31.女郎蜘蛛の氷漬けの完成です!
女郎蜘蛛は洞の奥から間断なく糸を飛ばしてきて、こちらの動きを阻害します。暗い穴の奥に見える赤く濁ったような光は蜘蛛の瞳でしょうか。
イオアンが連続で矢を洞の中に射かけますが、彼の位置からはまだ距離があるので、どちらかというと援護的意味合いの強いものです。
それでも、矢の何本かは洞の中に入りましたが、蜘蛛は何かで防御しているのか、まったく怯んだ様子はありません。
……いえ、糸は洞の上の方から飛んできます。蜘蛛はおそらく洞の天井部分に貼り付いていて、矢を避けているようです。
「クリストフさ」
「仮面の騎士だ!」
「……仮面の騎士様、仔猫の救出をまず最優先に考えております。女郎蜘蛛退治はその後に」
「うむ。お前の修行なのだから、お前の指示に従おう! 好きなように動くがいい」
クリス……仮面の騎士様は、流れるような剣捌きで蜘蛛の糸を断ち切りながら、大きく頷きます。さすがにお強いですわね。
仮面の騎士様が協力してくださるなら、充分に勝算があります。
――裏を返せば、彼がいなかったら危険だったということです。
自分で責任を取る、という覚悟だけがあっても、結局実力が足りなければ無理なのです。イオアンとアンナだってわたくしが危なくなれば助けないわけにはいきません。
どこかに隠れてもう一人か二人、護衛はいると思いますが、それを当てにして行動するのは間違いでしょう。
わたくしが無謀な真似をすれば、二人を巻き込んでしまうことになるのです。それは肝に銘じなければなりません。
とはいえ、今は戦いの最中です。反省は後にすることにして、わたくしは前方をきっと睨み据えました。
わたくしの位置からは女郎蜘蛛の潜む木までは三メートルほど。仔猫までは二メートルちょっとといったところでしょうか。
わたくしは素早くリュックを降ろし、マントを外すと、それを宙に投げ上げました。
『水の精霊よ、その〈分子〉の動きを止め、氷の矢となれ!』
熟練していれば「氷の矢」だけで発動できるのですが、この呪文はまだそこまで使いこなせてないので神代語で命令とともにイメージを伝えます。
そのイメージ通り、氷の矢はマントに当たって、マントごと洞のある木へと突き刺さりました。マントが垂れ下がり、ちょうど洞を隠す形です。
でも、それも一瞬のこと。すぐにマントの中央を突き破って毛むくじゃらの脚が伸び、そのまま布地を引き裂いていきます。
けれど、それでもいいのです。一瞬でも目隠しができれば。
呪文を唱え終わると同時に走り出したわたくしは、仔猫を掬い上げ、そのまま木の陰へと駆け込みました。が、安心してはいられません。
マントを切り裂いた蜘蛛がすぐさま糸を放ち、わたくしを木ごと糸で縛り付けようとします。それを仮面の騎士様とアンナが断ち切っている間に別の木へと逃げ込み、距離を取ります。
仔猫に巻き付いた糸を千切ろうとしましたが、女郎蜘蛛の糸はネバネバしていて、手では上手く切れません。
仕方ありません、落ち着いてから切りましょう。
ぴゃーとみゅーの中間のような声で鳴き続ける仔猫を、女郎蜘蛛の糸の届かない木の陰へと隠して、わたくしは再び女郎蜘蛛に立ち向かいます。
わたくしたちを糸で絡め取れないことに苛立ったのか、蜘蛛はとうとう洞から出てこようとしていました。
黒く毛がびっしりと生えた長い脚が、もぞもぞと洞から這い出してきます。ううう、気持ち悪い……。
脚だけでわたくしの腕の長さほどはありそうですから、本体の大きさは中型犬ほどでしょうか。女郎蜘蛛としても中ぐらいのサイズです。
でも、洞から出てくるなら攻撃のチャンスは増えます。
イオアンが矢を射かけたり、騎士二人が斬りかかったりいたしますが、蜘蛛は吐き出した糸でそれを防ぎます。
いえ、矢は何本か当たっているようなのですが、刺さらず下に落ちてしまっています。
「くそ、やっぱ短弓じゃダメか」
背後からイオアンの舌打ちが聞こえてきます。
そういえば女郎蜘蛛の外殻は大層頑丈で、かなり堅い木ぐらいの強度があるのだとか。
弱点は八つの目なのですが、さすがに脚と糸で攻撃をがっちりガードしています。
では物理攻撃は難しいということでしょうか。火は使えない、風の刃も氷の矢もだめ、となると……。
女郎蜘蛛の飛ばす糸を避けながら、忙しく頭の中で考えます。
いえ、待ってください。氷?
