第十六話
その日の午後、彼は自室で勉強しながらいつも通り思考していた。
はぁ…どうしたもんか。
彼の脳に昼間の彼女の言葉が反芻する。
"えーっとね、確か”問題の本質を捉えて考えれば自ずと答えは分かる!”って言ってた"か。これだから天才は恐ろしい。私が長い時間を掛け、私の思考回路を勉強用に少しずつ矯正しているなか、平然と自身の思考回路で何食わぬ顔で完全な正解を導いてくる。…はぁー、気分が落ち込むな、こうも現実を突きつけられては…だけじゃないなこれ。この感覚は罪悪感もある。確かに友達を置いて帰ってきてしまったし、彼女も置いて帰ってきてしまったし、なんなら途中から口調が強くなっていたな。明日謝ろ…って冬休みじゃないか。ついてない。いや必然か。では電話でも…ないな。急に電話が来てなんだコイツと思われて終わりだ。冬休み明けではきっと忘れているだろうし。というか忘れているなら謝る必要ないじゃないか。きっとこの謝罪は自身を納得させるためのものなのだろう。つまり私が我慢すればこれ以上の摩擦は生じないという事。ならこのまま胸の内にしまっておこう。
そう思い、彼はその感情を心の奥底に投げ捨てた。
良し。それより今の私には考えるべき事がある。彼女の言葉だ。彼女は何も考えずとも…は語弊があるが、取り敢えず私のように過去の経験を基に積み上げるという方法を採っていない。彼女の思考回路は最初から私の荒削りで継ぎ接ぎされたようなゴミより遥かに美しく完璧な美術品だ。そしてそんな芸術品がそう言ったという事は、それが正しいんだ。こんな紛い物が言ったところでそれは掃き捨てられる間違った一意見でしかない。天才の意見は絶対である。よって私が取るべき行動は何だ。今私に出来る事は、繰り返してその事を自身に落とし込む事、自身の思考回路を矯正する事。つまり、私には自身の思考回路の形を自身の望み通りに変更する事が出来る。よって…彼女の思考回路を完全にトレースすれば良い。そしてそのためには何度も彼女の考え方に基づいて行動する必要がある。今の私の手元にある情報は彼女の言っていた言葉、私と彼女との会話内容のみ。現状の厳しさは拭えないが、やるしかない。勉強法を一変させよう。これまでの繰り返しやって思考回路を矯正する方法ではなく、問題毎に自身の持ち得る思考回路を使ってやってみようじゃないか。そして今のような思考を止めてより勉強に集中して、もっと頑張って頭を鍛えて、時に柔らかくして…そうすれば、きっと私だって……。
彼は顔に違和感を覚え、手を止めシャーペンを置き、頬に手を当てる。そこには生温かい液体があった。
涙か。泣くのは何年ぶりだろうか。はは。
彼は口元にまで来た涙を舐めた。少しの甘みとそれを遥かに上回るしょっぱさがあった。
何で泣いてるんだ私は…いや解ってる。悔しいんだ。当然だ。これまで、約一年間必死にやってきた事が全部、間違ってて、結局正しいのはいつも彼方で、そして今自身のこれまでのやり方を自身で完全否定し彼女の方法で勝とうとしている。一番勝ちたい相手を真似て、プライドも全部捨てて。悔しくないはずがない。機械だったら絶対に感じないであろうこの感覚。勿論苦しいし、恥ずかしいと思うが…自身がまだヒトである事を示してくれている感じがしてあんまり悪い気分じゃない。完全効率で動けない事はもどかしいが、この感覚という現象の大事さはよく解っている。ではこうしよう。一旦、このままの勉強方法を続けて、次のテストは…学調か。最も私の勉強法と相性が良いのは英語だから、英語で勝負しよう。決めた。次のテストまで、全力で英語を勉強して、満点取ってみせよう。満点が取れる。つまり私の思考回路が天才と肩を並べられる程に正確である事が証明出来れば、私の方法は確かに時間は掛かるものの確実に正確に近づける事が証明出来る。凡才である私が天才である彼女と努力で肩を並べられたなら、それは他の事にも同じ事が言える。