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ある春の日の

丹省 省都キアン 領主城


 春の優雅な昼下がり、珊子と翠玲は丹省に仕える他家の夫人や令嬢をもてなし、お茶会を開いていた。

 噂話や流行りの衣服や装飾品の話題で盛り上がる中、招かれた客はどこかそわそわしている。彼女達の目的は、話題の姜家の新しい令嬢だった。

 いつ現れるかと、今か今かと待ち焦がれたが、現れる気配は一向にない。

 痺れを切らしたのは、()家の令嬢の楡子(ゆし)だった。


「姜侯夫人(諸侯の妻)、姜公の御令嬢は本日お見えにならないのでしょうか?」


 珊子は隣にいた夫人との会話を止め楡子を見た。


「悠李は武官です。明日は不周山にて遠征があるため、今日は修練に参加しています」


 忙しくて、お前に会っている暇などないと言われている様に思えてならないも、楡子は口を継ぐむしかない。

 楡子は悠李の存在が疎ましかった。

 楡子は不死だった。一族からは不死が生まれたと祝福され、大事に育てられた。

 年頃になると楡子には数多くの縁談が舞い込んだ。不死からは、不死が生まれやすいとされているのもあるが、楡子はどれも気に入らなかった。

 楡子の父である伊家当主は姜一族との縁談も考えたが、丹諸侯も、祝融の息子である共工も既に妻がいたため諦めるしかなかった。

 だが、楡子は姜家の華やかな暮らしに恋焦がれた。

 決して、伊家が貧しい訳でもないが、国を纏める九家とでは比べ物にもならない。何とか、姜家に嫁ぎたいと伊家当主に言うと、試しに姜家当主である祝融に縁談を持ち掛ける事にした。

 祝融は最初の妻が亡くなり、その後一度として結婚をしていない。理由は誰も知らないが、姜家当主の妻の椅子は空席のまま。自分の娘をと思っている者は多いだろう。

 伊家当主も不死で生まれたの娘ならばと、淡い期待を抱きながら話を持ち込むも、祝融に妻を娶る気はないと一蹴された。

 ならば、蚩尤はと考えたが、蚩尤の気難しさを知っている伊家当主は楡子を説得する方が楽と諦めた。


 縁談自体は断られたが、祝融からは、せっかく不死が生まれたのならと、良家との縁談をいくつか伊家当主に持ちかけた。

 最初は呉家の次男である了顕にと思ったが、これは了顕が断った。次に(ちょう)家だった。そちらは結婚は二回目との事で、纏まらなかった。ならば、他省はどうかとの事だったが、生まれた地を離れるのは不安と、どれも楡子は嫌がった。

 祝融もこれ以上は面倒は見られないと、匙を投げたが、楡子は不死として生まれたならばと、未だに夢見続けていた。そこに、長年不在だった蚩尤が戻ってきた事で、父親に縁談を申し込んではと、自から申し出た。父親は、蚩尤が気難しい性格だからと楡子を説得しようと試みたが、できなかった。

 どうしようかと迷っていた折、蚩尤の婚約者には新しく姜一族に加わった当主の養女が決まったと言う噂が流れた。確かめてみると、その話は事実で、これならば娘も諦めざるを得ないと、漸く説得できると胸を撫で下ろしていた。

 そして、高位の官僚ではあったが、不死でない者との縁談が組まれる事になっていた。

 楡子は事が上手く運ばなかった事に苛立ちを覚えた。そして、それは卑賤の生まれでありながら、自分が憧れた場所に簡単に入り込んだ悠李に向けられた。

 せめて、一眼顔を拝んでおかなければ腹はおさまらないと、普段は参加しない珊子のお茶会に臨んだ訳だが、目的の悠李はどこにもいない。


「何か御令嬢を隠さねばならない訳でもあるのですか?」


 悪意ある言葉に珊子と翠玲は眉を寄せた。

 従順で真面目な悠李は、誰かに擦り寄るでもなく、堂々と城で生きていた。息苦しいと感じる事もあるだろうと何かと世話を焼いたが、悠李は決して態度に出さず、二人には感謝するばかり。

 そんな悠李が珊子と翠玲にとっては、可愛い妹分になっていた。着せ替え人形にしていたのは単に悠李の容姿が気に入っていたのもあったが、悠李は何を着せても似合うと褒めると戸惑い縮こまる姿が可愛らしく気に入っていたのもあった。

