももう三分の一はいっているような……。もしや、わたくしの食べるのが遅いのでしょうか。
「ああ、お嬢さんはゆっくり食べててくださいよ。俺は貧乏ヒマなしってやつで早食いが身についてまして」
慌てて食べるペースを上げたら、イオアンにすぐ気づかれ、苦笑されてしまいました。
「でも」
「私も騎士ですから、早く食べる習慣がついております。どうかお気になさらず」
アンナをチラリと見たら、彼女も困ったように笑います。
でも、ねえ……。やっぱり落ち着きませんわ。
わたくしは精一杯頑張って、早く口を動かします。
それでも、二人には全然追いつけなくて、アンナが食べ終わった頃(イオアンはとっくに食べ終わって、弓の手入れをしていました)。
ガサリ、と少し離れた茂みが揺れました。
途端にアンナとイオアンが身構えます。わたくしも急いで食べかけのサンドイッチを油紙に包みます。
ただ、魔物の気配は感じませんので何かの動物でしょうか――緊張するわたくしたちの前に、黒い塊が姿を現します。
「みゃー」
後ろ肢の下の方だけが白くて、後は真っ黒い毛並みの仔猫。
「あなたは……」
それは、先ほどわたくしたちが助けた仔猫でした。
仔猫はわたくしを見て嬉しそうに鳴くと、後ろを振り返って茂みの中に頭を突っ込みました。
そして、何かを引きずり出して……ええと、思ってたよりずっと大きいですね。仔猫の体よりはるかに大きい灰色の塊が、ずるずると引きずりだされてきます。
自分の五倍はありそうなその塊を、仔猫はずるずるとわたくしの前に引っ張ってきて、そして脚を揃えて座り込み、にゃあ、と自慢げに鳴きました。
緊張を解いたわたくしたちは、三人で顔を見合わせます。
わたくしの目の前に置かれたのは、灰色の体毛の動物の死骸……いえ、魔物です。
おそらくビッグラットという鼠の魔物で、大変素早く、鋭い前歯で攻撃してくるので、心得のない人間であれば殺されてしまうこともあります。
こんな小さな仔猫など、ひと噛みでやられてしまいそうですが……。
「この魔物、あなたが倒したのかしら?」
「にゃあ!」
仔猫は元気よく鳴いて胸を張ります。肯定してる……んでしょうね、これは。まだ信じられませんけれど。
「それで見せに来てくれたの?」
「うーみゅ」
今度は不満そうに唸ります。どうやら違うようです。
仔猫はビッグラットをぐいと頭で押して、わたくしの方に近づけました。
「お嬢さん、もしかして贈り物では?」
アンナがわたくしに囁きます。
「猫は飼い主に狩ってきた獲物をプレゼントしてくれることもありますから」
「詳しいですわね」
「家で二匹ほど飼っておりまして」
アンナはちょっとはにかんだように笑いました。燃えるような赤い髪とつり目のせいできつく見える顔立ちが、柔らかい印象に変わります。
わたくしは仔猫に向き直りました。
「えっと、わた…しにくれるのかしら?」
あやうくわたくしと言いそうになって、修正します。
仔猫はまた元気に「みゃあ!」と鳴きました。
「さっきのお礼? 気にしなくてよかったのに」
「いけません、いきなり触っては……あ」
仔猫を撫でようと手を伸ばしたわたくしをアンナが止めます。ですが、仔猫はその手に自ら頭を押しつけてきました。ゴロゴロ……と喉を鳴らす音も聞こえます。
「ふふふ、お嬢さんに懐いたみたいですね」
「可愛いわね……」
わたくしとアンナは、仔猫の頭を撫でたり喉をくすぐったり、しまいには仰向けになった猫のお腹を撫でたりしました。
そんなわたくしたちにイオアンが呆れかえった声をかけました。
「いやいやいや、どう考えてもおかしいでしょ。仔猫がビックラットやったって」
確かに、それはわたくしもちょっと変だなとは思わなくもなかったのですが……。
「でも、わたしたちへの害意はないようですし、結界を抜けてこられたのですから魔物ではありませんわ」
結界石によってわたくしたちの周囲に魔物は近寄れないはず。仔猫は嫌がる素振りもなく結界を通り抜けてきたのです。