わたくしは周囲の水の精霊の気配を探ります。幸い場所は森。周囲には濃い気配が漂っています。
「仮面の騎士様、アンナ、イオアン! 蜘蛛を洞の中に押し返してください!」
そう叫ぶと、わたくし自身も風の刃を魔物へと叩きつけました。
すでに体半分以上洞から出ていた女郎蜘蛛が怯みます。
二人の騎士が魔物の脚を攻撃し、幹に食い込んでいた爪を引き剥がします。
浮いた体にイオアンの矢が当たり、バランスを崩します。
蜘蛛が吐き出す粘着糸は、わたくしの風の刃ですべて切り払います。
魔物もそう簡単には押し戻されず、じりじりとした攻防が続きました。
けれど、相手は一匹。こちらは四人です。やがて、蜘蛛の体がぐらりと傾き、洞の中へと落ちていきました。
今です!
『水の精霊よ、洞の中を満たせ! そして〈分子〉の動きを止めよ!』
術の発動とともに洞の中に水が溢れ、それが瞬時に凍りつきました。
女郎蜘蛛の氷漬けの完成です! ……たぶん。
洞の中を確認することもできずに、わたくしはその場に崩れ落ちてしまいました。
「大丈夫ですか!?」
「怪我をしたのか?」
「へい、き……疲れた、だけ、です…わ……」
慌てて駆け寄ってくる三人への返事は、我ながら息も絶え絶えです。
数十回の“魔滅”で多少体力が底上げされたようだとはいえ、わたくしの基礎体力はまだまだ乏しいものです。
何しろ二ヶ月ちょっと前までは運動なんてたまの乗馬か護身術程度だったのです。
それ以後は毎日ジョギングなどで体力向上に務めていますが、今回みたいに飛んでくる糸を避けて木々の間を走り回るなんて戦い方を、長い間続けられる持久力はまだ付いておりません。
そもそも、わたくしは魔術使いでございますから、本来は体力ではなく頭を使う戦い方をすべきでしょう。
女郎蜘蛛を凍らせる戦法を、もっと早く思いついていたらと悔やまれてなりません。そうしたら、アンナやイオアンを危険に晒すこともなかったのです。
こういうことも、場数を踏めば素早く判断できるようになるのでしょうか。
「女郎蜘蛛は……」
「うむ、見事に凍っている。素晴らしい魔術だ」
洞の中を覗いたクリストフ……仮面の騎士様が大層いい笑顔で振り向きました。
その辺から水を集めて凍らせただけですが、呪文を作るのには苦労いたしましたので、褒めていただけて嬉しいですわ。
分子を止めるにはどうすればいいのか、精霊が理解するような言葉の組み合わせを探し、何十、何百と試作を繰り返しましたから。
……ではなくて。
なぜ、あなたがここにいるのですか。
わたくしは騎士様を問い質そうとして、けれど口を閉ざしました。
先ずやらねばならないことは女郎蜘蛛の後始末、いえそれより前に……。
わたくしはアンナに支えられながら体を起こし、視線を彷徨わせました。
「こいつですか?」
そのわたくしの前にイオアンが差し出したのは真っ黒な仔猫です。蜘蛛の糸はすっかり取れて、イオアンに首の後ろを掴んで持ち上げられて藻掻いています。
わたくしの姿を認めた仔猫は、ぴゃーと可愛らしく鳴きました。
「ああ、よかった!」
イオアンから仔猫を受け取って、わたくしは思わず頬ずりをしました。
「どこか痛いところはない?」
ざっと調べましたが怪我している様子はなく、わたくしはほっと胸を撫で下ろしました。
仔猫はごろごろと喉を鳴らしながら、ざらざらした舌でわたくしの頬を舐めます。
わたくしの両手のひらの上にちょうど乗るぐらいの小さな仔猫です。助けられて、本当に良かった……!
「魔物の棲む森に猫……? どこからか迷い込んできたのか」
仮面の騎士様が近づいて、猫に触れようとします。けれど猫はそれを嫌がるように体をくねらせ、わたくしの手から抜け出てしまいました。
「あっ」
仔猫は皆の手の届かない、少し先の地面で立ち止まると、にゃーと大きく鳴きました。
今気がつきましたが、仔猫は真っ黒ではなく、二本の後ろ肢の途中から白くなっていました。まるで足袋か長靴を履いているようです。
仔猫はきちんと足先を揃えて座ると、わたくしたちに向かって深々と頭を下げました。それからもう一回、大きく鳴くと身を翻し、さっと森の中へと走り去ってしまいました。
「……いってしまいましたわ」
「恩知らずなヤツですね」
「でも、なんだかお礼を言っているようでしたよ」
肩を竦めるイオアン。アンナは仔猫の走り去った方を優しい目で見つめています。どうやら彼女も動物好きのようです。
しばし、わたくしはほのぼのとした気分に浸っておりました。――その隙に。
はたと気がつくと、もう一人、この場から姿を消しておりました。
仮面を被った怪しい人物、クリストフ様です。
逃げましたわねー!
隠れて付いてきてる護衛はクリストフに気づいてますが、害はないので放置してます。
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次回は土曜日夜に投稿いたします。
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