如何なる天才にも努力で追いつけるという事が証明出来れば、如何に私の思考回路が正しさと離れていてもそれは矯正可であるという事も証明出来る。効率が悪い事は認めるし、彼女の方が正しい事も認める。がしかし、如何に効率が悪かろうと近づけるのなら、対等になれるのなら、私は満足だ。がしかし、そう考えたところで私は研究を止める訳にはいかない。となると勉強以外で彼女の思考回路を疑似構成する必要がある。彼女の言葉、彼女と私の相違点から…気を付けるべき点、留意しておかなくてはいけない点は"自身の思考回路を用い、物事の本質を理解する"という点。本質を理解できているかは…どうしようか。まず本質を理解できているという事はどういう事か。それは、全てを理解出来ているという事。私は学んだ事だけしか出来ない。…つまり学んでいない事まで解るつまり応用が利くという事。その時点で知っている事より高次元な気付きがあるかを評価基準としよう。そしてその条件が満たしやすい物は…
その時、彼の記憶の奥底からある風景が湧き出てきた。
「敬道…」
彼の脳裏には、敬道と一緒にやったfpsゲームの画面が映し出されていた。
「…はは。こんな形でゲームを始めるようと思うとは思わなかったな、はは…」
あの日、彼は敬道との思考能力の決定的な差を感じていた。そしてその彼もまた天才の内の一人。そんな彼が「思いつく」なんて単語を使っている場面を思い出してしまった彼はこれしかないと思わざるを得なかった。
最近勉強し過ぎてますアピールをしていた私なら親に頼めばきっとゲーム機を買ってくれるだろう。…流石に最初からパソコンはハードルが高すぎる。家庭用ゲーム機から入ろうじゃないか。そのfps?ゲームが出来れば機体が何であろうが問題ない。そうと決まれば早速母が帰ってきたらお願いしよう。ははっ、これが楽しみという感覚か。悪くない。むしろ好ましい。楽しみだ。非常に。
気分が良くなった彼はまた勉強を始め、母親が帰ってくる八時半までずっと勉強に集中し続けた。
次の日、彼は午前中から父を家電屋に連れていき、お目当ての家庭用ゲーム機を手に入れ、昼食をすました後、早速テレビに繋いでゲーム機を起動した。テレビ画面にゲームのホーム画面が映し出される。
「えっと、それで…」
それから彼は十五分ほど「えっと」や「これが」等の独り言を呟きつつ、コントローラーを動かした。が、画面には何の変化も見受けられなかった。
「あぁもう!」
fpsゲームって何処にあるんだよ!何かショップ?みたいなものはあったけどお金が掛かりそうだし、無暗に手を出せない。かと言って親には迷惑掛けたくないし、どうしよう…。
「なぁ圭一」
ずっと後ろから見ていた父が彼に声を掛ける。
!!!何とかごまかさないと。
「何?お父さん」
「圭一はゲーム機で何をしようとしているんだ?」
「えっと、敬道が言ってた、fpsゲームでもやってみようかなって思ってる」
「で、今は何をしてるんだ?」
「そのfpsゲームをプレイできるように…色々やってる」
「でも現状は?」
「…出来てない」
「ちょっと貸してみろ」
そう言うと父は彼の手からコントローラーをすくい上げ、彼の横に座り、コントローラーをいじり始めた。
「そのfpsゲームってのがやりたいんだな」
「そう。あ、でも出来れば敬道とやったやつが良い」
「ゲームの名前は?」
「…分からない、でも画面が見れれば分かると思う」
「分かった」
父は、最初こそコントローラーの操作に苦戦していたものの、すぐ慣れて三分後には彼が探していたfpsゲームを見つけた。
「ありがとう、お父さん」
「…まぁ、これまで勉強や習い事ばかりやらせていたからな。仕方ない面もあるが…」
「あるが?」
「もう少し自由に行動しても良いんだぞ?お前さっきびくびくして何も出来てなかったが、もっとこう緩ーく考えて行動しても大抵は何とかなるもんだから」
「分かった」
そう言いつつ、彼は父から渡されたコントローラーを手に取りゲームを始めた。
