第八話
あれから彼は結局勉強尽くしの夏休みを過ごし、そのまま後期に突入した。元相棒とは、いつも通りと言えばいつも通りだが、連絡は取っていなかった。きっともう連絡を取る気はさらさら無いだろう。
「おはよう」
そう言って彼は教室に入っていく。彼の声量的には、きっと教室全体ではなく入口付近にいた仲の良い友達だけに対した挨拶だろう。
「おう、おはよう」
「「おはよ」」
彼の存在に気付いた彼らは軽い挨拶を交わしつつ、雑談に移っていった。
「でさ、昨日の夜のテレビでさ~」
その様子を見つつ彼は窓際、後ろから三番目の自分の席に着く。時刻としては八時六分。教卓に宿題を提出する時間が八時十五分まででありなかなかギリギリの時間を攻めていたため、彼は机に置いた鞄から宿題のノートを取り出し教卓に向かった。彼が宿題を出しに行った時には、既に一部の宿題の係は提出チェックを始めており、肌が夏休み前よりかなり焼けた三人組が教卓で騒いでいた。
はぁ、またか。
彼は内心溜息をつきつつ、教卓に向かう。
「まーた時間ギリギリじゃん、しっかりしてくれよ」
「あぁ、ごめん。最近朝起きれなくてね、どうにも家を出るのが遅れてしまうんだ」
「へぇー、頭良くても、やっぱ寝坊しちゃうもんなのか」
「昔からどうにもね」
「まーいいや、漢字ノート早く出して」
「…はい」
「はいオッケー、確認の紙には自分で丸つけといて」
「分かった」
そう言うと彼は他の宿題を宿題の山に乗っけてから自分の席に向かいシャーペンを持って教卓に行き自分の名前の書いてある欄に丸を付ける。それから彼は彼の友達を一瞥し、そのすぐ後に時計を一瞥し自らの席に戻っていく。
彼奴等、態度変わりすぎだろ。まぁ、後期が始まって早一週間。慣れたと言えば慣れたが、いちいち何と言うかあの日の事を思い出してしまって、胸が痛くなる。最近、こういう事が多くなってきたな、あまり寝れてないし、それが原因かもしれないが、どうにも違う気がする。まぁ、耐えていればこれも時期に慣れるだろう。
一連の事象に彼なりの結論を導き出し、納得した顔で席に着く。時刻は八時十三分。あと二分で読書の時間だと思いながら彼は鞄からそれっぽい小説を取り出し読み始める。その様は、差し詰め"僕は真面目な優等生です"と主張しているとも"俺はお前ら馬鹿と違う"とも取れた。
彼の態度は前期と比べ明らかに悪くなった。これまでの柔和な態度、話しやすい雰囲気等が消え失せ、周りと一定の距離を取るようになった。原因は明らか。カースト順位が下がった事による皆の態度の変化だ。基本的に他人には他人からの態度をオウム返ししている彼は、悪態を突かれればその分彼の態度も悪くなる。また、優等生でいなくてはならないという念。その間に生まれる矛盾によるストレス。矛盾が発生しているという事に対する自らの思考回路への疑念、疑念を抱くほどの中途半端な思考回路しか持っていない自分への怒り、その思考回路を直せない自分への怒り、このやるせなさへのストレス、元相棒の件、挙げればキリがない。そのストレス、ストレスによる睡眠の質の低下、睡眠不足による思考能力の低下が彼の余裕を無くし、結果として態度に現れてしまっていた。勿論、彼には今まで挙げたプロセスや自らの態度に気付いていない。だから彼は態度を改める可能性はゼロになり、そして態度が悪いからより陰口が酷くなる。実は夏休みの間に彼の陰口はSNSでも行われるようになり、友人グループでの悪口がちょくちょく言われており、彼自体は何もしていないが彼らの中でどんどん彼への評価は下がっていた。そこに夏休み明けの彼の悪態は彼らの行為に油を注ぎ、より陰口が悪化していた。