 珊子と翠玲は目を合わせると、立ち上がった。


「別に隠してはいませんよ。そんなに気になるのでしたら、会いに行ってみますか?」


 思わぬ珊子の言葉に楡子だけでなく、他の客達も驚いた。珊子はどうぞ遠慮なさらずと微笑んだが、先ほどの発言から悠李がいるのは鍛錬場だろうと容易に想像はつく。

 華やかな場所しか知らないような客達は戸惑うも、姜侯夫人の申し出を断るわけにもいかず、渋々後をついて行くしか無かった。

 困惑する客達をよそに、楡子だけは意気揚々と鍛錬場に向かった。


――


 鍛錬場では、兵士だけでなく武官達も修練に臨んでいた。ここ最近は、暇な時は当主が顔を出す様になっていた為、新しく武官になった者達は粗相があってはいけないと、びくびくと肩を竦めた。何より、指導していたのは長年不在だった姜蚩尤だ。彼の険しい顔付きが何より恐ろしいと、一時も気を抜けなかった。

 その中で、悠李は特に気にするでもなく、修練に励んでいた。目の前に対峙するは、呉了顕。遊び半分ではないが、腕試しと勝ち抜きの様に手合わせをしていた。


「了顕で何人目だ?」


 祝融は途中から来ていたため、悠李の勝ち星を数えてはいなかった。


「四人目です」


 蚩尤は祝融の隣に並び、了顕と悠李を眺めていた。

 両者共に真剣だった。既に悠李に負けた者は口々に、女の力とは思えないと、痺れる腕を抑えていた。

 決して姜家当主の養女だからと手を抜いてはいない。女に負けたとなれば恥だと意気込んだが、その考えは悉く打ち砕かれた。

 悠李は躙り寄る了顕に向かった。剣が打つかり合う音が響き渡り、幾重にもわたる悠李の猛攻に了顕も負けじと弾き返す。長く武官を務める了顕は強く、両者は互角だった。

 そんな状況の鍛錬場へ現れたのは、客人を引き連れた珊子と翠玲だった。

 鍛錬場の喧騒と埃っぽさに客人達の顔色は戸惑いを隠せず難色を示していたが、祝融と蚩尤の姿が目に入ると、すかさず頭を下げた。

 祝融は目を丸くしたが、何やら思惑があると、迎え入れた。


「あまり客人をもてなすような場所ではないが、偶には武官達を見るのも良いだろう。御婦人達の目があれば武官達の気も引き締まると言うものだ」


 武官達にしてみれば、祝融がいるだけで十二分に気は引き締まっているのだが、客人の中には、若くまだ未婚の令嬢もいるとあれば息巻く者もいる。


「悠李の姿を見てみたいと言う者がおりまして」


 珊子は横目で楡子を見た。当の本人はと言うと、お目当ての悠李よりも蚩尤に気を取られている様子。


「悠李ならば、そこで了顕と手合わせをしている」


 祝融の言葉に、楡子を含む客人達は悠李を見た。

 了顕と互角に剣を振るう姿に、隠された令嬢などという言葉は吹き飛んだ。何より、勇ましいとすら言える姿に血の気すら引く者もいた。



