28.怠け心は禁物。いい勉強になりました
「欲はありますわよ」
「ほう、それは?」
「勇者になることですわ!」
わたくしが無欲に見えるとしたら、今は勇者になること以外は興味が薄いからだと思います。
何しろあと三年で達成しなければならないのですから!
「ああ、そういう……」
イオアンが力の抜けた顔をしました。アンナも心なしか脱力しいてるようです。
「ま、いいや。あとでそちらのお抱え工房を紹介していただけますか? 一応、仁義は通しておきたいんで」
「わかりました」
「ついでと言っちゃなんですが、リュック?だったか、これと似たデザインのカバンを作らせてもらえませんかね。狩りに行くときなんか、かなり便利そうですから欲しがるヤツいると思うんですよね。俺たちにも手が届くような、価格を抑えたものがあれば喜ばれるんじゃないかと」
「もちろん構いませんわ」
便利な物はどんどん作って広めていきましょう。そうすれば単価はもっと下がりますし、
具体的な数字は知りませんが、わたくしのリュックはオーダーメイドですし、素材もいい物を使っていただいたので、お値段はかなりお高くなってしまったはずなのです。
たぶん、このリュックを喜ぶ人は貴族や富裕層ではなく、一般庶民ですものね。お安くなるに越したことはありません。
「ただ、うちの工房が作ったものですので、そちらにも許可を取っていただいた方がいいかと思います」
わたくしのざっくりとしたデザインを、このように実際に使いやすいカバンに作ってくれたのはダウム工房ですから、彼らの権利は守られなければなりません。
「了解しました」
「武者修行で使ってみて、不具合があるようでしたら直していただく予定ですの。イオアンも何か気づいたことがありましたらおっしゃってくださいね」
「いや、これで充分だと思いますよ。背負子よりずっと軽いし、外部ポケットが多いのも中身の整理に便利だ。まあ、男が使うならもっと大きくてもいいかもしれませんね。何よりやはりこのスナップボタンがいい! お嬢さんの発想力は素晴らしいですね」
ボタンはもちろんとして、リュックのデザインもやはり前世の知識を元にしていますし、わたくしの手柄ではありません。
なのに褒められるのが居心地悪くて、ついわたくしは口走ってしまいました。
「でも、スナップボタンでは強度が少々不安でしょう? 本当はファスナーにしたかったのですけれど……」
仕組みをうまく説明できなかったのですよね。
化学式の件もそうでしたけれど、わたくしの前世知識はこういうことが多くて、詳しく知りたい部分はいつも曖昧です。
ファスナーなんてあんなに毎日何かしらで使っていたのに、細部がわからないとは観察力不足にもほどがあります。
「ファスナー? なんです、それ」
話に食いついたイオアンが身を乗り出してきて、わたくしは狼狽しました。だって、顔が近いんです。そういえばわたくし、家族以外の男性とこんなに近くで話ししたのは初めてかも知れません。
「い、いえ、その、カバンを開け閉めするのに便利な仕組みで」
って、適当に誤魔化せば良かったのに、説明してどうするんですか!
「どんな仕組みですか?」
ほら、やっぱりさらなる説明を求められてしまったではないですか。
ううう、本当にぼんやりとしか覚えてないのですが……。
わたくしは木の枝を拾って、地面に簡単な図を書きました。
「こう……小さな金属が噛み合うようになっていて、スライダーで開け閉めができるものなのですが……」
「それがファスナー? なんだか動物の歯のようですね。これもお嬢さんのアイディアですか?」
いいえ、前世の知識です。
もちろんそんなことは言えませんが、このままわたくしの発案とされてしまうのは良心が痛みます。
「ずっと前に何かで見た記憶があって……。どこでだったか……小さい頃のことなのでよく覚えていませんが、カバンをもう少し便利にしたいと思った時にふっと思い出しましたの」
前世で幼い頃、どこかの工場に見学に行ってファスナーを作った記憶がうっすらとあるのです。といっても、すでに出来上がっているパーツを組み合わせただけなので、金属部分がどう噛み合うのか、噛み合わせるためにどんな形にするのが最適なのか、細かな仕組みはわかってないのですが。
「で、でも、こんな曖昧な図ではわかりませんわよね」
地面に描いた図を消そうとしたのですが、イオアンに止められました。
「いや、面白い」
イオアンは図を食い入るように見ています。顔が離れてホッとはしましたが……あの、ちょっと……絵が下手なのでまじまじと見られると恥ずかしいのですが……。
「つまりこの金属の歯の凹凸が互い違いに噛み合って閉じているところを、このスライダーとやらが開けていくんですね」
えっ、そんな簡単な絵でわかるんですか?