学校が終わり、部活に彼は励んでいた。最も、同じ部活の友達とのみラリー練習や軽い試合を行い部活が終わる時間を待つのが通例となってしまっているが。
「…一旦休憩するか」
彼の友人はラリーをしていた手を止め、卓球台の横に置いてある水筒を取り水分補給を始める。彼も少しアキレス腱を伸ばしてから座り、タオルで汗を拭き水分補給を始めた。
「なぁ圭一、今日ちょっと伝えたい事がある。帰り一緒に帰らないか」
「分かった…よし、あと二十分ラリーやったら試合するか」
そう言いつつ彼は立ち上がり、卓球台に置かれているラケットを手に取る。そして友人もラケットとボールを手に取りドライブサーブを打ち、ラリー練習を始める。
「……、やべっ」
彼がミスし、ラケットの横でボールを打ってしまい、ボールが飛んで行ってしまう。そしてそのボールは彼にとって最悪な人物の足元に転がっていった。そう、いじめの原因となった元友人の足元だ。彼はラリーの手を止め、足元に転がってきたボールを掴み上げ、ボールが転がってきた方向を見る。そしてそのボールが彼のものだと分かると表情が一気に険しくなり、ラケットを台に投げ置きボールを持って彼らがラリーをしている卓球台に向かう。
「ボールが飛んできたんだけど!」
彼の怒号が体育館に響く。一瞬彼に視線が集まるが事の概容が掴めるとすぐに元やっていた事に戻った。「ごめん」
彼は端的な謝罪の言葉を口にする。
「ごめんじゃねぇ!踏んでたら怪我してたかもしれねぇじゃねぇか!ボールが吹っ飛んだら声出せよ!んな事もできねぇのか!元学年二位様ともあろうものが!馬鹿じゃねぇの」
「気を付けるよ」
「おせぇわボケ。そんな腕前で三年とか笑わせんな、さっさと退部しろよ!」
こんな状況で彼は、あと一ヶ月もないけどね。と小馬鹿にしていた。こっちもこっちでクズだ。
「というか消えろ!こ・の・世・か・ら!」
そう言うと彼は拾ったボールを地面に叩きつけ去っていく。踏みつぶさないのは、前に踏みつぶそうとして失敗した事があるからだろう。
「…よし、続きやるか」
彼は友人にそう呟きドライブサーブを打ち練習を再開した。
それから練習を終え着替えを終え、彼らは帰路に着く。後期に入って二日目から、彼は同じ部活のその友人と一緒に帰る事が多くなっていた。彼は気付いていないが、きっとその友人だけが彼らとは違う方向に家があるからだろう。その分彼は家に迂回して帰っていた。
「…それで話って?」
「あぁ、実はな昨日あるグループに誘われたんだ。」
「グループって?」
彼は内心気付きつつ問いかける。
「表向きはただの友人グループって言ってるが、参加してみればなかなか酷いもんだったよ」
「というと」
「お前への悪口の嵐さ、勿論それ以外の事を話す事も多いが」
「…そうか、僕も随分嫌われたもんだな」
彼はそう言いつつ引き攣った笑顔で嗤った。
「だが嬉しい事もある。思ったより悪口を言っているのは少人数って事だ。グループ自体には学年の半分くらいが参加しているが、お前への悪口を言っているのは十人いるかいないかくらいだ。まぁ、そのグループに属している人もある程度お前への評価は下がると思うが逆に言えばその十人以外はあまり進んでお前を目の敵にしてないって事だ」
「そうだな」
「お前から事のあらましを聞いた感じ、多分お前とアイツらとの間には確実にすれ違いがある、俺が誤解を解けるよう頑張ってみる、もう少し耐えてくれ」
「…はは、ありがとう」
すれ違いか、そうだと良いな。しかし此奴は凄い。俺の話を聞いただけでここまで理解している。俺ですら分かってなかったのに。いい友人を持ったものだ。これからもこの友情を大切にしていこう。
彼は少し笑いながら、友人に感謝の言葉を述べ、もうそろそろ自宅に向かうルートに戻るよと言い別れた。