「(あれが、噂の?)」

「(新年の宴でお父様が、見目麗しい御令嬢と仰っていたけれけれど、大した事ないわね)」


 ひそひそと話す言葉に、珊子は眉を顰めたが、令嬢としての姿よりも、武官の姿が様になっていると言うのも確かに頷ける。


「終わったか」


 祝融の言葉通り、決着はついた。僅かな差で、悠李は了顕を打ち負かし、首に据えられた短剣に、了顕は素直に負けを認めていた。


――


「相変わらず強いな。今日こそ勝てると思ったんだが」


 幾度となく手合わせを繰り返し、いつも一歩の差で了顕が負けていた。ここぞと言う時に踏み込むも、それを逆手に取られていた。


「いや、了顕は強いから、隙を突くのに苦労する」


 手練れの了顕相手に汗が頬を伝い、悠李は袖で拭った。ふと、珍しく珊子や翠玲が鍛錬場にいるのが目に入ったが、その横には煌びやかな貴婦人や令嬢達の姿。


「あれは?」

「さあな。……悠李、祝融様が呼んでる」


 了顕の言葉に悠李がそちらに目を向けると、手招きする祝融の姿があった。


「(何かしたかな)」


 特に心当たりはないが、悠李は素直に指示に応じ、近寄り難い雰囲気の客人達の方に向かった。


「お呼びですか?」

「相変わらず動きがいいな。上官相手に中々の立ち回りだった」


 褒め言葉は珍しい訳でもないが、態とらしくて、小気味悪い。祝融の顔色を伺いながら、悠李は横目で客人達を見た。


「それで、ご用件は?」

「こちらの方々がお前に一目会いたかったそうだ」


 客人達は、皆、悠李が異邦人でありながら養女となった事を知っている。例え、生まれが何であろうと、姜家の息女共なれば、頭を下げる相手である事には変わりない。悠李が客人をはっきりと視界に捉えた事で、ゆっくりと頭を下げた。楡子も、内心不服に思いながらも、一応礼儀は弁え、それに倣った。


「態々、こんな所まで申し訳ない。お茶会には珊子様よりお誘いされていたのですが、武官としての務めがあるため、参加できませんでした」


 先ほどの果敢な姿とは変わって、物腰柔らかく謙虚とも取れる姿勢に、客人達は驚いた。卑賤の生まれだと噂されていたが、礼儀正しい姿からはとてもそうは見えない。

 一人を除いて。

 楡子はその姿が不満だった。武官としての実力など、相手が加減しているのではないかと疑わしくも思える。自分の方が美しく、教養も身に付けている。何故、この女なのか。

 楡子は蚩尤に目を向けた。正直老いた男などに嫁ぎたくはないが、祝融に縁談を断られたとなれば、この男しかない。下手に近付く事は許されないが、自分を見てくれさえすればと思った。だが、蚩尤は一度として楡子どころか、客人に目を向ける事さえない。父親からは、気難しいとは聞いてはいたが、これ程とは思っていなかった。

