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氏子寄り  作者: 晴羽照尊
第六話 時宿り
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時宿り 4


 三十分くらいして、簡単な食事を作った私は、居間から少し廊下に顔を出し、声を上げてお兄ちゃんに呼びかけた。お兄ちゃんの部屋からガタゴトと騒ぐような音が鳴り、ややあって、「すぐ行くわ!」と声が返ってきた。照花ちゃんもたぶん一緒なのだろう。彼女からの返答は特になかったが、そう思って待つことにした。

 しばらくして、お兄ちゃんと照花ちゃん。ふたりは連れ立って、居間に来た。なんとなくお兄ちゃんの雰囲気が違うな……と思って、食事中ちょっとだけ観察してたのだけれど、後で気付いたところによると、どうやら上着を脱いでいただけだった。珍しく血相を変えて迎えに来るものだから、いろんなことに疑心暗鬼になっていたのかもしれない。

「頼子。なにこれ、まずい」

 あと、食事中に起きた事件といえば、これくらいだ。照花ちゃんの辛辣な言葉。

「そう? やっぱり?」

 正直、自分ではそうは思わないのだけれど、やはり一般的に私の料理はまずい――というより、独特らしい。お兄ちゃんはおいしそうに食べてくれるのだけれど。もしかしたら私とお兄ちゃんだけ味覚がおかしいのか。はたまた、お兄ちゃんだけは私を気遣って、無理矢理おいしそうにしてくれているだけだったのか。いまとなっては、真実は解らない。お兄ちゃんとも、これ以来、もうずっと、会えていないから。

「頼子と住んでも、ごはんはあたいが作るよ」

「え、照花ちゃん、料理できたの?」

「いや、できねーけど。覚える」

「そんなにまずい?」

「そんなにまずい」

 それでも、照花ちゃんは完食してくれた。苦手でもおいしくなくても、嫌いだったとしても、彼女はすべてを受け入れられるのだ。


        *


 食事を終えたら、先生役の交代だ。私と照花ちゃんは私の部屋にて、勉強をすることとなった。つまり、一方的に、私が教わり、照花ちゃんが先生役、という構図である。

「頼子。あんた馬鹿すぎだろ」

「そっかな〜」

 いや、問題が解けないのは理解している。しかし、この世に問題を解ける人間がいることを、私はまだ、理解していなかった。そしてそれが現代日本において、多数派であるということを。それゆえの、軽い口調なのである。

 はあ〜。と、大仰に息を吐いて、照花ちゃんは横になった。諦めモードである。

 いま思い返してみると、私はまだ、当時のあの課題を解けるだけの教養が足りていなかった。それでも、書いてあることを読むことはできたし、その問題がそのようにして解けるのだということを、なんとなく理解はできていた。

 解っていなかったのは、もっともっと、土台の部分。ある学習において、1〜10までの段階がああるとして、私は、1を知らないのに、4だけ知っているみたいな、妙な知識の付け方をしていたようなのだ。『林檎は赤い』という文章を『りんごはあかい』と読むことはできるし、その文章を読み、頭に赤い林檎のイメージは浮かべられる。だけれども、『林檎』や『赤い』という概念を持っていない。そんな感じだろうか? 当時のことを思い返すに、いまでも――というより、いまだからこそ謎である。あのころの私の目には、いったい世界がどう見えていたのか。3×3は……なんだっけ? 5か8か9。じゃあ今日は8でいいや。みたいな計算をしていた。当時は計算が必ず同じ答えを出すということすら理解できていなかったのだ。

 とはいえ、いつまでもそんな馬鹿でいたわけじゃなくて、ある日、あるころ、ふと1〜10のうち、知らなかった1を知って、いろんな問題の辻褄が合った。そうなってからは急激に問題への理解度が上がって、人並みに勉強ができるようになったのだ。いまでは、現役の女子大生として一般的に普通の知識や思考を持ち合わせている……と思う。