二十分後、チュートリアルを終え彼は早速バトルロイアルに潜り始めた。
「うわ悔しいー。あとちょっとだったのに」
一時間後、彼は初サバにも関わらず一キルすら出来ずずっと初動死を繰り返していた。
「…なぁ圭一」
ずっと後ろで座って見ていた父が遂にしびれを切らし彼に声を掛けた。
「何?」
勝てないストレスから少し荒くなった彼の返事に少し眉を上げつつ、父は彼に問い掛ける。
「圭一はずっと何をやってるんだ?」
「え?fpsゲームってやつだけど」
「いやそうではなくて。さっきからゲーム内で何をやってるのか訊いてるんだ」
"そんなん見れば分かるやろ"と内心小馬鹿にしつつ、彼は父の問いに答える。
「えーっと、船から降りて、チームの人と同じ町に降りて、武器拾って、見つけた敵を撃ってる」
「あーいや、そうではなくて。何で平然と武器を一つ持ったら敵をすぐ探しに行って、それで弾が無くなってもそこら辺をおろおろしたり謎に壁を殴っているのか訊いてるんだ」
"何を言いたいんだ"と少し憤りを感じつつ、少しぶっきらぼうに、そして得意げに答える。
「そんなの簡単じゃん。一人でも多く倒すのがこのゲームなんでしょ?だったら、まだ皆武器や弾を手に入れてない状態で倒しに行けば確実に倒せるじゃん」
"どやこの完璧な作戦は!"とでも言いたいような顔をしつつ言い切った彼を見て、父は溜息をつきつつ今度は反感を買わないように優しそうな声で坦々と思った事を述べていく。
「あのな圭一。その結果敵を倒せているか?一度でも敵のシールドを破壊できたか?毎回すぐダウンしてロビーに帰ってきてるのは誰だ?」
「…僕だけど。でも敵を多く倒すにはこの動きが最善だと思わない?」
「まぁそうではあるが、圭一はまだ始めたばっかだぞ?只々敵見つけました、撃ちました、負けましたを繰り返しても上手くなれる訳ないじゃないか」
「じゃあどうすれば良いのさ?」
「…貸してみなさい」
自身の完璧だと思っていた作戦を否定され、苛立った彼を見て"何と言っても聞かなそうだ"と悟った父は実際に見せる方が得策だと判断し、自身でゲームをプレイし始めた。
へん!一時間もプレイした俺より父が上手いはずがない!ましてやこちらは完璧な作戦で行動していたはず。父は見てただけだからこのゲームの難しさが分かんないんだ。
そう心の中で悪態を突きつつ彼がゲーム画面に目を向けると、丁度着地した頃だった。父は彼にどう考えているのか伝えるため、一つ一つ口に出しながらプレイしていった。
「まず、俺たちは初心者なんだから、味方と近い建物に向かった方が良いだろう。武器も自分に合ってそうなもの…お、サブマシンガンがあるじゃないか。じゃあ交換して、これでサブマシンガン二丁持ちだ。上手く当てられない内は出来れば装弾数の多いライトマシンガンが良いんだが、まぁショットガンよりは与えられるダメージが多いだろ、お、これはライトマシンガンじゃないか、装弾数も40発。これならほとんど当てられなくても大丈夫だな。…よし、この家は大体探索を終えたな。じゃあ味方と合流して、っと撃たれちゃった、まず壁の裏に隠れて、えっと、敵がいると伝えて、回復して…っと、見方が近づいてきてくれてるな。敵もかなり近づいてきてるはずだから、隠れたのとは逆の壁から見て、やっぱり居た!、二人、撃って、あぁまたシールドが割られちゃった、絶対近づいてくるから、回復より味方の近くに行く方が良さそうだ。…おぉ、味方強い、倒してくれてる。相手の味方も近づいてきてるはずだから、味方一人でより本来二人で打った方がいいから、敵が来そうな方向を見ながら少し回復するやつ使って…よし、でー…敵が来たから味方と撃って…よし!倒せた!な?圭一、こうした方が敵を倒しやすいと思わないか?」
「え、あ…うん」
「お父さん楽しくなってきたから、この試合だけやっても良いか?」
「…うん、良いよ」
彼の態度を見てもう大丈夫だと思った父は、それから声は出さずにゲームをプレイしだした。
…嘘だろ?