 しかも、当主である祝融もそれを気にもとめない。

 不死を得て生まれたと言うのに、何故こうも扱いの差が有るのか。楡子の不満は募るばかりだった。


「悠李」


 険しい顔付きの蚩尤が悠李に目を向けていた。


「はい」


 悠李が蚩尤に近づき、二人は何やら真剣に話をしていたが、楡子には何一つとして聞こえない。二人の姿は、婚約中の間柄と言うよりは、師と弟子か上官と下僚にしか見えない。

 楡子に一つの考えが浮かんだ。


「(婚約は当主様の意向なのでは?)」


 姜一族当主の養女になったからと言って、悠李の生まれが変わるわけではない。婚約はただの地盤固めでしかないのでは、と。


「(だとしたら、私にも機会があるわね)」


 楡子には時間は残されていないが、もしもお手付きになれば話は変わってくる。そればかりは、御当主も認めざるを得ないだろう。

別に蚩尤に気があるわけではないが、夢に見た国を纏める九族のうちの一人になれるのなら、楡子にはどうでも良い事だった。

 不死に生まれると、高位に就く者が多い。例え平民の生まれの女でも、諸侯に嫁ぐ事があると言う。

 翠玲がその例とも言えた。妓女が当主の令息と結婚したと当時はたちまち話題になったが、妓女と言う事で良く思わない者も多くいた。これを抑えたのは姜家当主と諸侯だった。


「陰口を叩くぐらいなら、私に面と向かって言ってみてはどうだ?」


 祝融のその言葉が効いたのか、共工が武官だったからなのかは分からないが、それ以降口を出す者はいなくなった。


「(不死とはいえ、たかだか妓女が当主御子息と結婚できるんだもの、私が只人なんかと結婚するなど有り得ない)」


 気位の高さも相まって、楡子には行動を起こすしかないと考えた。


「それでは祝融様、蚩尤様、私達はこれで」


 珊子の言葉で、楡子は我に返り焦った。家臣の娘が城に来る機会はそうない。これを逃せば、縁談が纏まり後戻りは出来なくなる。


「珊子様、私はもう少しこちらで皆様を拝見したいのですが」


 楡子はちらりと蚩尤を見た。

 既に悠李は別の武官との修練に勤しんでおり、蚩尤は変わらず修練に励む者達を眺めていた。


「何の為に?」


 珊子はにこりと笑って返した。


「貴女の目的は悠李を一目見る事でしょう。これ以上、ここに何の用があると言うのでしょうか」


 楡子には返す言葉も無かった。


「祝融様も、蚩尤様も居られます。はっきりと言われてはどうですか?」


 その言葉で、漸く蚩尤は楡子を見たが、それは侮蔑に近い表情だった。


「私は……その」


 蚩尤は溜息をつき、楡子に向かった。

 楡子は途端に蚩尤が怖くなった。威圧的とも取れるその姿を直視する事ができず、思わず袖を握り締めた。


「伊家御息女の話は聞いている。はっきり言っておこう、何も間違いなど起こらない。詰まらん考えを抱く暇があるなら、不死として何か磨きをかけるべきだった」


 蚩尤の苦言で、周りにいた客人達のくすくすと笑う声が楡子にも届いた。侮辱の言葉を浴びせられるも、事実無根な上に、言い返すこともできない相手と相まって、楡子は顔を上げられなかった。

 楡子には異能の才が無かった。不死として生まれた全てが異能を持って生まれるわけではない。ただ、寿命が長いだけとも言われるが、不死と不死の間には不死が生まれ易いとも言われていた。それだけで、高位の者に取り入れるとも言われる程だ。

 伊家当主は高慢では無いが、心の内では僅かな思惑として姜一族に取り入れるとういう考えがあったのも確かだった。楡子は幼いながらに父に言われた城に住めるかもしれないと言う言葉に憧れ、それが膨らんで言った。教養を積み、舞を励み、所作や作法に気を使った。決して、怠慢だったわけではないが、どこに嫁いでも恥ずかしくないと言うだけ。

 文官を目指すわけでもなく、不死を持て余しているとも言える状況でしかない。不死と言う事に使命を持って生きていた蚩尤から見れば、楡子の姿は滑稽だった。


「これ以上恥をかきたくなければ、私の前に姿を晒さぬことだ」


 珊子は満足したのか、戻りましょうと再度声をかけると、客人達は珊子に続いた。楡子は足取りも覚束ない様子だったが、最後尾で項垂れたまま後を着いていった。


「相変わらずだな」


 祝融は、見ているだけだったが、久しぶりの蚩尤の態度を見て笑っていた。


「態々来たのですから、はっきり言っておいた方が手間が省けます」

「お前が寛容なのは悠李だけか」

「あれに優しくして、何の得が有りましょう」


 既に縁談が纏まりつつある女だ。既に娘が手に余ると考えている伊家当主も何も言わないと考えてのことでもあった。


「あれで出来た者だったらな。せっかくの不死だと言うのに、勿体無い」


 祝融も利益で考える事があるため、蚩尤に対して何か言う事はない。何より、面倒ごとを起こされても困る。

 全ての不死が異能を持って生まれてくる訳ではない。何よりもって生まれたとしても、鍛え抜かねば何ら意味の無いものでもある。

 祝融は悠李に目を向けた。また、一つ勝ち星を上げたのか、相手に剣を向けていた。


「(だからこそ、悠李には価値がある。)」


 価値、無価値で判断したくはないが、国政や省政が関わるとそうもいかない。悠李程鍛え上げられ、上等な教育を受けた者などそうはいない。しかも、不死身で異能に近い力も持っているとなれば、悠李の価値は誰にも換算など出来ないのだ。