 まあ、そんな私の勉強遍歴はともかくとして、この日、このとき、照花ちゃんは私に呆れ、寝っ転がってしまった。それゆえにか、勉強から思考が逸れ、別のことを考えてしまったのだろう。ふと、

「散歩でも行こっか。気分転換に」

 と言い出した。そもそも勉強なんぞしたくなかった私には渡りに舟で、「うん!」と、たぶん意気揚々と応えたと思う。そうしてあの忌まわしい現場を目撃することになるのだが、そんなことなど知る由もない私は、ウキウキとダサいジャンパーを着込んだのだった。


        *


 確か、このときだったと思う。いや、あれだけ印象的な日だったのだ、間違ってはいないだろう。この会話を、した日は。

「ところで照花ちゃん」

「なにさ」

 照花ちゃんはなにやら、思惑を邪魔されたような、妙に低い声で、応答した。

「私は生まれてこのかたずっと気にしていたんだけど、その甚平って大切なものなの?」

 今更すぎる質問だった。照花ちゃんが、いついつでも着ていた甚平。もはやそれこそが照花ちゃんの代名詞ともいうべき、服装について。特段に非難したかったわけじゃない。が、よほど気に入っているのだろうという、興味だ。だって、サイズも合ってないし、そのうえ、だいぶ古くなって、ぼろぼろなのである。彼女は別に、甚平の内に着ている肌着などはぼろくもないし、となれば、お宅が貧乏で、新しい服を買ってもらえない、などという環境ではなかったはずなのだ。

「なんで?」

 短く、照花ちゃんは疑問を呈した。

「いや、いつも同じの着てるから?」

 言葉としては間違っていないが、むしろどうして照花ちゃんが私の質問に対して質問を返してきたのかを疑問に思って、疑問形になってしまった。客観的に見て、幼少期からずっと同じものを着ているなんておかしいだろ。ずっとそばで見てたら、普通そこに疑問持つだろ。そんなことも解らないのか。という、疑問だ。

 しかし、実は、そうじゃなかった。

「ああ、これ、同じものじゃないよ」

 照花ちゃんは成長してもまだ、自身の腕より長い袖を少し振って、そう言った。わけが解らない。

「あたいのこと、同じ服ばっかり着て頭おかしいとか思ってたの? だとしたらおかしいのはあたいじゃなくて、あたいのお父さん。これぜんぶ、お父さんからのおさがり。お父さんが着古すたびにあたいにおりてきて、いまでは十着以上もあるの。あたいはそれを、順繰りに着てる感じかな」

 いや、確かにおまえのお父さん頭おかしいけど、結局おまえも頭おかしいやんけ。と、私は思ったけれど、黙っておくことにした。照花ちゃんに嫌われたくなかったし、それに、そういう理由があるにしても、やはりそれしか着ないのは、もしかしたら他の服を持っていないから、かもしれなかったから。貧乏、という理由では、なかったとしても。

 しかしともあれ、長年の疑問がいちおうは、解けた瞬間だった。

「そんなにいっぱいあるなら、私にも一着ちょうだいよ」

 あまり考えもせず、私はそう言っていた。そんなにいつでも着ているのだから、さぞや着心地もいいのだろうと思ったから。それに、照花ちゃんの私物を身に纏えるなんて、とっても素敵じゃないか。そうも思っていたと思う。

「やだよ。頼子とペアルックとか、すっげーいや」

 実のところ、私は照花ちゃんが私を嫌っているとはまだ気付いていなかった。だから、それも冗談だと思って、笑って受け流したのだけれど、やはりちょっと胸は痛んだものである。

「……まあ、大学ちゃんと受かったら、ね」

 この歳になってはなかなかに珍しくなっていたけれど、このとき、照花ちゃんは、ニケケ、と、屈託なく笑ったのだった。だから、私の傷んだ胸は、容易く治癒される。

 私って、簡単だなあ。



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