彼は父のプレイを目の当たりにし唖然としていた。
家の父完全に天才じゃないか。一時間俺のプレイを見てただけ。チュートリアルすらまともにこなしていない。なのに味方と連携をし、剰えまともに弾が当たっていないのにも関わらず俺が一時間掛けても出来なかったキルを平然としている。この差は何だ。うぅ、分からん。何故だ。このゲームは多く倒して最後まで生き残る事が目的のゲームのはずなのに何故あんなに色々な事に考えを巡らせられるんだ。どうして…。
原因を熟考し自分の世界に入り込んでいた彼は、父の大声で現実に戻った。
「あぁ!あとちょっとなのになぁ」
テレビ画面には試合の戦績が表示され、それを見た彼は驚きのあまり声に出して読み上げてしまった。
「…五キル、八百ダメージ…」
「最後の惜しかったなー、やっぱりまだ下手だから上手く弾を当てられんな。はい、コントローラー」
「あ…うん。ありがとう」
「なぁ圭一、お前は考えが少し短絡的過ぎなんじゃないか?敵を多く倒す為に見つけた敵を片っ端から撃つってだけじゃ、絶対とは言わないが多分勝てん。今お前が考えているのは完全な理想論だ。もっと、目標へ到達するまでの過程というか、道筋を考えたらどうなんだ?」
「……うん」
ぐうの音も出ない正論だ。私には絶対に欠けている何かがある。きっとこれこそが、彼女と私の違いなのだろう。私の思考回路はまだまだ不完全だ。でも父の様子を見る限り、きっと父は私に欠けているその何かを持っている。となれば分かりやすい。実にシンプルだ。
「ねぇお父さん、僕がプレイしてるとき横からどう考えるか教えてくれない?」
そう、教えてもらえばいい。私は何回もその動作を繰り返せばその動作を模倣できる。となれば、父の考え方で行動し続ければいつしか私の思考回路はその思考回路に矯正される。そうすれば私は欠けている部分の無い完璧な思考回路を得る事が出来る。
「一回だけだぞ。それ以降は自分で考えてやってみるんだ」
何だと…まぁ良い。この一回でその思考回路を会得してやる!
彼はコントローラーを操作しバトルロイアルを始め、町に着地しようとする。
「最初は味方の隣の家を探索して」
素直に味方が行くであろう家の隣の家付近に着地し、漁り始める。
「武器は連射してくれる武器が良い。これまでみたいにスナイパーライフルとかショットガンは当てれないと本当にダメージが出ないから」
あっ、この言葉聞いた事ある…。
「今撃たれたね。まずは壁の裏に隠れて、味方にここに敵が居るって伝えるんだ」
「うん」
「右上の地図的に、味方がかなり近くまで来てるから、一緒にさっき撃たれた方を見よう。…そうそう、で敵が見えてるかr結構ダメージ受けてるから、一旦また隠れて、回復して…あ、味方も体力少ないから大きく回復するやつじゃなくて少し回復するやつ。それ。で、回復出来たら、また顔出して、味方がまだちょくちょく撃ってくれてるから、こっちに気付かないはず…上手い!武器変えて…あぁあと半分、もう壁から離れて近づいちゃおう、そうそう、あ、武器持ち替えて、そう!上手い!敵チーム全員倒せたじゃん!」
「うん!」
やった!倒せた!一時間掛けて出来なかった事がこんなにあっさり…やっぱり思考回路の矯正は必須事項だな。…しかし嬉しいな。癖になりそうだ。…あぁ、敬道もこうやってこのゲームにハマってったのか。他人から指示されて動いてる私でさえハマってしまいそうなのに、自分で考えて動ける彼奴がこのゲームにハマらない訳がない。……もっと彼奴に親身になって考えられたらな…。
彼はそのまま父の指示を聞きつつ試合を続け、三キル五百ダメージという好成績を残した。
「よし、後は自分で頑張るんだぞ。お父さんはやる事があるから」
そう言うと父はリビングから出ていき、彼はそれからご飯の時間までゲームをやり続けた。