 ただ、女にしては少々勇しすぎるのは確かだが。


「まあ、女には見えんな」


 悠李は背も高い。了顕と同じぐらいの上背の所為で、遠目だと細身の男と間違えられても仕方がない程に勇ましい。


「人の婚約者に向かってなんて事を言うのですか」

「事実を述べたまでだ。しかし、悠李を見ていると、俺は人材育成に向いてないのかとすら思えてくる」

「それには同感です」


 悠李は五十程の歳月を生きていると言った。ここにいる者の中には不死でない者もいるが、了顕や相柳は悠李よりも永く生きている。


「悠李は特殊な環境で鍛えられたといった。不死身である事を考えると……正直想像したくは無いがな」

「文字通り、死ぬ程鍛えられたのでしょう」


 悠李の曖昧な言葉を使う時は、はぐらかしているか遠回しに言いたくないと言っている時だ。


「悠李に他の事は聞いたか」


 蚩尤は首を振った。


「言いたくないのでしょう。特に師については語ろうとしません」

「……なあ、蚩尤。悠李は何故捕らえられていたと思う?」

「不意打ちか、或いは悠李より強き者が当たり前の様に存在するか。師がそれに当たるのだとは思いますが」

「そこだ。悠李は自分は基準にならないと言った。悠李よりも強い者はそれ程存在しないとも取れる。だとしたら……」


 祝融はそこで言葉を止めた。

 誰もいない場所へ行きたかった。

 それは、信頼する誰かに裏切られたとも取れる言葉に思えてならなかった。


「まあ、今となっては聞き出す意味も無いだろう。武官も様になってきた」

「しかし、悠李を見ていると、他をもっと扱いてやらねばと思えてなりません」


 悠李は、あくまで補佐官だ。蚩尤から見れば、補佐官より弱い上官などあってはならないと考えていた。


「ここらで勘弁してやれ、公務に支障をきたしては困る」


 修練は倍に増えていた。兵士もそれなりに妖魔相手に怯えることもなく立ち向かえる様になっている今、これ以上は只人は体を壊すだけだと、蚩尤を嗜めた。


「後は望む者だけだ」

「承知しました。まあ、大して居ないでしょうが」


 嫌味な口ぶりに、新しい武官に気にいる者はいなかったのだと、祝融は悟った。


「明日が悠李の出征でなければ、俺も一戦交えたい所ではあったが」

「今の状況で叩きのめされる悠李の姿を晒す意味もないでしょう」


 祝融は大いに笑った。好いている相手とはいえ、容赦ない口振りは実に清々しい。


「わからんぞ、俺も大して鍛えているわけではない。いずれ負ける日が来るかもな。どの道、剣ではお前に負け越しだ」

「そうですね。私にとっての誉れです」


 それだけが、蚩尤にとって祝融に勝るものだった。あくまで、異能を使わなければの話であり、実戦と言っても手合わせだ。本当に命を懸けて剣のみで戦ったのなら、どうなるかなど蚩尤には想像もつかない。


「さてと、そろそろ戻る……と言いたいが、次の相手は共工か」

「祝融様、面白がっていて良いのですか?」


 悠李の前には共工が立っていた。女の身で体躯に恵まれていると言っても、共工を前にすると小柄に見える。それもその筈で、共工の身の丈は六尺と五寸。誰もが見上げなければ、顔が伺えない程。更には、姜一族特有の体躯の良さで、悠李が小柄に見えるのも当然だった。


「あれで、私に勝てないとは情けない」


 身体つきが全てでは無いが、蚩尤は恵まれた体躯を生かしきれていない共工を蔑んだ。


「言ってやるな。子供の頃、余程お前に鍛えられた事が記憶に残っているのだろう」

「屁理屈ですな。直ぐに感情を面に出す癖も治せない様では、いずれ悠李にも負けるでしょう」


 それは困るなと、祝融はぼやいた。

 実子だからではなく将軍職としてそれだけはあってはならないだろうと考えていた。


――


 悠李は共工と何度か剣を交えていた。大柄な体躯の所為で、剣は見事に弾き飛ばされ、手足の長さも明らかな差があった。どうやったら、一矢報いる事が出来るのか。悠李は義兄を前にして、悶々と考えた。