ちなみにビッグラットは魔物ですが、息絶えていますから、もちろん結界にはかかりません。
「魔物の棲む森に暮らしているのだから、仔猫でも強いのではないかしら」
「強すぎるでしょう」
「それにこんなに可愛いですし」
「いや、可愛さは油断していい理由にはなりませんけどね?」
「サンドイッチの残り食べるかしら」
「餌付けしようとしない!」
「じゃあ、イオアンはこの子が何か悪い生き物だって思うのですか?」
わたくしは仔猫を持ち上げて、イオアンの前に差し出しました。仔猫は可愛らしい声でみゃ、と鳴きます。
「……害意がないのは認めます。だが、正体のわからない生き物だとは思ってます。そもそも言葉が通じている様子なのが変でしょう」
「イオアン殿、猫は意外と賢いですよ」
「アンナさん、あんた意外にポンコツですね!?」
「ポ、ポンコツ?」
騎士ではありますが、アンナも貴族の娘――子爵家令嬢ですので、ポンコツの意味がわからず首を捻っています。
公爵家の娘も、本来ならばポンコツの意味はわからないはずですが、わたくしには前世の知識があります。
でも、前世と同じ意味なのかしらね、ポンコツ。
わたくしが知っているのは“残念な人”みたいな意味合いです。言葉の響きやイオアンの雰囲気からすると、似たような感じじゃないかという気がします。
「にゃー」
仔猫はわたくしの手から飛び降りて、アンナの膝にすりすりとすり寄ります。とたんにアンナはポンコツと言われたことも忘れ、顔を綻ばせました。
「可愛いなあ」
「可愛いですわよね~」
仔猫にサンドイッチをあげたりして、アンナと二人できゃっきゃっと可愛がっていたら、背後から特大の溜息をつかれてしまいました。
「とりあえず、わたしたちを攻撃しようとしないのなら、問題はないのではないかしら」
「……わかりましたよ。そんで、そのビッグラットはどうするんで?」
「そうね」
せっかくの贈り物ではありますが、このまま持ち帰るわけにもまいりません。
「イオアン、また解体の仕方を教えてくださる? 素材はあなたに」
「にっ?」
ゴロゴロと喉を鳴らしていた仔猫が、わたくしを振り返ります。そしてわたくしとアンナの手から抜け出て、もう一回、わたくしの方に魔物を押しました。
……やはりプレゼントをイオアンにあげるのはよくなかったですわね。この魔物は契約外ということにしていただきましょうか。
「イオアン、このビッグラットの素材はわたくしが貰って」
「にゃにゃにゃ!」
「……えーと?」
仔猫はわたくしたちの言葉がわかっている素振りではありますが、わたくしには仔猫の言いたいことはわかりません。
首を傾げていると、仔猫はサンドイッチが包んであった油紙を咥えて、ビッグラットの上にかけました。
「みゃー!」
そして、わたくしの手をぐいぐい押して、油紙の上からラットに触れさせます。
……これは、もしや。
「わたくしに、これを食べろ、と言ってますの?」
「にゃっ!」
わたくしには仔猫の言葉はわかりません。でも、その時は「ようやくわかってくれた!」という仔猫の声が聞こえた気がいたしました。
――え、ほんとに?
わたくしはビッグラットをまじまじと見ました。
まるまると太っています。お肉もたくさんあるのでしょう。で、でも魔物です。魔物じゃなくても鼠です。
「ご、ごめんなさい。わたくし、魔物の肉はちょっと……」
「にぃっ?」
仔猫のしっぽがピーンと一直線に張って、それからへなへなと力なく垂れ下がりました。
なんだか、とてもショックを受けたようです。
「みゅう……」
「あ、猫さん……」
悲しそうに一声鳴くと、そのまま仔猫はとぼとぼと立ち去ってしまいました。
「悪いことをしてしまったかしら……」
「仕方ありませんよ。だいたい、ビッグラットの肉なんて固くてとても食べられたもんじゃない」
イオアンが慰めてくれましたが、わたくしは申し訳なくて、しばらく仔猫の立ち去った方向を見つめていました。
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