「歯をどれだけ小さくできるかがポイントになりそうだな……」
イオアンは図を見ながらぶつぶつと呟いています。それから、ひどく真剣な表情でわたくしを見ました。
「お嬢さん、俺にこれを作らせてくれませんか?」
「え、ええ。構いませんけれど」
「ありがとうございます!」
イオアンは目を輝かせて、満面の笑顔を浮かべました。それはそれは嬉しそうな顔で、わたくしも何だか嬉しくなってしまいました。
――と、その時。
首筋にちりりと何かが走りました。
「魔物の気配です!」
魔術――いや、魔法を使う者は、こちらに向かって放出される魔力の気配を感じ取ることができます。
わたくしの警告に、イオアンとアンナも身構えます。
四方に結界石を置いてありますので魔物は近寄れないはずなのですが、石の効力より強い魔物であれば抜けてくることも可能です。
でも、初心者用の森にそこまで強い魔物なんて――。
「お嬢さま、下です!」
アンナの声に飛び退くと、地面から太い円錐のようなものが飛び出してきました。よく見ると前世のドリルのように回転していて、その下には猫ほどの動物の体が付いています。
「角土竜だ!」
『ファイヤーボール!』
円錐は魔物の角だったのです!
とっさに力場を展開することができず、わたくしは大きく跳躍してきた角土竜に火球を叩きつけました。
ほぼ同時にアンナが魔物の首をはねます。
角土竜は赤黒い血をまき散らしながら下に落ちました。その血は地面に散乱したカップに降りかかり、わたくしの顔にも飛んできます。
わたくしは悲鳴を上げそうになるのを唇をきつく噛んで堪えました。
リュックはイオアンの足元にあったので、角度的にそちらまで汚れていないのが幸いでしょうか。
角土竜の血に毒などはなかったはずですので、カップも顔も水で洗えば問題ないでしょう。
気持ちがよいものではありませんが、武者修行なのですからこんなことは当たり前にあるのです。慣れなくてはいけません。
それよりも、残念なのは。
「“魔滅”できませんでしたわ……」
少しでも早く力を付けるためには、少しでも多くの魔物を“魔滅”しなければなりませんのに。
「申し訳ありません」
地面に横たわる魔物の死骸を見ながら、つい無念が口をついてしまったら、アンナに謝られてしまいました。
「いえ、いいのよ。力場を形成できなかった時点で、倒すしかなかったのですもの」
「そちらもですが……結界石だけではなく、聖水を地面にしみこませておくべきでした」
「それもわたく、わたしが気をつけておくべきことだわ。これは、わたしの修行なのだから」
結界石による結界は聖水によって効力を高めることができます。
この森に角土竜が生息していることは事前の下調べで知っていたし、結界石の力は地下には届きにくいこともわかっていたのに、疲れを口実に手間を惜しんだわたくしが悪いのです。
「安全な王都にいるわけではないのです。怠け心は禁物。いい勉強になりました」
わたくしはハンカチを水で濡らして顔を拭うと、手早くカップを洗いました。
「髪にもついていますよ、お嬢さん」
イオアンが拭ってくれようとしたのですが、その前にアンナが間に入り、さっと拭いてくれました。
こういうとき、髪を短くしてよかったと思いますわ。
「おっと、お貴族のお嬢さんに気軽に触っちゃマズかったですね」
イオアンは手ぬぐいを下ろして、肩を竦めました。
わたくしは飛んでしまった帽子を被り直しながら頭を下げます。
「ご親切に感謝いたしますわ」
「いえいえ。……お嬢さんは、俺を責めたりはしないんですね」
「? なぜそんな必要が?」
「お貴族様の中には、魔物退治から護衛まで、なんでもかんでも案内人の仕事だって押しつけてくるやつがいるもんでね。魔物のいる森の中でも王都のお屋敷と同じように、何不自由なく過ごせると勘違いしてやがる」
「まあ……そんな方がいるのですね」
それでイオアンは狩猟ギルドでわたくしに少し当たりがきつかったのでしょうか。
イオアンは貴族嫌いなのではないかと薄々感じていましたが、今までの出会いが悪かったせいなのですね。
「そんなやつらとお嬢さんを一緒にしてたわけじゃあないんだが……。俺も気がついたら教えるぐらいはしますし、今回は忘れてて悪かったと」
あら、イオアンまで気に病んでいるようです。今日の様子からすると、てっきり楽しんでいるかと思ったのに。
でも、そうですわね。この方は基本的には親切な方なのでしたわ。
「あなたの仕事は森を案内し、魔物達の生息範囲やその生態を教えてくださることですわ。なんでもかんでもやっていただいては修行にならないではありませんか」
わたくしはイオアンの愁いを吹き飛ばすように、朗らかに笑いました。
「ちょっとぐらいの失敗はかえっていい経験です。これからもよろしくお願いいたしますわね」
「かしこまりました」
イオアンは右手を胸に当て片足を引いて、ちょっと大げさなぐらいに礼をしました。
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次回は水曜日昼に投稿いたします。
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