「(いまいち想像出来ないな)」


 何より、隙がない。懐にも入る事ができないと途方に暮れていた。


「考えは纏まったか?」


 共工は自分を見ている悠李が何を考えているかなど、容易に想像が出来た。


「考え過ぎても意味はない」


 肩透かしを食らった様にも思えたが、それもそうだと悠李は剣を構えた。

 動いたのは共工だった。大振りだが、速い剣撃が悠李の胴を狙った。どう動くかは悠李にも見えていたが、受け止める事ができなかった。

 受け止めれば、剣の重さに腕の動きが止まる。悠李には避けるしかない。

 只管に避けてばかりでは意味はないと分かっていたが、好機を待った。


「(相変わらず、隙がない)」


 避ける目を持っていても、懐に入り込む技量が足りない。こうも技量の違いを見せつけられると、まだ研鑽が足りないと思えてならなかった。


「避けてばかりでも、意味はない」


 言葉に気を取られた。悠李は一瞬の隙を突かれ、真後ろに蹴り飛ばされた。


「お前は、格上相手だと考えすぎるな」


 体を起こし、共工に向き直ると剣を納めた。


「共工様の剣は重い。受け止めれば剣は弾かれます」

「ならば、鍛えるしかないな。次はもう少し面白くなる事を期待している」

「(嫌味か)」


 実質軍の中では、共工の右に出る者はいない。

 あまりに真っ直ぐな意見はとても参考になる様なものではなかった。

 悠李は自身の手を見た。

 鍛えてはいるが、男に比べか細いとすら言えるそれが、忌々しいと思えていた。


「(男であれば、何か違っただろうか)」


 男になりたいと思った事は無いが、男より強いと自負した事はあった。だが、時折自分より強い者と出会う。そして、それは大概が男だった。

 共工然り、蚩尤に祝融。そして、師もそうだった。力で捩じ伏せられ、到底敵わないと思い知らされる。

 そもそも、生きてきた時間や経験の差があるのだから、仕方が無いと言ってしまえばそれまでだ。


「お前は自分よりも強いと考えると、動きが鈍くなる。もう少し楽に考えたらどうだ?」


 共工の助言は至極真っ当っだった。

 最初こそ心象が悪かったが、悠李が城に住む様になってからは、空気が変わった。仲良くなったわけでは無くいが、翠玲と過ごす事も有るからか敵意もない。


「まあ、出来たら苦労はしてないだろうがな」


 そして、一言多い。

 鼻で笑って言ってのけるそれに、これが共工の性格なのだろうとも思えたが、蚩尤とは真逆の包み隠さ無い性分が彼らしくて潔かった。


「では、もう一度お願いします」


 差があるのなら、地道に埋めていくしかない。悠李が構えると、共工も応えるように構えた。


――


 黄昏が景色を染める頃、修練が終わり悠李は自分の宮への帰路へと着いた。

 共工と幾度となく手合わせしたおかげで、身体中汗だくだ。手拭いは既に意味の無いものと化し、面倒だと滴り落ちる汗をそのままに歩いていた。

 宮では既に湯浴みの用意がされていた。最初の頃こそ毎日湯に浸かるなど贅沢極まりないと考えたが、今では一番の至高となった。


「(正直ありがたい)」


 毎度湯を用意してもらう事に罪悪感こそ残るものの、修練の後ほど有り難みを感じる。

 湯船に浸かりながら、自身の身体に目を落とした。相変わらず傷一つ無いそれは、女よりは逞しく、男よりも劣る肉付きのままだった。

 只の武官ならば容易に勝てる。了顕や相柳、明凛など不死や龍人族のような者は中々手強い。そして、より特殊な不死とされる姜一族には誰一人として勝てていなかった。


「(まあ、数百年以上生きている方達に簡単に勝てるわけがないよな)」


 仕方がない事と分かってはいる。

 一人は恋人と言える仲でもあるが、それとこれとでは話は別だ。蚩尤も同様に考えるのか、加減は無い。お陰で感情が邪魔する事なく、向き合えると悠李には嬉しい限りでもあった。

 悶々と考えていると、女官の声が響いた。


「悠李様、そろそろ蚩尤様がお見えになる時間です」

「わかった」


 夕食だけは共にしようと、蚩尤は日々、悠李の宮を訪れていた。元々宮は近いが、仕事が違うと城は広く会う事は少ない。修練の日だけ顔を合わせていると、只の上官と下僚でしか無いからと、蚩尤から言い出した事でもあった。

 悠李が湯船から上がると、女官達が寄り集まった。

 多少は慣れたが、未だ気恥ずかしいと思う事もある。身体を拭く程度は自分でやると、女官達を説き伏せ、出来る限りの事は自分でしたが、衣服を整えるときはどうしても女官達に頼らざるを得ない。その方が早く終わるし、着崩れもしない。何より人を待たせる訳にもいかなかった。


「髪を切ろうかな」


 ボソリと呟いた悠李の言葉に、髪を懇切丁寧に拭いていた女官の一人の(しん)が勢いよく悠李に食いかかった。


「悠李様。これ以上短くすればどうやって頭に飾りを付けるおつもりですか?」


 悠李の髪は肩甲骨程度までしか無い。いつもは組紐で一つに纏めているだけだが、髪を結い上げるのに満足な長さとはいかず、女官達がヤキモキしているのを知っていた。


「いや、言ってみただけ……」


 女官達の手間を省きたかっただけだが、この様子では勝手に切れば、怒られる所では済まないだろうと諦めた。

 女官達はてきぱきと支度を済ませると、あっという間に支度は終わった。食事をするだけなのに、仰々しいとも思えたが、これも毎度の事なので、すっかり慣れてしまった。

 支度を終えた悠李が足早に食事が用意されている間へと向かうと、既に蚩尤は食事が配膳された卓について待っていた。


「お待たせしました」

「構わない」


 簡素ではあったが、それなりに着飾り時間が掛かってしまった。待たせては悪いと言っても、女官達は和かに笑って躱されてしまう。

 蚩尤がこれで機嫌が悪くなる事は無い。

 食事をしている時になってようやく上官と下僚の関係で無くなる。


「そう言えば、今日は客人がお見えになっていましたね」


 悠李は遠目ではあったが、蚩尤の機嫌の悪い態度が見えていた。相手は若い令嬢に見えたが、一体何を怒らせたのか。


「何、自分は優れていると思い込んでいる者を嗜めただけだ。そう気にする事では無い」


 彼女の去り際の姿は、嗜めたと言う甘いものではなかったようにも見えた。嗜めたというよりは、蚩尤に一喝されたというのが正しいのだろうか。


「明日は出征だろう。そんな事を気にしていて良いのか?」


 明日は不周山への出征だった。悠李のしてみればたかが妖魔退治ではあったが、問題は集団行動に慣れていない事だろう。了顕の補佐官として出向くが、小隊を一人で引き連れなければならない。


「分は弁えているつもりです。ご心配なさらず」

「ふむ、自信があるようで何よりだ」


 本当は少し不安だった。部下などいた事はなかったし、統率が取れるかも分からない。了顕の部隊なのだから、彼の言う事は聞くだろうが、自分の言葉はどうだろうか。


「了顕は切れ者の武官だ。貴女は彼を補佐する事に徹すれば良い」

「はい」


 見抜かれた。不安が態度に出たわけでもないのに、僅かな迷いなどお見通しだと蚩尤に言われている様だった。

 食事が終わると、蚩尤は今日の所は帰ると早々に席を立った。


「何かお仕事でも?」


 いつもは長居する事が多い。酒を飲んだり、本を読んだりと様々だが、その後寝屋を共にする事も暫しあった。

 蚩尤は悠李に近づくと、小さく耳打ちした。


「今日は手を出さな方が良いだろう?」


 悠李の顔は忽ち赤く染まった。蚩尤以外に男性経験が無い訳ではないが、恋愛経験は乏しかった。自分に向かって真っ直ぐな言葉を向けられたことが無く、当たり前の様に甘い言葉を囁く蚩尤に対して免疫が無かった。

 そして、蚩尤もそれを面白がっている節があった。


「……そうですね……今日は、その方が良いです」


 不死身だから大した支障では無いが、気を遣ってくれるなら素直に受け取るべきだと、悠李は自分に言い聞かせる様に返した。


「悠李は揶揄い甲斐がある」


 悠李の戸惑う様子に蚩尤は満足気な表情を見せた。


「……四日後には戻りますので」

「ああ、健闘を祈る」


 妖魔など、恐れるに足りない。「無事を祈る」と言わなかった事が蚩尤らしくもあった。

 蚩尤は女官の存在などまるで気にもとめず、悠李に口付けるとそのまま去っていった。


「(心臓に悪い……)」


 未だ頬は紅潮し、心臓は高鳴っていた。

 遊ばれている事は分かっていても、気持ちを通わせた相手だと、こうも余裕が無くなるものなのか。

 上官として向かう時は何も思わないというのに、この宮で接している時だけは何かが違った。

 着ている衣の所為だろうか。それとも少しでも女らしく見られようと所作に気をつけているからだろうか。髪から匂う香油の所為だろうか。

 それら全てが当てはまる様な気もしたが、蚩尤が自分に向ける眼差しを思い出せば、どれも悪いものではなかった。

 抱く想いを胸に手を当て、その感情の温かさの余韻にほんの一時浸りながら、悠李は手にした幸福を噛み締めた。

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